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「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("海外艦"編) その1
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「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("海外艦"編) その1

2014-08-22 00:46
    ついに実装された海外組。ドイツという事は・・・3大メーカー(メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ※1および+1としてミニ)の最強モデルを配給されました。
    Bismarck「ここはドイツが誇る3大メーカーが揃った記事よ。逃がさないわよ・・・SLS AMGを甘く見ないで!
    Z1「かなり長い解説文があるから、時間があれば読んでね。ん、何かな?僕はM5のタービンの整備をしたいんだけど。
    Z3「最近話題のビジョングランツーリスモだっけ、それもあるから参考程度に…何?あまりR8に触らないで。


    ・戦艦→こちら
    ・航空戦艦→こちら
    ・正規空母→こちら
    ・装甲空母→こちら
    ・軽空母→こちら
    ・水上機母艦→こちら
    ・揚陸艦→こちら
    ・重巡洋艦→こちら
    ・航空巡洋艦→こちら
    ・軽巡洋艦→その1その2
    ・重雷装巡洋艦→こちら
    ・駆逐艦→その1その2その3
    ・潜水艦→こちら
    ・潜水空母→こちら
    ・期間限定艦→こちら
    ・敵艦→こちら
    ・海外艦→ここ
    ・NPC娘→こちら

    ※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
    ※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
    ※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。

    Bismarck
    ●メルセデス・ベンツ/SLS AMG'10

    ・パフォーマンスポイント(PP):579
    「名車"300SL"を見事現代にリファイン・アレンジされたAMGの新たな兵器」
     名車300 SLを彷彿とさせるガルウィングドアを備えたSLS AMGは、AMGが一から手掛けたスーパースポーツとして、2009年のフランクフルトショーでデビューし、日本では同年9月に開催された東京ゲームショウの「グランツーリスモ」ブースにて初公開された。
     SLR マクラーレンの後継と思われがちだが、実際その構造は大きく違う。最たるものが両車のボディ構造だ。SLS AMGでは高コストとなるカーボンモノコックを捨て、新開発となるオールアルミボディが採用された。そのホワイトボディの重量は、わずかに241kg。車両全体でも1,600kg少々という重量はV型8気筒エンジンを搭載し、全長4,600mmを超えるクルマとして軽量の値であることはいうまでもない。
     フロントミッドシップに搭載されるエンジンは、社内コードM159と呼ばれるドライサンプの新型8気筒6.3L。最高出力571PS/6,800rpm、最大トルク66.3kgfm/4,750rpmを発揮し、トランスミッションはトランスアクスル方式を採用した新開発の7速DCT(デュアル・クラッチ・トランスミッション)が組み合わされる。ちなみにドライブシャフトとトルクチューブはカーボンファイバー製だ。
     ドライビングモードは「コンフォート」、「スポーツ」、「スポーツプラス」、「マニュアル」、「ローンチスタート」の4段階が用意され、メーカー公称値0-100km/h加速3.8秒、最高速度は317km/hのパフォーマンスを誇る。静的重量配分は47:53と理想的な値を示し、スーパースポーツにふさわしい卓越したハンドリング性能を手に入れた。300 SLの誕生から50年余り。SLS AMGは、そのメルセデス・スポーツカーの歴史とAMGのDNAがたっぷりと盛り込まれている。
