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  • 大阪維新の会に対する批判

    2021-01-12 05:49
    主に都構想について

    1.まず、2重行政がなくなった、維新の公約が正しかったから、大阪は成長したのだと言う風に言っていますが、そもそも論として、2重行政が不景気の原因だったのかの検証も十分じゃないし、景気がよくなったのは、安倍政権になったことと、インバウンドの効果があった環境的な要因が主たるものであって、維新だけの力で大阪が復活したと思っているのであれば、思考停止以外のなにものでもない。テレビ等での討論でもありましたが、府と市が仲良くないと成長できないのであれば、名古屋はどうなるのだという話になります。大阪のGDPの成長率についてもデタラメなでっち上げです。NHKの討論番組で、維新になってからの大阪のGDP成長率は、関東圏の都市や、名古屋に負けていることを言うと、松井市長は「東京は成長率マイナス0だった。大阪はマイナス4 マイナス3.4から1.5までもってきたのだ、伸び率でいえば、東京に勝っている」と言う。しかし、リーマンショックでマイナス4成長だったときから、プラスに戻るまで2010年までの間、誰が大阪を復活させたのか?既存政党である。維新の会は、その時、まだ看板を掛け始めたばかりで、ほとんど何もしていない。何もしていないどころか、存在すらしていないに等しかった。それを「伸び率」で維新はすごいと言えるのであれば、松井さんは時間を自由に操れるエスパーか何かなのだろう。つまり、すこし頭を疑う。 2008年に橋下知事が当選している事実はあるが、二重行政の解消が強く訴えられたのは、2010年を過ぎてからであったと記憶している。 松井さんの言っていることは、根本から疑わないと騙される。騙される原因は、そもそも票を取って勝っているから、民意だから、多くの人がそう言っているから、という政治家にとってはこれ以上にない説得力で攻めているからであるが、そもそも多数決で数が多い方の言っていることが必ずしも正しいというわけではない、たとえば小泉改革が正しかったかと言うと、現代では反省も多い。橋下さんをレガシー化している維新の、議席を背景にした傲慢と、橋下さんの人気にあやかった、下品な騙り文句でしかない。都構想自体、しっかり勉強すると、中身はほとんどない、枠組みだけを示しているだけで、決まっていることがほとんどなく、細かいことは、特別区ができあがってから、みんなで話し合おうというスカスカの内容である。

    2.広域行政を大阪府に移管し、大阪市は特別区に残してやっていこうというのは、イメージとしては面白いが、財政的な裏付けが必要になる。が、これについてはシュミレーションのやり方が無い。無いというか、確立された計算方法がない。特別区に以降する際の、イニシャルコストやランニングコストについても、無理やり計算したのだとは思うが。平成の大合併のように、市区町村を合併する際の研究は多数あっても、逆の政令指定都市を分割する財政シュミレーションの研究など、この都構想で初めて計算されはじめたのではないかと思う。東京の特別区のモデルで計算したというが、基礎的自治体の大阪市と広域自治体としての東京都の財政を比較することはできない。NHKの討論番組で、松井市長は【具体的に】数値を出して反論しろと言うが、過去に例がないデーターを無理やりシュミレーションしたようなものに具体的な数値を出して反論しろと言うのは、無理な話だ。みたこともないわけのわからないガラス玉を宝石と言い、過去に行ったこともない摩訶不思議な品質証明書を突き出して、『具体的にこれについて反論しろ、具体的に、ぐ・た・い・て・きに』と押し売りをしているのと同じである。もっとタチが悪いのは、当の本人たちが、自分たちの言っていることが具体的だと思い込んでいることである。そもそも、このような大掛かりな自治体の分割は、過去に例が無く、本来であればシュミレーションは不可能なはずだ。基礎的自治体の大阪市と広域自治体としての東京都の財政を比較することはできない。したがって、大阪市の試算したシュミレーション結果は完全なものではなく。もし、試算できたとしても、いくつものシュミレーション例がなければ、学術的におかしく、水掛け論にしかならない、万が一にでも、市民の不利益になる可能性があるのであれば、警鐘を鳴らさなければならない。財源論を論を述べたうえで、裏付けが無いので、住民サービスを低下させないで済むという論証は無くなる。MBSの討論番組で、スケールメリットが無くなるので、住民サービスの低下が懸念されることを北野さんが言うと、松井市長は「広域行政を一元化することによるスケールメリットがあるじゃないか」と反論した。府市統合後に強化されるスケールメリットは広域行政の部分であって、住民サービスのスケールメリットは失われることを暗に認めているわけである。その点は、もっとはっきりと言うべきである。おそらく、広域行政のスケールメリットの計算については、エビテンスのあるデーターは多少あるが、住民サービスについてのスケールメリットは、その存在は総務省資料などで稀にみることができるが、あまり議論されてこなかったので、維新としては「無いものと仮定」しているようである。つまり、都構想のシュミレーションは、仮定に基づく仮定であり、信じるに足りえないのである。

