【考察・解説】『未来のミライ』の主人公は「ミライちゃん」
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【考察・解説】『未来のミライ』の主人公は「ミライちゃん」

2018-08-16 00:25
    2018年8月4日(土)現在、話題の細田守最新作『未来のミライ』を見て来た。
    未来のミライは、Yahoo映画評価でもかなり意見が割れているため、ここでその解説と考察を行っていきたいと思う。



    あらすじ
    (とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。ある日、甘えん坊のくんちゃんに、生まれたばかりの妹がやってきます。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんはその庭で自分のことを“お兄ちゃん”と呼ぶ、未来からやってきた妹・ミライちゃんと出会います。ミライちゃんに導かれ、時をこえた家族の物語へと旅立つくんちゃん。それは、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした。 待ち受ける見たこともない世界。むかし王子だったと名乗る謎の男や幼い頃の母、そして青年時代の曾祖父との不思議な出会い。そこで初めて知る様々な「家族の愛」の形。果たして、くんちゃんが最後にたどり着いた場所とは?ミライちゃんがやってきた本当の理由とは――)


    以下、ネタバレがありますのでご注意ください!!!


    ①結論ーこの映画は何を言いたいのかー

    簡単に言えば、これは、未来のミライちゃんが、家出をして迷子になったくんちゃんを助け出して家に連れ戻す話だ。
    1度目はミライちゃんがインデックス(庭の樫の木)にアクセスして自分のために能力を使った。最初のシーンで男の子に告白しようとしている女の子はミライちゃんだろう(制服が同じだったため)。結婚できるか不安に思ったミライちゃんが、昔の雛人形の話を思い出しインデックスを使って過去に戻り、ユッコとくんちゃんみんなで協力しながら雛人形を片付ける。
    2度目や3度目はくんちゃんが知らず知らずのうちに能力を発揮しインデックスにアクセスした。

    4度目は未来のミライちゃんがアクセスしようとするがアクセスできなくなっている。それはくんちゃんがひとりぼっちの世界へ行ってしまい、インデックスからくんちゃんのカード(家族履歴)が抹消されてしまっていたからだ。



    庭の樫の木の索引には家族しか登録されない。だから、家から飛び出した高校生くんちゃんは寂れた磯子駅ホームでひとりぼっちでいる。高校生くんちゃんは、幼少期くんちゃんにわがまま言わずに家出をするなと咎めるが、幼少期くんちゃんは東京駅へ家出をしてしまう。



    そして、完全に家族と隔離されひとりぼっちとなり迷子になる。周りはくんちゃんと同じインデックス上で迷子になっている「子ども」。



    くんちゃんは、自分の家族をなかなか思い出せず、ひとりぼっちの国へと旅立ってしまうかに見えた。が、孤独と恐怖の土壇場で記憶を手繰り寄せ、自分には妹のミライちゃんがいて、自分はそのミライちゃんを守るべきお兄ちゃんであることを自覚する。
    自分は家族の一員であることを認識したくんちゃんは、家族として家系履歴に登録されることに成功した。



    そのため、インデックスを辿ってきたミライちゃんが東京駅でひとりぼっちだったくんちゃんを探し、発見することができたのである。

    くんちゃんがなぜ案内センターでインデックスの登録、つまり家族の一員であることを認識できたのか。それは、未来のミライちゃんが1度目のインデックス検索を経てお兄ちゃんと遊ぶ(ハチゲームやだるまさんがころんだなどをする)ことで、くんちゃんが妹ミライちゃんのお兄ちゃんである、という意識付けを行ったからだ。



    最初は自分のためにインデックスを使い、2度目は雨の日にお兄ちゃんに会いに来る、ただこの時はくんちゃんがインデックス世界へ行ってしまったがために機会を逃しているが。
    そして、東京駅の天窓から飛び出し、インデックスをさまよってゆく。
    そこでは、かつてお母さんの飼い猫に殺されたツバメが、水先案内人のように2人を過去の風景へと案内する。そして、現在へと時を下り、お兄ちゃんが家族にきちんと登録されていることを示すカードを発見。ミライちゃんはようやくお兄ちゃんを見つけることができたのである。
    そこでは、お兄ちゃんが、わがままや自己中心的行動をとらない自制的な存在となり、家族の一員として迎え入れられている。



    高校生くんちゃんが家出をし、ひとりぼっちの駅からみんなのいる家に帰ってきたのは未来のミライちゃんのおかげなのだ。幼少期、お兄ちゃんからもらったバナナ。高校生になったミライちゃんは、お兄ちゃんにバナナを返したのはある種の返礼を意味している。

    つまり、
    1度目と4度目のインデックス検索は未来のミライちゃんによる将来の結婚願望の実現と家族を飛び出したお兄ちゃん探し。
    2度目と3度目のインデックス検索はくんちゃんによる成長物語となっている。
    ちなみに0度目のインデックス検索は、ペットのユッコによるものだ。ユッコ視点のため、自分は人間だと思っており、くんちゃんの身体で家中を走り回る?