     この300 SL クーペ(1965年型)を彷彿と思い出させてくれる、SLS AMGを所有しているのは、まさかのドイツ軍の超弩級戦艦ビスマルク級1番艦「Bismarck」。思いっきりドイツの高級車メーカー"メルセデス・ベンツ"のスーパーカーであり、その他に実装されたZ1(BMW・M5'08)とZ3(アウディ・R8 5.2 FSI クワトロ'09)の性能すら上回る即戦力。これなら敵艦をテイクダウンするのは容易い。パワーも、アニメ「蒼き鋼のアルペジオ」に登場するタカオ(パガーニ・ウアイラ'13)に続いており、期間限定と違って普通に使えることが利点。
     新生ドイツ海軍が満を持して繰り出した本格的超弩級戦艦ビスマルク級1番艦。ベルサイユ条約を再軍備宣言で破棄して、英独海軍協定(Anglo-German Navy Agreement)で堂々と大型艦造れるようになり、建造されたのが本級戦艦。姉妹艦には2番艦ティルピッツ(未実装)が存在。ドイツ第三帝国最初で、そして最後の超弩級戦艦である。
     前級のシャルンホルスト級戦艦(未実装)はもともと旧式戦艦代替枠から発展し、上記協定で事後承諾的に大型化した艦なので色々と不満足。本艦こそがドイツ新戦艦のスタンダードとなる、筈だった。協定に従えばティルピッツに加えて、あともう1隻で保有枠がいっぱいになる予定だったが、有名な「Z計画(※決して"日産・フェアレディZ"の事ではない)」によってこの協定もまた破棄される。そして起工されたのがH級戦艦。後日さらに暴走発展していき、ついには20inch砲、14万トンの化け物戦艦H44にまで至る。これらの未成戦艦全てがビスマルクをタイプシップとしたものだった。
     設計は1934年に始まり、排水量はイギリスとの合意であった35,000トンを越え42,600トンまで増加した。満載排水量は50,300トンである。1940年8月竣工。竣工時点では世界最大の戦艦で、欧州では大戦を通じて最大であったが、後述するようにその実力は巨体に見合うものとは言えなかった。しかし、連合国、特にイギリスの同級に対する警戒心は強く、抑止力としては有効であった。
     本級は「新しい旧式戦艦」とも揶揄されるように、設計に古くさい部分を多々持ち合わせた艦である。これじゃあアメリカのフォード・クラウンビクトリア ポリスインターセプターと変わらない・・・。設計の下敷きになったタイプシップは帝政ドイツ最後の超弩級戦艦バイエルン。要は第一次大戦の戦艦。列強各国がワシントン条海軍軍縮条約に基づく大改装や技術交流、軍縮の副産物である実艦実験、等で設計理論を発展させていった中、一人取り残されたドイツの哀しい現実がここにある。特に有名なのは舷側装甲の配置要領で、各国の新戦艦が舷側装甲の上端から水平装甲に接続しているところ、ドイツ艦は下端から傾斜装甲を介して水平装甲に接続している。ティルピッツとキングジョージ5世の比較。この方式は舷側→傾斜装甲の二重防御で極めて高い耐弾力を示す一方バイタルパートの容積を圧縮してしまうため、特に機関出力が激増した新世代の高速戦艦には不都合なものであった。なお装甲材質は技術立国ドイツの面目躍如たる『ヴォータン鋼』中心で装甲そのものは強固だった、らしい。しかし各所に十分な厚さを張り巡らせていたわけではなく、決して防御力が高いとはいえない。他にもスカスカというしかない水中防御や、(これはヨーロッパ共通の傾向だが)主砲塔装甲の薄さなど、一般に信じられている「強靱な防御のドイツ艦」というイメージとは裏腹の設計構造だった。ただし装甲重量は艦全体の39%にも及び、決して防御を軽視しているわけではない。むしろ列強に比べて重視していると言える。あくまでもノウハウの不足が原因なのだ。
     ビスマルクがこの様な設計になったのは、WWⅠ敗戦と想定された主戦場の二つが言われている。ドイツはWWⅠ時には世界第二位の海軍力を誇ったが敗戦でそのほぼ全てを喪失、ヴェルサイユ条約でその後の艦艇の保有・建造共に厳しく制限された。その状態が条約破棄まで15以上に渡って続いたために、新世代型戦艦を建造する理論・技術などが蓄積出来なかったのだ。ドイツ海軍の主任務は、艦隊決戦ではなく通商破壊だ。軍艦との戦闘を避け、北海の英(仏)の監視を抜け、大西洋に出て商船・輸送船を狩る事である。それ故にドイツ艦艇の想定された主戦場は北海・バルト海で、ここは太平洋と違い気象条件から視界が悪く遠距離砲撃戦が起こり辛い。それ故に近距離砲撃戦に対する防御が重視されたと考えられる。
