おことわり
ブロマガの勝手が分からないので、適当に様子を見ながら書きます。
人を不快にさせることがあるかもしれません。そういう人には申し訳ないです。
が、備忘録感覚でやっていくつもりですので、あしからず。
突然だが、あなたは川原礫という作家をご存知だろうか。
おそらく名前だけ挙げられてもピンと来ない人が大多数だと思うので補足すると、アクセルワールドやソードアートオンラインなどのライトノベルを著した気鋭の新人作家さんである。
彼の著作のソードアートオンラインの、確か10巻そこらだったと思うが、少し面白い記述があったのを覚えている。
ざっくり言うと「人間の胎児の脳の中の記憶はほんの少しの(ノイズのような)誤差を除いて同じ」という「仮説」だ。赤ん坊はまっさらなキャンパスなんて言葉を私は聞いたことがあるが、まったくそのとおりで、この仮説は親から受け継いだ記憶や感性などはなく、その子の人格や思想、感受性などを形作るのはすべて生まれた後に見たもの、聞いたものに基づくという考えだ。(10巻前後・フラクトライト云々のあたり)
私はこの仮説を支持する。子供がどういう大人になるかは環境ありきだ。本人の選択がどうこうなどというが、物事を決める意志もまた環境によって育てられるのだ。そういうことも踏まえて、以下の文章を読み進めていただきたい。
皆さんはトランス、テクノ、ハウスなどの音楽ジャンル、平たく言えば「EDM」を嗜んだりするだろうか。
私は数年前からこのジャンルにハマっていて、よく有名どころのDJの曲を聴いたり、それを手本に自分でも作ってみたりするわけだ。
それでレコードショップやレンタルショップなどに行ってCDを買ったり借りたりすると、このジャンルは「洋楽」の括りに入っていることが多い。
何故なら。
この界隈のDJにアジア人はいない。いや、厳密にはほんの少しだけいる。ほんの少し。
世界中でブイブイ言わせている大手・大物はみな欧米人、しかも白人ばかり。
自分はあまり肌の色にコンプレックスはないが、やはりこの「欧米白人寡占状態」にはゲンナリしてしまう。
音楽に国境はない。んなこたぁわかる。誰が作ったものだろうが生まれてきた音楽はみな平等ってSOLでサカナクションの山口先生が言ってた。でもやっぱり、アジアから一線で戦える人材が出てこないのは、悲しい。
EDM-DJに限った話ではない。世界を魅了する音楽や絵画、映画などの芸術は大体のシェアを欧米が独占している。「こういう芸術が理想で模範だ」というアメリカナイズ・ユーロナイズされた概念を欧米が資本力に任せてアジアやアフリカなどの「文化発展途上国」に押し付けているからこうなる、という意見もある。アメリカ的なものが大正義と植えつけた上でアメリカ的なものを押し付ける、こうして今の独占状態が生まれたという考えだ。一理あると思う。
コミケ参加サークルの総利益と国内でのハリウッド系作品の印税、どっちが高いかだなんて質問は野暮だ。それだけ芸術に関して日本は欧米に搾取され続けている。精神的にも、日本はアメリカの犬というわけだ。
それなら日本の芸術が劣っているかと聞かれたら、残念ながらそうだと答えるほかない。海外で日本のアニメが受けた、漫画が受けたと騒ぐのは、その成功が少ない例で、珍しいからだ。常に「勝っている」「成功している」のなら、いちいち「うまくいった」と騒ぐ必要も価値もない。ジブリが奮闘した、角川ラノベが西欧でバカ受けなんて話題は一時的なもの・一過性のブームだからこそ盛り上がる。つまり長いスパンでみると「定着していない」ということになる。ここで言う「勝ち続ける」ということは「定番になる」ということだ。海外に深く根付いた日本の近代芸術があるだろうか。いや、ない。
もちろん歴史的文化に基づくものはフィールドが別だ。保存価値があるから持て囃されるわけであって、その存在が多数の著名人からリスペクトを受けているという話はあまり聞かない。UKIYOEを賞賛する外国人がいても、従来の価値観を根底から否定されるような衝撃をうけた、という「極端な例」はない。いてもポーズに決まっている。日本の文化は海外の文化を否定しうる威力はない。つまり日本の文化に欧米のそれ程の価値はない。
モネだのムンクだのレオナルドだのピカソだの、西欧の名画は世界中の人が有難がり、また芸術の規範とされる。日本のものはどうだろう。細々とした移動展示こそあっても数百億の値はつかない。欲しがる人がいないということは世界から関心を集めていないということだ。
