閉じる
閉じる
×
少し前にトレンドになった「幸福度」
SNSを見れば見るほど(特にインスタグラム)
幸福度が低下する、
というものが拡散した。
イギリスの環境保護団体が幸福度を調査して発表したもので、
「特にインスタ」というのが笑える(^▽^;)
タイムラインに流れる相手のリア充な姿が精神衛生上よくない、のだという。
で、いろいろ意見があり、
じゃあ見なきゃいい、とか不幸な人をみれば、とか他人の不幸は蜜の味とかいうが、
結局
「主体がどちらにあるのか」
だと思うようするに主人公は誰(どちら)なのか?
SNSでなにか必要なメッセージや相手が考える素材を表現する場合
主体は情報の受け手になる場合が多い。
(幸福が相対的なものだとしてもリア充自慢=相手が不幸ではない)
リア充の自慢話だって相手とめんと向かって話すならば、相手も話を聞いてもらっている存在としての主体がある。
ただネット上の拡散希望や自慢だったら当然主体は発信者でありこちらに主体がない。
(リア充になるための研究をしているなら別だけど)
ワイドショーで不幸や不満を流したって、主体が考えるのではなければ
精神衛生上よくないのは当然。
繋がりだって、それが主体的なものなら良いと思う・・・で次は
「僕たちは繋がれているのだろうか?」が課題になるのではないか。
そうなると次に先日のニュースで
「若者の6割がネットに居場所がある、と答えた」・・・・に繋がる
次回「あなたはそこにいますか?」に続く!!
この次回に続く場合はだいたい時間がないか、考えがまとまっていないのである(;'∀')
――――――――――――――――――――――――――
Twitter, マストドン は「welldoneh」
フォローしていただけたら幸いで( ˘ω˘ ) スヤァ…
『ボタンから、はてなブックマークや拡散してくれると嬉しいです(*'▽')』広告