     主砲には、当時フランスやイタリアで建造が進められていた新型戦艦に準じて38cm連装砲が採用された。本砲の詳細については当該記事に譲る。光学測距儀の精度は当時世界最高。射撃計算機の性能も素晴らしく、方位盤と合わせて射撃指揮装置の計算精度は極めて高かった。本艦の砲塔は第一から第四まであり、それぞれ「識別名」という個別の名前が付けられている。 第一砲塔から順に「アントン (Anton)」「ブルーノ (Bruno)」(または「ベルタ (Berta)」)「カエサル (Cäsar)」「ドーラ (Dora)」と名付けられている。ちなみに38cm連装砲4基8門、15cm連装副砲6基12門、10.5cm連装高角砲8基16門というレイアウトは以後のドイツ戦艦に共通するものとなる。H44でさえ主砲が巨大化した以外は同じ武装配置で設計されたのだ。
     機関出力は150,170馬力で大和より控えめ。しかし、造波抵抗を抑えるアトランティック・バウとバルバス・バウを採用し、長くスマートな艦体は速力30.1ktを叩き出す。これほど高速性能を求めたのは、仮想敵であるイギリスのフッド、フランスのダンケルク級戦艦は33kt近い高速艦である事が大きい。彼女らに対抗するには30ktは最低ラインだったのである。大日本帝国海軍の艦で例えると、長門型や大和型よりも速く、金剛型並みの高速戦艦になる。現代の護衛艦と比べてもまったく引けを取らない。でも高速戦艦といえども、愛車が300馬力クラススポーツカーなのだが(大和のLFAだけは除く)。また、ドイツは燃料を補給するための基地が海外に無く、本国から遠く離れて活動するために優れた航続距離が必要だった。通常積載に加え追加タンクを装備した場合には燃料8,700t(7,400tとも)を積載し、19ノットで8,524海里を航行することができた。64,000トンの某鋼鉄の浮かべる城は、6,300tの燃料で19.2ノットで8,221浬走れることは内緒だぞ?
     しかし、ビスマルクの足回りには根本的な欠陥がいくつか存在した。一つは採用されていた3軸推進方式であり、船体の中心線上に機関部を配置するためキールが構造的に弱く、特にシャフトが外部に出る後部が脆弱となった。操艦特性については諸説ある。船体側面の装甲が沈降効果を発揮してローリング軸が移動し、ローリング、ピッチングも少く良好であったという説(広田厚司『ドイツ海軍入門』第7章P155より)。両舷側のスクリューが反対向きに回転するため旋回能力が低く、舵機にも問題を生じた為さらに旋回能力は低下したという説(大久保義信『世界の軍艦コレクション』16号P4より)など意見が分かれている。また、計画当初は革新的技術のターボ・エレクトリック方式を採用して後進速度向上を実現しようとしたが、最終的には堅実で実績のある蒸気タービンが採用されたため、狭所では曳航が必要となった。特徴的なアトランティック・バウにも、欠点として艦首部の浮力低下が生じる副作用があり、荒天時では割れた波が錨鎖穴を通じて艦体前部へ降りかかるという問題が生じるなど弊害も多かった。
     戦歴などに関しては、1940年8月に就役したビスマルクだったが、乗員の訓練は不十分だった。1941年1月から3月の間ビスマルクはハンブルクで冬将軍に閉じこめられ洋上訓練が出来なかった。当時気温は-15℃以下で各機器が凍り付く状況であり、その影響でボイラー室を閉鎖する必要が生じたため、訓練どころではなかった。あれ?独陸軍でも似たような話が…キール運河が閉塞されていた関係でバルト海に抜けることが出来ず、結局3月までハンブルク港に留まった。その後、ビスマルクの早期投入を海軍司令部が画策した結果、4月初頭に訓練は中止された。そしてビスマルクの機器の修理や諸事情が複合した結果、ビスマルクは組織的な訓練が殆ど出来ないままライン演習作戦に参加することとなった。就役から8ヵ月後のことである。1941年5月18日、重巡プリンツ・オイゲンと共に、カナダとイギリスとをつなぐ北大西洋航路での輸送船団襲撃を企図した「ライン演習作戦」に出撃。これがビスマルクにとって最初で最後の作戦となった。
     メルセデス・ベンツが開発したスーパーカー、SLS AMG。SLRマクラーレンの後継車のようでそうでない。AMGが開発を費やしたエンジンを心臓部に納め、並入るスーパーカーをも料理してしまうほど進化した。Bismarckが持つSLS AMGは、普通のSLS AMGとは少し違う。ブレーキやサスペンション、ECUなどは彼女が作った自作が組み込まれている。
     とはいえ、FR車というコーナリングを楽しむ駆動なのだが、あまり深く考えない方がいいのか?

