【結月祭】月の兎と盈月 -エイゲツ-【月兎の物語】
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【結月祭】月の兎と盈月 -エイゲツ-【月兎の物語】

2013-10-01 20:28


                     これは月兎の物語

    ──────────────────────────────────────────



     ゆかり。

     言葉の意味として縁や紫を表す言葉。

     人の縁は奇妙なものだ。長年連れ添ったかと思えば時にその関係をぷつりと断ち切る。
     偶然や必然と言った言葉もある。運命を大事にする者や否定する者もいる。

     そんな人の縁に色をつけるとしたら、それは一体どんな色なのだろうか。

     それはきっとその人たちにとって、ゆかりのある色。


    *   *   *


    「ゆかり、ご飯だよ」
    「はい、今行きます」

     声に答えてぼやけた思考を再起動する。自然と足が動き、食の場へと体が向かう。
     この家に居候を始めて既に半月以上。目を瞑っていても自分の部屋と玄関くらいは往復出来るようになった程慣れ親しんだ家の朝に、少女は自分の居場所へと向かう。食卓には既に全員が揃っており、あとは少女が席に着くだけだった。
     慌てたように早足で少女の席へ向かい、座ると手を合わせる。
     今日は一体どんなことがあるのだろうか。そんなことを考えながら全員で声を合わせて食事の開始を告げる挨拶を唱和したのだった。



    *   *   *



     食事を取り終えて部屋へと戻る。必要最低限のものが置かれた少し寂しい部屋。けれどここは借り物の部屋だ。何時──もしかすると明日にでもここを去る身の自分にとっては十分すぎるほどの、温かい空間。
     それだけでも身に余るというもの。今の自分には同じ屋根の下で暮らす友達と、気の合う少女がひとりいた。
     沖成という心優しい少年に、博識で淑やかな音姫という少女。
     そんな暖かい人に恵まれ、村の人々も優しく接してくれている。もしこれ以上望むものがあるとすれば、それは──

    「ゆかりー。外行くけど一緒にどう?」
    「あ、行きます」

     襖の向こう、唐突に響いた声に振り返って答える。準備を整えると家主に挨拶をして二人で家を出た。

    「……それで、どこへ向かうんですか?」

     秋に入り、山の木々が色付くこの頃。空高い白い雲が風に揺られて影を落とす。次第に高い陽が傾き始め、緩やかな日差しを差し伸ばす畦道を肩を並べて二人歩く。
     問いかけて隣を見ると、少年──沖成は背中に竹細工の大きな籠を背負っていた。

    「山だよ」
    「山……?」

     沖成の向ける視線の先にゆかりも首を回す。
     そこにあったのは厳然と佇む巨大な山。ふとその山がとなりの少年と最初に出会った場所に気がついて視線を向けた。

    「この村を囲む山にはね、沢山の果実が実るんだ。栗、茸、柿、蒲萄……。ゆかりは食べたことある?」

     沖成の言葉に首を振る。そんな様子のゆかりに沖成はひとつ笑って背中の籠を背負いなおす。

    「それじゃあ食べて驚くといいよ。採れたてはとても美味しいから」
    「はい」

     脳裏に音姫の言葉が蘇る。彼女の言っていたのはこのことだったのだろう。……しかしなぜ満面の笑みではなく噛み殺したような笑顔を浮かべていたのだろうか。美味しいものは素直に嬉しいことなのに。
     そんなことを考えながら、気づけば山の麓までたどり着いていた。
     天へ向けて聳え立つ畏怖さえ抱く存在感。隣に立つ沖成はその姿をじっと見つめ立ち尽くしていた。

    「……いかないんですか?」
    「──あぁ、うん。それじゃあ行こうか。山は景色がどこも似てるから迷わないようにね」
    「はい」

     沖成の言葉に頷いて山の中へと足を踏み入れる。早くも枯れて落ちた茶色い葉が靴の裏でかさりと音を立てた。
     ざくざくと音を鳴らして前へと進む。数分登ると突然沖成が足を止めてその場にしゃがみこんだ。
     追いついて手元を覗き込むと波打った傘のきのこが倒れた木の上に点々と生えていた。

    「ほら、しめじだよ」
    「食べられるんですか?」
    「食べられるよ。同じものを見つけたらゆかりも籠に入れてね」
    「分かりました」

     それからいくつもの種類のきのこや、毬に包まれた栗、木になった柿など道すがら沖成が口にした秋の食べ物を籠へと入れていった。
     やがて山へ入ったときは東の山の上にあった太陽が天頂から強い日差しを降り注ぐ刻へと移り変わる。
     いくら山の中とは言え長く動いていれば熱くもなればお腹も空いてくる。
     その場に響き渡った低く唸るような音に顔を向けると、斜面に腰を下ろしていた沖成が頭を掻いて笑っていた。

