【結月祭】月の兎と望月 -モチヅキ-【月兎の物語】
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【結月祭】月の兎と望月 -モチヅキ-【月兎の物語】

2013-10-04 10:59


                     これは月兎の物語

    ──────────────────────────────────────────



     月と人との縁の物語。

     これにて一つ結びとしましょう。



    *   *   *



     少女が朝起きるといつもより少しだけ賑やかな空気に包まれていた。
     まだぼぅっとする頭がゆっくりと起動していく中で耳が次第に音を拾い始める。遠くに聞きなれた少年の声を捉えてぼやけた視界が焦点を結んだ。
     慣れた手つきで布団をたたみ、今日ばかりは部屋の隅にまとめて片付ける。
     貸し与えられた寝巻きからいつもの薄紫色のワンピースと同系色のパーカーに着替え、昨夜少年から貰った髪飾りを頭に着ける。
     今夜は満月。残された時間はあと少しだけだ。
     そう改めて反芻すると立ち上がり、部屋を出る。
     一ヶ月過ごした部屋を後にする。
     胸には僅かばかりの寂しさが芽生えていた。



    *   *   *



     家の庭で用事をしていた沖成が中に戻ると台所にゆかりが一人立っていた。
     慣れた手つきで調理をこなし、朝食の準備をしていく後ろ姿をじっと見つめる。

    「あ、沖成さん。おはようございます。外はもういいんですか?」
    「うん。確認だけだったしね」
    「そうですか」

     こちらに気がついたゆかりが振り返り尋ねる。問いかけに何気なく答えると、彼女は再び朝食の調理へと戻った。
     沖成も洗面所に手を洗いに向かう。鏡に向かうと自分の顔が少しだけにやけている事に気がついた。
     さきほど彼女がこちらを振り返った際に、彼女が髪飾りをつけているのが見えたのだ。
     まさかここまで嬉しいことだとは思わなかった。しかし、あまりニヤニヤと薄気味悪い笑顔を浮かべて彼女に気味悪がられでもしたら少しばかり塞ぎがちになる自信がある。
     手に溜まった水を一度顔に被ってそれから一度落ち着きを取り戻す。
     顔を拭いて食卓に戻ると父親と母親も既に家の中に戻ってきていた。
     やがて用意が整い、手を合わせて挨拶を唱和する。

    「いただきます」

     この挨拶もあと二度。それを終えれば彼女とは別れることになる。
     そんなことを考えながら箸を手に取り朝食を味わった。



    *   *   *



     朝のうちはそれぞれに仕事をこなす。沖成とゆかりは母親に着いて畑に向かい農作業へと取り掛かった。
     畑には多数の野菜が並んで育っており、夏に旬を迎える野菜もまだいくつか残って実をつけていた。
     その畑の一角。盛られた土の畝のある場所に、三人は円匙(えんし)を持って立っていた。足元には鎌がひとつ転がっている。
     円匙とはいわゆるショベルのことで特に足をかける部分があるものをショベル、ないものをスコップという。どうでもいい余談ではあるが。
     緩やかになってきた日差しの下、沖成の母親が座り込んで円匙を畝へ突き立てる。