    ●メルセデス・ベンツ/SLS AMG GT3'11

    ・パフォーマンスポイント(PP):618
    「打倒BMW・GSR 初音ミク Z4 GT3。AMGが作り上げた最も美しいレーシングカー」
    2009年のフランクフルトショーでデビューしたメルセデス・ベンツ SLS AMGは、メルセデスの高性能車開発部門でありモータースポーツ部門でもあるAMGが、初めて独自に開発したスーパースポーツカーだ。
     歴史的な名車300SLをモチーフにしたガルウィング式ドアの採用や、イタリアメーカーのライバル車に遜色のないスペックを持ち合わせていたことなどで、世界的に話題となった。
     オールアルミ製スペースフレームのフロントミッドにマウントされるのは、AMG63系用ユニットをベースに、チューンナップがなされた6.2L・V8のM159型。571PS/66kgfmを発揮し、ゲトラグ製7速DCTとの組み合わせにより、0-100km/h3.8秒、最高速度317km/hというパフォーマンスを得ていた。
     このモデルを元に、FIA-GT3規定に合わせたレーシングカーに仕立て上げたのが、SLS AMG GT3である。
     前後バンパーまわりやサイドシルは空力を意識したデザインに改められ、リアには調整式のウィングを装備。前後のフェンダーは大幅に拡大され、ボンネットには放熱孔が開けられるなど、機能はもちろんスタイリングもなかなかの迫力である。パワーユニットは基本的に市販車と共有。正式発表はないものの600PSオーバーまで高められているという。
     トランスミッションは完全なレース用のパドルシフト式6速シーケンシャルへと変更され、ブレーキは競技用ABS付コンポジット製に、ステアリングはダイレクトレシオに、サスペンションは調整式の専用品へと改められている。
     このマシンは2011年から本格的にレースに参戦。この年戦った101のレースのうち、25回の優勝を手中に収めている。
     BismarckLV30で改造が可能となる。(Bismarckの実装経緯・入手方法についてはBismarckのページを参照されたし)改造により全体的に性能が強化される。基本的な特性などに大きな差異はなく、やはりその高い耐久と高速の速力を併せ持つ事がセールスポイントとなる。金剛型に次ぐ、速力:高速を持つ戦艦。また、探照灯が装備可能、徹甲弾が装備不能な事も金剛型と同様。入渠時間の倍率も金剛型と同じ。金剛型(改)と比べ、耐久は二回り、装甲は頭一つ分ほど優秀だが、逆に対空は二回りほど低い。その他の性能は同程度の水準に纏められている。高い耐久のため、深手を負うと修理鋼材や入渠時間が嵩みやすい。至近弾による被害出費も安くないためご利用は計画的に。
     改になってグラフィックが一部変更されている。軍帽と服装に模様が入っているが、これは実艦に施された白と黒の帯を用いたドイツ海軍特有の迷彩塗装。砲塔天蓋の色が赤色になった。これは防空識別区ごとの塗色で、赤はバルト海を意味する。これは味方からの誤爆を防ぐために実際に一時期塗られていた塗装で、黄色の時期もある。防空識別塗装が導入されたのはZ1Z3の味方航空機による誤爆事件がきっかけ。これらの塗装や装備の状態を『バルティック・スキーム』と呼ぶ。「ライン演習」作戦時には、出撃中のノルウェー碇泊時に鉤十字を塗りつぶし、イギリス艦とまぎれやすいよう迷彩も灰一色に塗りつぶしている。ただし、残されたカラーフィルムからこの時期(1941年3月時点)の砲塔天蓋は赤ではなく単にダークグレイだったとする主張もある。