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マタイ 13:24-52
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マタイ 13:24-52

2014-08-25 08:17
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イエスは、たとえを用いて民衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られませんでした。それは預言者を通して言われていた以下のこと実現させるためで(13:34-35)
わたしは口を開いてたとえを用い、(詩篇 78:2)
天地創造のときから隠されていたことを告げる。
(エペソ 3:9, ローマ 16:25-26, 1コリント 2:7, コロサイ 1:26)
毒麦のたとえ
未成熟な毒麦と未成熟な麦は同じ様に見えるので、成長し、収穫の準備ができるまで区別することができない。毒麦(不信者)と麦(信者)は、この世で一緒に生きなくてはならない。神は不信者に、しばらくの間残ることを赦される。しかしそれは、麦が毒麦と一緒に引き抜かれないように、毒麦を畑に残しておくことにたとえられている。そして収穫の時には、毒麦は根こそぎ引き抜かれ、捨てられる。すべての人々にとっての神の収穫の時(さばき)は近づいている。私たちは、自分の信仰が心からのものであることを確かめ、自らを備えるべきである。

からし種とパン種のたとえ
からし種は、農夫が用いるもっとも小さな種だった。御国は初めは小さいが、成長すると大いなる結果をもたらすことを示すため、イエスはこのたとえを用いた。

パン種(イースト菌)はごく少量でも、小麦粉3サトンにゆきわたってパンを膨らます。御国も同様である。(1サトンは13.17リットル)

天の国のたとえ(畑に宝)
天の国は、私たちが持っている他のどんなものよりも価値があり、人はそれを得るために、すべてのものを喜んで手放すだろう。畑に隠された宝を見つけた人は、偶然にそれを発見したが、それを見つけたとき、その価値を知った。この人は畑を購入することですべてを失ったが、値がつけられない宝(天の国)を、ただで手に入れたのである。天の国ほど高価なものはない。
にもかかわらず、神は私たちにそれを、賜物として無償で与えてくださったのである。

天の国のたとえ(真珠と商人)
天の国は真珠ではなく商人の方である。イエスは御国のもうひとつの側面をあらわしておられる。すなわち御国が高価な真珠(信者)を手に入れるために究極の代価を支払うのである。それは神が私たちを購うために、喜んで支払ってくださった代価のことである。

天の国のたとえ(網と魚)
私たちは神に従い、神の恵みと慈しみについて人々に伝えるべきであるが誰が天の国の一員であり、誰がそうでないかを規定することはできない。人間は裁いてはいけないのである。それは、わたしたちよりもはるかに適任である方によって、最後の裁きの時におこなわれる。

新しいものと古いものを取り出す主人
旧約聖書で明らかにされているように、律法における神の真の目的を理解する人は誰でも、真の宝を持っている。旧約聖書は、メシアであるイエスへの道を示している。イエスは常に旧約聖書の権威を支持された。しかし天の国についてのイエスの教えを理解する人は2倍の恩恵がある。それはイエスが明らかにしている新しい宝である。
古い教えも新しい教えも、信仰と、この世で生きるための実際的な指針を示している。けれども律法の教師たちは、古い教えにとらわれて、新しい教えに気づかない。彼らは裁きの後に続く将来の御国を待ち望んでいる。しかし御国は今あり、裁きは将来にあると、イエスは教えた。宗教指導者たちは、(軍の反乱や実際的な支配による)物理的かつ一時的な御国を待ち望んでいたが、キリストがもたらす御国の霊的な重要性に気づかなかった。


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なんかよくわからん話だと思って読み飛ばしていた「たとえ話」ですが、よくよく調べてみると一貫性があり、同じことを違うたとえで何度も何度もイエスが伝えていることに気がつきました。ひととおり4福音書のたとえを済ませたら次は何をやりましょうかね?
83ヶ月前
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