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【結月祭】月の兎と虧月 -キゲツ-【月兎の物語】
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【結月祭】月の兎と虧月 -キゲツ-【月兎の物語】

2013-09-19 11:11


    これは月兎の物語

    ──────────────────────────────────────────


     まつり。

     祭り。祀り。奉り。

     今では歌って踊り騒ぐ賑やかな催し事として広く知れ渡っている。

     けれど、本来の『まつり』とは儀式である。

     『祭り』とは命や魂を慰めるものである。『祭』という字には葬儀や慰霊といった意味がある。 日本には古くからお盆の時期に先祖の霊を迎え供え物をし、終わりには送り火を燃やして黄泉の国へと死者の魂を送り出す風習がある。

     『祀り』とは神や尊に祈ることである。 巫女神楽や獅子舞などは神への供えの儀式であり、「そこへ宿る魂や命が、荒ぶる神にならぬよう」にと祈る神和ぎである。

     『奉り』とは献上や召し上げることである。 神話の神様や土地へ供物として狩りの得物──獲物、海や山の幸などの一部を還し捧げるものである。

     これはそんな「まつり」のお話である。


    *   *   *


     少し遠くから人の話し声が聞こえる。次第に声が鮮明になり頭がゆっくりと覚醒する。
     どこかぼぅっとした頭で体を上げて、足の上に乗った掛け布団を見つめる。

    『起きたら布団を畳んで部屋の隅に纏めて置いておいて』

     昨夜この家の少年から言われた言葉が脳裏を掠めて、少女はゆっくりと布団を纏め始めた。  しかしどうにもうまくいかない。半分に折ってみたがもっこりとしたままで、どうにも畳んでいる気がしないのだ。
     試しにさらに半分に折ってみる。…………もっこり感が増えただけだ。
     少しむっとして布団を叩く。
     するとどうしたことか、畳まれていたはずの布団が押さえられたバネのように戻る戻る。

    「あ、わっ……!」

     次の瞬間に少女は先ほど畳んだはずの布団の下敷きになっていた。

    「…………えっと、おはよう、ゆかり。ちゃんと起きて────」

     襖を引く音。次いで聞き覚えのある声が上方から掛けられた。
     布団の下。もぞもぞと動いた少女はやっとのことで顔を出す。
     見上げたら、こちらを見下ろす少年と目が合って。

    「えっと……おはよう……?」

     ぴょこん。少女が口を開くと同時に頭に一つの塔が立った。
     一つの間を空けて少年が吹き出す。
     何事かと少女が頭を傾ぐと、少女の頭の上に立った櫓も同じ方へふわりと垂れた。

    「……どうしたの?」

     首を傾げたまま問いかけると少年は腹を抱えたまま自分の頭を指差す。
     少年の指差すところを見てみるが何もない。

    「はははっ、違うよ。ゆかり、君の頭」

     涙目を拭いながら少年は指を少女の頭の上へ向ける。
     自分で見ようと顔を上げるがどうやったって見えっこない。
     そのことに気づいて自分の手を持っていくとそこに得体の知れない何かが一つ立っていた。
     触ってみるが、余計わからなくなる。
     試しに摘んで持ち上げると自分の頭までそちらに引っ張られた。
     その痛みに、ようやく自分の髪だと気がついた少女はその跳ねっ毛を摘みながらまた首を傾げ、少年を笑わせたのだった。


                    *   *   *


     少年、沖成が持ってきた櫛で髪を梳いて身なりを整えた少女、ゆかりは食の場へと着く。結局あの跳ねっ毛は元には戻らず今もゆかりの頭頂部に一本ふわりと垂れていた。
     手を合わせ唱和して、沖成の母親が作った朝食を食べていると台所から声が響いた。

    「沖成。今日あたしの代わりに集会所いってきなさい」

     声は沖成の母親のもの。
     言葉に沖成は目に見えて嫌そうな顔をする。

    「何で僕が……」
    「暇なら働きなさい」
    「ゆかりは?」

     名前を呼ばれた少女は迷いのある箸を止めて視線を少年へ向ける。

    「連れていけばいいでしょ」
    「………………」

     母親の言葉に沖成は仏頂面になる。
     別にゆかりと一緒に行くのが嫌なわけではない。むしろ楽しい方だ。
     しかし集会所となれば話は別だ。今日の集まりはこの月末にある『月奏祭』についての話し合いだ。
     集会には村の人間が集まる。小さく暖かい村とは逆に言えば身近な変化に目敏いということだ。
     連れていけば確実にからかわれる。
     だが────

    「……………………!」

     沖成へ向けられた瞳は期待の色を膨らませ、真っ直ぐに沖成を射抜いている。
     純真で無垢な視線に、沖成は小さくため息をついた。

    「…………わかったよ」

     途端、隣の少女の紫色の宝石二つが輝く。
     これだけ楽しそうな表情をしてくれるのならばそれはそれでありな気がする沖成だった。


    *   *   *


     朝食をとり終えたあと、二人は連れ立って集会所へと向かう。
     沖成の後ろをゆかりが少し離れて歩く。清楚で物静かな歩調。しかしその足音はどこか弾んでいる気がした。
     次第に天頂へと昇り始めた太陽がちりちりと肌を焼く。月も半分過ぎたばかりで夏の暑さはまだまだ続きそうだ。
     そんなことを考えていると少し離れたところから沖成の背中へと声がかけられた。

    「おっきなーーーー!」

     栗の木の下で。そう続けて歌えばいいのだろうか。
     声に足を止めて振り向くと道の向こうに一人の少女が手を振っていた。
     少女がこちらに駆け寄って歩み寄ると同時、いつの間にかゆかりが沖成を盾にするように背に回りこんで服の裾を摘んでいた。
     目の前で足を止めた少女が礼儀正しく「おはよう」と挨拶する。
     黒く長い髪に青い瞳。撫子のように華やかで、しかし落ち着いた雰囲気の沖成とそう年の変わらない少女。
     彼の幼馴染である音姫だ。

