ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

マタイ 20:1-16
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

マタイ 20:1-16

2014-08-27 19:56
    ぶどう園の労働者のたとえである。イエスは天の国の一員であることの規則をさらに明らかにされた。入る権利はただ神の恵みのみによる。

    このたとえでは、神は主人であり、信者は労務者たちである。特にこのたとえを聞かなければならないのは、資産や地位を持っている者、キリストとともに非常に多くの時間を過ごした者である。新しい信者には、このたとえにより安心が与えられるであろう。

    20:15 は、報いについてではなく救いについてのたとえである。神の惜しみない恵みが語られている。人生の最後の瞬間に救いを求め人たちを私たちはねたむべきではない。

    私たちは御国で意外な人たちと対面することになる。イエスが死に瀕しているときに悔い改めた犯罪人:
    すると、もうひとりの方がたしなめた、「おまえは神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。われわれは、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」といった。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」といわれた。(ルカ 23:40-43)
    長い間神を信じ神に仕えていた人々と、一緒にそこにいる。軽蔑された人たちや、追放された人たち、赦しを求めて神に救いを求める罪人を神が恵み深く受け入れることに、あなたは腹を立てるだろうか。神が他の人に与えたものを、あなたはこれまでねたんだことはあるだろうか。あなたへの神の恵み深さに集中しよう。そしてあなたが持っているものを感謝しよう。
    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。