    「まずは藁をどけて、その次に少し外側を片方だけ掘る。できたら逆側から下に差し込んで、穴の方に倒す。転がすように倒したら綺麗に収穫できるから」

     説明にゆかりが頷き沖成も茎の切られたそれに近づいてしゃがみこんだ。

    「とりあえずさっき茎の切ったものは全部掘り出していいから」
    「わかった」

     そうして始まる、里芋の収穫。
     芋名月でもある月見にはこの畑で獲れた里芋も一緒に供えるのだ。野菜は総じて鮮度が命。神様に捧げるものなら新鮮な方がいいだろう。
     三人で黙々と行うと一時間もしないうちに作業は終了した。
     芋を持って帰りそのまま新聞紙に包んで常温で放置する。里芋は土の中という一年を通してほとんど温度の変わらない暖かい場所で採れるため冷えた場所に置くと痛んでしまうからだ。また土を落とすのも品質の劣化に繋がるため注意だ。
     作業を終えて手を洗っていると父親が薄などの秋の七草を担いで家へと戻ってきた。屈強な男が草花を肩に担ぐ絵というのは何ともちぐはぐで沖成は思わず笑いそうになった。
     そうして朝の内は準備をし、午後からは音姫の家も合流して団子作りに入る。
     うるち米ともち米を混ぜて作る米粉に水を加え耳たぶほどの固さになるまで捏ねたあと十五個に分けて成形する。
     月見団子は十五夜にちなんで一盛十五個だ。簡略化したものは五つ。一年の月の数に合わせる時は十二個、閏年は十三個。また、十三夜のお月見は十三個の月見団子を飾る。団子の大きさは一寸五分が縁起がいいとされている。
     団子が出来上がると沸騰したお湯で二、三分茹でて浮かんだところを冷水にさらす。最後に氷水から上げて団扇等であおげば表面がテカテカと反射するほど綺麗に仕上がる。あとはお好みで葛餡や餡子を塗って召し上がれというわけだ。
     団子を作り終わると一旦休憩だ。陽の傾いて段々と気温が低くなっていく中、沖成、ゆかり、音姫は縁側に座って惚けていた。
     視界に映る太陽が赤さを増し、山が茜色に染まる。蜻蛉が隣に置かれた薄に止まっても誰も反応はしなかった。
     静かな時間。三人で過ごせる時間は残り少ないのに、それでもこうしている時間は何か尊い……何物にも代え難い時間に感じた。
     やがて隣からぽつりと声が響く。そちらを見ればゆかりがいつもと変わらない紫色の瞳でこちらを見つめていた。

    「そういえば、どうして団子なんですか?」
    「……どういうこと?」
    「えっと……お月見は満月を見ることですよね。月にはお餅を搗くうさぎの模様があって、山の神様でもあるうさぎに豊穣のお願いをすると……」

     最初の頃と比べると難しい言葉も随分と慣れた様子で口にするゆかり。その調べはどこか歌にも似ている気がしてずっと聴いていたい衝動に駆られる。

    「ウサギが搗くのはお餅なのにどうして団子をお供えするんですか?」

     彼女が口にした疑問は確かに言葉にしてみれば妙な話だ。なぜ餅ではなく団子なのだろうか。
     気になった沖成は首を反対へ回す。そこに座る音姫に視線で問いかけると彼女は薄く笑った。

    「……わたしが何でも知ってると思ったら大間違いだよ。…………まぁ今回は私も知ってたけど」

     最初の言葉にどきりとしたがどうやら少しふざけただけらしかった。
     小さく笑いを漏らしたあと音姫が人差し指を立ててくるくると回しながら説明をはじめる。

    「色々あるんだよねぇ、芋名月だから団子と餡子で里芋に見立てたとか、月と同じように丸いもので想像したものが団子だったとか、元となった行事で月餅(げっぺい)って呼ばれるお菓子が奉られていてそれを模したとか。……けどわたしが一番信じてるのは……餅で作れなかったらただと思う」
    「作れなかった?」

     沖成がオウム返しをすると音姫は頷いて続ける。

    「えっとね、この話を沖成が知らないのはどうかと思うんだけど、今の時期にお米って収穫できると思う?」
    「どうなんだろ、早いところはもうそろそろ収穫が始まると思うけど……」
    「そういう農家目線じゃなくて、一般的に」
    「……まぁ普通はもう少しあとだよね」

     通常稲の収穫はもう一つ先の月で、今この月に米の甘みが増すからだ。

    「ゆかりには昨日話をしたんだけど、お月見って元々この国の行事じゃなかったり、今と時期がずれてたりしたんだよね。実際はもう一つ前の月の行事だったの。月にうさぎがいて地上の人たちが食に困らないように餅を搗いてる。そしてその感謝に餅を捧げて、同時に豊作を祈願しようとした人達はそこでふと困ったの。その頃の暦だと稲穂はまだ青いし、前の年に取った米も殆ど残ってない。だったらどうしよっかって」

     音姫の話に吸い込まれ、頭の中に鮮明な景色が浮かび上がる。

    「そこで昔の人は同じ白色をしていて、似通った団子をお供えしようと決めたの。それが後に継がれていって、暦が変わり時期がずれて里芋の獲れる季節と重なったから芋名月なんていう別名が後からついた……。それからどこかで団子に餡子を掛けて里芋に見立てたりするようになったんじゃないかなってわたしは思うの。そうして尾ひれがつく形で里芋の料理や月見に見立てたうどんや蕎麦が作られたんじゃないかな」