    「お昼にしよっか」
    「はい」

     頷いて近くに腰を下ろすと持参した水と手拭で汚れを落とし、お茶で喉を潤す。隣に座る沖成は腰の巾着から四つのおむすびを取り出し半分をゆかりへと差し出した。
     受け取って包みを開くとまだ少しだけ熱が残っていたのか白い湯気が立ち昇った。

    「それじゃ、いただきます」
    「いただきます」

     二人で小さく唱和して白いお米を頬張る。口の中に広がったのは甘酸っぱい梅の香りだった。思わず背筋を伸ばす。

    「あ、鮭だ」

     沖成の方はどうやら鮭が入っていたらしい……が、ゆかりは今それどころではなかった。口の中が梅漬けの塩の味で満たされ、無意識に腕をバタバタとさせる。

    「ゆかり、どうしたの……? もしかして梅?」

     問いかけに涙目になった顔を縦に振って意志を示す。そんな様子を笑った沖成に、ゆかりは潤んだ瞳で恨めしく睨みつけた。

    「健康にいいから」

     そう言いながら差し出されたお茶を奪うようにして取ると中身を煽って口内の酸っぱさを流しにかかる。

    「ふわぁ……」

     口から漏れた吐息には安堵と脱力が聴いて取れた。
     隣で笑う沖成を一瞥して、仕返しに彼の手元の内の一つを掠め取る。

    「……食いしん坊」

     呆気にとられた沖成だったが何が起こったのか気がついた彼は行動には移さず口だけでゆかりを追い詰める。
     彼の言葉に自分の何かを貶された気のしたゆかりは仕方なしに手にしたおむすびを沖成の方へと放り投げた。
     咄嗟のことに慌てた沖成が手を伸ばす。まるでお手玉をするように幾度かおむすびが宙を舞うと、やがて彼の膝の上に落ち着いた。

    「ゆかりー……」
    「おむすび美味しいですね」

     白々しく話題を逸らすと沖成は肩を落として呆れたように笑ったのだった。



    *   *   *



     それから再び山の幸を探し回って。気がつけば陽も随分と傾き、葉の隙間から差し込む夕日に長く伸びた影が落ちていた。
     背筋を伸ばして空を見上げる。夕焼けの山際は鮮やかな橙色に染まり、まるで燃えているように綺麗だった。
     沖成と合流して帰路へとつく。山を降りている最中に白い野うさぎが可愛らしく跳んでいる姿を見かけて二人して頬を緩ませた。
     家に帰り籠の中身を見せると沖成のお母さんは笑顔で成果を褒めてくれた。準備されていたお風呂で体の汚れを流して部屋へと戻る。
     夕日の差し込む室内は朝より少しだけ寂しさを増して見えて、急に胸が締めつけられた。
     見わたす室内にゆかりの私物はない。全ては借り物で、ここはきっと自分の居場所ではないから。
     部屋に背を向け廊下へ出る。目の前の扉に一瞬目を奪われたが、足は台所へと向かった。
     流しの前には沖成の母親がいて、忙しそうに夕食の準備をしていた。

    「お手伝いします」
    「あら、そう? それじゃあ椎茸の石突取ってもらえるかしら? この部分ね」

     指し示された部分を記憶して台所の収納から包丁を取り出しその柄をしっかりと握る。この家に来て最初の頃、沖成に呼ばれてこのまま振り返ったら青い顔をして数歩引く様を見てからは包丁の扱いには注意している。
     包丁と手を洗い水気を取ると椎茸の突起の根元──石突を切り落とす。全て切り終えて視界を回すと焜炉には汁物、炒め物があり火元の方からは焼き魚のいい匂いが漂っていた。

    「できた?」
    「はい」

     そうしていると隣から声がかかったので簡潔に答えてまな板の上を簡単に片付ける。
     沖成のお母さんは顔に笑みを浮かべて頷くと「次は……」と指示を出す。
     そうして何かをしている間は胸の内の不安が影を潜めていた。



    *   *   *



     夕食が出来上がると部屋にいる沖成を呼びに行く。視界の端に自分の部屋がちらついたが意識的に視線を逸らした。

    「沖成さん。夕食できましたよ」
    「……あぁ、うん。分かった」

     中で何かをしていたのか少しの間を空けて返答があった。何をしていたのか確認したい衝動に駆られたが襖に手をかける寸前で手を引っ込めて首を振った。

    「早く来てくださいね」

     それだけを残して台所へと戻る。皿に盛り付けをして、お椀に米をよそって。そうして食事の準備が整うとのと、沖成が自分の席に着くのはほぼ同時だった。
     エプロンを外して片付けるとゆかりも沖成の隣に腰を下ろす。

    「いただきます」

     手のひらを胸の前で合わせ少しだけ俯いて食前の挨拶を口にする。朝から沢山動いたからか、お腹は腹の音を響かせる寸前だったらしく、美味しそうな匂いを前にきゅっと締まる。
     箸とお椀を手にして目の前の膳を摘んで口に運ぶと、少しだけ胸の内が暖かくなった。
     今日の献立はお味噌汁に秋刀魚の塩焼き、きのこと野菜の炒め物に山菜ご飯だった。食事の風味を飾るのは主に沖成とゆかりが山に入って採ってきた食材だ。
     そのことに少し誇らしい気持ちになったゆかりは珍しくご飯をおかわりしていつもより沢山の料理を口へと運んだのだった。