    「おはよう、音姫」
    「もしかして沖成も集会所?」
    「うん、まぁ」

     そうなった経緯を思い出して少し苦笑い気味に答える沖成。
     そんな沖成を他所に、彼の後ろの人影に気づいた音姫は話題に上げる。

    「沖成、その子は?」
    「えっと……」

     答えに詰まって口を噤む。どう答えようか。
     沖成が悩んでいると服の裾がひときわ強く握られた。
     そちらに顔を向ければそこには俯くゆかりの姿。
     流れた沈黙。それからゆっくりと顔を上げたゆかりは震える声で口を開いた。

    「…………こん、にちは……?」

     音になったのは少しばかり未来の時間の挨拶。

    「うん、おはよう」
    「っ────!」

     しかし沖成も音姫も笑いはしない。他の誰でもない、一番に歩み寄ろうと試みたのは彼女なのだ。
     頬を仄かに染めて沖成の後ろに再び隠れるゆかりを二人で見やって、それから静かに歩き出す。

    「昨日知り合って、今は僕の家に住んでるんだ」
    「へぇ」

     肩を並べて歩く二人の後ろ、少し離れた位置にゆかりが静かに着いて歩く。

    「名前は?」
    「……ゆかり」

     音姫の言葉に沖成が答える。名を呼ばれた少女が足を止め、続いて音姫も歩みを止め振り返る。

    「わたしは音姫(おとひめ)。よろしくね、ゆかりちゃん」

     そうして差し出された手をゆかりは数秒ほど見つめたあと、ゆっくりと重ねて握り返した。


    *   *   *


     集会所に着くと予想通りいくつかのからかいの言葉が投げかけられた。その一つ一つにゆかりはびくびくと視線を泳がせていたが、隣にいた音姫のお陰でどうにか話し合いの席に着くことができた。
     会議の内容は『月奏祭』の出し物の確認について。沖成の家は音姫の家と協力して屋台を一つ出すことになっていた。 今回はその出し物の決定と必要な食材などの発注等だ。
     周りの大人たちは毎年のことなので手際よく話を進めていく。その為沖成と音姫は話についていくだけで精一杯だ。
     そして今回は隣にゆかりも居る。

    「……沖成?」

     どうやら彼女も『月奏祭』に興味があるらしく気になったことは端から沖成の服の裾を引っ張って説明を求めた。
     その一つ一つに答えながら重要なことのメモを取っていく。
     やがて会議も終わり各々に目的の場所へと足を向けて散っていく。
     沖成とゆかり、音姫も自分の家へ向けて歩き出した。
     帰路の途中ゆかりに裾を引っ張られて足を止め振り返る。
     何か忘れものだろうか? そんなことを思いながら彼女の言葉を待つ。

    「『月奏祭』って、何……?」

     ゆかりの口から溢れたのはそんな言葉。
     そういえばその質問はさっきの集会所の中では無かったなと考えつつどう答えようか悩む。  沖成にとってはただのまつりだ。食って騒いでの文字通りのまつり。
     まさかまつりを知らないわけではないだろうが、かと言ってこのまつりが何を起源に持つまつりなのかも沖成は知らない。
     そうして頭を抱えていると隣から声が上がった。

    「『月奏祭』ってのはおまつりのことだよ」

     顔を向ければそこには音姫。黙り込んだ沖成を見かねてかどうやら彼女が説明役を買って出たらしい。

    「おまつり……?」
    「そう。ちょっと見渡したらわかると思うけどここは農村なんだ。だから土地の神様に捧げるおまつり」
    「神様?」
    「食べ物は水と土と太陽の光で育ってる。でもそれは神様がその手のひらを貸してくれてるからなんだよ。この土地は元々は神様のもの。それを私たちは借りて農業をしてるんだ」

     まるで勉学を教える教師のように雄弁と語る様に沖成も思わず聞き入る。

    「でも借りてるだけじゃ神様もその内怒っちゃうから、だから神様にこの土地で採れた作物を捧げるんだ。その捧げる行事が村一丸となったものが、おまつり……『月奏祭』ってわけ」

     可愛らしく指を立ててそう締め括る音姫。
     気づけば二人して聞き入っている様子に音姫は頬を掻く。

    「…………神様って、何?」

     音姫の話に興味を引かれたらしいゆかりは続けて尋ねる。
     その問いかけに幼馴染は首を傾げた。
     神様は神様で、他の何者でもないけれど…………。

    「えっと……人?」

     手をわたわたと振って、それからゆかりがそう言葉にする。
     確かに、神様と言って真っ先に想像するのは人型だろう。けれど確か『月奏祭』の神様は────

    「うさぎだよ」

     沖成が思い出すより先に音姫が口にする。
     そうだ。このまつりが崇める神様は……うさぎだ。

    「…………なんで?」

     音姫をまっすぐに見つめてゆかりが首を傾げる。

    「ゆかりちゃんは、うさぎって言ったらどんなのを想像する?」
    「…………山に、住んでる。白いの」
    「山……。多分中心になるのはそこかな」

     顎に人差し指を当てて考えるように視線を山に向ける。つられて二人も同じ山へと視線を向ける。
     沖成はその山がゆかりと出会った山であることに気がついて隣の少女を一瞥した。

    「うさぎってね、いくつも逸話があるの。山に迷い込んだ人に自分の体を焼いて食べさせようとしたり、神様の道案内をしたり。そういう話がたくさんあるから、うさぎは山の神様だったりするの」

