【グーグル翻訳】Black history【黒歴史】
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【グーグル翻訳】Black history【黒歴史】

2014-08-23 23:02
    こんばんは
    今日は午前中外出したら低血圧で午後まるまる突っ伏した状態になったペンダントです。

    今日も自分自身の話になりますが、どなたも何かしら見に覚えがあると思われる「黒歴史」が今日のテーマになります。

    というわけで、まずは昔話から

    ----------------------------------------------------------------------------
    むかーしむかし あるところに ペンダントというこどもが おったとさ
    ペンダントは むらいちばんの かわりもの
    りくつはこねる おもしろくない みんなとちがうあそびばかりする
    そんな くうきがよめない こどもだったとさ


    ・・・読みづらいから後は普通に書きますね←飽きるの早い

    ペンダントは中立の話でも書いたとおり、普通の子どもたちとは感性が大きく違ったせいもあり
    そもそも話題を合わせられない(空気がよめない?)残念な子どもでもありました。

    いじめられることもないですが、友達が多いわけでもない。
    孤独であったわけではなく、ほどほど輪の中に入るのですが、あまりグループでつるんで何かをするなどが好きなわけではありませんでした。(この頃から中立意識はあったと思います)

    そんなペンダントの黒歴史は小学校高学年~中学時代です。

    皆が思春期に入る頃、ペンダントは学校に行けなくなりました。
    いじめられたわけでもありません。
    学校がつまらなかったわけでもありません。
    勉強も好きではなかったけれど、嫌だったわけでもありません。

    けれど、ペンダントは自律神経失調症にかかってしまいました。

    朝起きれず、食事も取れず、口に物を含むと強烈な吐き気を起こし、通学のために歩くと顔が真っ青になり立っていられないほど苦しくなる、そんな症状に悩まされました。

    検査入院もしました。カウンセリングも受けました。学校も不登校の子どもが集まる特殊学級に変えました。
    しかし症状は改善せず、低血圧・低血糖以外の異常も見つからず、病名不明(自律神経失調症)となったのです。

    更にこの症状は、午前中いっぱいだけで午後になると元気になるという都合のいいものでもありました。

    この時代、まだ登校拒否児というのは数が少なく、世の中にも浸透していませんでした。
    いえ、中途半端に知れ渡っていたからこそペンダントは苦しむことになりました。

    当時、このような状態になった子どもといえば「いじめられている」か「仮病」のイメージが強かったのです。
    余談:不登校の特別学級はいじめられた子か、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の子が多かったと思います。ADHDが一般的に知られるようになる10年近く前の話でした。病気の子は・・・私しかいなかったです)

    更に余談ですが、ペンダントは多動気味の子ではありましたが、ちょっと違ったと思われます。発達障害はあると思うのですが・・・ここも結局調べても診断できず

    そんな世間一般の不登校の認識と、ペンダントの実情を考えれば
    ペンダントは間違えなく仮病と認識されていたと思います。
    そして何処からとなく聞こえてくるのです「病は気から」と。

    大人たちは良くも悪くも言いませんでした。肯定も否定もしない人がほとんどだったと思います。しかし雰囲気で分かるのです。「気を遣っている」と。

    今思えば、会話の機転をきかせるのが苦手なだけで、空気は読めていたのかもしれませんね。
    腫れ物に触らないように、みたいな空気を感じていました。

    大人たちが言わんとすることは、なんとなく分かっていました。そして、それを無視して楽に生きようとする自分のことも。

    ただ現実問題、周りがなんと思おうと朝は地獄の毎日でした。
    無理やり起こされて、乾布摩擦で血行を良くし、まずは吐く
    水分含んだり、食事をしたり、歯ブラシを口に入れるなどをしても吐く
    道を歩き始めて数分で気分が悪くなり、ひどい吐き気に襲われる
    学校で長時間座っていると(血圧が落ちるのでしょう)気持ち悪くなって吐き気がしてくる

    ペンダントの中でこの数年間は吐き気と戦った思い出しかありません。
    そのくらい周りの目とか気にする余裕もなく学校が嫌とか思う以前の問題でした。

    そんなある日、長く学校を休んでいるペンダントの家に朝同じ町内の女子が数人で迎えに来たことがありました。
    大人が気を遣ったのかもしれません。彼女たちが自分で考えたのかもしれません。
    けれど、一緒に行こうと手を差し伸べてくれました。

    とても嬉しく
    でもそれ以上に恥ずかしく
    元気なところも、元気じゃないところも見せたくありませんでした。
    「あいつ女が迎えに来たら学校出てきたぜー」とか言われるのも、いつも真っ青で他人の前で吐いたりするのも嫌でした。

    ペンダントは布団から出ることなく、顔を見せずに彼女たちを見送りました。
    この時の負い目は20年以上たった今でもまだ残っていると思います。

    以降長らくペンダントは学校に行くことが出来なくなりました。
    思春期の複雑な感情も、身体のつらさも、周りの優しさも色々絡まり合って動けなくなったのです。

    この後、中学受験をしたり、中学は一時復学したり、また身体がおかしくなったり、まだまだ色々あるのですがそれはまたいずれ・・・

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    ペンダントは今、当時住んでいた地域の隣町に住んでいます。(直線距離だと数百メートルしか離れていませんが)
    そんな、もっとも身体が悪く思い出したくないことが多かった時代、ペンダントは学校には行っていませんでしたが子ども会など地域行事には参加していました。(本当に変な子ですね)
    地元の祭りでは囃子大鼓を長年やりましたし、弟の友人など同級生以外と遊ぶこともかなりありました。同級生は絡まり動けなくなってからはとても苦手になりました。

    今日はそんな元地元のお祭りでした。
    ペンダントの同級生や幼なじみは30を過ぎた今でも何人か参加しています。
    普通に挨拶し「やー、相変わらず調子悪いよー」なんて軽口を叩きましたが、やはり私の中にも(もしかしたら彼らの中にも?)壁は残ったままなのです。すごい気を遣ってくれてるのが分かるのです


    数年前まで「お前も参加すればいいじゃないか」と、祭りを見に行く度に言われていた気もします。

    けれどペンダントは遠巻きに見ているだけ。とても祭りは好きですが・・・。


    ペンダントの中で小5~中3の5年間は、人格や性格を変えてしまうほど濃密で苦しい5年間でした。
    今も一番記憶が少なく、一番思い出したくない時期なのです。

    きっと・・・幼虫と成虫の間、さなぎの期間がこの5年間で
    ペンダントにとって恥ずかしいと思ってしまう記憶と記録があるこの期間を共に過ごした人たちだからこそ、うまく言えない壁が今でも残っているのです。

    忘れたい でも その世界を嫌っていたわけではない
    未完成で 不完全で 壊れていて 直していて 何もかもが半端で
    これは ペンダントの黒歴史 にしたい時代なのです。


    誰もが隠したい、恥ずかしい過去はあると思います。
    私もまだ壁が残っている時点で認めきれていないのですが・・・

    こうして他人に話そうと思える程度にはなりました。

    苦しかったことや恥ずかしいこと、見たくない過去
    みなさんはどれだけありますか?
    そんな自分の整理のきっかけになればいいなと思いつつ

    ただの恥ずかしい日記になってしまった今日のブログを終わりたいと思います。


    2014/8/23 ペンダント
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