【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊
☆
始業式が終わると、簡単なホームルームが行われ、今日はそれで終了となった。
将棋部は午前いっぱい部活の予定が入っている。来是はひとりでのんびり部室棟へ向かおうとしたが、依恋がピッタリと隣についてきた。
「ねえ、来是」
「……なんだ」
「またキスしない?」
心臓がひっくり返りそうになった。
「な、何言ってんだ!」
「だって、来是のことが好きなんだもの」
「俺らは恋人同士じゃないんだ! だからしない!」
「あたしといつでもキスできるのよ? こんな幸運はないわ」
「しないったらしない!」
来是はあのときのことを回想する。
いかにも勇気を振り絞ったという赤い顔で、告白してきた依恋。春張来是は神薙紗津姫に想いを寄せている。そのことを百も承知の上で、そんな行動に出た。
俺は先輩に惚れた――そう伝えた夕暮れの帰り道。あのときから彼女にさまざまな葛藤が生まれたことは、今なら容易に想像がつく。何かと紗津姫に食ってかかり、情緒不安定に陥ったこともあった。すべて、恋の悩みだった。
そして依恋が将棋部に入った理由にも、ようやく気づいた。この自分と一緒にいたいがためだったのだ。
「……依恋は将棋が好きでも何でもなかったんだろ、最初は」
「そうよ。あんたと一緒にいられれば、他の部でも帰宅部でもよかったの」
「でも、今は……好きなんだろ」
「まあね。あんたや紗津姫さんほどじゃないだろうけど、将棋は好きよ。きっと一生の趣味になるわ」
依恋に誤算があったとすれば、それだ。
当初は紗津姫を、恋路に立ちはだかる邪魔者と見ていただろう。いざとなれば、容赦なく排除するつもりだったかもしれない。
しかし、いつしかその人間性に惹かれていた。将棋が好きになった。
「先輩のことは、どう思ってるんだ」
「恋のライバル。絶対譲れない」
「……それだけか?」
「ううん、あたしもあの人は好きよ。友達として、長く付き合っていきたいわ」
「俺は……先輩のことが好きなんだぞ?」
「それはそれでいいわよ。そのうち、あたしに振り向いてくれるって信じてるから」
依恋は完全に吹っ切れていた。
紗津姫は恋のライバル。だけど後腐れのないようにこの三角関係を解決したい。してみせる。そう言っているのだ。
部室の前まで来た。部員随時募集中の張り紙は、春からずっとそのままだ。
しかし今日から、この将棋部の空気は微妙に変わる。変わらざるを得ない。来是は憂鬱な気分で扉を開いた。
「こんちはっす……」
「こんにちは。今日から心機一転、頑張りましょうね」
棋譜並べの最中だった紗津姫が、朗らかな笑顔を向けた。
――依恋が俺を好きだということを、この人も知っていた。
はっきりと聞いたわけではないが、彼女の言動を思い返すと、そう確信できる。依恋と一緒にいるといつでも、まるで見守るように微笑んでいた……。
「遅れました! 練習はじめましょー!」
金子が勢いよく部室に入ってきた。
このBL大好き少女も、リアルでは普通の恋愛に興味があるようで、自分と依恋の仲を妙に応援していた。依恋がそうしてくれと頼んだからではないか?
つまり依恋の気持ちは、女性陣の間ではとっくに共有されていたのだ。自分だけが何も知らなかった。
……できれば知らないままのほうがよかった。そう考えてしまうのは、悪いことだろうか? もちろん答えは出ない。
「紗津姫さん、二学期の目標は何かあるの?」
「高校生の大会はないんですけど、十一月に女流アマ名人戦があります。この大会は棋力別で出られるので、依恋ちゃんと金子さんにも出てもらおうかと」
「そっか! 腕が鳴るわね」
「あはは、ひとりだけ男の子で残念ですねえ。春張くんが出られる大会はないんですか?」
「トップアマが集まるような大きな大会がありますけど、今の状態で出ても、あまり意味はないかと思います」
バッサリと斬られた。こういうとき、紗津姫は意外と容赦がない。
「ですから今は、じっくりとレベルアップすることだけを考えてください」
「……わかりました。でもじっくりじゃなくて、急いでレベルアップしたいです」
「あ、そうでしたね。ではさっそく猛特訓しましょうか」
依恋の気持ちが何であろうと、自分のやるべきことに変わりはない。
紗津姫が卒業するまでに、彼女を超える。そして恋人になる。今さら引き下がれはしない。
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