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エッセイを書こうとしてみた
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エッセイを書こうとしてみた

2015-06-08 05:38
    記録によれば、1982年に大阪のどこかの病院で生まれる
    生まれた病院を見に行ったことはないし、0歳の時の記憶はない。

    1歳ごろに四国に住んでいたようだ、2階建ての建物だったと思う。
    一階は喫茶店のようになっていて女性の店員にあやされた記憶がある。
    近くに踏み切りがあったようで、踏切の音をよく覚えている。
    このあたりの記憶は、母に確認をとったので記憶違いではなさそうである。

    2か3歳ごろに大阪の公営団地に引っ越してきたようだ。

    5歳児のころには読み書きがある程度できるようになっていた記憶がある。
    公園で近所の同い年くらいの歳の子とよく遊ぶようになる。

    5歳から15歳くらいまでの記憶は時系列が曖昧だ。
    このころから、父親に暴力を振るわれるようになった記憶がある。
    母親がヒステリーになりはじめたのもこのころだったと思う。母親が私を家の外にだして玄関に鍵をかけて家の中にいれてもらえないということがよくあった、理由は記憶にない。

    父親から「学校の先生は税金で給料をもらっているから、学校の先生よりサラリーマンのほうが偉い」と教えられる。それを学校で言ってから先生達の態度が冷たくなったように思う。

    慢性的な鼻炎をわずらい鼻水をよく垂らすようになる。
    母親に、服で鼻をかめと教えられ、服は毎日のように鼻水でドロドロで汚かった。

    学校でよく、私が暴力沙汰を起こすようになる。喧嘩というより、おちょくられたことにキレて殴るといったようなことが多かった気がする。

    このころ、テレビドラマに影響されて、弁護士になりたいという夢をもち親族にその夢を語るようになる。母親が学校の担任教師に、そのことを話したことがあるらしいが「こんな成績で弁護士になるなんて馬鹿げてますよお母さん」とあざ笑われたらしく、そのことを母親から聞かされ、傷つく。

    友達が極端にゼロになり、イジメとはいえないが地域の輪から外されはじめる。
    (この頃はまだ、「イジメ・ハラスメント」というものがニュースなるような時代でもなかった)家庭では両親から嫌われ、学校でも友達も少なく教師からも嫌われていたということがあり、自殺未遂を起こす。自殺未遂の晩に父親から猛烈な暴力を振るわれた記憶があり、翌日には教師から暴行を受けた記憶がある。(この話は記憶から消えていたが、後に見たカルテ開示請求で医療カルテにこの件についての記録があり、記憶から蘇った)

    小学生の終わりごろ、転校生がやってきて、その転校生と同じゲームの話で仲良くなり、少数の友人ができる。

    小学生の終わりごろ、少数の友人と釣りにいった帰りに別の学校のグループとどうでもいいトラブルを起こす、釣竿が折れたので父親に尋問されてそのトラブルのことを父親に知られる。父親がそのグループを交番の警察に突き出すということに発展する。
    中学校になり、そのグループの学校と同じ学校に通うことになるが、どうでもいいことに親がでてきて警察まで関わらせるうっとおしい奴という理由でイジメを受ける。1人vs15人の状況で暴力沙汰の喧嘩をしかけることで、イジメの再発を自力で防止する。ただし、学校の中ではあいかわらず友人関係が構築できない環境は打破できなかった。

    中学時代は、友達がとにかく少ないオタク少年だった。

    高校進学が近づくと、父親から高校にいかせてもらう金を払ってもらうのだから、土下座して、お金を出してくださいと言え、などと言われ。お金というものに対して極端なコンプレックスを持つようになる。

    中学卒業までに進路にたいするストレスで不登校になりはじめる。

    医者が母親に、私を心療内科への通院させることを勧めた。
    しかし、私はこのころ精神病にたいして偏見をもっており、
    そういう扱いをされたくないと考え、通院を拒否した。

    この頃、彼女をつくりたいと思い始めるようになる。

    中学卒業の時に、意中の同級生にラブレターで告白をするがフラれる。

    高校に進学するが、志望校に落ちる、公立高校に入学するが中退する。
    (高校ではすぐに友達ができたり環境はよかったが、鬱や不登校で留年が確定し、
     留年した在籍者がいると他の生徒に気をつかわせると思い退学を選ぶ。)

    この頃、高校の担任から、精神科へ行くよう仕向けられ通院する。
    正直、この時通院していなかったらもっとひどいことになっていただろうと思う。
    精神鑑定や投薬治療があったが、精神病への偏見から通院継続を私は拒否する。

