【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊
俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.12
☆
……そんな依恋たちの作戦を知らぬ存ぜぬの来是は、ひたすら集中してノートに向かっていた。懸命に勉強する姿を紗津姫に見せたかった。
その紗津姫に教えられるという局面は、まだ現れない。中学時代にトップクラスの学力を誇った依恋が、あらゆる質問に答えてくれる。
「consumerってどういう意味だっけ? テレビゲーム機のことをコンシューマーゲームとか言うけど」
「消費者って意味よ。個人が使うゲームだからコンシューマーゲームっていうんでしょ」
「ああ、そうか」
来是はあぐらをかいているが、依恋は和服ということもあって、きっちり正座しながらシャーペンを動かしている。ほとんど軸がぶれず、綺麗な姿勢を保っていた。
今までに目にしたことのない、大和撫子然とした幼馴染。
思わず、何度もチラチラ横見してしまう。珍しいからというのもあるが……純粋に「いい」と思ってしまった。
あれ、こいつってこんなに可愛かったっけ? 美少女なのはもちろん客観的な事実として知っていたが、なんだかいい匂いもしてくるし……。
「依恋、ひょっとして香水つけてるのか?」
「パパが海外で買ってきた高級品よ。美少女がさらに引き立つでしょ」
まるで謙遜しないあたりはいつもの依恋だった。
「先輩に対抗したいからって、そこまで気合い入れなくても」
「別に紗津姫さんは関係ないわ」
「うそつけー」
「いいから集中するのっ」
「うらやましいですね、おふたりとも」
紗津姫が口に手を当てて笑っている。
「どういう意味です?」
「私には幼馴染がいないんです。中学生のときに余所から引っ越してきたものですから。そうやって遠慮のない付き合いができる相手がいるって、とてもいいですね」
「うんうん、春張くんと碧山さんってー、結構お似合いなんじゃないですか?」
金子の発言に、来是は一瞬固まってしまった。
この前は紗津姫への恋心を応援するみたいなことを言ってくれたはずだが、もしかして忘れてしまったのだろうか?
「飲み物、持ってくるわ」
依恋は何も反応せずに席を立った。否定するのも面倒なのだろうと来是は思った。
「俺たちはそんなんじゃないですよ。それに……」
「それに?」
優しい笑顔の紗津姫に問い返されて、来是は喉の奥で言葉を詰まらせる。
俺は先輩が好きなんです。……言えるはずがなかった。その気持ちにまったく偽りはないが、まだ俺はこの人にふさわしい男になっていない。将棋の腕前も未熟だし、人間的にも全然だ。
「そういえば神薙先輩にとって理想の男性って、どんな人なんですか?」
金子の質問に、心臓がドクンと跳ね上がった。
……これはぜひとも聞いてみたかったことだ。はたして自分は、この女王の理想たり得るのだろうか?
「依恋ちゃんには話したことがあるんですが、理想の男性は……私と同じくらい将棋が好きな人です。そして、私よりも強い人」
「せ、先輩よりも将棋が強い人……?」
「はい。これは譲ることができません」
柔らかい口調だが、絶対の意思が秘められていることは来是にも感じ取れた。本気の本気で、そんな水準を設けているのだ。
来是は愕然としていた。紗津姫と自分の棋力には、天と地ほどの差がある。追いついてみたいと思ったことはあるが、実現可能な夢だと思ったことは、ただの一度もない……。
「なるほどー。そう言われたんじゃ、普通は諦めますよね?」
「今までたくさんの人に告白されてきましたけど、すぐに引き下がってくれました。だったら自分も将棋を好きになって君より強くなる……そんな風に言ってくれた男性は、まだひとりも」
紗津姫の表情に、うっすらと憂いの影が差した。
自分と将棋の道を歩んでくれる男が現れてくれないことが、寂しいのだろうか。
大蘭との交流戦で、城崎修助が告白したのを思い出す。対局中という状況でそのような行動に出たことの是非はさておき、男らしさでは……彼のほうがはるかに上なのではないか? 紗津姫と対等の存在であるという自信に満ちていたのではないか?
「お、俺は! 俺も!」
「……なんでしょうか?」
「……いえ、なんでもないです」
まだ、そのときではない。
きちんと告白するのは、自分に自信が持てるようになったら。だいたい今は、テスト勉強中なのだ。余計なことを考えてはいけない。
依恋がお盆を持って戻ってきた。冷たいオレンジジュースを飲むと、もやもやしていた頭がすっきりとしてきた。
学生らしく、勉学に励む。それが現局面での最善手だ。
「そういや昼食はどうするんだ? この前はピザだったよな」
「ふふ、ママが出前を頼んでおいてくれてるの。すっごい豪華なお寿司だから!」
「おおお、マジですか? ところでお寿司って、ネタが攻めてシャリが受けるって感じがしますよね?」
「知らないわよ!」
やがて正午を回り、昼食休憩に入る。
普段いいものを食べまくっているであろう依恋をして、すっごい豪華と言うだけのことはあった。宝石箱のように色艶やかな特上にぎり寿司。鮮烈に輝くトロを口に運ぶと、甘みに富んだ身と米がまろやかに絡み合い、至高のハーモニーが奏でられる。
日頃、自分は日本人なのだと意識することはあまりないが……これには日本人に生まれたことに感謝せずにはいられない。
「なんだか申し訳ないですね。こんなに素敵なごちそうをいただいて」
「気にしないでよ。お金持ちがお金を使うのは義務だって、よくパパは言っているわ。それで経済は回っているって」
和服姿で寿司を食す依恋は、また絵になっていた。いつもは紗津姫にばかり目が行く来是も、今日ばかりはこの着飾った幼馴染に注目してしまう。
どうも調子が狂うな。よくわからない感情を抱えながら、来是は黙々と寿司を食べ続けた。
「将来碧山さんと結婚する人はうらやましいです。ねえ?」
妙な話題を振ってくる金子。どう反応していいものやら迷ったが、何気なく浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「おじさんは碧山家の今後については、どう考えているんだ」
「……自分の跡を継げるような、優秀な男にお婿さんに来てもらいたいとか思っているみたいね。あたしが一人娘だから、なおさら」
「……ん? そうなると平凡な男じゃ碧山さんとは結婚できないですね?」
「あら、それは大変」
紗津姫が神妙そうな顔をする。そんなに真剣に考える話ではないはずなのに。
「別にパパの意向が絶対ってわけじゃないわ。あたしが別の家にお嫁さんに行くって選択肢だって当然あるわよ」
「そっか。まだ先の話だろうけど、いい人が見つかるといいな」
「べ、別に来是に言われなくたって、最高の男を見つけてみせるわ」
「私が男だったら、碧山さんを絶対に放っておかないんですけどねえ。神薙先輩もそうでしょう?」
「そうですね。依恋ちゃんはとても可愛くて、影で努力をすることも知っていて、理想的な女性だと思います」
どうしたことか、紗津姫と金子の中で依恋の株が急上昇している。ふたりを感心させる何かが、自分の知らない間に起こっていたのだろうか。
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