     気づけば居間にいた大人たちも音姫の言葉に聞き入っていた。
     過去の人たちの積み重ねたものが今にもこうして伝わっていることに少しだけ感銘を覚える。
     秋の夜長に昇る満月を眺める観月。毎年美味しいものを食べて風流に月を眺めるだけだった行事が、沖成の中で色を変える。
     今年のお月見はゆかりも一緒で、初めてなことばかりだ。
     けれど沖成はそのことが嬉しくもあり新鮮で、そしてまっすぐにお月見をできる気がした。


                    *   *   *


     太陽が山の向こうに落ちると月が東の山の向こう側からゆっくりと昇ってくる。
     それに合わせて夕食を用意し七人で談笑しながら食べた。献立は例年通り月見うどんと月見団子、衣(きぬ)かつぎで旬と月を同時に味わった。因みに衣かつぎとは里芋の端に一周切れ目を入れて蒸し、出来上がったものの中央を押して皮を剥いた、小さな松茸のような外観の食べ物だ。名前の由来は昔女性が着ていた衣装を準えたものだ。もちろんこれも観月の供え物として奉る。
     夕食を食べ終えると用意しておいた三方と呼ばれる神饌を載せる台に奉書紙を敷いて、その上に下から九つ、四つ、二つと三段にして団子を盛り、秋の七草を飾る。
     秋の七草は女郎花(おみなえし)、尾花(おばな)、桔梗(ききょう)、撫子(なでしこ)、藤袴(ふじばかま)、葛(くず)、萩(はぎ)の七種類で、尾花は薄のことを指す。
     団子の神饌の隣には衣かつぎも同様に奉る。
     と、そこで音姫の父親が持参した日本酒を飾るというので急遽徳利を用意して注ぎ、衣かつぎの反対側に飾った。
     日本酒の登場に興味をもったゆかりとの間に少しだけ騒動があったが、どうにか言い抑えてお月見を始めた。
     とは言っても特にこれといってすることはない。ただ風流に月を眺め、夜長を過ごすだけだ。
     大人たちはしばらくして用意したお酒で酌を始める。
     未成年である沖成と音姫は酒の匂いにあてられながら静かに月を眺めていた。

    「お願い……」

     ぽつりとゆかりが零す。その言葉に三人は同じ景色を思い浮かべ、その時願った希望を各々の胸に抱く。

    「叶うと、いいですね」
    「……ゆかりは、叶いそう?」
    「…………どうでしょうか」

     笑ってそう紡ぐゆかり。過ぎった寂しさを塗りつぶすように暖かい何かが胸を満たして笑顔を浮かべた。

    「叶うよ、きっと…………」

     音姫の言葉に静かに頷いて沖成は一人目を閉じる。鈴虫の鳴き声、薄の揺れる音。隣に座る二人の呼吸の音さえもその耳に刻み込む。
     いつまでもこうしていられたなら、それはどんなに幸せなことだろうか。それとも変わらないからこそ、不幸せなのだろうか。
     時間は平等で、無情で。だからこそ意味がある。意味のない時間などない。
     だとすれば、その時を精一杯に生きることこそが何より意味のあることに思えた。
     とじていた視界を開いて空を見上げる。


     漆黒の夜空にまあるい白銀の望月がよく映えていた。


                    *   *   *


     やがて大人たちが酒に酔いうつらうつらと船を漕ぎ出す。月が天頂に近づく頃には部屋の向こうから小さないびきが聞こえてきていた。
     時間が経てばその時もまた訪れる。
     前触れもなしに縁側から立ち上がったゆかりが、靴を履いて庭の中央に一人立ち尽くす。その背中を、二人は静かに見つめていた。