    *   *   *



     夕食を食べ、片付けをしてお風呂に入り終えるとゆかりにとってはとても静かで心細い時間が訪れる。
     窓の外からは鈴虫の鳴く音が。室内には明かりに照らされて中空に踊る埃のような何かが。
     何も──何もない空間に外からの音と、匂いと、空気以外は踏み入ることを許されない神聖なほど静かな空間に。
     ゆかりはただひとり取り残された感覚に陥る。
     無機質で、冷徹で、静謐で、閉塞的な空気。
     息の詰まるほどに重い空間で、少女はひとり座り込んでいた。
     見上げた視界の中ではどこからか入り込んだ小さな虫が蛍光灯に向けて幾度も体当たりを繰り返している。手を伸ばすと小さな虫は指の間をするりと抜けて網戸の隙間から外の世界へと飛んでいった。
     立ち上がり静かな歩調で窓際まで行くと、微かに開いた網戸を閉めてそこから空を見上げる。
     空には半分ほど顔を覗かせた月が昇り、白銀の月光で遍く地表を照らしていた。
     じっと、じっと、見つめる。
     そうしていると胸は満たされ、空虚だった感情は少しだけ色と温度を持った気がした。
     新月を経て、月は次第に光を──力を蓄えている。…………そんな気がする。
     まるでそれは天啓のようにゆかりの感情を突き動かす。

     満月に、なれば────

     月が欠ければ心はどこまでもざわめきおちつかなくなり、月が満ちれば心のどこかが音も立てず崩れ体を離れていく。



     私は、満月の夜に────────



    *   *   *



     月は満ちて待宵の日。いつもと変わらない朝を迎えて、いつもと同じように朝食をとる。
     食事を終えて台所で洗い物をしながら隣に立つ沖成の母親に静かに声をかける。

    「……あの」
    「ん? なんだい?」

     屈託のない太陽のような笑みに後ろ髪を引かれる。思わず止まった手に気づいたのか、彼女も水を止めて真っ直ぐにこちらを向いて視線を重ねる。

    「……………………」
    「……言ってみなさい」

     沈黙にも焦燥さえ滲ませない。ただ静かにこちらの瞳を見つめて真摯に答えを待ち続ける。
     それでも口を開かないゆかりに、沖成の母親は小さく笑ってそう紡ぐ。

    「貴女はうちの家族の大切な────お客様なんだから」

     まるで心の底を覗かれたように、彼女の言葉が胸を打つ。
     それは躊躇いで。それは後ろめたさで。それは傲慢で。
     言葉では表しきれないその感情を、彼女の一言が全てを肯定し、認める。
     知っているからと。貴女は────家族ではないからと。すべての我が儘を許してくれる。

    「────今まで、ありがとうございました」

     素直な気持ち。その心の一部を吐露すると次々と言葉が溢れてきた。

    「美味しいご飯をいただいて。こんな私に優しくしてくれて。名前も……」

     脳裏にその時の景色が鮮やかに浮かぶ。
     彼は今、この場にはいない。それはとても卑怯で、自分勝手なことなのかもしれないけれど。

    「綺麗な名前も貰って……本当に、ありがとうございます」

     これはきっとけじめで、大切なことだと思うから。

    「とても楽しい時間でした。貴重な経験も沢山できて嬉しかったです」

     偽りのない本心を。

    「暖かい時間をこのままに────私は、」
    「明日だ」

     そうして、湛えた笑みで継ごうとした言葉を途中で割って入った太い声が遮った。
     声のした方に振り向くと居間に座り込んだ沖成の父親が仏頂面で縁側の方を見つめていた。

    「…………?」

     明日は満月だ。もしかするとそういう類の縁起や験担ぎにいい日なのかもしれない。
     そう思って次の言葉を飲み込んで待ってみるが、言葉は続かなかった。
     ゆかりが首を傾げると後ろから小さく含み笑いが零れた。

    「それじゃあゆかりさんが分からないでしょ」
    「…………ぅむ」
    「あの…………」
    「明日は中秋の名月でね、観月をするの。薄を飾って月見団子や里芋なんかを盛って、御酒を供えるのよ。意味合いは昔の『月奏祭』に似てるかしらね」

     少し楽しそうに話をする沖成の母親に、ゆかりは頭を巡らせる。
     つまりは小さなお祭りのようなものなのだろう。作物を添え月の神様に供え、稲穂の豊作を願う秋の祭り。