     音姫の言葉に耳を傾けながら、沖成は視界に映る少女の輪郭がぼやけていく様をじっと見つめていた。

    「で、この村も山の麓にあるわけで……そういうのが重なってうさぎの神様にお返しをするおまつりができたの」
    「…………なんで、月?」

     どこか浮世離れした問いかけに、音姫は一つ頷いて答える。

    「月に奏でる祭り。だから『月奏祭』なんだけどね。さっき話をした中の、体を焼いて迷った人に食べさせてあげるって話、覚えてる?」

     頷くゆかりの姿を目に収めて音姫が続ける。

    「あの話には続きがあるの。そのうさぎが火に飛び込もうとした時にね、迷い込んだ人がそれを止めたの。それでうさぎの勇気と慈悲に心打たれた迷い人はうさぎを月に昇らせたって言われてる。だから月にはうさぎの模様があって、月の下にいる人が食べ物に困らないようにするために、餅を搗いてるって言われてるんだよ」

     初めて聞く話にゆかりへと向けていた視界はいつの間にか音姫へと向いていた。

    「それで、山の神様でもあり、月から大地を見下ろす豊穣の神様でもあるうさぎに、供物と宴を捧げてその魂を弔う…………そうやって『月奏祭』はできたんだ」

     十数年。慣れ親しんだ祭りのはずの『月奏祭』に対して、沖成は今ゆかりと同じ場所に立っていた。

    「……って、私の知ってるのはこのぐらいかな。どう、役に立った?」
    「うん、ありがとう。……音姫」

     可憐な笑顔を見せるゆかり。その横で沖成は山へと視線を向けていた。


    *   *   *


     それからの日々は代わり映えのしない労働の繰り返しだった。
     沖成は村をあちこちへ走り回り『月奏祭』の準備に精力的に取り組み、ゆかりは沖成の母親に教えられて農作物の栽培を行っていた。
     途中からはゆかりも『月奏祭』の準備に加わり、少しずつ村へと馴染み始めていた。
     時折見せるようになった笑顔は誰よりもその時間が充実していると言っているようだった。  そうして時は流れ、気づけば日付は『月奏祭』の当日。
     祭りは昼からあり、昼は主に神様へ捧げるまつり。飲み食い騒ぎのまつりは夕方からが本番だ。
     現在は音姫と一緒に屋台の最終確認中だ。

    「……ここ?」
    「うん」

     脚立に足を掛けて返ってきた声の場所に紐を括り付ける。結び終えると沖成はその場から降りて少し離れたところから屋台を見渡した。
     掲げられた垂れ幕。準備の整った調理場に、調理器具。
     頭の中で必要なものを反芻して漏れがないことを確認するとひとつ溜息をついた。

    「おつかれさま」

     隣からの労いに疲れたような笑みを浮かべて答える。
     これで準備は完了だ。あとは時間が経つだけ。そうすれば今度は客との戦いが待っている。  改めて気を引き締めなおすと顔を回す。視界の中に居候中の彼女がまだ帰ってきていないことに気がついた。

    「ゆかりは?」

     同様に気がついた音姫の言葉に記憶を探る。
     たしか彼女は村の中央で飾り付けを行なっていたはずだ。しかし半分以上昨日のうちに終わっているはずなのでもう帰ってきていてもおかしくはないはずだが……。

    「ちょっと探しに行ってくる」
    「うん。おばさんには私から伝えとくね」
    「ありがと」

     言葉を交わして沖成は走り出す。
     数分もすれば村の中央、紅白の垂れ幕を飾り太鼓を乗っけた櫓のある広場に辿りついた。
     視界を回すと、櫓の近くに立って上を見上げてる少女が目に入った。

    「ゆかり……?」
    「あ、沖成」

     最初と比べると随分と柔らかく、しかししっかりとした口調で話すようになった少女がこちらへ向く。

    「どうしたの?」
    「……あれ」

     彼女が向けた視線の先には一つの大きな太鼓。祭囃子を奏でる音頭の中心が居座っていた。

    「何に使うの?」
    「叩いて鳴らすんだよ。踊りとか、何かの合図の時に」
    「今は……?」
    「まだ祭りが始まってないから叩いちゃダメだよ」
    「……そう」

     どこか気落ちしたような声。反応から察するにどうやら太鼓を叩いてみたいらしい。
     確かに沖成にも同様の気持ちがある。雷のような重低音。腹の底を唸らす重い響き。
     幾度となく自分が太鼓を叩く姿を想像したことがある。
     けれど叩くのはいつも大人たちだ。その歯がゆさに、毎年どこかで拳を握っていた。

    「誰が叩くの?」

     今では特に珍しくもない彼女の質問攻め。
     その問いに答えようと記憶の糸をたどる。確か今年は────

    「僕の、父さんだ」

     思い至って言葉にする。と、頭の中で一つの閃きが脳裏をよぎった。

    「ゆかり、ちょっと待ってて」
    「……うん」

     恐らく訳も分からずに頷いたであろう少女を置いて沖成は走り出す。
     村の中心にはいない。すぐに足は家の方へ向かう。途中、目端に映った屋台には人影はなかった。とすると家だろうか。
     沖成は走る速度を上げて我が家へ駆ける。家に入ると靴を脱ぎ散らかして部屋へと駆け込み、目当ての人物を見つけた。

    「父さんっ」
    「…………何だ」

     寡黙で厳粛な父親。我が家の大黒柱に沖成は息を整えながら言葉を継ぐ。

    「囃子の、太鼓のことだけど────」
    「駄目だ」

     静かな否定の言葉に頭がすっと冷える。
     しかし理性とは裏腹に、言葉は止まらずに声になった。

    「僕じゃなくてゆかりが────」
    「駄目だ」

     沖成が言い終えるよりも早く再び言外に切り捨てる。
     ようやくそこで沖成は拳を握りしめて止まった。
     冷静になる頭が事実を突きつける。
     無理な、話だ。
     だって囃子を奏でる太鼓の役割は毎年村長が決めるものなのだ。その決定は絶対だし、当人同士での了承だけでは認可されない。なにより、囃子を奏でるのは名誉なのだ。
     村長の選択はその年で毎回異なる。選出方法は、農作物の収穫量。昨年度の収穫が一番多かった家の大人が、次の年の囃子奏者を担当するのだ。つまり去年一番農作物を作ったのは、沖成の家。
     沖成自身もそのことが決まると嬉しかったはずだ。もちろん、家族にとっても。けれど沖成はそれを蹴ってでも、彼女にただ一度だけでも桴を握りその面を打たせてあげたい。いついなくなるともわからない彼女に、思い出を作ってあげたい。
     その思いが胸の中で強くなる。