押し付けられた土俵で戦うから勝てない。ごもっとも。
でもグローバルスタンダードが既にできてしまったのだから今更逆らえない。
しかし。
向こうにアドバンテージがあるのは、あくまでその技術を向こうが占有している間だ。戦争が終わって70年もたっているのだから、どんなタイミングでも追いつくことができたはずだ。それがなぜできていないか。
日本の芸術は保守的だ。
ガラパゴス化だのなんだの、他国と違った個性を重んじる風潮がある。それ自体は別にいい。ただ日本は、ただの劣化、後進的なものを時として持ち上げる。これはいけない。
技術で先へ行けても、世界と戦える美的センスが養われない日本。技術はあってもデザインが糞だから馬鹿にされて売れない、というものを自分はいくつか見てきた。
ファッション性。或いはスタイリッシュかどうかであったり。それはスマートか? なんて、さっきから横文字だらけだ。自分こそ欧米に毒されているんでないかという気にもなるが、ともかく日本から出てくる芸術は欧米のものより見劣りする。J-POPだのなんだの、いいものはいいが、コード進行も似たり寄ったり、そりゃ内輪のアウトプットを真似しあってればそういうものしか出てこないっての。
欧米的なものをこれでもかと肯定してきたが、なにも自分は欧米信者ではない。
偉いのはデザインした個人だ。これが僕の考え方。
欧米だから優れているということはなにもない。
優れているものが欧米から出てきやすいのだ。
それは何故か。
さっき私は日本は保守的だと書いた。これは韓国や中国にも言えることだが、アジアの国は学歴社会だらけだ。枠の中に収まる同じような人間を量産する。だから個性なんて伸びない。
前回の記事で私は「出荷」という表現を度々使った。現状の教育制度はライン工程で生徒を育てる。一律的な人格を育み画一的な思想をインストールする。だから少しでも「普通」から逸れると不良品の判を押され排除される。これがよくある「いじめ」の原因となったりする。
私はこうした制度を良しとしない。同じような人間ばかりになっても文明は進歩しない。いろんなやつがいて、それぞれがいろんなジャンルややり方で切磋琢磨しあうべきだ。このままだとこの国ではそれができない。
そしてその原因の一端は就職制度にあると考える。
企業が人を選ぶとき、つい学歴に目がいきがちになる。それは何かわかりやすい基準がないとエントリを捌けないからだ。それだけ大量の応募がある原因は、就活生が一人で何社も受けるからに他ならない。こういう風潮を作ったのはそうさせることでうまい汁を吸っている就職サイトや求人誌の連中だ。
もう一端は職人の冷遇だ。
かたや芸術に至ってはさらに深刻で、まず理解がない。下手すれば遊び人で括られたりする。深刻なまでに保守的だ。
理解がないから芸術を志さない
志してもサポートが足りない
人がいないから大学は実績を上げられない
実績がないから理解されない と堂々巡りしている。
ハリウッドに日本人を送り込む、ビルボードに日本人をねじ込む、そうするためには、まずは内輪の理解が必要だ。そこまでいかないと、金銭的な・精神的な搾取は終わったとは言えない。散発的な成果では意味がない。長期戦だ。
日本はドイツのマイスター制度のような、若いうちから専門職の育成を奨励する制度を作るべきだ。そして継続したサポートをして、世界と戦える人材を育てるべきだ。日本の伝統文化は劣っていると書いたが、それを海外の連中が魅力的だと思えるくらいに昇華させてやればいい。そういうアーティストもまた「職人」なのだ。海外でSUKIYAKIが売れたりぱみゅが売れたりするあたり素質があるのもちょいちょいあるんだから、惜しいところにいると思う。あと一押しだ。
そして職人軽視の風潮を減らすためには、生産ラインに乗ってきた人間しか食えないような制度を見直すべきだ。人には得手不得手があるという前提が浸透しないと、個性的な人材は生まれないし、さっきも書いたようにいじめもなくならない。専門職への理解が深まれば一度ドロップアウトした人でも選択肢がそれだけ広がる。その為には現状旨みを吸ってる連中、特にリクルートなどを潰さねばなるまい。
