戯れ言
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戯れ言

2016-09-08 23:55
    日々日々楽しいのか・・・と思うことが多々有る

    確かにゲームをしていれば楽しいだろう
    アイマスのお話をしていれば楽しいだろう
    ドールについて語っていることも楽しいだろう

    ただただ、本当の意味では心が癒やされているわけでは無いなと・・・。

    この3年色々辛いことがあった
    突然の別れ、徐々に崩壊していく家庭

    我慢をすれば、自分さえ我慢をすればそれで良いと思っていた
    でもそうじゃなかったのかもしれない・・・。

    冬の突然の別れでは前触れもあったが、涙一つでなかった。
    もちろん感謝の気持ちで見送った。

    ある台風で荒れ狂う朝、また別れがやってきた。
    死の淵まで行って頑張って返ってきた。
    もうお別れだよと言われてから2年頑張った。
    よく頑張ってくれたねと、背をさすり見送った。
    感謝しかなかった。

    そして、崩れた家の中には私と1匹の犬だけが残り・・・
    悲しくも無かったし涙一つもでなかった。

    もう壊れてるのかもしれないなと思った。

    でも、そんなときに、綺麗ななにかが一瞬見えた気がした。
    それが自分ではなんだか解っていたけれど、自分にはどうにも出来ないことのようなきがした
    今もそうだが。

    今までの人生で努力したことなどほとんど無かった。
    流れに身を任せるままに社会に出て流されるように家庭を持った。
    今思うと努力なんてしてなかったんだって。
    そのときは必死だったような感覚になっていただけなのかもしれない。

    今ほどの努力をしようとおもったことが無かった。
    また、一瞬見えかけた綺麗ななにかを見たいために・・・。


    私にとっての生きがいは年老いた犬一匹。
    趣味は生きがいでもなんでもないのだときづく。
    最後の別れを迎えたら、私には守るものが無くなったしまうのだ。

    だからなにかを誰かを守れる存在が欲しいのだと。


    偉い先生は言う
    人は何かしらの責務を持って生まれてくると。

    僕が誰かのためになっているだろうか
    それが僕である必要があるだろうか
    かわりなんていくらでもいるもの。
    そうじゃないのか。
    僕は特別な人じゃない。
    ただ自分が生きていくめに何かをしているだけなのだ。

    それが・・・
    誰かのために生きられるなら、もう一度
    こんな気持ちを捨てて前に進みたい。

    人生は何が起こるか解らない。
    これを書いている明日に事故で僕はこの世界には存在しない者になっているかもしれない
    はたまた今まで生きてきた年とおなじだけこの先生きていくかもしれない。
    ただ、このままでは心は死んだままなんだろう。
    何かがおもしろくても。
    本当は満たされていないのかもしれない。
    心が満たされる感覚を
    明日またがんばれる自分を

    僕は認識されていないのだ
    色々なモノに埋もれて。
    果たして認識され、先に進めるだろうか。

    もしここで思ったことが覆されたなら、きっともっと強く生きていけるとおもう。
    そんな日が本当に来るのだろうか。

    でも、答えはいつかわかるだろう・・・。
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