自然っていう概念がよく分からない
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自然っていう概念がよく分からない

2019-10-19 02:23
    よく、自然は自然のままに、というような言説というのが聞かれて、野生動物なんかをそのまま放置というか、まぁそういう感じで。

    僕自身も昔はそう思っていた人の一人で、別に動物愛護を声高に唱えているわけではなくても、なんとなく目の前で襲われていたりとか、もちろん目の前といっても画面だけれど、いい気分がするかと言われればまぁそれが自然だからね。弱肉強食で。なんていうありきたりな言葉を考えてる。

    今でもそれが間違っているとまでは思わないけれど、果たして本当に弱肉強食という言葉だけで片付けていいものなのだろうか。どうにも、今今考えてみると、人間の傲慢さが聞こえてきてしまって、その通りだ!間違ってない!なんて昔みたいに無邪気に考えられません。

    別に、ほんとに間違ってるとまでは思ってるわけじゃなくて、ただただ、それを無邪気にその通りだと思えなくなったというだけで。というのも、人間の傲慢さというのはつまり、自然は自然のままで、という、なんともまぁ、上から目線なことで。

    要するに、人間という偉大な存在は、手を出すことができるという前提のもとにあるんですよ。そこに、人間も自然の一部という考えが僕には見いだせないのです。事実、人間が自然の摂理、あるいは弱肉強食という原理でしょうか、それに手を加えることが人間の思い上がり、と思ってる人がいるんです。僕には、むしろその考え自体が、人間が自然の外にいるという傲慢さをまさに示していると感じています。

    ただ助ける助けないとか、それだけじゃないんですよ。例えば目の前に死にかけのウサギがいる。それを、食べようとして捕まえる。それは正しいと肯定されるんでしょうか?それとも、自然に手を出すな、なんていう風になってるんですかね。あまり、こういったジビエというか、まぁジビエっていうのかすら怪しいけど、そういう自然に死にかけの獲物がいて、それを食料として捕まえたとしたら、それは自然な行動として認められるんだろうか。

    仮に、これが自然の内にある行動、弱肉強食の世界という意味で正しいのだとすれば、それと
    目の前の瀕死の動物を救おうとする、という行動とはいったいどれだけ違うといえるのだろう。少なくとも違いが僕には見えてこない。

    また、”自然”の動物を救わない、という選択肢を人が取る”べき”なのだとすれば、人が人に行う治療は、まさしく自然に反しているのではないか。なぜ、動物には治療行為が適用されず、あるいはペットや家畜には適用されるけれど、人の治療のみが許されるというおかしなことになっているのだろうか。

    自然にしていたら死んでしまうようなものなのだから、という意味で手を出してはいけないのだとすれば、人が病気で死んでいくのも、怪我で死ぬのも、あるいは殺人で死ぬのも弱肉強食の一環と言えるんじゃないだろうか。

    もちろん、事実として人が自然に手を出して壊すということはできるし、今までどころか今でもそれは継続されている。手前勝手な理由で、特に食用というわけでもなく、売り物として動物を殺したり、あるいは森林を伐採したり。それとも政治的な理由もあるかもしれない。いずれにせよ、それらも広い視野で見た場合、弱肉強食の一環ととらえられなくもない。弱いものが強いものの利益に供するために破壊されるのは、なにも間違ってはいないんじゃないだろうか。

    だいたい、生態系の破壊、という観点から見れば、外来種というものがあげられる。そして、人は最大の外来種ととらえられるんじゃないだろうか。というか、外来種とはいったいなんなのだろう。固有の種、というのもなんだかよく分からない。強いものが弱いものを淘汰するのが正しいはずなのに、ここに至っては論理が通らなくなっている。と、少なくとも僕自身は思う。もちろん、それらの外来種が人によってもたらされている、ということなのかもしれないけれど、どちらにせよ、弱いもののために強いものを淘汰する、もちろんこれができるのは人が現状それらよりも強いからにほからならないんだけれど、ということを行っていて、一方で弱いものは放置せよ、という言説がまかり通ってしまっている。

    ただ、どちらにも共通しているのは、おそらく、最初に述べたような、人間の傲慢さともいうべきもので、事実として、確かに人が今一番の勢力を誇っているし、ほかの動物たちに比べて尋常じゃない速度で自然を変えることができる――往々にして、変えるというのは破壊と同義なのだけど。

    結局のところ、人が自然に対してあれやこれやというのは、人の良心からではなく、良心に見せかけた欺瞞であり、言い換えれば人間という種にツゴウのいいコトだ、ということに外ならないんじゃないだろうか。自然に手を出すなという原則は、自然の循環を人の手によって変えるな、それはそのまま現状の環境を保ちたい、ということに外ならない。そして、外来種排除というのもその文脈でとらえれば納得できる。

    だから、自然は自然に任せてやるのが一番だ、というのは、まぁ間違ってないのかもしれないけれど、実はそれが本当の意味ではなく、人にとって都合をよくするために自然を放置しろ、というのが正しい。そしてそれを示すかのように、人は自分たちに都合さえよければ、自然をいともたやすく破壊してしまう。森林伐採は当たり前、食用という名目なら天然の魚を捕まえることだってする。人が自然にあやかっていて、かつ自然に手を出しているのにもかかわらず、目の前の動物を救助するというのは自然に反しているのだからやめろという。それとも、人が魚を食べるのは自然だから許される、とでもいうんだろうか。

    もしくは、助けない理由として、人の善意が間違っているから、というのもあるみたいで、確かにこれはそこそこ筋が通っているように思える。事実、助けを求めていないのにも関わらず、善意なのか自己満足なのか分からないけど、押し付けようとして、結果死なせてしまう。そして、それは野生動物だから、自責の念は人のそれほどは起きないと。うまくできてます。

    ただ、それなら人が人を助けようとするのも、もちろん人の場合は助けを求めることができるかもしれない。けれど、助けを求めていない人を助けようとするのは傲慢じゃないだろうか。DVを受けてる人がいて、その人自身は幸せで、それならそれでいいんじゃないだろうか。それとも、人の場合は会話が可能だから別とか、同じだからとでもいうんだろうか。

    人はいつから自然の外で生活するようになったのだろう。定住するようになってからだろうか。自然を農業でコントロールできるようになり、かつ安定して食料を得られるようになってからだろうか。しかしそれでも、直近では台風であったり、災害には未だ勝てない。所詮、どれだけ自然から離れようとしても、自然が人を殺そうとするし、その逆に、人だって自然を大量に殺してきた。にもかかわらず、自然の外にいるかのようにふるまう傲慢さは、いったいどこからきているのだろうか。

    まぁでも、傲慢さというのもあるけれど、都合のいいような解釈をしているとしか思えない。そこが一番で、別に、素直にいったっていいじゃないか、と僕は思うんだけど。自然のままにが正しいけど、人は人だから特別です。動物と人は明確に違うんです。人は動物じゃありませんから。なんて。

    そうやって、なにかを覆い隠しながら社会というのはできているのかもしれないけれど、僕自身としては、そういう部分を覆い隠さないでほしいと思う。あるいは、僕には分からないような深ーい考えがあって、かつ僕がそれを見れていないということもあるのかもしれない。それでも、少なくとも僕自身にはそれが分からない。

    世界をそんな風にきれいに見せようとしないで、もっと正直に見せればいいのに。
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