EDM-DJで世界に名を轟かせている人たち、スクリレックスにマデオン、ゼッドにアヴィーチーなどは、16歳くらいで表に出てきて、20代の今トップセールスを出している。洋楽のミュージシャンなども全体的に早咲きの人が多く、日本の音楽シーンよりもよっぽど若く才能にあふれる人たちがたくさんいる。
日本は一定の年齢まで画一のシステムに縛りつけ、クリエイティブになれるまで時間がかかる。失礼だが、大抵その頃にはもう旬は過ぎている。私ももう間に合わない。
私たちは文化の発展のために、子供たちがEDM-DJになれる可能性を残してあげる為にも、せめて後進の世代に自由をくれてやらねばなるまい。それを勘違いして「ゆとり教育」なんておっぱじめた一昔前の自民党はバカだね。おいデブ! お前のことだ!
気を使っていただいて恐縮です・・・
>>33
話していても意味が分からないのでしばらく黙って見ていようと思ったのですが書きます。
>>とか断言調でやられたなら、普通なら、どういう気持ちになると思いますか?
今まで散々こういう事件が繰り返されてきて、またああいうことがあって、それを踏まえてわざと書きました。
本気でこの世からいじめが完全になくなると思っているのであれば、あなたはいじめの実態をろくすっぽ知らないことになる。
この問題に直面せざるを得なくなったことがある人はみなこのことを大前提に、念頭において話をします。いじめを減らす取り組みをしている人が場にいることも考慮してオブラートに包んだりしますが、ここではあえて包まずに書きました。こんなもの、読みたい人だけ読めばいいんですから、気を使ったりはしませんよ。嫌なら去ればいいだけです。なにも、ここで討論することをあなたに強要した覚えはありません。
命がけでなくした、と仰いますが、逆に言えば「命がけでやればどうにかできた」わけであって、全く救いがない環境でない分最悪の状況にあるひとより幾らかマシです。(命がけがどの程度で、どのようにすることを指しているのかは言及がないので分かりませんが)
>>自分は、日本文化の価値を信じ、それに人生を賭けてる人も現に知ってるので
劣るとは言っても、無価値だとは一度も言ってませんよ。
あくまで私が、欧米より負けている、劣っていると感じているだけで、日本の文化を素晴らしいと思う人も世界に一定数いることは知っています。そういう人へ向けて発信することを否定しているわけではありません。
>>自分の生存を全否定された前回どうよう
いつ私があなたの生存を否定しましたか。
色々と自力で克服なさったのでしょう? 素晴らしいことだと思いますよ。きっとあなたは幸せでしょう。羨ましいです。少なくともこうして生きているだけでもうけものですよ。私同様、死んだ人よりも恵まれています。
あなたの努力は素晴らしいものです。恐怖に打ち勝ったのですから、話が本当なら沢山苦労なさったのでしょう。
あなたは勘違いをしている。
誰もあなたを否定していないし、かといってすべての人があなたを肯定しているとも限らない。
私はあなたの過去に関心がない。
知ったところで「そういう人生もあるのだな」としか思わない。
ノウハウを得たとしても、その環境を再現できるとは限らない。
無関心と否定は違います。
「大抵そこまでひどい目にあっていない」と書きましたが、私の言うひどい目とは、ありとあらゆるノウハウが効かない極限の環境です。
私は見聞きはしても立ち会ったことはありません。
その見聞きも完全なものではなく、幾分か推測が混じります。
なぜならそのケースに当てはまる大抵の場合は、当事者が亡くなっているからです。
あなたがどうにかできた、だからほかの人もみなどうにかできる、ではないんです。
だからあなたはいじめを知らない。知っていても深いところで舐めている。
私があなたに楯突く一番の理由です。
あなたは自分の努力が否定されたと憤る。
でもあなたは死んでも死に切れなかった数多くの人やそれに関わった人の気持ちを踏みにじった。
正直私は一連のログを残したくありません。が、残しておきます。
あなたに同調する人もきっといるでしょうから、あなたとあなたのような人も同様に考えて発信する権利がありますから、私はそれを守ろうと思います。
自分と相容れない人の主張を踏みにじるほど、私も心のない人間ではありませんから。
>全否定、というのでしたら、先にやられたのはこちらですよ。
てことは、「単にやられたからやり返しとる」ということやな?