    「……強要はしないわ。貴女が決めることだもの。でも少しでも興味を持って貰えたなら一日だけ、時間を頂けないかしら?」
    「……………………」

     彼女の言葉に黙り込む。
     別に今日急いで離れなければいけないわけではない。ただ今日ならまだ──線を引ける。
     時折虚ろになる感情が、胸の内を攫っていく感覚。不意に訪れる感情的な衝動が、今ならまだ人でいられると告げている。
     きっと明日になってしまえば────明日その時になってしまえば、理性もなにも投げ出して彼にしがみついてしまう。
     きっと、笑顔で別れられないだろう。
     だからこその決断だった。悲しさを堪える為の、最善の選択だ。不幸など訪れない、誰もが平等に悲しむ別れだ。
     その境界は、今この瞬間が決める。
     悲しいのは、嫌だ。苦しいのは、嫌だ。楽しくありたい。笑顔でいたい。
     願いと想いは──相容れない。

    「わた、しは…………」

     答えないのが誰にとってもきっと一番辛い。
     息が詰まる。胸が苦しくなる。頭の中で文字になる言葉が喉から切実に溢れる。

    「明日────」

    「ただいまー」

     その時、響き渡った──聞き慣れた声に体が固まり、喉が支える。
     言わないといけない言葉が、音をなくす。

    「三方出してきたけど…………ゆかり?」

     真っ直ぐな瞳と目が合って、彼が浮かべる不安気な顔に胸が跳ねた。
     ようやく気づく。胸に抱いた感情に、湧き上がる際限のない欲求に。

     あぁ、そうか。嫌なのも、苦しいのも、楽しくありたいのも、笑顔でいたいのも。


     ────私の自己満足だ


     当たり前だ。いつも近くにいたのは、彼だ。誰よりも親身にしてくれたのは、彼だ。だから、当然だ。
     感情の天秤が片方に傾ぐ。

    「……お月見、楽しみですね」
    「そうだね」

     笑顔に彩られる少年の顔。それだけで、選択を決意できる。
     それだけで、十分だ。



     全ては彼の笑顔が見たいだけだなんて。



    *   *   *



     あれから沖成の母親との話を終えると、行き先を告げて外へと出る。
     土に汚れた靴に足を入れて、音を立てて玄関を開く。差し込んだ陽の光に少しだけ目を細めて、それからゆっくりと足を出した。
     見慣れた畦道。脳裏に重なって聞こえる足音。振り向けばそこにいる気がして、少しだけ足を止めた。
     白く見える太陽を仰いで、青い空をじっと見つめる。この青空にも星はあるそうだ。ただ太陽の光が強すぎて目に見えないらしい。
     星があるということは流れ星もあるということで……。見えない星空にイタズラに願う。

     どうかこの胸の願いを叶えてください。

     脳裏に新月の夜が蘇り、あの日に月へと望んだ夢を鮮明に思い出す。
     思えば、あの時から気持ちは決まっていたのかもしれない。
     いつ叶うかわからない先の長い希望を、先のわからない自分が願うなど何と滑稽だろうか。
     心の内でそう自嘲すると、目の前に目的地を見つけて口を開いた。

    「……音姫さん」

     偶然庭に出ていた彼女を見つける。
     呼びかけにこちらに気づいた少女は少しだけ儚い笑みを浮かべて手招きした。
     彼女は家へと上がり、中からお茶とコップを二人分持って縁側へと腰を下ろした。お茶を注ぐ音姫と盆を挟んで座ると一つ息を吐いた。

    「はいどうぞ」
    「ありとうございます」

     注がれたお茶の水面が揺れて、映る太陽を波の奥へと隠す。

    「それで……今日はどうしたの?」
    「……明日、お月見をするそうです」
    「そうだね。今年はいい月が出るから、綺麗なお月様が眺められるよ。因みにお月見は別名、芋名月って言われるね」
    「薄や団子を飾って、お酒をお供えするらしいです」
    「あとは月見を象った料理を食べたりね」

     音姫の言葉に視線を向ける。
     彼女は小さく笑って可愛らしく人差し指を立てた。
     約一ヶ月一緒に過ごして、彼女の癖もいくつかわかるようになった。例えばこうして指を立てるとき、彼女は一つ知識を披露してくれること。

    「お月見の日にはね、それに似せた料理を食べるんだよ。芋名月の名の通り里芋を衣(きぬ)かつぎにして食べたり、うどんや蕎麦に海苔……なかったらとろろ昆布とかワカメとかを入れて、生卵を落として食べるの。卵の黄身を月、白身を雲。海苔やとろろ昆布は月の光に浮かぶ山を見立てたものなんだよ」

     そうして知識を披露する音姫の姿はいつも流麗で淑やかで秀麗だった。

    「あとは『ちゅうしゅうのめいげつ』って聞きました」
    「あぁ、それね」

     音姫はゆかりの言葉に頷きながら目を閉じて探し物を探すように思案する。

    「観月……お月見はね、元々別の国の行事だったの。それを昔の人が真似してこの国にも広がったの。昔の人はそのお月見をする日を『中秋の名月』って言ったんだよ。字は、こう……」

