引き寄せの法則と奇跡の力
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引き寄せの法則と奇跡の力

2016-04-24 00:39

    奇跡的な生還を果たした事例は星の数ほどあるだろう。
    大いなる意思が働いたとしか考えられない現象もある。
    されど私はこういう。
    それは奇跡ではない。
    当たり前のことが当たり前に起きただけだ。
    それは奇蹟ではない。


    ★奇跡とは

    きせき
    【奇跡・奇蹟】
    常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事。特に、神などが示す思いがけない力の働き。また、それが起こった場所。


    私は「奇跡は起きない」「そんなものはない」と言っているのではない。

    私が言う「奇跡は無い」とは、「神が起こすような現象がない」と言っているのではない。


    「考えられないような不思議な出来事」

    これが「無い」と言っているのだ。


    「みなさんの常識でいう奇跡はある。」
    「それは、成り立ちをきけば、ごく当然のものだということがわかる」

    ということなのだ。


    奇跡否定派には申し訳ないのだが、
    私は既にありがたみが薄れるほどの奇跡事例をきいている。

    なので、「条件が整えば、起きて当たり前」と思っているということだ。


    常識でいう奇跡の認定は

    この世の科学では説明不可能な良い結果が起きること

    でいいのだと思う。

    悪い結果だと奇跡と呼ばれず、「運がない」と言われる。

    旧約聖書にある、エリヤ対バアル信者達の、祈りによる戦いで、
    バアル信者が天から降り注ぐ火の玉で全滅したのに、奇跡と呼ばれるわけは、
    「結果がよかったから」に他ならない。


    ★奇跡の元

    宇宙を創造された造物主は、「思い」によって全てを作られた。
    その力は末裔である人間にもある。

    しかし、考えてみてほしい。

    あなたが「宇宙よ、いでよ。」と思ったら、宇宙ができるだろうか?

    できないはずだ。断言してよい。

    それが、なぜなのか、わかるだろうか?

    単純に、力が違う

    ということなのだ。


    魂が肉体に宿るだけで、その力は10分の1以下になるそうだ。

    なので、ふと思っただけで物質を作り出せる人間はいない、と思っていれば間違いではない。

    イエスは人霊としては最高クラスの存在であり、物質化現象や心霊治療を行えるものであるが、奇蹟を願って「天なる父」に祈っている。

    エリヤもイエスより少し下という高いクラスの魂であるが、ヤハウェに祈って手を借りている。

    モーゼも最高クラスの霊体であり、奇跡を体現する「赤色光線」の魂であるが、海を割るのに、祈りによる奇跡を使っている。

    「どれほどの魂の力があっても、肉体を持っている間は大した力は出せない」
    9次元クラスの霊体がその気になれば、簡単に大きな現象を起こせる

    ということだ。


    では、9次元にいる大霊から見ればどうか。

    「~してください。」「よし、わかった。」

    ということだ。

    彼らももっと上位の霊体からエネルギーを引いているらしいが、
    彼らにとっては奇跡ではないということだ。

    「海を割ることができる力の持ち主が、その力を出した」
    「因果の理法どおり、起きるべきことが起きた」

    もちろん、私は聖なるものを引き下げるつもりはない。

    その実力差を知りなさい。人間は、思いあがってはいけない

    と言っているのだ。


    ★引き寄せの法則

    少し前に流行した、「引き寄せの法則」というものがある。

    私はこれを詳しく知らないが、大方こういうことが書いてある、という推測はできる。

    そして、良い結果を引き寄せるのに必要な「条件」が書いていないだろうことも想像できるのだ。


    「引き寄せ」を実践した方に聞きたい。

    狙い通りの結果が起きただろうか?

    起きた方は素晴らしい。私にもコーチしていただきたい。

    起きなかった方、なぜ起きないかわかるだろうか?

    「心の純粋度」「信仰心」「願いの確信度」が足りないからだ。

    法則が嘘なわけではない。純粋に、その実力がない、ということなのだ。


    おそらく「引き寄せ」は、
    「本人の願いを確信に変えることで現象を起こす」
    「それがよい結果となって表れる」
    ということを長々と方法論として説明しているのだと思う。

    繰り返すが、これは嘘ではない。

    自分のイメージする力に頼っているので、できる方が異様に少ないということだ。
    つまり、起点もエネルギーも自前だ。

    「イメージの力」が世に広がり始めてかなりの年数がたつが、
    これが一般化しないのは、「できる人が限られているから」であり、
    それでも今なお指導されているのは、「できる人がいるから」である。


    ★信仰と祈り

    宗教関連だと、「即時、癌がきえる」ということは珍しい話ではない。
    しかし、キリスト教で「イメージの力」を教えているという話は聞かない。

    ニューソート系思想がそれにあたるのだろう。

    イエスは、奇跡の人でもあったが、なぜ奇跡が起きるかについて何度か語っている。

    イエスは「病気を治してほしい」と訪ねてくる人を、光エネルギーで治療していた。
    けれど必ず、こういったそうだ。

    「汝、我を信ずるや。」
    「はい、私はあなたを信じます」
    「汝が信ずるがごとき汝となれ!」

    意味としては、
    「自分が神の子と本当に信じるなら、神の子としてあるべき姿に戻りなさい」
    ということだと聞いている。

    これはイメージの力を引き出しているわけだ。

    信仰心の強い人は、この言葉だけで、自身のイメージの力で治るはずである。


    また、信仰心の力がどれぐらいのものかを知ることができる説法もある。

    「辛子種一粒の信仰あらば、この山、動きて海に入れ、と言わば、しかなるべし」

    「少しでも真実の信仰心があるならば、山を動かして海に沈めるなど当たり前にできる」
    ぐらいの意味だ。

    これは人霊として最高レベルの方の言葉であるので、すべての人ができるわけではない。
    また、肉体をもった状態で、これができる方はいないのではないかと推測される。

    ただ、信仰心というのは100%のものだけが本物だが、100%が終わりではなく、その上が無限にある、ということがわかる。


    さらに、イエスは「悔い改める」ことにより、過去の罪が許され(心が浄化され)信仰の道に入ることができることを伝えている。

    反省による魂の浄化が、奇跡を起こす力に代わることが示唆されているということだ。


    それほどの力を持っていたイエスも、大掛かりな奇蹟に関しては、
    「天なる父」に祈りを捧げている。
    人類史に残る奇蹟はみな、「無私なる祈り」に答えた「神」が起こしたものである。

    肉体を持っている大霊より、肉体のない「父」のほうが力が強いということだ。


    ★心の力

    以上、「信仰心の強さ」「魂の透明度」「イメージの力」「祈り」が願いをかなえる、ということを載せた。

    実はこれが「四正道」の実践でもあり、「引き寄せの法則」の元である。

    引き寄せに全部書いてあったなら、申し訳ない。忘れていただいて構わない。


    私が伝えたいのはこういうことだ。


    「人間は霊であり、神の一部分でもある」

    「神の創造性を人間は発揮できる」

    「思ったことが起きる、というのは法則である」

    「創造性の強さは、魂修業の段階に応じて大きくなる」


    心の中には、偉大な力が眠っている。

    魂に刻まれた使命は2つだ。

    「偉大なるものとなれ」
    「地上にユートピアを建設せよ」


    心の力を発揮し、この世を素晴らしいものに変えていく。

    これが人間に課せられた使命である。


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