    「……………………」

     口を閉ざした父親が静かに立ち上がり、部屋を出ていく。
     止めなければ。認めてもらわなければ。
     けれど気持ちに反して、喉は乾き声は出ない。
     やがて、沖成の耳に小さく襖の閉まる音が届いた。


    *   *   *


    「…………沖成?」

     掛けられた声に顔を上げる。目の前にはゆかりが立っていた。
     ゆっくりと顔を回す。
     いつの間にか沖成は櫓のところまで戻ってきていたらしい。  再び俯いて拳を握る。

    「……ごめん。ゆかりに、太鼓……叩かせてあげようと、思ったんだけど…………」

     己の不甲斐なさに歯を食いしばる。
     そんな様子の沖成にゆかりは小さく首を振った。

    「大丈夫、だよ」
    「でも」
    「叩けたら、面白いかなって、思っただけ」

     少し悲しそうに薄く微笑みを浮かべてゆかりがそう言う。
     言葉の端に滲む小さな落胆に、沖成は再度自分を苛んだ。

    「……ほら、そろそろおまつり、始まるよ?」

     彼女の言葉に青い空を見上げる。
     太陽は無慈悲に、無表情に、降り注ぐ日差しと共に正午の刻を告げていた。


    *   *   *


     色のない時間がただ過ぎていた。
     神に捧げる舞をぼやけた視界でじっと見つめる。
     夏も終わりかけとは言え、まだまだ残暑が厳しい空の下。舞台の上では白衣と緋袴に身を包んだ音姫が神楽舞を披露していた。
     長い黒髪を首の後ろで一つに纏め凛とした立ち振る舞いを神様へと奉納する。
     今では神様へと捧げる奉納の舞だが、元を辿れば巫女舞とは降神巫による神懸かりの儀式である。神様からの神託を下すための降霊術のようなものと考えれば簡単だろうか。
     それが様式化されて現在の神楽舞のようになり、この村でも神様へ捧げる宴として行われている。
     しゃらん。右手に持った鈴が鳴り、舞台上の音姫が裾を翻らせて静謐に踊り狂う。
     その表情はまるで神様に恋する巫のようで────

    「綺麗……」

     となりで呟いたゆかりの言葉に静かに頷く。
     綺麗。その言葉では形容しきれないような。しかしそれ以外の言葉が場違いのような神聖な魅力が全てを満たす。
     やがて舞は終わり、音姫が静かに礼をする。
     拍手が起こり、沖成とゆかりもつられるように手を叩いた。
     礼を終えた音姫が袖へと下がり、入れ替わりに一人の男性が舞台へ立つ。歳の頃は七十近い白髪のお爺さんだ。

    「ぇ~、皆さんはそれぞれに『月奏祭』の準備へと戻ってください。今年も良い祭りになることを願っていますよ」

     間延びした包容力のある声でマイクを通して宣言される。
     そう。今舞台上に立っている老爺こそがこの村の村長だ。
     彼の声に男たちの野太い叫び声が響き渡る。
     隣のゆかりも楽しそうに片手を突き上げていたが、沖成はただ老爺をじっと見つめていたのだった。


    *   *   *


     沖成とゆかりは一度家へと戻り服装を改める。早くに着替え終えた沖成は家の外でゆかりを待っていた。
     数分すると玄関が音を立てて開かれる。そこに立っていた華やかな衣服に沖成は思わず息を飲んだ。
     濃い紫色の浴衣に薄紫色の帯。柄は丸い月と切れ長の雲、そして所々に兎をあしらった清楚で涼しげな和服姿。いつも顔の横で髪を止めている留め具は桃色の待宵草を模した髪留めに変わっていた。

    「…………沖成?」

     可愛らしく首を傾げて尋ねるゆかりの声に我に返る。

    「いや……すごく似合っててびっくりした」

     素直な感想にゆかりは薄く頬を染める。

    「沖成も、よく似合ってるよ?」

     言われて自分の姿を改めて見る。
     紺色の甚平に村全体で着る祭り用の法被を羽織っている。毎年のことなので特に変わった衣装を持たない上に、少しよれている。が、どうやらそんな着慣れた衣服が彼女の目には似合っていると映ったらしい。
     ゆかりの言葉に笑顔を浮かべて二人で歩き出す。足元からは下駄のカランコロンという軽快な音が鳴り響いていた。
     しばらく歩いて二人は音姫の家へと辿り着く。声を掛けると中から足音が返ってきた。間を開けず玄関が開かれる。
     視界に飛び込んできたのは淑やかな和装に身を包んだ音姫だった。
     白地に赤い撫子の花。帯も鮮やかな赤色で締めていた。いつもはおろしている長い黒髪を頭の後ろで纏め、簪を差している。
     黒い髪に白い浴衣、赤い帯。その装いは言葉通りの大和撫子を形で表しているようだった。

    「ごめん、お待たせ……ってなに固まってんの?」
    「……その、いつもと違うから」
    「んー……。あ、これかも」

     毎年彼女の浴衣姿は見ている。けれど今年はどこか違う気がして言葉にすると、音姫は少し考えて自分の髪を指差した。

    「纏めてみたからそれかも」

     その言葉でようやく思い出す。去年までの彼女の浴衣姿は髪を下ろしていた。それが後ろで纏めているから違和感を感じたのだ。

    「どう?」
    「うん、似合ってるよ、とても」

     くるりとその場で回る音姫。仕草に浴衣の裾がふわりと靡き、白いうなじが目に焼き付いた。
     思ったことを素直に。ゆかりの時同様飾らない言葉で感想を述べると彼女は満足したように笑ってそれから横へと並び立った。
     三人で歩き屋台へ向かう道中、それまで静かだったゆかりが声を掛ける。

