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俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~史上最躍の棋士~ Vol.8
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俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~史上最躍の棋士~ Vol.8

2015-03-23 18:00
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     その後も指導対局や楽しい催しの数々で、ファンたちは将棋熱をますます上昇させていく。中でも伊達のトークショー「伊達名人に聞いてみよう」は、お客だけでなく同業者たちも、こぞって耳を傾けていた。
    「伊達名人は彼女募集中って、本当なんですか? 恋人は将棋を知っているほうが、やっぱりいいんですか?」
     聞き手として伊達のサイドに座るのは、川口梨々(かわぐち・りり)女流初段。ニッコ動のタイトル戦生中継で、頻繁にお呼びがかかる人気者だ。それでも伊達との共演はめったになく、まるでファンのように浮かれていた。
    「ええ、いまだに彼女募集中です。これは、っていう人が実はいたんですけどね。残念ながら縁がなかったもので」
    「えええ! もしかして名人、フラれちゃったんですか?」
    「ははは」
     伊達の笑い声は、すぐにお客のどよめきにかき消されていった。
    「こ、これは衝撃発言です! しゃべっちゃってよかったんですか?」
    「もう吹っ切れましたから。それと将棋を知っているほうがいいかといえば、知っていたほうがいいですね。強ければなおよし、です」
    「なんと、それはずいぶんハードルが高いですねえ……」
     伊達ほどの色男に恋人がいないというのも、棋界の七不思議のひとつだった。高値の花すぎて、女性のほうが距離を置いてしまうのだろうか。そう考えると、名人を袖にしたという人のことが気になってしまうが、明らかになることは永遠になさそうだ。
    「ところで来年の春には、いよいよ電将戦のファイナルが開催されますけど、名人はどういう風にこのイベントを捉えていらっしゃいますか?」
    「そうですね。正直な話、これでファイナルというのは正解だと思います。もう最初ほどのインパクトもないでしょう? プロが負けまくっているし」
    「名人、ぶっちゃけすぎです!」
     どっと笑いが起こる。今夜の伊達はいささか毒舌気味だ。
    「いや、すでにコンピューターがプロ棋士を完全に上回ったとか、そういうことを言うつもりはありません。しかしプロに勝ちたいというコンピューター側の、数十年来の目標は、見事達成されたわけですからね。コンピューターを強くするためにプロ側も、いろんな協力をしてきた。よくここまで成長したと言ってあげて、もう終わりにする。人間対コンピューターという図式を、ここらで一区切りする。この判断は、まあ賢明なのかなと」
    「しかし、まだ名人が出ていないじゃないかという意見も……。私としては、ええと、もう名人がお出にならなくてもいいかなーって思ってるんですけど」
     川口の急所を突く言葉に、伊達は深く頷く。
     タイトルホルダーを、もっと具体的には名人を出してくれ。それがすべてのコンピューター将棋開発者の熱烈な希望だったが、どうやら実現はしそうにないというのが大勢の見方である。
     その一番の要因は、名人の権威。コンピューターに名人が負ければ、将棋界にぬぐい去れない傷がつく。連盟はそうはっきりとは言わないが、誰もがそんなことだろうと考えている。
     他にタイトル戦がなかった昔ならともかく、今は名人が絶対視される時代ではない。そう思う一方で、大熊は一棋士として連盟の姿勢を理解している。名人四百年の歴史は、それほど重い。もはや理屈ではない。名人という地位の、論理的な考えでは計れない価値。それを大切にしてきたからこそ、将棋界の今があることは疑いないのだ……。
    「名人は確かに特別です。しかし私だって、過去の大名人だって、コロッと負けることは少なくないわけです。歴史の重みとかはさておき、名人が一番強いとは限らない。だから名人に勝ちたいという目標は、もうさほど意味がないと思います。気持ちはわかりますがね」
    「な、なるほど。しかしそれでも、名人に対局してもらいたいという声はあるかと思いますが」
    「まあ、どうしても私と勝負したいというなら、腹案がありますので、いずれお話しできればなと」
     再びのどよめき。大熊も呆気に取られた。
     名人自らが、コンピューターとの対決の可能性を示唆した。こんなお気楽なパーティー会場で語っていいことなのか? いいはずがない! 連盟会長が聞いたら卒倒しかねない爆弾発言だ。
    「え、ええと! ここでお時間となってしまいましたので、トークショーは終了とさせていただきます。伊達名人、ありがとうございました!」
    「いえいえ、どうも」
