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俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.7
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俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.7

2016-02-21 18:00
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     帰宅後はすぐに復習に取り組んだ。もちろんテスト勉強ではなく棒銀である。碧山家自慢の本カヤ六寸将棋盤の前に座れば、清澄なる精神が身体中に行き渡る。依恋とはいろいろあるが、この盤を拝借できたことについては多大な感謝をせずにいられない。
    「すげーな、穴熊相手でも棒銀が決まるとは……」
     解説書の棋譜をじっくりと、味わうように並べる。今開いているのは、対振り飛車穴熊の章。囲いの中でも最強の守備力を誇る穴熊は、一度組ませてしまうと飛躍的に攻略難度が高まる。ならば囲いが未完成のうちに仕掛けてしまえばいい――書かれていることは自然な発想だが、自らの囲いも脆弱であるため、相当な攻守のバランス感覚が要求されそうだ。
    「先輩の一番好きな囲い、穴熊なんだよな」
     どんな戦型も指しこなすオールラウンダーの紗津姫。この数ヶ月、彼女のネット将棋の棋譜で勉強してきたが、穴熊に潜り込んだときの強さはとてもアマチュアレベルではない。手も足も出させずに完封するか、穴熊の遠さを生かして絶妙な一手差勝ちに持ち込んでいる。
     組めさえすれば、あとは攻めに専念できる、大胆な技を仕掛けやすくなる。それが紗津姫が穴熊を好んでいる理由だ。穴熊は守備に比重を置いていると思われがちだが、穴熊の暴力という言葉があるように、実体は超攻撃的な布陣なのである。
     想像する。人生を懸けた紗津姫との決戦。
     彼女が選ぶ陣形は、きっと穴熊だ。大事な勝負だからこそ、もっとも好きな戦い方で来るはず。
     あの女王を破るには、穴熊攻略が不可欠だ。
     しかし組ませてしまっては、勝ち目はきわめて薄いように思える。自分も穴熊にして同等の陣形を敷ければよいが、互角のねじり合いをしては、押し切れるイメージがなかなか湧かない。
     来是は決断した。
     やはり棒銀を極めるしかない。超速攻で、彼女が安全になる前に捕まえる。これが俺の将棋なんだと、全力でアピールする――。
     棋譜並べを終えたところで、着信メロディが流れる。その人から電話がかかってくるのは、来是にとって地味に嬉しいことだった。プロと連絡先を交換しているアマチュアなど、そうそういまい。
    「はい、もしもし」
    「こんばんは、高遠です」
    「こんばんは! バイトの件ですか」
    「ええ、うっかりしてたんだけど、その日ってテスト期間だったりしない? もしそうなら、さすがに来てもらうわけにはいかないわ」
    「大丈夫ですよ。ちょうどテストの最終日なんで、思い切り解放された気分で働けます」
     名人戦のスケジュールが一日でも前にずれていたら、行くことはできなかった。これも将棋の神様の思し召しだろう。来是は最近、自分に都合のいいことがあると、とりあえず将棋の神様のおかげということにしている。
    「ならよかったわ。……そうだ、解説に誰が来るか、知りたい?」
    「今回は前もって告知するんですか?」
    「ううん、今後もお客さんには、当日お店に来るまで秘密って方針でいくわ。でも春張くんは、お客さんじゃないしね。スタッフなら、事前に知っているのが普通でしょ?」
     それもそうだ。バイトとはいえ立派なスタッフ。プロをお迎えする立場なのだから、その人について予習をしておく必要があるだろう。経歴を知っておくだけでも、好印象を持たれるはずだ。
    「君も当日知って驚きたいっていうなら、かまわないけれど」
    「いや、知りたいです。教えてくれますか?」
    「うちの旦那の可愛い一番弟子、出水摩子よ。確か前にも会ってたわよね?」
    「げっ」
     思わず声に出てしまう。高遠の小さな笑いが聞こえた。
    「あの子のこと、苦手?」
    「なんというか……厳しい人なんで」
    「神薙さんとは正反対よね。特に男子には冷たい感じ。でもそういうのが、上手く言えないけどいい感じなのよー」
     今春から女流3級でプロ入りした出水は、連盟のサイトに写真が載っている。クールビューティーと言えば聞こえはいいが、悪く言えば人を見下すような鋭い視線になってしまっていた。しかしそれが一部将棋ファンの琴線に触れ、匿名掲示板やSNSで「摩子様に踏みつけられたい」などと書き込まれる事態に発生していた。まったく世の中はわからない。
    「じゃ、そういうことだから。テスト勉強頑張ってね」
     通話が切れたのと同時、来是は猛烈にいやな予感に襲われた。
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