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ratさん のコメント

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rat
>>2
無気力さん
なんとなく合ってるって思えていただけましたでしょうか!!だとしたら嬉しいです!!
ちょっと物価事情が分からないので安直にお答えできませんが、白米一辺倒なのがやはりダメだったのでしょう。
後からでは何とでも言えますが、陸軍はもうちょっとどうにかならなかったのか…とは思いますorz
日本が上司に恵まれないのは今も昔も変わらないようです。日本は部下が優秀で上司が駄目とはよく言われますが、反対にドイツは上司は優秀だが部下が駄目、と真逆評価なのがちょっと笑えます。日独組んだら最強コンビだと思ったのですが…あ、伊(察し)
No.5
87ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
補足の後編になります。(4コマ無しですが、連続物なので4コマカテゴリです) あと長い。 脚気改善へ一歩踏み出した海軍。 このまま解決……するはずだった。 陸軍軍医局と海軍軍医局の衝突・後編 明治18年(戦艦筑波の帰港の翌年)、実験結果を元に自説を発表しました。 しかし、当時日本の主流は「論より証拠」のドイツ医学こそが絶対であり、 「よくわかりませんが、麦食と洋食で改善できます」といくら言っても 「机上の空論でしかない」とことごとく一蹴され、論破されることになります。 特に陸軍は創立よりドイツ陸軍を規範としており、医学も当時最先端を行っていた ドイツに倣っていたため、イギリス海軍を規範として創立された海軍とは 医学分野においても、ざっくり言えば「物的証拠」と「状況証拠」の ような主要点の違いより、相いれませんでした。 それでもここに状況証拠があると、6回にわたり公表しますが 原因であるビタミンB1の欠乏の「ビタミン」の概念がない当時、海軍側も的確な反論はできず、提唱していた脚気原因説と麦飯優秀の理論は粗雑であり、 発表の翌年、明治19年の2月を最後に沈黙することになりました。 しかし、「麦飯を食べる事によって脚気が減少する」ことは紛れもない事実であって、 イギリス医学の海軍はその後も麦飯を続けます。 原因究明がされないまま、明治27年、日清戦争が勃発。 同年7月31日、海軍の麦飯に懐疑的だった大本営陸軍は 勅令として 兵食を 「1日に精米(白米)6合、肉・魚150g、野菜150g、漬物類56g」 を基準とする日本食に定めました。 これが陸海の明暗を分けることになります。 理論と現実 開戦後、陸軍内に脚気患者が出ると麦飯給与の稟議が提出されます。 しかし、 「給与したいのですが、色々あって実行できませんでした。いやぁ、遺憾ですねぇ」 勅令により白米と定められている上、難癖をつけて阻止。 この反発をしたのが作家で有名な森鴎外こと森林太郎第二兵站(へいたん)部陸軍軍医局長です。 彼は独自の実験を行い、高木の学説を『統計にもとづく学理なき説』と非難。 麦飯優秀説を信用せず、ドイツのコッホ研究所での細菌説もあったため 徹底的に学説の否定と妨害を行い、白米を押し通します。 皮肉なことに日本海軍の養成を行っていたイギリス海軍軍医もこの細菌説を支持しており、 追い風が吹くことはありませんでした。 開戦当初は輸送能力が低く、食糧調達・補給に苦しみますが、下関条約以降は 白米の輸送が十分であるにも関わらず、麦飯を給与しないことを海軍軍医は厳しく批難。 しかし脚気流行が鎮まる気配のない中、陸軍は兵食(白米飯)を変えてはならないとし、 一貫して麦飯を認めませんでした。 日清戦争、後の台湾平定(明治28年)も合わせ、陸軍内の病死者は4万人越え、 うち 脚気死亡者は4千人を超える 惨事となります。 のち、陸軍トップが変わったものの義和団の乱(明治33年)では麦飯の給与を希望しながら 送られることはなく、さらに1年で2千人越えの脚気患者を出しました。 それでも陸軍は細菌説の支持、麦飯優秀説の否定を続け食事改革すら認めず、 これほどの被害を出しておきながらトップは責任を追及されることもなくその後も 陸軍内で影響力を持ち続けます。 成果を上げる海軍は原因を解明するには至らずとも解決策を見出しますが、 根拠のない理論なうえ兵の反発を受ける策を陸軍は受け入れられず、 両軍さらに対立は深まることになりました。 そしてこの対立が最大の脚気惨害を引き起こすのでした。 陸軍軍医局と海軍医局の衝突 終 4コマはここまでのお話です。大丈夫ですかね?? 前回煽っていながら、対立の泥試合具合を書けなくて残念(´・ω・`) たぶんここまで読んでから4コマを読むと意味が解る…はず…。 だいたい合ってる!って思ってもらえたら勝ち…(´-ω-`) おまけ(特効薬の完成まで)↓ そして何も解決できないまま、世界の動きは加速します。 息つく間もなく明治37年、日露戦争へ突入。 アジア情勢を大きく変える戦争となります。 