     飄々と伊達は立ち上がり、いったん控え室へと引っ込んでいった。周囲を見れば、さっそく携帯を操作する将棋ファンがちらほら。SNSに投稿しているのだろう。確実に計算づくだ。伊達の話題作りのセンスには舌を巻くほかなかった。
    「本当に、近頃の名人は何を考えているんだか、さっぱりわからん……」
     隣の先輩棋士がつぶやいた。皆、思っていることは同じらしかった。
     それ以降はいたって平和に進み、やがて最後のプログラムとなった。
    「よろしく、神薙さん」
    「こちらこそ、よろしくお願いします」
     大熊は神薙紗津姫と隣り合い、スクリーン前のテーブルに座った。
     ペア将棋。ふたり一組で交互に指していく、普通とは違う楽しみがある将棋だ。なぜ自分と彼女が組むのか……単純に、今注目を浴びているからという理由に違いないと大熊は思った。この組み合わせの決定に一枚噛んだであろう伊達が再びマイクを握り、対局者を紹介していく。
    「将棋界きってのおしどり夫婦、山寺行成八段と高遠葉子女流四段のペア、対するは大熊大吾五段と神薙紗津姫さんのペアです。では、それぞれ一言お願いします」
     まず山寺がマイクを受け取る。弟弟子を見つめる目が、とても楽しげだった。
    「私たちも結婚してしばらく経ちますけど、ペアを組んで対局ってのは、実は一度もないんだよね。若い力に負けないように、頑張ります」
    「っていうか、何これって感じなんだけど。本当にこんなのが、今流行ってるの?」
     高遠は目の前に並べられた盤駒を見て、苦笑いとしか言いようのない表情をする。
     すでにお客たちはスクリーンで見えているが、角と飛車の配置が通常と違う。違いすぎる。

    【図は開始局面】
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     角と飛車はどちらが強いか? 将棋好きならば誰もが抱くこの疑問を、真面目に追及した動画が話題となっていた。大熊も一度見たことがあるが、どちらを持っても非常に指しづらそうだった。これまで覚えてきた定跡の一切が通用しないのは言うまでもない。
    「もともとは普通の将棋をしていただこうと思っていたんですが、これは面白そうだということで。いかがです大熊さん」
    「よくこんなのを考えついたもんだ。うちの将棋教室でも、余興としてやらせてみようかな。神薙さんは知ってた?」
    「はい、後輩に教えてもらって。将棋というゲームには、いろんな可能性があるんだなと思いました。今回こういう機会をいただけたのは、とても嬉しいです」
     異色の対局が始まった。先手は大熊神薙ペア、まず大熊が着手することになった。お好み対局というか、お遊び対局だ。一手一手を悩む必要もないだろう。
    「ほう、▲3六歩。右の角道を開けてきましたね」
     普通ではあり得ない表現に、お客たちは大笑いした。山寺も笑いを堪えながら、△2四歩と左の飛車先を伸ばす。
    「ええと、それじゃあこちらも」
     紗津姫は▲7六歩と、オーソドックスなほうの角道を開けた。すると高遠が、すかさず△8四歩。逆の(というよりは本来の)飛車先を突いた。
    「えー、そっちも突いたら、囲いが難しくなるだろ」
    「いいじゃない。常識的な将棋を指すのはつまらないわ」
    「じゃあ負けたら君のせいにするぞ」
    「なんでそうなるのよ」
    「おっと、夫婦ゲンカはご遠慮ください」
     伊達の軽妙な解説と将棋ファンの笑いを交えながら、対局は穏やかに進行した。
     角は馬になったときの防御力が素晴らしいが、飛車と比べると攻撃力が乏しい。大熊は相手の飛車を一枚奪おうと、懸命に狙いを定めていく。ペア将棋は何より互いの読み筋の共有が大事だが、幸い紗津姫は大熊の考えを理解していたようで、自分の望むとおりの指し回しを見せてくれた。加えて後手はどうにもちぐはぐで、緩手が目立った。中盤からは一貫して大熊神薙ペアの優勢となり……。
    「んー、負けました」
     紗津姫の王手を見て、山寺高遠ペアは揃って頭を下げた。まだ粘ろうと思えば粘れるが、アマチュアに花を持たせたのだろう。その心遣いは本人にも伝わったようで、紗津姫は紅潮した顔でお辞儀をした。
    「山寺さん、高遠さん、初めてのペア将棋はいかがでした?」
    「私生活では、今まで問題はなかったんだけどねえ。将棋はまったく合わないことがよくわかったよ」
    「本当に! もう二度とやらないわ」
     辛辣なジョークの飛ばし合いに、会場も大笑い。クリスマスフェスタのフィナーレにふさわしい、暖かい光景だった。
    「では見事勝利した大熊さんと神薙さん、一言」
    「意外と面白いね、これは。予想以上に楽しかったよ」
    「ええ! 今日お越しのみなさんも、ぜひやってみてください」
    「それで結局、角と飛車はどちらが強いと思いますか?」
     伊達の問いに、大熊はさほど深く考えないで返答した。
    「そんなの、答えはないんじゃないかな。使い方次第だよ」
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