    「……沖成」
    「うん?」
    「屋台……」
    「……僕たちの?」

     尋ねると彼女は小さく首を振る。

    「祭りの屋台、見て回ってみたい」

     ゆかりの薄紫の瞳が沖成を射抜く。
     その視線を見返して、彼女の提案に沖成も心を躍らせる。

    「それじゃあ僕たちの屋台が一区切りついたら見て回ろうか」
    「うんっ」
    「じゃあ私も一緒に」

     沖成の言葉に無邪気な子供のように笑い頷くゆかり。同調してか音姫も話に乗っかり三人で言外に約束した。
     そうこうしていると三人は屋台へと辿りついた。既に沖成と音姫の親が準備に取り掛かっており、三人も慌てて加わる。
     火を熾し、調味料を確認する。
     そんな作業の中で視界の端に舞台が映り、そこに舞う音姫の姿を思い出す。

    「そうだ、神楽舞お疲れ様」
    「……綺麗だった」
    「そう? ありがと」

     思い出したが性分。先ほど言い忘れていた言葉を声にする。
     沖成の言葉に思い出したゆかりが続けて紡ぐ。ゆかりの言葉に擽ったそうに笑って音姫が答えた。

    「……手、動かせ」

     その場に唐突に割って響いたのは低い声。顔を向けるとそこには仏頂面の沖成の父親がいた。
     その不躾な物言いに思わず胸の内が熱くなる。が、どうにか後一歩のところで留まって息を吐くと、準備へと再び戻った。
     そんな様子を一瞥した沖成の父は小さく零す。

    「…………打ってくる」

     一瞬何のことかと思ったがすぐに傾きかけた陽が目に入って太鼓のことだと気がついた。
     そろそろ、始まる。
     湧き上がった高揚感で胸を満たしつつ準備の手を動かす。
     沖成の耳には次第に遠ざかる父親の足音がはっきりと残っていた。


    *   *   *


     しばらくして力強い太鼓の音色が村中に轟いた。
     空気を震わす低く重みのあるまつりの開始の合図。

    「それではぁ、これより『月奏祭』を開催したいと思います」

     重ねるように備え付けられたスピーカーから間延びした声が響き渡る。
     合わせてそこらの屋台から歓声が湧いて上がった。

    「沖成」

     背中に声がかけられ、振り向けばそこには音姫が立っていた。何事かと首を回したゆかりも近づいてきて図らず三角形を作るように集まる。

    「今年もよろしく」
    「こっちこそ」

     毎年の癖で拳を握り、突き出す。同じように音姫も小さく握ったそれを沖成のものに突き合わせた。
     呆気にとられてキョトンとしているゆかりに二人の視線が注ぐ。

    「ほら、ゆかりも」

     言葉に合わせられた拳を見てそれから自分の手を見る。上げた視界で音姫が頷く。
     ゆっくりと、噛み締めるように拳を握ったゆかりは控えめにそれをぶつけた。

    「じゃあ、頑張ろうっ」
    「おー!」
    「うんっ」

     音頭に、それぞれが思い思いの声を返す。
     三人で天に向けて手を突き上げると、誰とも知れない笑い声が響き渡った。


    *   *   *


     太鼓を打ち鳴らした父親が戻ってくると屋台が回り始める。
     外からやってきた客や、屋台を抜け出してきた子供が食べ物や娯楽を求めて道を往来する。
     やがて目の前の一本道は人の流れで埋め尽くされていった。
     一時間ほど店番をするとだんだんと足に疲労がたまってきていた。それは沖成だけではないようで屋台の下では時折誰かが足を振っている。中でもよく足を直していたのはゆかりだった。
     どうやら屋台裏との往復に歩くと鼻緒が擦れて痛いらしい。

    「ゆかり、足大丈夫?」
    「ん、平気……」
    「普通の靴みたいに足を入れすぎると痛いよ? 指に引っ掛けて音を鳴らすように歩くといいかも」

     気遣いに笑って答えるゆかりだが無理をしているように見える。
     それに気づいた音姫が横から簡単に下駄の履き方を教える。
     下駄は慣れないと足を痛める可能性がある。大抵の場合はいつも履く靴と同じようにつま先に体重をかけてしまうからだが、平衡感覚が取りづらいというのもあるだろうか。
     何にしても下駄に慣れていない様子のゆかりには少しばかり冒険が過ぎたかもしれない。

    「大丈夫?」
    「うん、多分」

     再びの懸念にゆかりは笑って答える。それでも過保護気味に気になって沖成は音姫に視線を向けた。

    「コツは教えたから意識して歩いてればその内慣れると思うよ。駄目だったら履き替えればいいし」
    「だったら少し歩いてきたらどうかしら?」

     沖成の視線に音姫が答えると横から乙姫の母親が提案を持ちかけた。

    「お客さんの数も安定してきてるし少しぐらい三人で歩き回っても大丈夫よ」

     向けられた三人の視線に笑顔でそう続ける沖成の母親。
     少し前に三人で交わした約束が脳裏を過ぎって心が浮かれるが、沖成の頭に父親の顔がちらつく。
     振り返り機嫌を伺うように尋ねる。

    「父、さん……」

     呼びかけに沖成の父は手を止めない。手元に視線を落とし忙しなく調理を進める。
     もしかして聞こえなかっただろか。そう思い次はもう少し大きな声で声をかけようとする。すると────