そのやり返しが、言葉尻をつかんで揚げ足取りで、まったく本質を突いてないやん。素直に「イジメが無くならないと言われたのが気に入らない」と言わんと相手に伝わらんやろ。せやから、主さんも「分かりません、分かりません」言ってるやん。
それでもやる、追い詰めるのは、リウキさんが否定する「いじめ」、これをする側の性質と、何がちがうんや?
結局相手を苦しめとるだけやろ?まあワイも人のこと言えんが、どうも一方的なのは、ワイは好かん。
>自分がこうして今生きてるのは、自分の周囲のいじめを自分が比喩抜きで
>命懸けで無くしたからで、
そこまで苦しんだなら、なんで同じくイジメに遭って、いまだ後遺症から立ち直れてない人にわざわざ自慢しにくるんや。自慢でしかないやん。少なくとも、大したイジメに遭ってないワイから見たらそうやわ。ホンマのヒーローは、アンパンマンみたいに優しいよ!少なくとも、人の心を汲みに来るやろ!そんなヒーローでも無いくせに、ヒーロー面しやがって気に食わんわ。弱いモンから見ると。
メリケンヒーローが自分の筋肉を、ガリガリに見せ付けに来てるようなもんや。強い奴に当たって来いよ。日本中のいじめっ子に、自分の筋肉を見せ付けに行けばエエがな。それを何で弱い奴にひけらかす? 意識が女々しいわ! アンタもそうかもしらんが、主さん、今でも苦しんでんのやで? それをやな、弱ってるものに向けて「戦う意思があったのか」どうのと・・・ホンッマいけしゃあしゃあと、情けないわ! 残ってるわけないやろそんなん! 主さんやって色々やってはったやんか! それで何か? 自分の手法は長くなるし、思い出すのも嫌だから言わんやと? アンタ、ここに何しに来てん? ただ主さんの傷口に塩を塗りにきたんかよ! 「欝にガンバレ」とまったく同じや!
「自分の感情のコントロールのため」「自分の気持ちを分かってほしい」、「自分」「自分」ばっかりやろ!さっきからよお。 あんたは主さんに何のエエことをしてあげられるんや?
今でも苦しむココの主さんにまで分かってくれないからブチギレやとかホンマ「子供」やわ。イジメなくしたいんやったら、戦う意思がのこっとるアンタが戦えやマジで。 いじめっ子ブログに行ってブチギレてこいや! なんでいじめられっ子のブログに来てキレルんや! 怖いんか!
きにいらんのやわ。はっきりいうと、だいっ嫌いアンタみたいな奴!!!! 理屈で固めたようでいて、その実、矛盾だらけやん。 ココで見たように、人のブログ入ってから、その人のこと考える前に、やれ「自分が全否定された」だの、「自分の知人が全否定された」だの、自己中と身内びいきだけで優しくなくて、結局は自分より弱いものにぶつかってるだけ!
あんたは強いんやで。大勢の人は、脅威から逃げるところを、立ち向かってやっつけ切るのが誰にでもできるとでも思っとるんか? 強いやつは強いものに挑めや!