     そう言って近くにあった紙と鉛筆で字を書いてみせる。その隣に端正に整った字で似たような文字列をもう一つ書く。

    「それに倣って今でもお月見の日は『中秋の名月』っていわれてるよね。で、ここが少し難しいところなんだけど、今の暦と昔の暦って少し違うの。昔の暦は朔望月……月の満ち欠けによる太陰暦を少しだけ変えた太陰太陽暦って言う種類の中の暦を使ってたの」
    「月…………」

     そう零すと幾つかの行事を音姫も思い浮かべたのか小さく笑顔を見せた。

    「それで、その旧暦の中で『ちゅうしゅう』って呼ばれる秋の時期があるの。それが今の月、一つ前、一つ後の月の頃のことなんだよ。その三つを前から順に『孟秋』、『仲秋』、『季秋』って呼んだの。その内真ん中の月である『仲秋』が今のこの時期のことで、こっちの字だね」

     そう言って紙に書いた字のうち、少しだけ難しい方を指す。
     少し頭が混乱して下を俯く。
     理解をする時間をくれるためか音姫は頷いて一度口を閉ざした。彼女の好意に甘えて理解のし難い魔法の呪文のような言葉を簡単にして頭の中で整理する。
     つまりはこういうことだろう。昔の秋に三つの月があって、その真ん中の月を『仲秋』といい、『仲秋』の中のお月見をする日のことを『中秋』という。
     難解な問題を解くように時間を掛けて整理し終えると音姫のほうへと向き直る。これ以上難しいことを一度に重ねられたら覚えきれる自身はなかったが、想像に反して彼女の口から漏れたのは溜息のような言葉だった。

    「よく字を間違えてる人がいるんだけど『仲秋の名月』だとその月の間ずっとお月見をすることになっちゃうんだよね。そんなに美味しいものを毎日食べてたら太っちゃうよ……。お月見の日は『中秋の名月』だけでいいよねぇ……」

     そう言って苦笑いを浮かべる音姫。それと同じ笑みをいつか見た気がして、思い出す。そういえば秋は美味しいものが沢山あると言っていた時も同じ顔をしていたのだ。

    「音姫さんは、太るのは嫌ですか?」
    「そうだねー。ゆかりちゃんも嫌でしょ? お腹が太くなって動きにくくなっちゃうし、綺麗には見えないし」
    「……それは、嫌です」

     真顔で答えると音姫は吹き出して笑う。
     彼女の笑みにゆかりも相好を崩すと少しの間二人して一緒に笑い続けた。



    *   *   *



     「…………それで、今日はどうしたの?」

     あれから少しばかり雑談に花を咲かせて。気づけば太陽は真上に昇る頃、少しの沈黙を挟んだあと音姫は初めて会った時と変わらない調子でそう尋ねた。
     その言葉は、ここへ来た時にされたものと全く同じ。忌避と興味を綯交ぜにしたような聞く側の姿勢。
     音姫の理知的な青い瞳がゆかりのそれを射抜き、言外に語りかける。

    「…………ここを、発つことにしました」
    「ん」
    「音姫さんにも、沢山迷惑をお掛けしてすみませんでした」

     俯いたまま紡がれる言葉に隣の音姫は小さく相槌だけを打つ。

    「でも……ここは私の居るべき場所ではありませんから」

     その言葉に二人して黙り込む。ここまで来て未練があるのは仕方がない。そうなるまで思い出を積み重ね、過ごすのを良しとしたのは誰でもない、ゆかりなのだ。それは彼女の小さな罪でもある。

    「……沖成にはもう言ったの?」
    「…………っ」

     音姫の言葉に心臓を冷たい手で鷲掴みにされたように体を強ばらせる。
     言葉にしなくともその返答が音姫には伝わったのか彼女は小さく笑った。

    「違うの。別に、ゆかりちゃんを責めようとかそういうのじゃなくてね……。沖成にも責任があって、それを全うしようとする彼なりの気持ちがあるからね」

     音姫の言わんとしていることはわかる。だからこそ、彼への言葉に嘘を交えたくはない。……もしかするとその為にこうして音姫のところを訪れたのかもしれない。

    「ゆかりちゃんは、さ……。楽しかった?」
    「………………はい」
    「『月奏祭』に参加してさ、屋台をやって、色々なものを食べて、遊んで。踊りは一緒に踊れなかったけど、太鼓を叩いて……それで────」

     脳裏に、あの時の景色が鮮明に思い浮かぶ。
     欠けた月夜の下。鳴り渡る祭囃子。鼻腔を擽る炭の匂い。人の温もり。風の心地よさ。笑顔、笑顔、笑顔────
     一転して途切れた音。掛かる暗雲。起きた騒動。
     あのとき、私はただ楽しかった。嬉しかった。悲しかった。哀しかった。
     楽しい時間が過ぎ去るのが、終わってしまうのが。整った舞台が崩れるのが、沖成の……顔が。
     感情に任せた行動だったあの歌も、今思えば一つの思い出だ。
     楽しさを、寂しさを。あの一瞬を永遠に刻み込むために、何かを……私を──「ゆかり」を残すために。
     結果、終わったあとに少しだけ持て囃されたのも……そこに割って入ってくれた沖成も。すべてが夢のように鮮やかで透明で、綺麗だった。