    「…………お別れです」

     まるで朝の挨拶をするように。まるで翌日の約束を交わして別れるように。どこまでも澄み渡った口調でゆかりは零す。

    「今まで、本当に沢山……沢山、たくさん…………。ありがとうございました」

     振り返り笑顔でそう言葉を紡ぐゆかりのその姿は月光に冴える花のようで儚くもとても美しかった。

    「村の皆さんには迷惑をいっぱいかけましたけど…………それも楽しかったです。沖成さんのご両親には特別のおもてなしも頂きました。私からもお礼は言いましたけど、よかったら沖成さんからも伝えておいてください」
    「うん」
    「音姫さんに色々なことを教えてもらえて嬉しかったです。おまつりに月のこと。それにまつわる沢山の習わし……。全部しっかりと覚えてます」
    「……忘れたら、許さないから」
    「はい」

     ゆかりの返事に音姫が口を固く引き結ぶ。そうするべきだと。湿っぽいのは似合わないと、頑なに堪える。

    「沖成さん」
    「ん……?」

     小さく首を傾げて先を促すと彼女は優しい笑顔を浮かべて口にする。

    「ありがとうございました」

     たった、それだけ。たった一言の感謝の言葉。けれどそれ以外の気持ちを重ねて心に響く。言葉の、気持ちの重み。

    「こっちこそ。ありがとう、ゆかり」

     笑顔で答えると、彼女は小さく頷いて一歩引いた。そうして儚く悲しい笑みを浮かべて綺麗にお辞儀する。


    「お世話になりました」


     そうして少し変わった風貌の不思議な少女は二人の前から姿を消した。


















































    「…………何してんの」

     声に顔を向けると音姫が燃えるような鋭い瞳でこちらを睨みつけていた。

    「……何、達観したようにここで座り込んでんの」
    「…………音姫……?」

    「ゆかりちゃんに言う事があるんでしょっ!」

    「っ────!!」

     肩がびくりと震える。
     豪雨のように、業火のように、轟雷のように、剛風のように。いつもは理知的な青色の瞳が沖成を糾弾し、責め立てている。

    「何で言ってあげないのっ、何で追いかけないのっ!」
    「……………………」
    「まさかこのまま返すわけじゃないんでしょうねっ。沖成は、あんたはそれで本当にいいのっ!?」

     捲し立てるように獅子のような剣幕で叫ぶ音姫。

    「────この唐変木!」

     ようやくそこで沖成は我に返り縁側に置いてあった草履に足をかける。

    「──ごめん、音姫っ」

     そうして、走り出す。
     言いたいことがたくさんある。言葉にしたい気持ちがたくさんある。それを押し殺して、別れて…………それで救わえるなんてこと、ありはしない!
     胸に湧き上がる衝動が足を前に向かわせる。息が切れようと、足が縺れようと、足元が見えず転ぼうと。幾度でも立ち上がり前へと進む。
     どの道を通ったのだろうか。もしかしたらもう村の外へ出たかもしれない。
     推論が頭を巡るが全て頭を振って切り捨てた。
     代わりに一つの感情が沖成を前へと突き動かす。



     ────最後だから、あの場所に



    *   *   *



     沖成がゆかりを追いかけて出て行ったあと。ひとり取り残された音姫はずっと彼の走っていった方を見つめていた。
     そんな音姫の頬に一筋の雫が伝う。

    「…………この、唐変木」

     呟きは、月へと吸い込まれ闇夜へと掻き消えた。



    *   *   *



     沖成が辿り着いたのは山の麓だった。それは沖成と彼女が初めて出会った場所。
     視界の先にはひとつの人影がこちらに背を向けて立っていた。
     紫色の長袖に同色の頭巾。頭の上からはうさぎのように長い耳が垂れ、妖艶で神秘的な雰囲気を纏う少女。

    「ゆかり…………」

     名を呼ばれた人影はゆっくりと振り返る。
     彼女は面を着けていた。それは祭りの屋台で買ったあの白うさぎのお面。

    「…………君に言わなきゃいけないことがある」
    「……………………」

     反応という反応を返さずに、彼女はただそこに佇み続ける。
     彼女のそんな姿に沖成は言葉を待たず勝手に先を紡いだ。


    「僕、君が好きなんだ」


     表情を変えないお面が静かに視線を注ぐ。

    「いつからかなんてわからない。何がなんてわからない。それでも君が好きなんだ」

     静寂を切り裂いて、沖成の告白が辺りに響き渡る。

    「行かないでなんて言わない。けど……その答えだけ、聞きたいんだ。聞かせて……くれないかな?」

     自然とこぼれた笑みにのせて問う。
     降りたのは沈黙だった。静寂だった。閑静だった。
     無機質な仮面の奥、微かに揺れる紫色の瞳が声にならない声を発する。