それによると同時期のプリンツ・オイゲンの天蓋が赤だったため類推でビスマルクも赤だったとされたのだという。他にもA砲塔のみ海老茶色だった説など諸説紛々。よくある誤解だが、砲塔天蓋が赤い=バルティックスキームではない。バルティックスキームとは、ドイツ海軍で用いられた他の迷彩パターンであるノルウィージャン、ブレストジオメトリック、スプリンターなどと区別するために言うものである。したがってむしろ主眼は黒白の縞(と偽装艦首艦尾)にあり、防空識別のための砲塔の色は副次的な要素にすぎない。A砲塔の測距儀が撤去されている。これは水密に問題があり、度々浸水していたことから行われた改装である。実艦の艦首・艦尾にはナチスのシンボルである「鉤十字(ハーケンクロイツ)」のマークが施されていたが、腕章に付いているのはこれではなく「黒十字(バルケンクロイツ)」。その下の「黒」の配色は、ドイツ帝国の国旗の配色である。鉤十字をはじめとしたナチスを想起させるものに嫌悪感を示す人々、それに配慮すべきだとする人々は少なくない。黒十字が元になっている「鉄十字勲章」は、現代でもドイツ共和国勲章として佩用が認められている由緒正しき(=政治的問題の無い)シンボルである。ナチス・ドイツ軍兵器のプラモデルに鉤十字のシールが付属していない、バラバラに分割されている、黒十字に差し替えられているなど、ドイツおよびヨーロッパ国内外を問わず、国際的な企業・団体による前例は多々あり、艦娘の彼女にとっても止むを得ない措置と言える。ただし、ヨーロッパに輸出されないであろう諸国の製品での鉤十字の使用も、同様に珍しいものではない。鉤十字や「卍(まんじ)」そのものは、幸運のシンボルをはじめとして、古代から世界中で(もちろん日本でも)使われているものだが、ナチスによる悪印象や類似形状との混同により、諸外国での騒動は絶えない。フィンランド国籍マーク(北欧版鉤十字・ハカリスティ)も鉤十字と同等の修正を受けたり、軍事とは全く関係のない分野でも、スポーツ・少林寺拳法のロゴマークが改定されるなどしている。
     午前十時の時報で金剛(スバル・インプレッサ WRX STi'07)長門(マツダ・RX-7 スピリットR タイプA'02)、続く午前十一時の時報で大和(レクサス・LFA'10)について聞いているが、日本との交戦経験が無いため、挑発などではなく純粋に興味があるのだろう。また、ビスマルクと交戦した英軍艦2隻は長門型、金剛型を仮想敵としていたとされている(戦歴については改造前Bismarckを参照)。
     午後二時の時報のシャルンとは独戦艦シャルンホルストの事だろう。当初の予定では共にライン演習作戦(通商破壊作戦)に参加するはずだった。シャルンホルストはその神出鬼没な活躍ぶりから英国に幽霊戦艦として恐れられた。呪われた戦艦のエピソードが世界的に有名だが、事実と合わない物が多く、50年前のオカルト本から広まったと言われる。実際の戦歴は、戦艦で史上唯一正規空母撃沈、通商破壊作戦で22隻計11万5千tを拿捕・撃沈、ドーバー海峡突破に成功、英国の必死の捜索をかわし続け当たる爆弾は不発弾続き、などむしろ武勲と強運に恵まれた幸運戦艦として有名。実装に期待
     午後九時の時報は当然あの姉妹だろう。欧州戦艦にあれ程高い艦橋を持つ艦はいない。その違法建築ぶりは海外でも結構人気があったりする。
     海外のFIA-GT3選手権やニュルブルクリンク24時間レース、日本ではSUPER GTのGT300に出場しているメルセデス・ベンツのSLS AMGをベースに最も美しいGT3仕様がこれクルマだ。無駄な装備は一切ない事により、レーシングカーとしての性能を機能させている。ライバルと言えば、同じFIA-GT3仕様であるBMWのZ4 GT3や日産のGT-R NISMO GT3、アウディのR8 LMS。
