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マタイ 25:31-46
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マタイ 25:31-46

2014-08-31 20:19
    この箇所は、小黙示録ともいうべき節である。

    25:32
    信者と不信者を振り分けることを描写するために、イエスは羊と山羊を用いた。羊と山羊はしばしば一緒に牧場で飼われたが、羊の毛を刈るとき、引き離される(エゼキエル 34:17-24)

    25:34-40
    このたとえは、毎日おこなうことができる哀れみの行為を描写している。これらの行為は、富や能力や知性とは関係ない。惜しみなく与え、惜しみなく受ける純粋な行為である。深刻な必要を持っている人を無視してはならない。またその責任を教会や政府に押し付けてはならない。イエスは1人1人が関わっていく事を要求している(イザヤ 58:7)

    25:40
    「兄弟たち」については以下の3つの説がある。
    (a) すべてのユダヤ人
    (b) すべてのクリスチャン
    (c) 至るところにいる苦しむ人々
    これは、私の隣人とはだれですか(ルカ 10:29)という律法の専門家の質問に似ている。このたとえの要点は、奉仕が必要とされている場所で使えることの重要性である。私たちはすべてのひとを愛するべきであり、可能な人には誰にでも仕えるべきべきである。その様な愛は、神への愛のあらわれでありもあり、神に栄光を帰することになる。その者たちは、永遠の命が与えられる。

    25:46
    永遠の刑罰は地獄(ゲヘナ、火の池)でおこなわれ、そこは悔い改めることを拒むものすべての人たちにとって、死後の刑罰の場である。また悪魔や悪霊のためにも準備された場所である(黙示録 20:9-10)


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