    年齢を偽って、別の高校へ再入学するが、うまくいかず中退。
    正直、この時期は完全に頭がおかしくなっており、普通に学校に通える状況ではなかった。
    このころ、アルバイトで貯めたお金でパソコンを買い、そのパソコンで作ったホームページがテレビで紹介されるということがあった。2ちゃんねるバスジャック事件の時代の話なのだが、その事件がまるで自分が起こした事件のように感じられ、私が2ちゃんねるに実名で書き込みをするということをしていたので、その2ちゃんねるの書き込みをみたテレビ局の人が、この子マジでやばいと思って、擁護する意図で私をテレビに出したのだと思う。しかし、このころは本当に頭がおかしくなっており、テレビ局の好意を受け止めることができなかった。

    このあたりの時期から、中学のころの友人と一部、交流が再開する。

    通信制の高校に行くことになるが、あまりにも普通の高校と雰囲気が違うことや、
    完全に頭がおかしくなっていたので、なんども留年しながらなんとか卒業。
    学校の教員室や保健室の先生に精神状態の悪化を訴えSOSを発したが、
    生徒の精神面へのフォローは私たちの仕事ではないとばかりに親身には
    対応してもらえなかった気がする。 若い、女性の教員に恋愛感情をもつこともあったが、今でいうストーカーのようなメールを携帯に週に2~3通は送っていた。
    普通に、友達関係になれる程度でよかったのだろうけれど、異性とのコミュニケーションが苦手だったのと、頭がおかしくなっていたので、犯罪めいたトラブルを結果的に起こすことになった。

    このころ、本当に頭がおかしくなっていたのだと思う。この時期のことはあまり思い出せない。この頃だったと思うが、2度目のテレビの取材が来た。さすがに2度目だったので、「ああ、これは私を擁護(守る)ために本当にやってくれてることなんだな。」と、なんとか理解できるようになる。

    この時期から、彼女を作りたいという考えがかなり強くなる。
    出会い系サイトにアクセスするようになる。

    この時期にも、精神科への通院履歴があるようだけれども、私が通院拒否をしたのでまともな治療履歴はないと思う。

    高校卒業後、

    予備校に通った記憶があるけれど、どうでもいいトラブルしか起こさなかった。

    出会い系サイトで、初めての彼女ができる。

    その後、アルバイトを転々とする。

    -20歳代前半

    ネットで知り合った女の子と浮気をして彼女と別れる。浮気相手と付き合い始める。

    フロムエーという雑誌でアルバイトに応募したつもりが、いつのまにか契約社員入社になっていて、戸惑いながら軽い社会人経験が始まる。仕事をしながら夜間大学に通うようになるが、職場の人から夜間大学に通うことについて理解を得られず、職場にいづらくなって退職。
    その後、別の派遣社員での仕事をみつける。両方ともパソコン関係の仕事である。

    朝6時に起きて仕事をしてから夜間学校に通い、帰宅が11時を過ぎるという日々を1年近く続けることになる。

    このころから、異性(女性)に対する関心が、ゆがんだ形で強くなるようになる。

    彼女と別れて、知り合いに紹介してもらった女子高生と付き合いはじめる。

    大学で知り合った女性をことごとくナンパして、数人と性的関係を短期間もつようになる。「学校の女の子グループから、悪く言われてるよ」と、仲のよかった女友達から警告を受ける。浮気が彼女にバレて別れることになる。大学でナンパしていた女性とも仲が悪くなりはじめ、それを逆恨みして、脅迫めいたメールを携帯に送るようになる。

    大学での人間関係のもつれや、成績不振、体力の限界、といったストレスで仕事を欠勤することが増えるようになる。

    大学での女性関係の逆恨みが増大し、仕事をやめて、殺人予告めいたメールを特定の女性に何度も送るようになる。 実際に凶器も用意し、かなりあぶない状態だった。

    元彼女に、すべてを話す。元彼女が家にきて慰めに来る。この時、危険だと感じたらしく、元彼女はこのことを警察に相談していたと後から聞かされる。いまでも、彼女とはツイッターでたまに、連絡をとるが、この時以来、一度も会っていない。

    その後、探偵をつかって、脅迫していた大学の女性の住所を調べ、そのことを相手につたえ、相変わらず脅迫メールを送っていた。(メールを受信拒否されるたびにメールアドレスを変えたり、新しい携帯電話を契約するという方法で執拗にメールを送っていた。)