    ②考察ーストーリー全体を通じてー

    合計5回に及ぶ濃厚なインデックス検索があるため、かなり複雑な構成になっている。そのため、ストーリーがなかなか掴めず、観客もそれぞれの話に辻褄をもたせなかがら話を進ませてゆくが、なかなか解けない知恵の輪をいじるようにフラストレーションがどんどんたまってくる。
    見ている方は、くんちゃんのファンタジーやそれに伴う成長物語、家族のホームビデオ、などといった分かりやすい印象に置き換え、本作を矮小化するという現象が起きる。

    構成に独創性があるのは認めよう。ただ、明瞭性が大きく失われているため、見ている方は1度見ただけではついていけなくなる。
    まず、作品を作るにあたり、構成に独創性は不要である。例外はあるが、今回はその範疇ではない。独創性が必要なのはストーリーとキャラクターである。
    観客を引きつけるストーリー、魅力的なキャラクター、その両方に今作は失敗をしている。
    特に細田守監督の課題はキャラクターだ。





    サマーウォーズやバケモノの子では、ヒロインに全く存在感がなく、主人公や脇役キャラに喰われてしまっている。

    また、くんちゃんが幼少期の母親と家の中で洗濯物やおもちゃなどを面白可笑しく引っ掻き回すシーン、おおかみこどもの雨と雪にて子どもたちが田舎に引っ越してきた走り回るシーン、これらは『となりのトトロ』のオマージュだ。しかし、あまりにお粗末な再現VTRになってしまっていてオマージュというよりもむしろ二番煎じとも受け取られかねない描き方になっている。
    子どもとは何か、遊びとは何かをもう少し研究されたほうが良いシーンが描けるように思う。とりもなおさず、事実の観察のみでは本作程度の子どもしか描けない。
    リアリティーの表現にはある程度フィクションも必要だ。事実を直線的に写生するだけではなく、社会科学や人文科学のフィルターを通した説得力のあるフィクションが必要である。


    ③多様性について



    足が不自由なキャラクターを登場させたのは良い試みだと思う。
    宮崎駿映画(もののけ姫に登場するハンセン病患者)でもそうだが、


    人間の多様な生き様を全て肯定している。

    昨今、政治や社会は均一に規格化された人間が推奨され、規格から外れた人間は否定的に捉えられ、生きにくい世の中になっている。
    LGBTや障がい者の人権問題などもそうだが、多様な社会を肯定するという勇気がまだ我々の社会には十分に備わっていない。
    24時間テレビは、障がい者しか扱わない。そしてその箱の中では、彼らの多くが社会の犠牲者として描かれる。可哀想、ハンディキャップを負っても頑張っている、健常者という均された人間側の理論で番組が構成される。

    ところで、サマーウォーズで驚いたのが、身内が死んでいるのに最終的には皆笑い合える家族という設定である。

    細田守は、「可哀想」「この人は社会の犠牲になったのである」という意識を完全に排除しようとしている。

    戦争の惨禍は一部登場するが、別に反戦映画を作りたかった訳ではない。戦後の後遺症を負った人間の生き様を描きたかったのだ。しかし、多くの人は本作の良さを実感できないまま映画館を後にしている。
    それは、細田守にそれらを表現する相当な力量がなかったということの裏返しでもある。
    わかりにくい構成、ありきたりなストーリー趣旨、押し付けがましい理想的な家族。それらは、本来あるべき作品の良さを台無しにしてしまっている。
    ただ、小津安二郎や山田洋次の家族映画をアニメーションでやりたいという心意気は少なからず伝わった(キネマ旬報のインタビュー)。他のアニメーション監督は敬遠するであろうヒューマンドラマに今後も挑戦して欲しい。
    よって評価としては、今後の期待を込めて、
    ★★★☆☆
    にしたい。

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