    「…………勝手にしろ」

     ぶっきらぼうに低く唸るような言葉が父親の口から零れた。
     一瞬何を言われたのかわからなかったが、すぐにそれが父親の言葉だと気がついて沖成は我に返る。

    「ありがと、父さん」
    「……………………」

     今度の言葉には声は返ってこなかった。けれどそれでいいと心のどこかで納得して二人に向き直る。

    「じゃあ行こう」
    「うんっ」

     沖成の言葉にゆかりが跳ねるように返事をする。足を出すと二人も並んで人ごみの中へと消えていった。


    *   *   *


    「二人は何か食べたいものある?」

     人の流れに身を任せて数分。どうにか歩くのにも慣れた様子のゆかりを気にかけつついくつかの屋台を見渡す。
     焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、焼きもろこし……。鉄板や金網の上で作られる食欲を加速させる匂いや食べ物から、カキ氷、アイスクリームなどの夏に美味しい冷し物。加えて蛍光色を放ち光る玩具やお面などの子供向けの出店に、射撃や型抜きなどの娯楽店等、幾多の種類の屋台が所狭しと軒を連ねていた。
     とりあえずまずは腹ごしらえをと思い二人に問いかける。

    「カキ氷!」
    「…………私も」

     溌剌とした返事は音姫のもの。続けて遠慮がちにゆかりも同じものを上げた。
     確かに人と屋台の熱気で随分と辺りの温度が高くなっていて汗すら見える。クールダウンは沖成も賛成だ。
     頷いて連れ立って近くの屋台に並ぶ。店のおじさんにいちご、レモン、ブルーハワイを注文する。
     因みに余談だがブルーハワイというのは元々カクテルの名前で、中身を紐解けばブルーは着色料なのでカキ氷の味としての名前に意味はなかったりする。

    「へいおまち!」

     おじさんの差し出した器と引き換えに硬貨を三人分渡して人の波から外れる。
     近くにあった椅子に腰掛けてスプーンストローで口へ運ぶ。頭を突き刺すような鋭い冷たさに三人して目を閉じた。
     それから談笑をしながら食べ進め、沖成が食べ終えたゴミを捨てて机に戻ると音姫とゆかりが顔を見合わせて笑っていた。

    「どうしたの?」
    「沖成、舌出して」

     言われるままに舌を見せると二人はにやりと笑う。
     ようやくそこで事の真相に気がついた沖成は二人にも迫るが、示し合わせていたのかひらりとかわしてしまう。

    「何でわかっててしなきゃいけないのよ。……べぇ」
    「……黄色」
    「あっ」

     恐らくそこまで考えていなかったのであろう。いい気味とばかりに音姫があかんべえをするとその際にちろりと出た舌がシロップで染まっているのが沖成に見えた。
     指摘すると音姫が照れ隠しに軽く小突く。そんな様子を横から見ていたゆかりは小さく頬を緩ませたのだった。
     やがて人の波へ戻り村の中央に向けて歩きながら屋台を見て回る。時折興味の引かれたものに試してみたり、空腹を訴えるお腹を満足させるためいくつかの屋台で食べ物を買って食べたりと、有意義に時間を過ごしていった。
     射撃の屋台を出て次はどこへ行こうかと顔を回す。するとゆかりが何かに目を奪われたように視線を固定して後ろで立ち尽くしていた。

    「どうしたの?」
    「…………うさぎ」

     言いながら白魚のような細い指が向かいの屋台を指し示す。
     目を向ければそこにはお面の屋台があり、陳列されている中に白い兎のお面があった。

    「……買う?」
    「うん」

     頷くゆかりに着いて屋台によると、彼女はそのお面を購入し頭の横に着けた。

    「どう?」
    「似合ってるよ」

     頬を染めて笑うゆかり。彼女は沖成の後ろに遅れて射撃の屋台から出てくる音姫を見つけ駆け寄っていく。
     鳴り渡る下駄の音。揺れる浴衣の裾。遠ざかる背中。
     唐突に耳障りな雑踏と人の声が途切れ、不思議な空間に佇んでいるような感覚に陥る。
     そうして沖成の目に映るゆかりの姿が、彼にはなぜがとても寂しく遠くに感じたのだった。


    *   *   *


     あれから再び三人で道を歩き、気づけば村中央の櫓の真下まで辿り着いていた。太陽は山の向こうへ落ち暗くなり始めている。吊るされた提灯に明かりが点いて足元を照らしていた。
     辺りにはいつの間にかたくさんの人が集いそれぞれに談笑を交わしていた。
     そんな広場の中心で、沖成は木製のそれを見上げながら胸の奥の小さ疼きに顔を顰める。
     あの場所に立って、踊りの囃子を叩けたら。それをゆかりにやらせてあげられてたら……。
     際限のない後悔が沖成を包み込んでいく。

    「そういえば沖成。ゆかりちゃんに踊り教えたの?」
    「え……? あっ」

     そんなことを考えていると横からかけられた声に思考の渦から引っ張り上げられる。我に返り冷静な頭の片隅が言葉の意味を頭で理解すると、口から声が漏れ視線はゆかりを捉えていた。
     二人からの視線を受けたゆかりは小さく首を傾げる。

    「踊り……?」

     忘れていた。うっかりに胸を刺が刺す。
     いや、今からならまだ間に合うだろうか。
     踊りの時間までもう少しあることを確認すると思考をリセットする。

    「えっと踊りっていうのは────」
    「あぁ、いたいた。沖成君。それにゆかりのお嬢さんも」

     沖成がゆかりに話し始めるのとほぼ同時、背中に嗄れた声がかけられた。
     逸る気持ちを抑えながら振り返りそこにいた人物に驚く。
     頭一つ低い背丈に白髪交じりの頭髪。優しそうな顔つきは柔和な笑顔に彩られていた。

    「村長……。えっと、どうかしましたか?」
    「早く準備をしておくれ」
    「え…………?」

     呼びかけに答えると次いで放たれた言葉に疑問符を浮かべる。
     準備? 一体何の準備をしろと?
     ゆかりも頭が追いついていないのか沖成と同様に固まっていると村長が言葉を続ける。

    「踊り囃子の準備。早く取り掛かっておくれ」
    「えっ…………と。あ、父さんにですか?」

     村長の言葉にようやく納得のいった沖成は確認を取る。
     しかしふと疑問に思う。何で自分なのだろうか。それに呼び出しなら放送を使えばいいし、何故ゆかりまで声をかける必要があるのだろうか?