    3.維新の支持母体は、協定書に書いてあることが絶対で、ことあるごとに協定書を読めと狂信的な僧侶の説法のごとく説教を垂れることが多いが。協定書の法的拘束力は特別区に移管する際にあるのであって、特別区設置後は、枠組み以外は政治的な意味合いしかもたなくなるので、協定書に賛成か反対かを住民投票で問う性質のものでない。都構想の賛成反対の論拠に、協定書を読んだか読んでいないかは、あまり意味をなさない議論である。維新の内部の雰囲気は、黎明期のころから、少し関わりがあるので知るところであるが。机上の議論をアカデミックハラスメントのように説法し、洗脳していく風潮がある。イメージは綺麗な政党だが、内部のガバナンスは、どちらかというと、中国共産党のような階級的な考え方が顕著である。外で言っていることと、中でやっていることに、かなり乖離がある。それは、維新から既存政党に亡命してきた政治家がよく口にする言葉でもある。維新がもたらす、新しい利権が絡んで、中身はドロドロしているわけである。

    大阪維新の会を否定するまではしない。しかし、なんの批判も受けない政党ではないと申し上げておく。
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  • 「既読スルー」という言葉に対しての批判

    2021-01-04 00:55

    実は、LINEというものをあまり使ったことがなかったのだけれど、使いだしたのは、ここ3~4年くらいだろうか。

    もともと「既読機能」は、東日本大震災をきっかけにLINEが災害時にすぐに返信ができない状況でも「既読」になったことで安否確認ができるという目的のためにつけられた機能なのだそうだ、本当かどうかは知らないが。

    この「既読」が付く機能が、「既読スルー」という言葉を生んだらしい。
    この「既読スルー」がよーわからんのである。
    もちろん、LINEを使う前から、テレビで見てそういう言葉があるのだということは知っていたが、主に中高生の間で使われていた言葉が語源なのだろうという認識をもっている、よーわからんが。

    私が、中高生のころは、携帯電話で文字のやりとりをするときは、メールであった。
    当然、当時のメールには、既読を確認する機能がないので、基本的に、読んだら1日以内に返事をするものというような習慣があったり、返事がくるまで次のメールは送らないというようなルールというか、習慣はあった。ので、まぁ「既読スルー」に近いような言葉は私の時代にも、あったにはあった。だが、その習慣も、いまとなっては、幼きころのよくわからん習慣だったなぁという思い出がある。

    まぁ、ようするに、ハイテク機械を使った「文通」を私達の若いころはやっていたわけだ。

    おそらく、この「文通」のような感覚が現代でも習慣としてあるので、
    「既読スルー」という言葉が、現代の中高生の間で生まれたのであろうと思う。

    まぁ、なにが言いたいかというと、学生がそういう感覚をもつことについては、
    不思議は感じないということが言いたいわけなのだが、時代がかわっても
    よーわからん習慣というのは、生まれてくるのだなぁということである。

    たまに、社会人でも「既読スルー」されただどうのと言う人がいるのだが、
    まぁ、おそらく冗談で言っているのだろうけれど、お前のLINEは「文通」か
    と思ってしまうことがあるのである。

    おそらく、わたしが、携帯電話の「文通」文化から脱出したのは、
    Skypeというソフトを使うことが多かったことが理由だったり、
    交際した女性が、LINEを使っていなかったせいもあるのだろうと思う。

    Skypeの場合、携帯でもつかえたが、スマホにSkypeをインストール
    している人は稀であったので、24時間、どこにいてもみれるものでは
    ないということもあり、「文通」のようなルールはなかったということや、
    LINEや、キャリアメールのように、パーソナリティなものとしての
    認識がなかったので、純粋な連絡ツールの域を出なかった。
    パーソナリティなものとしての認識がなかったというのは、私書箱的な
    その人に宛てて送るモノではなかったという意味である。
    電子メールで言うと、いわゆる、キャリアメールとのようなものではなく、フリーメールアドレス的な位置付けであった。という意味である。