と、言っても、もうこれまでのようですが。
強いものは強いもの、弱いものは弱いもの、という分別は止しま
しょう。 今という時代は当の昔にその「弱いもの」、が「強いもの」
をひっくり返すことで生まれた近代社会なんですからね。
「ある。」と「ない。」に拘ったのは、渡都さんをいじめる為で
も煙に巻く為でも断じてありません。
これが、顛末は違えど、いじめ、というものを知るよしみでこっ
そり自分が渡都さんに教えられる、自分が自分の愛する哲学で知り
えた最高の贈り物だったからです。
その奥義の名を、逆説、と言います。
それが解らないその悔しさをどうか、その奥義の理解へと向け
て下さい。 そして、どうか、この逆説をもって「弱者」と「強者」
という存在の壁を、 本質の力で、突破して下さい。
希望を持って下さい。
「強者」の自分が言って許されるのは、どうも、それが限界
みたいですね。
渡都さん、とまと船さん、結果として感情を害する結果になって、
どうもすみませんでした。どうかご健勝で。
とまと船さんの仰る通り、自分はこれからも、皆さんの為にも
なるものと信じて、 強者に挑みます。
では。
こういうトコで冷静さを保てる人は凄いと思うわ。主さんもリウキさんも。
ワイはこの通り無知やし導火線が短いし、短気な狂犬のようなところがあるんで、リアル友人が少ないわけやわマッタクw 学生をなんとか過ごし、社会人なってブチギレたときもあるけど、なんとか家族と生きてるのは運でしかない。
昨今のニュースの「イジメ」、学校ぐるみ親ぐるみで隠蔽したり、とてつも無いゲスが集団でおったり、「こんなんで、どう生き延びろというんや?」という義憤があった。 ホンマそういう環境に居る人は、刃物を持って周囲全員タヒなすくらいを許すようでないと、環境がクソすぎてどうもならんがな。
思い出話なんやけどな。 ワイは小学校の頃、ニュースで報道されるほどやないけど、クソみたいな奴がおった。中学高校の頃には、イジメほどでない、疎外感を感じて過ごしとった時期があった。 中学生のある日、本屋でふと手に取ったのが、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」という本。 今でも覚えとるよ。主人公はドイツのギムナジウム(?)とかいう学校に通っていて、そこへゲスのいじめっ子である「フランツ・クロオマア」というのが現れる。 クロオマアはな、主人公の弱みを握って、両親の財布から金を取ってこさせたり、「それをばらされたくなかったら」と、他人の庭にあるものを窃盗させたり、また「それをばらされたくなかったら」・・・で、どんどん要求をエスカレートさせるゲスの根源みたいな奴やったよ。
しまいにはそいつが何と言ったか?
「おい主人公、お前の姉さんと楽しいことがしたいから、俺たちのところへ連れて来い」だ。
目的は体や。ゲスの極みやで。
ここで、転校生がやってくる。長身でどこか大人びた感じのある少年「デミアン」や。 デミアンは主人公が困っているのを察する。 ギムナシウムの授業で、いつの間にか隣の席に居る。 下校時も近くを歩いている。 ある日デミアンはこういう
「ねえ、君、何か困っているだろう?」
不思議な事に、主人公は答えまいとするも、誘導尋問でどんどん秘密を暴かれていく。 しまいには、クロオマアからのイジメについても聞き出される。 それでデミアンは何と言ったか?
「クロオマアねぇ、あの手の奴は、じっさい大したことないんだけどね。
ほんとはぶちころすのが一番てっとりばやいんだけど」
『ほんとはぶちころすのが一番てっとりばやんだけど』
この言葉が、どれだけ当時のワイに頼もしかったことか。。
なあ、なんでデミアンは現実に居らんかったのか。 デミアンはクロオマアの耳元で2、3言ささやくだけで、クロオマアが主人公にビビッて近寄れなくなるくらいの力をもっていたのに。 なんでや? なんで人を追い詰めるゲスがこの世にのうのうと生きとるねん。
ワイは中学生、高校生の思春期、デミアンをそれこそ「聖書」のように持っといたよ。 意地悪なやつから、不思議な力で守ってくれると信じて。そして、その物語に出てくる、善と悪を超越した存在、「アブラクサス」に、信仰に近い気持ちを持っていたよ。 信じている限り、不思議に守られている気がして、事実無事に過ごせたんやけど。。
乗りかかった船やから、その「逆説」というのを考えてみるで。 主さんに怒られたら、ココでは辞めるけど。
なんと言っても、深い見識がないワイは、辞書で語義を調べるのが先やな。ワイの相棒は小学館の辞書。
逆説
真理に背いているようで、よく考えると一種の真理を言い表している表現法。逆理。パラドックス。「負けるが勝ち」の類。
逆説をもって「弱者」と「強者」を・・・ということは、「『弱者』は『強者』、『強者』は『弱者』なり」ということやろか? 『弱者』は『強者』? 弱いものは強い?