     アウディ・R8 LMSは、下記のZ3が愛用していることもあり、仲が良い。日産・GT-R NISMO GT3の方は、千代田のクルマとして登場を果たしている。ただ、仲が悪いのはライバル企業が誇るBMW・Z4 GT3。これのおかげでGSR初音ミクBMWの監督であり、七葉HTレーシングミクのマスターである諏訪子(こちらの設定)と喧嘩したりしているのが現状だ。大井が持つシボレー・コルベット(C6型)ZR1の元レーシングモディファイ(こちらはFIA-GT1に出場していたのと同じ)は眼中に無い模様。他にはポルシェ・911 GT3を持つパルシィやスバル・BRZのGT300仕様を持つ五十鈴、同じくスバル・インプレッサ2代目後期型のGT300仕様を持つ戦艦の霧島、トヨタ・プリウスのレースカーを持つ那珂に関しては、距離を保ちつつも、観察対象となっている。
     …なのだが、2015年シーズンのSUPER GT(GT300クラス)からグッドスマイルレーシングは、BMWからまさかのメルセデス・ベンツ陣営(しかもSLS AMG GT3を使用)に電撃移籍する事に。これにより仲が悪いどうこうの問題では無くなった。

    ●メルセデス・ベンツ/AMG ビジョン グランツーリスモ

    ・パフォーマンスポイント(PP):607
    「各自動車メーカーと『グランツーリスモ』がコラボしたイベント。その幕開けに相応しいメルセデスのビジョン グランツーリスモ」
     世界中の自動車メーカーやクローバルブランドが「グランツーリスモ」とそのファンに向けてコンセプトカーを開発するプロジェクト「ビジョン グランツーリスモ」。この画期的なコラボレーションの幕開けを飾るクルマが「メルセデス・ベンツ AMG ビジョン グランツーリスモ」だ。
     メルセデスのデザインチームは「狩りをするネコ科の大型動物」をイメージし、このモデルに俊敏さと優雅さを封じ込めた。官能的な曲線と力強く隆起したフェンダーが特徴的なボディは、メルセデスが伝統とするスポーツカーのプロポーションを踏襲する。フロントグリルの形状は、中央に星を掲げるメルセデス・ベンツのスポーツカーグリルの再解釈だ。その形は1952年、過酷さで知られる第3回パンアメリカーナを制した伝説的な300 SLを彷彿とさせる。
     アルミスペースフレームと、レースで多用されるカーボンファイバーを使用し、車両重量はたったの1,385kg。AMG製5.5L V8ツインターボエンジンはアクセルの微妙な操作にも瞬時に反応し、最高出力430kw(585PS)と最大トルク800Nm(81.6kgfm)を発生する。超軽量ボディとも相まって、パワーウェイトレシオは2.40kg/PSを達成。そして群を抜くパフォーマンスを発揮するようにセッティングされたAMGスピードシフト7速スポーツDCTのおかげで、誰もが息を呑む運動性能を体感できる。
     エンジンに関して特筆すべきはサウンドだ。このクルマの発するパワフルなサウンドは、AMGの熟練したサウンドスペシャリストが「作曲」したもの。エンジンと排気系それぞれが奏でる音色が見事に調律され、どこを走っていてもサーキットの興奮を呼び覚ます。
     いっぽう前後のダブルウィッシュボーンサスペンションは、メルセデス・ベンツの長年のレース経験が反映されている。電子ディファレンシャルロック機構は動力を伝えるリアタイヤに最適なトラクションをもたらす。AMGセラミック・ハイパフォーマンスコンパウンド・ブレーキシステムは最適な減速性能を保証する。