    このころ通学路に大量の警官が巡回し始める状況から、警察がなんらかのアクションを取ろうとしていることを感じ取る。その後、ホテルや旅館を契約し 行方をくらませた。

    この時点で、それまで働いて稼いでいた貯金はほとんど使い切ってしまっていた。

    潜伏先(?)のホテルで、時間を持て余していたので、ガンダムSEEDをネットで契約して観ていたら、正直、こんなこと(犯罪)は辞めようという感情が芽生えはじめた。
    思えば、働きながら仕事をし、仕事のレベルに追い付くために必死に勉強したり、まともな成績で高校を卒業したわけでもないのに、大学に必死通ったりし、世間体を気にして彼女をつくることに必死だったりて、自分の時間のなかにゆとりがなく、精神的にいっぱいっぱいだったんだなと、涙がでてきた。ガンダムSEEDをあと1年早く、ゆっくりと鑑賞していたらば、自分はこんな犯罪に走らなかったのかもしれないと泣いた。

    そろそろ、電話が鳴るころだと思った。携帯の電話が鳴った。警察からの電話だと予感していたがその通りだった。素直に電話での質問に答えて電話を切った。予想通り、携帯電話の電波でおよその位置がわかったようで、しばらくして警察がやってきた。家族から捜索願がでているということで、警察署に連れていかれた。
    その後、警察署でいろいろ質問されたが、泣きじゃくる支離滅裂なことを発言するということで、待機していた役所の保健福祉の担当者が呼ばれ、病院へパトカーで強制的に連れていかれた。

    病院での診断で、強制入院となった。 カルテによれば、人格障害という診断がついていた。

    この時も、まだ精神障害者というものに私は偏見をもっていたので、隔離病棟で暴れて脱走を試みたが、医療行為という理由で麻酔を尻に注射され強制的に眠らされた。
    夢の中で白髪のおじいちゃんが「弁護士会に電話しなさい」と言っている夢をみたので、弁護士会に電話した、弁護士が出張で病院まできてくれた、会ったときの感想は、ちょっと頼りない弁護士だなという印象だった。かなりいろいろ話を聞いてくれたが、アテにならないと勝手に思い込んで、退院審査請求を出したい旨の話だけを私が押し通した。弁護士との接見のあと、思いもよらないほど病院内での私への待遇は改善され、すぐに強制入院が解除され退院となった。いま思えば、あのときの弁護士さんをもっと頼って、いろいろ話を聞いてもらえばよかったと後悔している。

    大学からは、自主退学するよう圧力をかけられ、大学を退学する。

    -このころ20歳代中盤

    退院後、仕事をするようになるが、年齢に見合う仕事能力がなく、会社についていけず、退職を繰り返す。

    このあたりの記憶もあいまいで時系列がすこし違ってくるかもしれない。

    些細なことで、家族と口論になることがあり、家庭内暴力が始まる。
    両親は、私を異常者だと言い、差別的な言葉を私にあびせてくることに私がキレて殴りかかるというようなことが日常茶飯事になっていた。

    ある日、発作のように私が暴れたので、両親が警察を呼び、夜間だったこともあり、なんの法的根拠の説明もなく(逮捕されたわけでもないのに)一晩、警察署に留置される。翌日、緊急措置入院の手続きがとられ、2度目の強制入院となる。翌日、措置入院は解除され保護入院となる。
    主治医からは、発達障害の可能性を説明され、私はみょうに納得する。
    いろいろな精神検査のようなものを受けたが、半隔離病棟でインターネットが使えないことが嫌だったのと、病棟の雰囲気が嫌だったこともあり、退院審査請求の手続きをとる。
    主治医がなぜか退院審査請求を嫌がり、手続きの翌日に退院となる。

    精神障害者でなければ、隔離入院させることができないはずで、私は自分が精神障害者であることに納得がいかなかったので(この時点でも精神障害者に対する偏見は私の中にまだあった)医師に診断書を書いてもらうことを選択し、精神保健福祉手帳(障害者手帳の交付)手続きをした。それでも、強制入院させられるほどの症状なのか、納得がいかず、障害基礎年金受給手続きの申請をした、年金の申請は認められた。

    この時点で、私は 自分が精神障害者であることを受け入れた。
    そして、自分のような極端なキチガイでない人(周りから見れば十分キチガイだが)でも精神障害、精神病ではなく障害扱いになるということを経験して、精神障害者への偏見がなくなった。

    -このあたりから20歳代後半・30歳代前半

    退院後、職歴に大きくブランクができてしまったことや、就職活動はしたが、精神障害者は雇ってもらいにくいということで、無職の状態が続いて、ニート状態になる。

    最近は、自分の過去のいろいろなことを反省し、ちゃんとしたまっとうな人間であり続けたいと、善良な市民として社会に参加したいという社会復帰の意欲と責任感が回復してきている。しかし、これまでの私の人生をからして、私を受け入れてもらうのはとても大変であり、社会に受け入れてもらえない自分がすごく悲しくてしょうがない。

    続きは、また後日 追加で書こうと思う。

    今は、子供のころの夢だった 弁護士になりたい という夢を追いかけている。









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