北島秀一・山路力也・山本剛志 共同責任編集
【目次】
□クロスレビュー「必食の一杯」
蔦の葉@巣鴨「醤油つけそば」
■クロスコラム
■告知/スケジュール
□編集後記
■巻頭コラム
「行列が嫌いなんです」山路力也
ラーマガをご覧頂いている皆さんであれば、ラーメン店に並ぶという経験は必ずおありだろうと思う。私も当然行列店の場合は並ぶことになるわけだが、ラーメン店のみならず基本的に食事をするのに並ぶという行為がどうにも性に合わない。もちろん皆さんも並ぶよりも並ばない方が良いに決まっているだろうし、行列が好きだという方はいないだろう。しかし、私の場合は気取っているわけではなく、生理的にメシのために並ぶという行為が耐えられないのだ。
私の父は昭和一桁の江戸っ子である。私はその父から幼い頃より「喰い物を喰うのに並ぶのは下品である」という教えが刷り込まれている。その背景には戦中戦後と配給で食べ物を並んで受け取ったりした経験も多分にあるようで、並んでまでモノを喰おうとするのは浅ましいとさえ思っていた節がある。だから、子供の頃から並んで何かを食べたりしたことがない。その幼少期からの刷り込みの強さは相当なもので、私はラーメン店に限らず食べ物屋さんの前で並んでいるのがどうにも落ち着かないというか、本当にダメなのだ。だから行列の出来る店にはまず行こうと思わないし、予約が出来る店ならば100%予約する。それがたとえ当日これから行くことになっても事前に電話を入れるのが習慣になっている。
しかし、ラーメンにはまってしまってからは、親の教えや自分の心の中の叫びに反しても店の前に並んでラーメンを食べなければならない機会が多々ある。もちろん極力並ばずに済む時間帯を狙うようにするが、ずっと混んでいる店などは並ばざるを得ない。その場合は、先に述べたような思いは抱きつつも、ラーメンを食べて語ることを生業としている以上は致し方ないと、自分を納得させながら時が過ぎるのをひたすら待つ。
これだけ長いあいだラーメンを食べ続けているのだから、いい加減そのあたりに慣れても良いと自分でも思うのだが、なかなかそれが難しい。つい先日もとあるお店の前に30分ほど並んだのだが、その時にあらためて強く思ったことは、親の教え云々を置いておいても私はやはり飲食店に並ぶことは出来ないということであった。もう本当に帰りたいと思った。この日も知り合いの店でなければ絶対に行列から離脱していただろう。それは並ぶという行為よりもその行列そのものにあった。
「この店もね、一軒だけの時は良かったけれど、店舗展開始めてからは味が落ちたよね〜」「なんで夜営業しないのかねー。昼だけとか楽な商売だよねー」「麺の茹で時間なんてたかが知れてるんだから、もっとオペレーションを考えたらいいのにね」「注文を受けてから作らないである程度見切って作り始めればいいのに」「昨日行った◯◯ってラーメン店なんだけど、麺の茹で加減がダメでさぁ」「スープの旨味よりもタレばっかり強くてさぁ」「終わった客に煙草なんか吸わせてないでとっとと外に出せよ」などなど、まぁ行列に並んでいると厨房の都合とかも分からぬ輩の愚痴や、知ったような口をきく俄評論家の講釈があちこちからエンドレスで聞こえてくるのだ。行列の場合は前後の人が変わることはまずないので、30分なら30分延々と聞かされるわけで、これはホントに辛い。耐えられない。
そんなに文句ばかり言ってるなら並ばなければいいのに。思っててもいいけれど黙っていたらいいのに。せっかくならもっと楽しい話をして過ごせばいいのに。電車の中で携帯で話したり、行列に並んでいる時に煙草を吸うのはマナー違反だと言うけれど、私からすれば行列に並んでいる時のバカトークも同罪かそれ以上だ。
…ったくうるせぇなぁ。少しくらい黙っていられねぇのか。てめぇが好きで並んでるんだろうが。並んでくれって頼んでるんじゃねぇんだから、ごちゃごちゃ言うくらいなら並ばずに他所行けや! あぁ、私の穏やかな心が掻き乱されて私からは想像もつかない乱暴で下品な言葉がついて出そうになる。ますます行列が嫌いになった夏の日…。やっぱ無理。
□クロスレビュー「必食の一杯」
一杯のラーメンを三人が食べて語る。北島、山路、山本の三人が、今最も注目しているラーメン店の同じ一杯をクロスレビュー。それぞれの経験、それぞれの舌、それぞれの視点から浮かび上がる立体的なラーメンの姿。今回は『らーめん天神下 大喜』で毎年人気の夏メニュー「冷やしとりそば」を三人が食べて、語ります。
「冷やしとりそば」900円