バンクシーとアートと技術と学問と自分のP名と その3
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バンクシーとアートと技術と学問と自分のP名と その3

2020-10-19 20:26
    はい。
    前回はアートは文脈(コンテクスト)だと言いました。
    言ったけどもたぶん釈然としないんじゃないかとは思います。漠然としていて具体的ではないので。
    そこについてまずはもう少し続けます。

    また科学・学問について。
    科学・学問は真理を追及しようとするものです。そうして出来上がった知見の体系化が科学・学問です。
    アートにおける真理は美ですが、真理はまた別の言葉でおおむね置き換えることが可能です。

    真理とはひとつの原理、法則、ルールです。
    自然科学はそれを発見するのを究極の目的としています。そのはずです。
    発見というより発明なのではないかとも思いますが。

    ちょっと雑かなー。
    でもここでまた真理を辞書を引いてみましょう。デジタル大辞泉。

    「いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理」

    ね。究極の原理、法則、ルールが真理です。と言ってだいたいいいはず。

    現実にはどんどん新たなルール・法則が発見されています。究極の法則という目的、収れんという方向性とは逆に拡大拡散していってるようにも見えます。



    どんな法則がここに描かれてるのか。むずかちいね。

    ここでまた脱線。これ、リベラル思想についても言えます。
    リベラルの目標は究極的には個々の各人の自由の実現です。しかし現実にはリベラルも様々なルール・規制を主張し、リベラルは口では自由を言いながら現実には自由の抑圧者だと見做されることも今では少なくないでしょう。
    でもそうではないのです。
    各人の自由という究極的な理想の実現のためのルール・規制の主張です。

    それとまあ似てるかな。
    ひとつの究極の法則を見出そうと次々と新たな法則が発見される。
    ふたつの正反対の力学が働いてるようにも見えますが、そういうものなのでしょう。

    アートに戻ります。
    アートのコンテクストっていうのはなんなんだ?
    ざっくりこう考えましょう。
    アートにはアートのルール・法則がある。これに従ってるものがアートだ。

    一般にアートは自由だ、芸術にルールなんてない、みたいなイメージが強いかと思いますが、そんなことはないのです。
    と書いてしまうのはやや問題ある気もしますが、そういうことで。

    いやもう少し突っ込んで書いてみるか。チャンレンジ。
    コンテクスト=ルール・法則みたいに書いてしまいましたが厳密にはそうではない。ルール・法則という言葉で置き換えたのは体系ではなく真理です。
    アートが目的としているもの、アートがそれを見出そうとしているものが究極の美という法則・ルールであって、コンテクスト(文脈)は美という法則そのものではなくそこに至るための体系です。

    試みてみましたがややこしくなっちゃうだけだなあ。
    でもそういうことです。
    繰り返しだけどももう一度整理すると、究極の法則(美)があるはずだと設定されている。
    それを求める過程で様々な法則が発見され体系化され文脈(コンテクスト)となっている。
    言い換えると、ときに新しい法則が究極の法則に至りうるものと認められ、アートの文脈に加えられる。
    そのコンテクストに則ったものがアートである。
    もしくは新しくアートのコンテクストに加わることを認められたものがアートである。

    嫌われがちだけど村上隆のした仕事ってそういうことなのです。
    彼は日本的なアニメの様式をアートのコンテクストに加えた。それがアートのコンテクストに加わることを認めさせた。

    そうは言ってもやっぱり具体的ではない、なかなかピンと来ないですね。
    そのコンテクストってなに。具体的にアニメがどうなるとアートになんのよ。
    私にもわかりません。

    でも浮世絵なんかも同じことです。
    江戸時代、浮世絵はアートではありませんでした。現在は浮世絵はアートのひとつとしてその様式が認められてます。
    あるときに誰かが浮世絵という様式をアートのコンテクストに加えたのです。

    誰かって誰よ?
    アートと認められるアニメや浮世絵の様式って具体的に何よ?
    コンテクストに加わることが認められるって誰がどういう理由で認めるのよ?
    私にはわかりません。

    ※アニメが認められたのはもしかしたらその様式(だけ)ではない可能性もあるかも

    学問はそうした法則や、また法則を正しいと認める手続きが比較的に具体的明示的です。
    アートのそれはとても見えにくい。というかたぶん実際にとても漠然としている。
    というかアートの場合ルール・法則といえるほど具体的ではないためそれに近いニュアンスで文脈・コンテクストとされるのでしょう。

    いやいやそこはちょっと違う自分で書いて投稿しかけたけども修正しとこう。
    コンテクスト(文脈)というのは積み重ねの結果としてあるものです。これが超重要ポイントだった。
    たしかにコンテクストはアートを縛るものであると見ることもできなくもない、つまりルールみたいなものにも見えなくもないし、またそう考えれば少し理解しやすい。
    でもルールや法則とははっきり大きく異なる重要な点があって、それはコンテクストというのは積み重ねであるという点だ。そうだった。

    学問(体系化された知識の積み重ね)とはルールのことであるって言ったら違っちゃうもんね。アートのコンテクストもそのような働きをすることはあってもルールではない。
    あれ?ルールでなく法則といえばそんなに違和感もないかな?あれ?
    あっとまずいぐだぐだしてきたからこの話やめやめ。

    やや脱線ですがあとでまた触れると思うことですが、アートは非常に強くビジネス的な側面も持ってます。ですが、とりあえずその点は無視します。
    アートとは何か、それを具体的に明らかにしようと思ってもそれは難しいだけでなくうさんくささまで出てくる。
    私も具体的なことはうまく言えない。言語化できないというのとは違ってそのあたりはそもそも私も知らない。
    でもアートとはそういうものです。そういうものということになってます。

    私がなぜここまでアートについてごちゃごちゃ言うのか。
    アートに強い関心・興味があるわけではないのですね。
    というか、かなり昔のブロマガでも少し言ったはずですが、私は基本的には反アートです。その話は次回に出来たらなと思います。
    私のこのアートに対する言及、理解もしくは解釈は、私が歴史好きなことに依るものでしょう、おそらく。

    歴史とは積み重ねです。科学・学問も積み重ねです。そしてアートも。
    私はその積み重ねが好きですし、また積み重ねに価値を認めます。
    私は反アートですがアートという積み重ねの価値を認めないものではありません。

    という、あんまアートじゃない私の説明・解釈ですが、それほど間違ってるものではないはずです。たぶん。

    続く

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