    「……君の声が聞きたい。君の、気持ちが聞きたい」

     心からの懇願に彼女は俯く。そうしてゆっくりとうさぎのお面に手を掛けた。
     かさりという布擦れの音が響き、次いで彼女が顔を上げる。

    「…………ダメだよ」

     その顔は、涙に濡れていた。
     珠のような雫が頬を伝い、おとがいを撫でて地面に落ちる。

    「お別れだって、言ったじゃないですか」

     浮かべる笑みはどこまでも綺麗で、心を焼き焦がしてしまいそうなほどに優しかった。

    「それなのに、約束を破って、追いかけてきて……。何でですかっ」

     それは初めて聞く彼女の叫び声。
     いつもは歌のように綺麗な旋律に雑音が混じり、涙に濡れた声が胸を締め付けられるほど苦しく響く。

    「何で、そんなことを聞くんですか…………どうして好きになったんですかっ」

     まるでそれは己を責め立てるように。自身の体を火中に投じるように。

    「私はニンゲンではないんですよっ。貴方は普通に暮らして普通に果てるはずの人間なんですよっ。なのにどうして、恋を知って、温もりを知って、それに縋ろうとするんですかっ!」

     止めどなく溢れる涙は彼女の顔を崩していく。必死に引き絞った瞳が剣で、槍で、弾で、沖成の心をぼろぼろになるまで引き裂く。

    「必死に押し殺したのにっ。気づかないふりをしていたのにっ。どうして私に──私に、どうしろって言うんですかっ!!」
    「教えてよ」

     彼女の肩が震える。激情と共に吐き出された言葉が沖成の体を貫く。
     いつの間にか彼女の周りには幾つもの火の玉が灯っていた。数は、みそぢ。


    秋の夜の 中秋もえる 月の下


     燃え盛って、燃え尽きる。音もなく現れた火の玉は彼女を照らし、焦がし、消えてゆく。

    「何をですかっ!」
    「ゆかりの気持ちを」
    「知りませんっ!」
    「どうして?」
    「わかりませんっ」

     激しい拒絶の言葉。感情。その波が言葉の波濤となって沖成を押し潰す。

    「貴方は、勝手です。勝手すぎます。私を幾つもの事柄に巻き込んで、振り回して。勝手に気持ちを伝えて、その答えを私に問うてっ。私は、貴方が、嫌いですっ!」

     言葉にした気持ちは彼女の心からの本心だ。被り続けてきた仮面をかなぐり捨て、心の奥そこの感情を子供のように辺り構わずぶつける。

    「──なのに……胸が苦しいんです。暖かいんです……。思い出が、記憶が……たったひと月のそばにいるだけの生活が、こんなにも愛おしいんですっ」

     心臓を掴むように服を掴み耐え忍ぶように俯く。

    「だって貴方は私の最初の友達で、家族で────好きになった人だからっ!」

     長く続いた独白は彼女のその言葉を最後にぷつりと途切れる。
     子供のように涙を拭うこともせずただ泣きじゃくる。

    「…………ゆかり。君に贈り物がしたい。これでさよならなんて嫌だから、絶対また会える約束の証を──誓いを立てたい」

     嗚咽のやまない彼女は答えない。それでもいいと沖成は納得してここに来る間ずっと考えていた言葉を──名前を口にする。



    「結月ゆかり」



     その名前に、彼女は不思議と顔を上げ、涙を拭って抑える。

    「君の人との縁は月の音によって結ばれる────その名前さえあれば、いつかどこかでまた出会えるから」

    「────────はいっ」

     泣き笑いのような表情を浮かべて答えるゆかり。彼女の笑みに、沖成も自分のそれを重ねる。

    「ゆかり、君を好きになれてよかったっ。君と一緒の時間が過ごせてよかった」
    「はいっ……!」
    「でもこれで終わりじゃないよ。いつか────いつかまた出会うんだ。その時は────」
    「はい……。私も、沖成さんを、好きになれて……嬉しかったですっ」

