maxwellさん のコメント

個人的に一番泣けたというかグッと来てしまったのはオープニングでTHE IDOLM@STERが流れたところでした。
映画は始まったばかりなのに妙な達成感が湧き上がってきてしまって。
No.10
81ヶ月前
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先日のさいたまスーパーアリーナで、初めてアイマスライブに行った。体力も無いのに二日間。アイマスの規模がまだ小さい頃からライブに通いつめていた生粋のファンである魔汁Pにはその辺を茶化されて、「あ れ?RAPさん、アイマス好きだったんですか?」とまで言われる始末。首を傾げながら「みんな程ではないけど、好きだよ」という自信の無い言い回しをするしかない。せっかくのライブなのに、サイリウムすら買わずに行ったしね。 そんな自分でも、Jupiterの「Alice or Guilty」に歓声をあげ、戸松遥さんのシークレットには全力で拍手をし、あんずのうたには叫び、ミミミンミミミンウーサミン!も手を振り上げ、わからない曲では自分の体力を優先して座って休んでたりはした 。 いやごめん。流石に五時間は俺の体力じゃ無理。会場でぶっ倒れて救急車騒ぎとかイヤだし。 SSAライブ二日目終了後、「DSは報われた!愛ちゃん良かったね!本当に良かったね!」という謎の感情移入によ って、会場前で思わず泣きながら座り込んでしまった。ライブが良かったというより、DSが許された!愛ちゃん万歳!という方向性での涙だったので、冷静に考え直すとライブに対しての涙と言えるのかどうかはわからないが、それでも自分はライブ後にボロ泣きしてしまう程度にはアイマス好きだったのかな、と苦笑はしていた。 しかし、劇場版を見た後の自分はその言い回しすら撤回し、自分がどこまでアイマス好きなのか、また1から考え直さねばならなくなってしまった。そんな想いもあって、劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』について感想を述べる事から自分は全力で逃げたかった。語りたくなかった。 だけど、あくまで個人的な事情というか、心境の変化というか、吐き出したくなったので吐き出すことにした。映画について語るというよりは、自分自身の感情の整理の意味合いが強い。 なお、自分にはグッズ欲的なものがまるで無い為、劇場版に関連した書籍は読んでいない。 ・劇場版特典の「0話」未読 ・ニュータイプの錦織監督のインタビュー未読 ・TV版アニマススタッフ本未読 錦織監督が何を思い、何を考え制作に挑んだのか、自分は全く知らない。 スタッフ達の想いを知らないままに、この文章を書いている。 *** 大人の事情としての『関係性の不変縛り』というのが原作つきのアニメにはよくありがちだ。攻殻機動隊なんかはまさにそれで、公安9課に新メンバーが加入しても片っ端から死んでいくし、フチコマではなくタチコマが登場するし、そのタチコマすらも片っ端から全滅したりする。最後はいつも、馴染みのメンバー構成になる。 当然、アイドルマスターのアニメにもそういう大人の事情は存在する。「物語や設定構築に対するクライアントからの縛り」は絶対にあるのだ。そんなものは視聴者には関係ない、目に見えるものこそが全てと言う人も居るかもしれないが、自分はその「大人の事情、クライアントからの要求」を抜きにこの後の話は語れないと思っている。 一番わかりやすいのが、プロデューサーの扱いだ。 アニメ版のプロデューサーは、終始一貫して「アイドル達に必要以上に近づかないし、影響を与えない」。アイドル達の間で発生した悩みや問題の解決は、基本的に全てアイドル間でカタがつく。プロデューサーの在・不在に関わらず、アイドル達は成長していく。表面上の名目は「プロデューサー(俺ら)と一緒に」だが、アニメでは明確に線を引かれているのがわかる。 その線こそが、大人の事情だ。もしかしたら、これはバンナム側からの指示ではなく、錦織監督率いる制作プロジェクトメンバーの面々の話し合いで決まった事かもしれない。真相はともかく、脚本に大人の事情が介在しているのはアニマスを全部見ればイヤでも理解できる。 *** 劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』を一言で表現するなら、アニメの「27話」だ。「アイマス愛を映す魔法の鏡」と言い換えてもいい。 映画の軸となるストーリーは「天海春香と矢吹可奈の話」であり、他の全ては枝葉末節である。これは登場人物の総人数の問題が大きい。ミリオンスターズという「大人の事情メンバー」の参戦もあって、とてもじゃないが全員を処理しきれない。 では、従来の765プロはどうなっているのか? 冒頭から、彼女達は既に完成形であることが描写されている。 話の中でも、「アニメ版で発生したイベントを乗り越え、色々と成長した面々」が細かく表現されている。 つまり「思い出ボムアタック」だ。 丁寧にさりげなく、視聴者の思い出ボムを刺激している。 非常にわかりやすいのは如月千早のカメラ趣味や、後輩に対する萩原雪歩の自分語りだろう。台詞で説明されている「体力のついた高槻やよい」とかは、ちょっとだけわかりやすい。 しかし、そこが限界点とも言える。この「思い出ボムアタック」はフレーバーでしかない。 物語の骨か肉かと言われれば、肉の部分だ。少なくとも「天海春香と矢吹可奈の話」という、映画のストーリーの本筋に明確に絡んでいるキャラが何人いるのか、という視点から見ると、765プロのメンバーの中ですら半分もいない。 当たり前の話だ。描写できるわけがない。映画の時間は2時間しかないのだから。 *** とても大事な事実がある。『プロデューサーのハリウッド話は伏線ではない』ということだ。 プロデューサーのハリウッド話は主軸ではない。