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幸福の科学の会員様へ

2016-04-17 18:31

    また私用で申し訳ない。
    中には居ると思うので、この機会を借りて伝えたいことがある。
    関係ない方はスルーしていただきたい。
    読んではいけないわけではないのだが、内容がわからないだろう。


    ★会員様へ

    私は人生の前半にて足踏みしてしまった。
    皆様方の前でお話しする機会が来るか、分からない。

    多くの戦士が、身命を賭して戦っている姿は、限りなく美しく、無限に頼もしいものだと思う。

    あの、天の決起に集ったみなさんであるならば、

    それを実行している皆さんであるならば、

    私が口をはさむことなどあろうはずがない。


    けれど。
    けれど。
    けれど。

    どうしても。
    どうしても。
    どうしても。
    どうしても! 伝えておきたいことがある。

    私の命運尽きるとも、言っておきたいことがあるのだ。


    天使が、その役目をまっとうし、己を投げ出し、身命を賭して、一粒の麦になることは、尊い。

    けれど。

    それでいいのか?


    天使が、天使として、生きるだけならば、仏下生の意味は、どこにある?

    仏の光臨は、あなたにとって、その程度のものなのだろうか。


    「天使として素晴らしい業績をだすをもって、今世の使命とするのか」

    「そのような、人としての幸福をこの期に及んで求めるのか」

    「あなたのその大きな願いは、人としての幸福なのではないのか?」

    「はるかなる未来から見たら、人という枠にはまった、取るに足りないちっぽけな願いではないのか?」

    「大きいと思っている願いが、実は枠にはまったもので、枠にいっぱいという意味の大きさではないのか。」

    それを問いたい。


    あなた方の理想の自己像が、仏の仕事を遮る壁であったらどうする?

    あなた方の自己計画が、仏を遅らせているとしたら、どうする?

    あなた方が、人霊でありたいという願いが、仏を人間に引き下げているとしたなら、どうする?

    それをこそ、問う。


    天の決起で、命を懸けて、事業成就を誓った皆様よ。

    「命を懸けた程度で良いのか?」


    ちがうであろう!

    「天使として生き、人類の手本として恥じない人生を送ってきました」

    そうではない!!

    あなた方、一人ひとりに奇跡は及ぶのだ!

    あなたは、そのちっぽけな理想を捨てよ!

    人として、生きたいという、自己像など、なくてもいいものなのだ!

    ただ、ひたすらに、主を信じ、主のために生き、主とともに生きんとするものが、
    なにゆえに、そんな枠にはまっているか!

    「命がけの決起」に酔いしれて満足するのか!

    もっと、もっと!

    偉大なる理想像を、目標とせよ!

    それが、あなたに及ぶ奇跡ではないのか。

    それは「必ず」成就するのだ!


    こじんまりと命を懸けるなら、いつの時代でもできる。

    今世生きた意味を思い起こしてほしい。


    もう一度言う。

    奇跡は、あなたに、起きるのだ。

    思い描いた理想像が、大きければ大きいほどに。

    枠がじゃまなら、捨てればいい。

    捨てていけないのは、主への信仰だけだ。

    それが私が伝えたいことだ。


    追記

    私が思っていることを、文章にするのは無理だった。
    読み直しても、残念な限りだ。

    私の思いの、神々に対する、激白である。

    「私は人間でなくてもいい」と思っているのは事実だ。

    いつか、だれかの、ささやかな指針になれば本望である。

    願わくば、いつか再び会いまみえん。



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