ワイの小学生並みの頭を働かせて考えを巡らすと、一般社会では、身体障がい者向けの行政サービスがあるけど、それに通じるモンやろか? つまり弱者は、理解を得やすい? 故に守られやすい。 逆に強者は、守る必要がないと見られ、世間の風当たりは強くなるということ?
しかし、理解を得られん弱者もおるのぜ。 少年期のイジメで、両親すら根性論者で敵とあらば、その人を守るのは一体誰になるのか? 少年自身が、行政サービスに飛び込むこと? それすら、思いつくんかなあ。。 根性論両親やったら、ほぼほぼ洗脳状態やろしなあ。。
それは、心に「刃」。そして覚悟や。
小学生の時、クソみたいなのがおった。自分がメインのターゲットになってなかったり、転校したりでなんとかなったものの、こないなゲスに集中攻撃食らったら、どうもならんと思ったよ。
せやから、このコメ、危険ワードで消されるかもしらんけど、最悪の事態になるくらいなら、「ヤるしかない」と思ったんよ。人間ってな、どんなマッチョ野郎でも弱点はある。 寝とるときもそうやし、こちらが背後をとったときの、「首」やな。 そして、刃○ってのは、どんな非力が持っても○傷能力を持つ。 もうこれ以上ならん!と思ったら、背後からブスリとしようと。 そのゲスがどんなに集団居ろうが、授業中はひとまず席に着くやろ。トイレに行くふりをして教室をでてからな。後ろの戸から戻ってきて、自席に戻るフリをして、後ろ首を○○○。どんだけ大騒ぎになろうが、一人なら○れる。 もちろん討ち漏らさんように、何度も心の中でシミュレーションや。その後はどうなるかわからんが、心の中では、正義は己の中にある。 人を○なすような危険人物をこれ以上いじめるようなら、また○るまでと。 実行はせんかったよモチロン。 だが、イザというとき、心に刃をもっているなら、「やられたらどうする→事態を変える力がある」と、己に一本の筋ができる。
もっと温和なやり方があれば聞きたいトコやな。
正直、周囲全体が自分自身をタヒなそうとするんなら、自分が周囲全体をタヒなすしかないかもしれん。とはマジで思うことがある。何のための秩序であり法律かというと、大多数が生きるためのものなんやけど、それが自分をタヒなすなら、自分にとっての秩序、法律は周囲をタヒなすことやろ。そうでないと、生きてけへん。
しかし、両親や周囲の洗脳やら元来持って生まれた自己否定的な観念がある人は、「周囲全体が自分自身をタヒなそうとする」場合でも自分を責めるやろねえ。。 これは、うつ状態やったワイ自身がそうやったからね。 その意味で、うつ状態は非常に危険やね。 ワイの殺意がワイに向く~という、恐るべき状態とんでもなかったぜ!
せやから、一筋縄ではいかん、難しい問題よなあ。。
ネズミの実験でも、確か「何をやっても電撃を食らう」ような環境を用意されると、次第に足掻くのをやめて、エネルギーが残っていても動かなくなり、死に至る。
何度もひどい目に遭っていると、例え相手をタヒなそうとしても、手足がすくんで動かんこともあろう。手足がすくむ経験自体は味わったことがあるのぜ。 ココまでくると、怒りや憎しみすらも、消沈していくやろうけど。。 本人ではどうもならん状態やろか。
デミアン兄貴が本当に居ればと思う。 またはヘルマンヘッセの「デミアン」を、読んで欲しいな。 孤立した自分の心に、一つの味方ができた気がして、嬉しかったのぜ。