765プロの面々は動揺から即復活しているし、一切後に引きずっていない。ハリウッド話はフレーバーの1つであり、つまり「アニメ版から成長したプロデューサー」を描写しただけにすぎない。 もし、プロデューサーのハリウッド話を映画の主軸にしたとしたら? 765プロの面々はその事実に動揺し、その動揺から派生した失敗の事件が起きなければならない。「プロデューサーが不在になってしまう不安」から派生する765プロ全員の思い思いの気持ちを散々吐露した後になんやかやあって立ち直る話になる事だろう。ミリオンスターズは完全にオマケとなり、むしろ映画に出す必要すら無くなる。 だが。765プロは崩れない。 765プロはもう完成形だ。だから動揺も少ない。心の復帰も早い。 彼女達は彼女達だけでなんとかできてしまう。TVアニメ版からそれは変わっていない。 プロデューサーは「アイドル達に必要以上に近づかないし、影響を与えない」。 *** プロデューサーのハリウッド話を伏線とした場合、ミリオンスターズは映画に出す必要すらなくなると表現した。しかし、映画の根底に張られているテーマ的に、ミリオンスターズは出なければならない。可能ならシンデレラガールズも出さなければならない。 何故か? SSAライブのテーマは「繋ぐ」だった。それは中村繪里子さんが力説していた。 この劇場版の根底にあるテーマも、同じく「繋ぐ」だろう。 「アイドルマスター」という世界観の無限の広がりの示唆。 *** つまり、ミリオンスターズorシンデレラガールズは映画に登場しなければならない。 ただ、シンデレラガールズは個性が強すぎる。キャラによっては物語そのものを破壊しかねない。大人の事情も含めて慎重に討議を重ねた結果、ミリオンスターズからあの面々が選ばれたのではないだろうか。だから春日未来は映画には出ない。ミリオンライブの春香的立ち位置である春日未来のイメージを映画で固定するわけにはいかない。 今回はミリオンスターズが選ばれたわけだが、シンデレラガールズが出るにしても映画の中身は変わらない。「765プロ以外」に問題が発生し、その問題解決に我らが春香さんが苦悩し、奔走し、解決する話が望ましい。 強烈な縛りプレイである。詰将棋ともいえる。もはやそれしかないのだ。 「765プロ以外の面々が失敗し、765プロが解決する話」以外に作りようが無い。 (それ以外で作るのであれば、映画冒頭の「眠り姫」のように、本編一切関係ない話に仕立て上げるしかない) *** だからこそ。だからこそ、視聴者はこの劇場版で「天海春香」の思考に感情移入するか、あるいは見守りながら応援する事を求められる。その想定から外れる、つまり「天海春香」への感情移入や応援の枠から視聴者が外れた瞬間、物語そのものから弾き飛ばされてしまう。多くの人が泣いた、と語る準備中のアリーナでの春香の名演説も、物語から弾き飛ばされてしまった人には届かない。 ここで視聴者は強制的にふるいにかけられていく。思い出ボムや765プロの成長を胸に感涙したままライブシーンに突入する人と、春香とのシンクロに失敗して呆然としたままライブシーンになんとなく突入してしまった人に、まるでヒヨコのオスメスを選別するかのごとく淡々と分けられていく。 自分はとても不幸なことに、弾き飛ばされてしまった。春香とのシンクロに失敗してしまった。2回見て2回とも失敗した。自分は本当にアイマス好きなのかと真剣に悩むぐらい、置いてきぼりにされてしまった。 *** では、どうすれば良かったのか? きっぱり断言する。わからない。「俺ごときの力量では、代案が思いつかない」というのが正直な感想だ。 クライアント(バンナム)から提示された条件を踏まえた上で、その枠内でスタッフ達は全力を尽くした。物語的に攻めるわけにもいかず、かといって守るわけにもいかない。九桁の金額が絡むプロジェクトであり、映画を待ち望んでいたファン達の熱い気持ちにも応えなければならない。製作陣のプレッシャーは相当なものだったろうと思う。 多少の「ここはこうすれば良くなったのではないか?」という考えもあるにはある。 矢吹可奈に最初の方で「キラキラしたいんです!」と明確に主張させ、その後で「キラキラできない」と泣かせて台詞的に伏線を回収する、等。 ただし、その程度だ。その変更をすることによって、自分が春香とのシンクロに成功する事ができるかどうかはわからない。そしてそれ以上に、自分にはそんな事を語る資格すら無いとも思う。何故なら自分は、その劇場版の脚本会議に出ていないただの雑魚ファンの1人なのだ。100%の人を満足させる脚本を組み上げる事なんて不可能だ。それでも彼らスタッフは、1人でも多くのファンの事を想い、満足してもらおうと全力を尽くした。その愛情だけは痛いほど伝わってくる。掛け値なしに全身全霊の愛情を尽くして組み上げられた映画だ。 改めて繰り返す。劇場版は27話であり、「鏡」だ。アイマスに関わった時間の長さや体験の多さがダイレクトに跳ね返ってくる物語だ。 同時に、10年後のアイドルマスターに繋ぐ話でもある。それは作品中でも語られている。春香はお花屋さんになっているかもしれないし、プロデューサーの花嫁になっているかもしれないし、千早と2人暮らしでラブラブしているかもしれない。もしかしたら千早の子供を妊娠して幸せに暮らしているかもしれない。 はるちは万歳。 自分はこの映画を褒めることも、disることもできる。どちらがいいですか?と相手に聞く事ができる。 でも、これだけは断言できる。 この映画に詰まっている制作スタッフ陣の愛情だけは本物です、と。 スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
RAPの頭の悪いブロマガ
物凄く頭の悪い文章&内容のブロマガ。貴重な時間を無駄に奪う何の役にも立たないチラシの裏でござるよ。ニンニン。