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マタイ 13:3-23
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マタイ 13:3-23

2014-08-25 06:50
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イエスは多くのたとえ話しを残しました。なぜたとえを用いて話すのでしょうか。答えは、もちろんわかりやすくするためです。
人間というのは才能を持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる(13:12)のです。
このことは天の国の奥義(13:11)であり、わたしの弟子であるあなたがたは、悟ることができます。

しかし民衆は確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見て、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである(13:14, イザヤ 6:9-10)しかしあなたがたの目は見ているから幸いです。またあなたがたの耳は聞いているから幸いです(13:16)

わたしの弟子ではなかった多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたのきいていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです(13:17)

さて、種を蒔く人のたとえですが、ここでは4種類のひとがでてきます。
  • 種を道端に蒔かれたものとは国のことばを聞くが悟ることなく、悪いものが来て、心  の中に蒔かれたもの奪い取られてしまう人です(13-19)
  • 石だらけのところにまかれたものとは、御言葉を聴いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分  には根がないので、しばらくは続いても御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつ  まづいてしまう人です(13:20-21)。
  • 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふ  さいで、実らないひとである(13:22)。
  • 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるもの は六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである(13:23)。

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天の国、天の御国、神の国、神の御国、そして御国、これらは時には区別されて使われることもあるし、同じ意味で使われることもある。聖書の中だけでなく、聖職者によっても区別したりしなかったりします。キーワードとしては

X軸が天の父と右座におられるイエスなのか、地球におけるそれなのか
Y軸が最後の審判の前なのか後なのか

これにつきるのではないでしょうか?
83ヶ月前
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