    「新月は、星が綺麗だったね。ゆかりちゃんはあの時、空を見た?」
    「……はい」

     目を閉じると今でも鮮やかに思い出すことができる。
     まるで童話の世界のように夢の時間だった。
     心が澄んで、空気が凪いで。隣には大切な人がいて。あの時間が今も続いていればと幾度も想像を馳せた。
     同時に寂しくもあった。刻まれる時間が時計の針の音のように響いて、心を蝕み。見えない月が心の内の焦燥を掻き立てた。
     だから願ってしまったのだろうか。
     叶うはずのない願いを。儚く脆い一筋の希望を。
     願えば、想えば。その分だけ胸がキリキリと締め付けられる。

    「あの頃からだったっけ……。ゆかりちゃんが敬語を使い始めたのは」

     問い詰めるように、追い詰めるように。けれど優しく解きほぐすように。音姫の言葉が胸に染み渡る。
     どちらが本当の自分なのだろうかと時々思う。けれどそれも全て自分の一部なのだろう。
     心を絵にしたら、平面の生き物なんていない。色々な一面を持っていて、その中心にその生き物を成すものがある。
     月と同じで、裏側まで全部知るのは難しい。
     けれどそれでいいと思う。

    「最初はびっくりしたけど。でもそれもゆかりちゃんらしいなって、今は思うんだ」

     音姫が笑顔を向けて紡ぐ。 

    「わたしは、ゆかりちゃんが、好きだから」
    「私も、音姫さんが、大好きです」

     気づけば笑い合っていた。
     涙を隠すためなのかもしれない。心の底からの笑顔なのかもしれない。悲しみを見せないためかもしれない。
     どれでもいい。どうだって構わない。
     この気持ちに偽りはないのだから。
     だからこの言葉も真実だ。心の底からの、嘘も偽りもない、彼女へ捧げる感謝の気持ち。

    「いままで、ありがとうございました」



    *   *   *



     家に帰ると準備の整った食卓に全員が座って待っていた。
     慌てて手を洗い準備を済ませると席に着き手を合わせる。
     いつもと変わらない挨拶に少しだけ懐かしさを感じながらゆかりは昼食を食べ始めた。
     食欲はいつも通りで、喉も通る。どうやら音姫との会話で少しだけ胸の支えが取れたようだった。
     食べ終えて、食器を片付けると部屋に戻る。
     何もない簡素で寂しい部屋。この部屋とももうそろそろお別れだ。
     そんなことを考えながら持って出る荷物を確認する。
     と、そこでここへ来たときは何も持っていなかったのだと思い出す。増えたものは思い出とうさぎのお面だけ。
     手に取って顔に着けると視界が小さくなって少しだけ慌てた。

    「……ゆかり、今いい?」

     響いた声は襖の向こうから。
     そういえばあの新月の夜以降、沖成はまたこの部屋の敷居を跨ぐようになったのだ。と言っても最初の頃みたいに無用心にではなくしっかりと確認を取った上でなのだが。

    「はい、大丈夫ですよ」

     反射的に答えて、気づく。お面を被ったままだ。
     しかし沖成は待ってはくれない。襖は引かれ、お面姿のゆかりとご対面。

    「…………えっと、ゆかり……?」
    「いえ、その、これはっ……」

     お面を取ればいいだけのこと。しかし何を思ったかゆかりは被ったまま手をわたわたと振って言い訳を試みる。

    「たまたま目についたので出来心というか、なんというか……」
    「お面、取ったら?」

     言われてようやく気づく。謎のジェスチャーをしたまま数秒固まって、それからお面を取り外そうと手を伸ばす。
     そこで、思い至る。
     ここで外せば沖成に自分の顔が見えるわけで、そうするとおそらく赤面しているであろう表情が映るわけで──

    「……このままで大丈夫です」
    「本当に?」
    「大丈夫ですっ」

     語気強めにそう言ってのけると沖成は少し気圧されたように頷いて口を開いた。

    「え、えっと……。ゆかりは明日のこと聞いてる?」
    「……お月見のことですか?」
    「んと、それもなんだけど。お月見には月見団子が必要なんだよ」
    「団子、ですか?」

     小さく首をかしげる。すると何故か沖成は唐突に吹き出した。

    「……? 沖成さん?」

     追随するように再び尋ねると沖成は手を伸ばして制止を促した。

    「ま、待って……ゆかり。お面はっ、やっぱり、は、はず……ぷっ!」

     どうやらうさぎのお面で真面目に会話をするこの光景が面白おかしく映ったらしい。
     確かに客観視してみれば奇怪な風景だろう。
     仕方なしにゆかりはお面を外して置く。顔の赤面は途中で引いていたので問題はなかった。
     それでもしばらくは思い出し笑いを繰り返していたので、つられて幾度かゆかりも顔を綻ばせた。