正しい選択とは 日露戦争では陸軍大臣、軍医部長が麦飯推進派であったが大本営からの勅令は白米のまま。 陸軍は兵器や弾薬の輸送で精いっぱいであり、 「麦は虫がつきやすい、変敗しやすい、味が悪い、輸送が困難」などの反対論がつよく、 加えて御馳走であった白米(『今週の献立』に当時の食事情を記載してます)を死地に向かわせる兵士に食べさせたい情がありました。 しかし脚気が発生しやすい気温の上昇とともに、急激に脚気が増加します。 このため8月より一部で麦飯が給与され、ようやく翌年3月には挽割麦が給与されることになりましたが、同年9月終戦の結果は惨憺たるものでした。 わずか2年弱の戦争で陸軍脚気患者は 25万人 、脚気入院患者のうち 2万7千人 が亡くなりました。 そして麦飯の兵食改革を行っていた海軍の脚気患者は 87人 。 結果は明らかでした。 国内にこの惨状が伝わると、陸軍に対する批判は高まり、 「脚気問題に関してつねに引きあいに出されるのは、陸軍は脚気患者が多数なのに反して、海軍ははなはだ少数なことである。したがって海軍はつねに称賛嘆美され、陸軍はつねに攻撃非難の焦点になっている」とされ(『医海時報』より)、 戦後も陸軍医務局長が辞任するまで批判され続けました。 以降、医学界では否定されていたものの高木の説が支持され、たんぱく質を考慮した航海食になっていた海軍では脚気は根絶したと思われていました。 しかし海軍医務局長が変わった後、麦の割合が低下し脚気発生率が急に上昇します。 海軍の脚気再流行、大東亜戦争と特効薬 大正3年、イギリス医学誌でようやくビタミンが紹介され世界的に知られることになります。しかし医務局長異動の大正4年12月以降、麦の割合の低下に伴い脚気発生率が上昇。 兵食研究調査委員を立ち上げますが、兵員に麦飯が不人気であり麦の比率を上げることも(この時5割から2割5分まで低下)、生鮮食品の鮮度保持も難しく、苦心の末発芽米に着目するも失敗。 そして大正14年、脚気ビタミン欠乏説が完全に確定。10年後、ビタミンB1であることが解明されました。 いよいよ治療薬のビタミンB1の精製と生産に絞られ解決への道筋ができた時、 患者は1000人を下回る事の無いまま 昭和12年、大東亜戦争開戦―――― 医学者は戦時医学へ関心が集まり、同年、研究の重要人物が没し脚気研究は一部中絶。 開戦時すでに患者は3079人(うち入院605人)。 そして現場では不人気な麦の比率を意図的に下げ 余った麦を海を投棄する(「レッコー」という)ことが日常的に行われ、流行に拍車をかけます。 ビタミンB1抽出はうまくいかず高価であり、吸収率が良くないうえ発病後は摂取困難であったため脚気は解消にはほど遠い結果に。 国内患者は年間1万~2万人で推移し、食糧事情が悪化する昭和13年まで続きました。 (翌年からの白米禁止、移入米の減少が脚気対策ではないが効果が出ました) 決定打を打てないまま、混乱の中終戦を迎えます。 事態が大きく動いたのは終戦後の昭和27年、B1誘導体のアリチアミンの発見から。 これが脚気特効薬開発へ大手を掛けます。 ニンニクとB1が反応してできるアリチミンは、体内でB1に戻り吸収率が良く、血中濃度の上昇が顕著で長時間続くまさに特効薬になる物質でした。 昭和29年、内服薬「アリナミン錠」、翌年には注射薬「アリナミン注」を発売。 広く類似品が作られ、脚気患者死亡者は昭和25年3968人→昭和30年1126人と半減、 昭和40年には92人にまで減少しました。 戦艦筑波の実験から70年。 ここでようやく、日本は長らく苦しめていた脚気から解放されたのでした。 アリナミン アリナミン…知ってますよね? 今でもCMしてるじゃないですか、「アリナミンV」とか! あれです、あれなんですよ。 アリナミン錠を作ったのは武田製薬。今も作ってますね。 旧陸軍より脚気対策薬の開発依頼を受けて作りました。 あとがき 長いのに読んでくださってありがとうございます。 脚気を見ると、日本軍の創立から解体まで見ることができます。 驚くことに明治から現代までの歴史のおさらいがざっくりできます。(^u^)… もっと見ると平安とかまでさかのぼるのですがw お爺ちゃんの千年越えの悩みが解決して良かったです。 自分でも書いてて、正直まとめるの無理じゃないかと思ったんですけど ざっくりまとめたら、なんだかお爺ちゃんの人生(?)を見た気がして 達成感がありました。 本当、最近まであった事なんですよね。 本当に端折ってざっくりだいたいまとめたので、詳しくはwikiを読破してください。 ステマじゃないですけど、もし興味があれば「白い航跡」をご一読ください。 私はまだ読んでませんが、(読んでからまとめろ) 海軍・高木兼寛の生涯、そして脚気をめぐる陸軍・森林太郎(鴎外)との衝突を描いた作品です。 ブロマガ4コマは静画にまとめてうpします。 ただ文は大幅カット。ほとんど無し。 代わりに描き下ろしイラストと別ネタ(脚気の)を入れるつもりです。 ではノシ
静画で出来なかった補足とか、雑談とか、落書きとか色々です。たまに4コマ。

コメントすると、もれなくうp主が泣いて喜びます。あと更新頻度高くなります。ついでになんでも言う事聞いてくれm