    交際していた女性がLINEを使っていなかったというのは、よくわからんが、年上の女性とつきあうと、当時の彼女たちはあまりLINEを使っていなかった、仕事がデキル女性は、プライベートでも、ビジネスと同じように、SMSで連絡をとっていたようである。なので、1通1円なりかかるSMSなので、そんなにメールはしなかったし、携帯電話に電話する感覚でメールを打つわけなので、返事がこなくても、忙しくて携帯に出れないのだろうなという感覚で悪い気はしなかった。長いこと返事がないなと思っていても、「文通」のように、返事がくるまで、次のメールを送ってはいけないという習慣もなかったので、返事がなくてもメールを送ると1~2分で返事が返ってくることがあったり、とくにメッセージの返事の有無でもめることはなかった。とにかく、大人の女性は、そういうスムーズなコミュニケーションをするんや、と思っていたし、そのコミュニケーションは清潔であった。

    というわけで、LINEは、あまり使っていなかったのだが、LINEをインストールしていないとなると、連絡がとれないじゃないかと言われることが多くなってきたりしたので、LINEも最近は使うようにしているのだが、このフリーメールアドレスよりは、パーソナリティなものではあるが、携帯電話の番号よりは、パーソナリティなものではないという、中途半端なツールのコミュニケーションルールは、あまり清潔でないし、いまのLINEが主流な世の中は生きづらい。

    本当に連絡をとりたいと思うのであれば、携帯電話の番号を交換して欲しいし。
    本当に友達になりたいと思うのであれば、Facebookで友達登録して欲しい。

    いつでも、連絡できるし、いつでも関係を切れるようなLINEのみの関係という状態だから、大人になっても「既読スルー」などということを気にするのだと思う。いつでも関係を切ることができるから、恐怖感から返事が来ないのを恐れるのであろう。

    最近は、「未読スルー」なる言葉も生まれてきているそうだが、どこまでいくのかと思う。

    まぁ、思春期の子供の場合、スルーされることはものすごくつらいことなので、学生たちの文化まで、批判するつもりはないが、社会人になれば、スルーされることも、スルーすることも増えるし、それが相手との関係を切りたいからではないのだという事も経験するだろうから、ある程度の年齢までいって大人のマターで「既読スルー」という言葉は、下賤な習慣であると批判しておくことにする。
  • 私が考えた新型コロナウィルスに対しての作戦

    2021-01-02 17:58
    新型コロナウィルスに対しての作戦

    作戦名:
    神のまにまに

    Order:
    我々は、過去にのり越えた国難の傷も癒えぬうちに、新型コロナウィルス、感染症による存亡の危機に瀕している。正直、この闘いは苦しい。あきらめそうになる。1年ほど前に作戦立案を放棄した私の言うことに、どれだけの人が共鳴してくれるのかということは、ほんとうに申し訳ないと思う。幸いなことに、ワクチンの開発は完了し、これが効果をあげることを信じることに賭けるべき時がきたのではないかと思う。この冬が最も苦しく、そして最後の闘いになる。春になれば、ワクチンの接種が開始されるであろう。我々は、必ずこの闘いに打ち勝てる、今回の危機も、必ずのり越えることができる。
    我々が、神社、神宮で、神にささげた祈りは、この時のために。

    作戦目標:
    1.新型コロナウィルスの感染拡大を収束させること
    2.冷え込んだ経済を回復させること


    作戦内容:

    まず、医療崩壊だけは絶対に避けたい。新型コロナ以外の病気にもかからないようにすることはもとより、息抜きのレジャーや、仕事などでも、怪我などをしないよう万全を期して、医療機関の負担を少しでも軽くする必要がある。
    次に、経済だが、信頼できる情報筋によると、数値のうえでは、経済はまだやれるということだそうだ、安心してくれ。新型コロナがおさまれば、再び商売をやりなおす機運は戻ってくる。問題は、緊急事態宣言をもう一度だして、その間の休業による倒産や失業をどう防ぐかというところにある、財政出動が必要なのは間違いないだろう。
    皆、思っていることだとは思うが、政府の対応が鈍い、おそらく対策についてのアイディアが、あまりないのだろう。専門家が知恵を絞っているが、画期的な対策が乏しい。これについては、どんな些細なアイディアでもいい、提案を政府にしてくれ、良い案ならどんな提案でもいい、責任はすべて私が持つ。
    最後に述べるが、やはり個人レベルで、できる対応としては、基本的な感染症対策である。つまり、こまめな手洗いうがい、マスク着用、消毒液などによる掃除である。これは、今日までとりくんできたが、かなり効果があったことは間違いない。些細な事だが、効果はあるんだ。

    補足:
    もし、この作戦がうまくいかなかったら、私はどんな責任でもとる、なんでもする。だから、この冬から春先までを、最終決戦として、この作戦でやらせてくれ。たのむ。