    「……で、えっと、何の話だったっけ?」

     数分後、目尻に涙を浮かべて笑いの迷宮から返ってきた沖成がそう尋ねる。どうやら相当だったらしい。

    「月見団子が必要だという話だったと思いますけど」
    「あぁ、そうだ。……それで、ゆかりは聞いてた?」
    「いえ。お月見をするということは聞いてましたが」
    「そっか。その団子作り、ゆかりもやってみたい?」

     彼の提案に少しだけ考え込む。彼が勧めるということは素人でも可能なものいうことだろう。
     それにゆかりはおそらく断れない。それはきっとその誘いが沖成のものだから。どう答えればどういった反応を見せるのかがある程度予測できてしまうから。
     今見たいのは、彼の笑顔。悲しみは、いらない。
     その気持ちと同様に胸に衝動が湧いて上がる。
     興味がある。出来ることならやってみたい。好奇心。向上心。
     そういった感情が胸を埋める。

    「……はい。やり方を、教えてもらえますか?」
    「分かった」

     想像通りに、沖成は顔に花を咲かせる。
     その笑顔を見れるだけで、ゆかりはこの選択を受け入れることができた。



    *   *   *



     一通りの説明を聞き終え、雑談をしていると陽は傾き窓から差し込む光が弱くなっていることに気がついた。
     そろそろ夕食の準備を始める頃だろう。そう思って沖成との話を一旦切ると台所へと向かう。
     少しよれたエプロンを着けて手を洗うと半分に切られた人参がまな板の上に置かれた。

    「短冊切りにお願いできるかしら」
    「分かりました」

     笑顔で答えて包丁を取り皮を剥き始める。
     しばらく静かに料理をしていたが、自分の仕事が終わったのか沖成の母親は一息吐いてゆかりに話しかけてきた。

    「沖成から話は聞いた?」
    「はい。今から楽しみです」

     月見の返答は今朝、音姫の家に向かう前にしてある。その上で起こるであろう別れの悲しさも覚悟し終えた。

    「明日の準備は色々あるからゆかりさんも手伝ってくださいね」
    「分かりました」

     話をしながらの調理も今となっては慣れたものだ。過去に一度怪我をした時は沖成が大袈裟に慌ててこれまた一騒動あったりもしたなぁとふと思い返す。

    「……でもよかったの?」
    「…………はい。もう、決めたことですから」
    「そう」

     問いかけに胸の内で改めて反芻し決意する。返答に彼女は小さく笑って短く零した。
     それからしばらくして夕食も出来上がり、沖成を呼んで全員揃っての夕食を食べた。
     食べ終えるといつも通り片づけをして部屋へと戻る。と、襖の前で足を止めて方向を百八十度変える。
     目の前には同じ模様の扉。けれどこの先は沖成の部屋だ。

    「…………沖成さん、少しいいですか?」
    「うん、いいよ」
    「失礼します」

     断りを入れて戸を開け部屋へと入る。
     机に座っている沖成の横顔は何か考えていたのか、少しだけ難しい顔をしていた。

    「どうしたの?」

     しかし直ぐにいつもの顔に戻ってそう尋ねてくる沖成にゆかりは浮かんだ懸念を振り払った。
     先ほど頭に浮かんだ言葉を声にしようとする。すると唐突に胸の鼓動が激しさを増した。口の中がからりと乾き、喉が縛られたように声が出なくなる。
     握った手に汗が滲んでいて、緊張しているのだということに今更気がついた。
     けれど長々と沈黙していたのでは沖成も不思議に思う。

    「………………その、少し外を歩きませんか?」
    「うん、いいよ。じゃあ準備するから先に行っててくれるかな?」
    「……はい」

     頷いて部屋を出る。玄関まで行くと小さく自分の頭を小突いた。
     どうしてあの場で言い出さなかったのだろうか。そのつもりだったのに……。
     胸の鼓動はまだ収まらない。彼が来るまでにいつも通りを装わなければ。
     思えば思うほど緊張の糸は張り詰めていく。呼吸が苦しくなり胸の前で拳を握って俯く。

    「ごめん、お待たせ」
    「あ、はぃっ。……い、行きましょうか」
    「う、うん」

     背中に掛けられた声。
     突然の──思考外のことに思わず上擦った声が溢れて咄嗟に口を覆ってしまった。しかし止まっていては何も始まらない。
     視線を逸らしながら逃げるように玄関を出る。頬を撫でた温い風に少しだけ驚いて頭の上のフードを深く被った。
     やがて隣に沖成が並んで、二人で歩き出す。
     こうして歩くのはあの新月の夜以降初めてだ。機嫌を伺うように隣を覗き見ると同様にこちらを見ていた沖成と目が合って慌てて目を逸らす。
     顔が熱を持ち、心がざわめく。暗闇とフードのお陰で今の表情を見られないで済むことに少しだけ安堵した自分がいた。
     宛てもなく彷徨うように畦道を歩き回る。見上げた空からはほんの少しだけ足りない月が地上を見下ろしていた。