    「いや、君に…………おや、お父さんから聞いてないのかね?」

     続けて放たれた言葉にますます頭が混乱する。
     整理のつかない現状に業を煮やした感情が口から迸る。

    「えっと、その。囃子の担当は父さんだから、父さんに僕が声を────」

    「叩くのは君だよ、沖成君。そしてゆかりさん」

     そんな沖成の言葉を遮るように放たれた言葉に再び固まる。

    「え? だって父さんは駄目だって……」

     納得のいかない思考が答えを求めて彷徨う。
     そんな沖成の様子を見て、村長は笑顔を崩さず語り始めた。

    「…………祭りの始まりの太鼓の時にねぇ、わたしは君のお父さんに打つ人を変えられないかと尋ねられたのだよ」

     紡がれる言葉に沖成は息を詰まらせる。

    「けれど打ち人は毎年大人がやっているしねぇ、そう簡単に変えられはしないんだ。そう言ったら君のお父さんはこう言ったよ。『踊り囃子なら毎年聞いている。沖成にだって代わりは務まる。もし何かあれば責任は全部自分が取る』とね」

     想像のできない言葉が語られ置いてけぼりを食らう中で、思考だけは先を求める。

    「それでも打ち人を当日に自分の子供に変えるなんて異例のことだよ。わたしが頭を抱えると君のお父さんはただ頭を下げ続けたんだ。『一度だけで構わない。息子とその友達に桴を握らせてくれ』とね。……そうまで言われちゃあわたしも折れるしかなかったよ」

     そこまでゆっくりと語り終えた村長は沖成の瞳をまっすぐに見つめる。

    「……沖成君、ゆかりさん。君たちはどうしたいかね?」

     問いかけにようやく自分を取り戻した沖成はゆかりへと顔を向ける。
     彼女は澄んだ紫色の瞳でそれを見つめ返す。その瞳の奥に燻る気持ちに気がついて沖成は村長へと向き直った。

    「やります。やらせてください」
    「ふむ。では早く準備に取り掛かっておくれ。そろそろ時間だよ」

     答えを聞いた村長は満足したように笑って頷き、その言葉を残して戻っていく。その背中が人に紛れて見えなくなるまで沖成はずっと見つめ続けていた。

    「沖成……沖成っ」

     二度呼ばれてようやく沖成は声に振り返る。

    「えっと…………」
    「太鼓、叩くんでしょ。早く準備に行きなさいよ」
    「…………うん」

     音姫の言葉に噛み締めるように頷いてゆかりへ向くと口を開く。

    「ゆかり」
    「沖成、どういうこと……?」

     どうやらまだ理解のできていない様子のゆかり。そんなマイペースさにくすりと笑う。

    「太鼓が叩けるんだよ」
    「あれ?」
    「うん」

     櫓の上に向ける視線に頷いて手を差し出す。

    「いこ」
    「……うん」

     そこでようやく胸に抱いていた小さな希望が叶ったことに気がついたゆかりは沖成の手を取って歩き出す。

    「沖成ー。コケるようなの叩かないでよー?」
    「わかってるー!」

     背中に掛けられる声に笑って答える。
     二人分の桴を櫓の下で受け取り、握りしめて櫓を上へ上へと登る。
     開けた視界で捉えた景色は足が竦み、胸が弾けそうになるほど高く、澄み渡っていた。
     幾度も思いを馳せた櫓の上。胸にこみ上げる感情は際限なく、そして否応なく沖成の意志を昂ぶらせた。

    「沖成、どうやって叩くの?」

     しかしそんな感慨も一瞬。大きな和太鼓に目を奪われたゆかりが食い気味に尋ねる。
     どこにいたっていつもどおりな彼女に沖成は笑って自分の桴を握ってみせる。

    「こうして、この白いところを叩いたり太鼓の縁や胴を軽く叩くんだ。あとはそれを歌に合わせるだけだよ」
    「歌……?」
    「踊りの歌だよ。多分もうすぐしたら掛かると思うけど……」

     沖成がそう言ってスピーカーに視線を向けると、ブツッという雑音の後に調子のいい音頭が流れ始める。

    「これが歌。……で、まずは僕が叩くから見てて。覚えたらそっち側から同じようにゆかりも叩いてね」

     頷くのを確認して沖成は胸の、頭の内で踊りの太鼓囃子を思い出す。
     聞きなれた曲。耳に木霊する太鼓の音。
     まるで走馬灯のように鮮明に脳裏に蘇り、それが流れる曲と重なる。

    「はっ!」

     ドンッ!!
     空気を裂いて鼓膜を震わせ腹を轟かす重厚なる響き。
     続けて面を打ち縁を鳴らす。やがて体が自然に次の動作へと移り変わっていく。
     櫓の下では踊りに集まった人が櫓を囲むように円を描き回りながら踊り始める。
     曲が三回ほど回るとゆかりがおっかなびっくりといった様子で桴を振り下ろす。最初こそ少しずれたがすぐに拍を掴んだ彼女はリズムに乗せて音を鳴り響かせ始めた。が、どうやら力を込めすぎているようで数分叩き続けると手に返る反動に腕が耐えられなくなり始める。そして叩く手が止まり太鼓の音が小さくなった。

    「ゆかり、大丈夫?」

     叩きながら問いかけると彼女は無理したように笑って答えた。

    「手、痛かったら休んでていいよ」
    「うん」

     気遣いにゆかりは素直に頷くと桴を置いて櫓から下を見下ろす。きっとそこには輪になってみんなが踊っていることだろう。
     それに彼女の希望は叶えられた。何よりの証拠に彼女は今、笑みを浮かべている。その事実に沖成も笑顔になり、音となって響き渡る。
     それからまた数分。太鼓を打ち続けていた沖成はふとゆかりの様子が先程と違うことに気がついた。
     目を閉じて耳をすませるように音に聞き入り、太鼓とは別のリズムを取る。よくよく聞いて合わせてみればそれはスピーカーから流れる曲を規則的に追っているようだった。どうやらこの陽気な曲調が気に入ったらしい。
     風にそよぐ浴衣の袖を目端に感じながら沖成は再び太鼓打ちへと戻っていく。
     そしてまた数分。沖成の腕も疲労に悲鳴を上げ始めた頃に、それは起こった。
     何の前触れもなくスピーカーからの音がプツリと途切れたのだ。
     沖成も手を止めて櫓の上から運営用のテントの方へ視線を向ける。すると。