     彼女を取り巻いていた火の玉の最後の一つが、音も立てずふわりと消える。
     照らされていた辺りが一瞬にして闇に包まれ、光に慣れた目が闇の中に彼女の姿を見失う。



     そして次に闇夜に慣れた視界の中には、彼女の姿はそこにはなかった。



     *   *   *




    「…………な。ぉきな……。起きて、沖成」

     耳元で呼ぶ声に目を開けるとこちらを覗き込む音姫の姿が視界に映った。

    「……おはよう、音姫」
    「また昨日も遅くまで起きてたんでしょ」
    「……うん、まぁ」

     苦笑いで答えると彼女は呆れたように笑った。
     布団から起き上がり、身支度を整えて食卓へと向かう。
     あの日──結月ゆかりのいた年から八年が過ぎた。沖成は今村長の家に住んでいる。
     あの次の日、沖成は思い切って村長へと弟子入りを申し出たのだ。未来の村長としての器として自分を買ってくれないかと。村長は二つ返事で了承をするとうちに住み込みで働きなさいと条件を出したのだ。
     それ以降居候という形で村長の仕事を手伝いながら衣食住を共にした。途中からは音姫が身の回りの世話を引き受けると言って彼女も時々顔を覗かせている。
     そんな変わったといえば変わった……変わらないといえば変わらない八年を沖成は過ごしていた。
     その八年を跨ぎ、今は旧暦で孟秋……夏真っ只中。今宵はこの夏最後の満月だ。
     特に習わしはない上に、今は間近に控えた『月奏祭』の準備もある。明日の話し合いの段取りも組まなければいけない。やることは山積みだ。

    「沖成、ぼうっとしてるとあんたの分も私が食べるわよ?」
    「やめてよ」

     軽口に答えて肩を竦めてから手を合わせる。食べ物への感謝を忘れずに────

    「いただきます」

     変わらない文言を唱和して、沖成は箸を手に取った。


                    *   *   *


     時間はあっという間に過ぎる。東たら昇った太陽がいつの間にか西の山の奥へ隠れ辺りは暗くなり始めていた。
     村長の家へ帰る途中の沖成はふと空を仰ぐ。
     東の山際には丸く綺麗な満月が昇り始めていた。
     あの日以降、満月を見ると彼女のことを思い出す。
     今彼女がどこにいるのかはわからない。ただ確信のように心の奥底が疼いて噛み締める。


     いつかきっと、と────────



    *   *   *



     朝露の滴る畦道を一人静かに歩く。昨日は遅くまで寝ていたためできなかった日課にしている散歩だ。
     こうして歩いていると不思議と心が落ち着く。
     村長の家を出発点に、生まれ育った家へと一度立ち寄りそこからあの山の麓へ。
     そこで幾分か山を見上げて村長の家へと戻る。変わらない道のりと足取り。
     山の麓まで辿りついた沖成は雄大に聳え立つ山を見上げる。
     また今年も『月奏祭』が始まるよ。……流石にあの年のあのひと月を超えるようなことは起こらないけど、それでも楽しく笑顔で過ごしてる。今のこの村を君にも見せてあげたいな。
     心の底から湧いて上がる気持ちを空へと向ける。いつか出会うその時のために、それまでの歴史を頭に刻み付ける。
     少し冷たい風が吹いて頬をさらりと撫でる。そろそろ帰らないとまた音姫に怒られるだろう。
     腰に手を当てて可愛らしく怒る乙姫の姿を想像して苦笑すると、踵を返して歩き出した。







     ────────────かさり








    ──────────────────────────────────────────



    ここまで長々とお付き合い頂きありがとうございました。
    本篇は月兎の物語、第五回目です。
    この物語もどうにか最後まで書き終わり『結』の一文字で締めることが叶いました。
    不定期な更新で拙い文章でのお目汚し、すみませんでした。
    それでも最後までお付き合いいただけたのでしたらこれに勝る幸いはありません。
    五回に及ぶ長編の月兎の物語はこれにて完結です。本当にありがとうございました。
    よろしければ感想等残していただけると幸いです。


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