    「……何か、あったの?」

     隣からの声に小さく息を飲む。
     足を止めると数歩先で沖成が振り向いた。
     胸が苦しくなる。切ないほどに疼く。

    「そ、の……」

     苦しい呼吸がその先を歩ませまい制止をかける。
     言わないと……言わないと、悲しさが溢れてしまう。

    「…………楽しかったね」

     それは叫ぶように堰を切ろうとした言葉が紡がれるほんの数瞬前。
     いつの間にか俯いていた視界を上げると、そこには笑顔で佇む沖成の姿があった。

    「最初に会ったのはあの山の麓だったね」

     そう言って視線を向ける。つられてそちらに向くと雄大に聳え立つ色の疎らな山が鎮座していた。

    「あの時はびっくりしたよ。見たことのない服装に、綺麗な顔立ちで立っている姿が目に付いたときは思わず見とれちゃった」

     少し恥ずかしそうに語る彼の言葉にゆかりも思わず頬を染める。

    「それからうちに来て、一緒に色々なことをして、『月奏祭』にも一緒に参加して……。ゆかりと一緒だとね、色々なことが初めてのことみたいに楽しくて、嬉しかった」

     そうして浮かべる笑顔は今までに見たことないくらい優しく、そして儚かった。

    「太鼓を一緒に叩いて、突然の問題もゆかりがいつの間にか解決しちゃって。あの時に聞いた歌がね、今でも耳元に残ってるんだ」

     それはまるで走馬灯のように。記憶の欠片が次々と思い起こされ去来していく。

    「新月の日にはこうして一緒に外に出てお願い事もしたよね。いつ叶うかわからないけど、それでもいつか叶うって信じてるんだ」

     純粋な瞳が月の光を受けて煌く。誰よりも真っ直ぐで曇りのない視線がゆっくりとゆかりを射抜く。

    「だからゆかりのことも信じてる」

     その言葉に、胸に張り詰めていた緊張が次第に解けていく。やがてゆかりの感情は水面のように静かに落ち着いていった。
     今なら、言葉に出来る気がする。

    「あのね、沖成さん」

     どこか不安定な口調。けれどそれが積み重ねてきた自分なのだと納得することができた。

    「私、明日ここを離れようと思うんです」

     そうして紡いだ言葉に、沖成は静かに視線だけを返していた。

    「もう時間だから。これ以上いたらきっとみんなが悲しむことになるから。だから明日、ここを離れようと思います」
    「……わかった」

     静かな宣言の言葉に沖成はそう短く呟いた。

    「だったら、今日持ってきて正解だったね」
    「…………?」

     それから続けて再び笑顔を見せた沖成がポケットから何かを取り出す。
     広げた手のひらで差し出されたのは月の光を反射する小さな装身具だった。
     大きさは手のひらより少し小さいくらい。大小二つの丸をつなげて、それぞれの真ん中に桃色の透き通ったガラス玉をはめ込んだような可愛らしい小物。
     まるでそれはこの星と空に浮かぶ月を模したように感じた。

    「……これは?」
    「髪飾りだよ。ゆかりに似合うと思って。いつ渡そうかこの一週間ずっと悩んでた」

     脳裏に家を出る前の彼の横顔が過ぎる。

    「私のために、ですか……?」
    「村の外の店に頼んで作って貰ったんだ。似合うといいんだけど」

     差し出された髪飾りを静かに受け取ってフードを外す。
     吹いた風に顔の横の二房の髪束がゆらりと揺れた。
     頭の左側にパチリと音が響いて髪飾りが止まる。

    「……どう、ですか?」
    「よく似合ってるよ」

     彼の言葉に自然と笑みが浮かんだ。

    「ありがとうございます、沖成さん」
    「どういたしまして」

     笑いながら差し出された手を取って横に並んで歩き出す。
     残り少ない時間。過ごし方は限られている。けれどその時間が今は待ち遠しくもあった。

    「あと一日ですね」
    「そうだね」

     月の暦は、明日で満月を迎える。



    *   *   *



     眩しいほどの月の光が少女の体を照らす。
     頭に着けた可憐な髪飾りが小さく光を反射して輝いていた。
     そのガラス玉の表面にいくつもの火の明かりが映り込む。数は、ふたつ。
     音もなく燃え上がった火の玉の内一つが、音もなく散って消える。



     少女はただ、恋焦がれるように足りない月に見入っていた。



    ──────────────────────────────────────────



    ここまで長々とお付き合い頂きありがとうございました。
    本篇は月兎の物語、第四回目です。
    この物語を書き始めてそろそろ一ヶ月ほどが経とうとしています。書き始めた頃はあるのはプロットだけという何とも先行き不安な物語でしたが、とうとう次回で最終話となります。
    よろしければ最後まで一緒にお付き合いいただけると幸いです。


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