    「皆様にお知らせです────」

     スピーカーから女性の声が鳴り響いた。全員の注目が一気に集められる。
     スピーカーから漏れたのは謝罪の言葉。どうやら再生中だったカセットテープの中の録音部分であるテープが切れてしまったようで、復旧は難しいとのことだった。
     すぐに櫓の下から不満の声が上がる。どうやらそれは酔いの回った大人たちであるらしく随分といきり立っている様子だった。
     どうやらこういった事態の想定はしていなかったようで運営側もバタバタと忙しそうに走り回っている。どうにか意思疎通を図って事態の収拾と踊りの途中終了を確認するとゆかりへと視線を向ける。
     彼女にとっては少しばかり後味の悪い祭りになってしまっただろうか。そんなことを考えながら口を開こうとしたところで、思わずそれを止めた。
     彼女は静かに月を見上げていた。随分と欠けて、細く長くなってしまった月を静かに見上げていた。
     それから静かに片手を胸へ当て、ゆっくりと瞳を閉じる。そして────

    「~~~~~♪ ~~~~~♪」

     それはまるで月の音のように澄み渡った旋律。
     奏でるのはまだ耳に残っている踊りの歌。
     けれどそれは胸躍る音頭とは異なり、ただ静かに綺麗に。そして流麗に。祭りのあとの余韻と物悲しさを思い起こさせる音のようにこの場を静めていく。
     その確かな歌声に。そこに居合わせた全ての人が足を止め仰ぎ見た。

     祭りのように勇猛で活気のある響き。

     祀りのように静謐で厳かな響き。

     奉りのように神聖で奉ずる響き。

     その全てを秘めた調べが月夜の下に奏でられる。
     誰もが心を奪われた。誰もがその音を耳に聞いた。
     たったひと時の静寂を埋めるように美麗な歌声はいつまでも響き渡る。
     その時、沖成は────────


    *   *   *


     その後、放送によって『月奏祭』の閉幕が響き渡り、それぞれに片付けを始めた。
     自分の屋台が早く片付け終わり、父親と一緒に櫓の片付けへと向かう。

    「その、父さん」
    「……………………」

     呼びかけに声は返ってこないが辺りは静かなので聞こえてはいるのだろう。

    「太鼓のこと、村長に頼んでくれてありがとう」

     感謝の言葉にも手は止めない。
     少し腹が立つけれど、今朝より少しだけ父親の胸中がわかる気がする沖成だった。
     そうこうしていると沖成の父親が別の場所から声が掛かりそちらへ向けて歩いていく。

    「沖成…………」

     その途中で立ち止まり、背中を向けたままぶっきらぼうに言葉をこぼす。

    「明日、覚悟しとけ」

     重い響きにゾクリと背筋が粟立つ。
     やはり叱られるのだろうか。そんなことを思いながら沖成は片付けを続けたのだった。


    *   *   *


     片付けは一時間ほどで終わり音姫と別れて沖成とゆかりも揃って家に戻る。
     帰りの道すがら沖成はずっとゆかりの背中を見つめ続けていた。
     家に辿り着き、玄関へと入ろうとしたところで沖成は静かに足を止めた。

    「……沖成?」

     それに気づいたゆかりが振り返り尋ねる。

    「……ちょっと散歩してくる」
    「うん」

     頷いたゆかりに心配ないよと小さく笑いかけて踵を返す。しっかりと足取りで向かった先はまだ人の熱気が残る踊りの会場だった。
     既に人も櫓もなく、冷たい風が弱く吹いていた。その中心に立って月を見上げる。
     随分と欠けて細くなった月の下。耳に残るあの旋律を思い出しながら胸の内を小さく吐き出す。

    「ゆかり」

     少女にあげた名前を呟くと心がざわざわと掻き乱される。
     不思議な響きだと思う。
     祭りが終わって、気づいてみれば彼女の周りには沢山の人がいた。それは言葉通りで、あの歌声に関するものでもある。
     沢山の人に囲まれて恥ずかしそうに笑うゆかりの姿。彼女の周りは、暖かい。
     けれどそれと同時に沖成はその光景をどこか寂しく感じる。
     別に彼女が自分のものだと自惚れていたわけではない。
     沖成は彼女を取り巻く何かが、自分とは異なっているような印象を強くしていた。
     それはもしかすると────ヒトから外れたナニカのような。
     見上げた月は細く傾き、地表を照らす。

     月の暦はもうすぐ新月を迎えようとしていた。


    *   *   *


     村から灯火が全て消えた真夜中。
     一人の少女が月光を浴びて輝いていた。
     落ちた影は不思議に揺らめき、ヒトではない何かを象っていく。
     少女の周りにはいつの間にか小さな焔が灯り、幻想的にその身を焦がす。数は、はたち。
     その内の一つが音を立てずに闇へと形を消す。


     少女はただ、静かに月を見つめていた。


    ──────────────────────────────────────────


    ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
    本篇は月兎の物語、第二回目です。
    前回と比べて随分と長く書き綴ったこと、それに付き合ってくださったであろう読者の方に心よりの感謝を。
    またとても拙く読みづらい文章ですみませんでした。
    次回はいつになるか分かりませんが、結月祭の期限内には完結をしたいと思っています。 よろしければ次回もお付き合いくだされば幸いです。
    次回は今回よりは短くなる予定…………。予定は、未定。


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