     メルセデス・ベンツが提示する極上のコンセプトスポーツを、存分に堪能しよう。
     2014年4月23日の更新で実装された。改造はLv50と早いが、改装設計図必要となる。勲章4つ消費のため慎重に。
     ステータス面は金剛型改二とほぼ同等だが、燃費・弾薬は長門型より少ない程度と、ややかさむ傾向にある。対空値で劣る分、耐久値は上回っている。運が+10強化された……が、運20でカットインを狙うのはあまり現実的ではない。狙うならまるゆを与えよう。2014年6月20日のアップデートで回避、索敵の初期値が+1、火力、対空、回避、索敵の最大値が+2、運の最大値が+3微上方修正された。
     耐久がビスマルク改の時よりも増え、大和改と同じ96になる。ただしケッコンカッコカリしても耐久が+3しかされず、100超えせずに99で止まる。なお他の戦艦はケッコンカッコカリで耐久が+8(大和型は+9)と大きく増える。
     貴重な装備であるFlak二種類を両方持ってくる。しかしZ1 zweiZ3 zweiと違って改装設計図が必要であるため、必要レベルが低くても量産のためにこちらを育てるのはお勧め出来ない。
     Zweiになってグラフィックが一部変更されている。主砲塔のスロープと腕章が赤から灰色に、副砲の天蓋が赤から暗灰色になった。軍帽と煙突から迷彩模様がなくなった。中破時については上記変更に加え露出度がアップしている。改の装備・塗装などの状態は『バルティック・スキーム』と呼ばれるバルト海での行動時のもの。「ライン演習作戦」では、直前のノルウェー・グリムスタフィヨルド碇泊時に鉤十字を塗り潰し、英艦に紛れやすいよう迷彩を灰一色に変更。Zweiのグラフィックはこれを反映させたものと思われる。ただし、舷側にまだバルティックストライプがある、黒十字章の旗地が灰色、副砲天蓋と主砲天蓋が暗灰色、偽装の艦首塗装がある点から見て、まだ最終塗装ではない。この状態はグリムスタフィヨルド碇泊中、41年5月21日午後までの塗装と見られる。最終的な出撃時の塗装では初期とほぼ同じ塗装になってしまうので、この時点の塗装にしたものと思われる。おそらく防空識別のためと考えられるライン演習作戦初期の砲塔天蓋塗装の変遷は以下の通り。C砲塔天蓋と各砲塔の測距儀カバー天面が暗灰(ノルウェーへの航海中再塗装)A~Dすべての天蓋が暗灰(フィヨルド碇泊中に再塗装)A,D砲塔天蓋のみ暗灰(最終出撃時)。実艦の塗装と見比べると再現しているのが分かる。
     台詞の「ライン演習作戦」はビスマルクが出撃した時の通商破壊作戦名。詳しくはBismarck戦歴の項を参照。
     「あの忌々しい複葉機」とはビスマルクの運命を変えたソードフィッシュ雷撃機の事だろう。Bismarckに詳しいが、布張り複葉機ながら大戦を通じて主力であり続けた傑作魔複葉機。英国面代表。
     ポリフォニー・デジタルが自動車メーカーと協力して開いた祭典「ビジョングランツーリスモ」。その幕開けになったのが、ドイツの名門、メルセデス・ベンツ。性能などはお墨付きのものであり、これを敵艦と戦うために用意したというんだから驚きだ。

    ●メルセデス・ベンツ/SLR マクラーレン'09

    ・パフォーマンスポイント(PP):592
    「マクラーレンとの協業により復活したSLR」
     1999年のデトロイトショーに出展され、話題をさらったヴィジョンSLR。2003年のフランクフルトショーで、ついに市販モデルが姿を表した。
     正式名称はメルセデス・ベンツ SLR マクラーレン。製造はF1コンストラクターとして名高いイギリスのマクラーレンが担当する。
     まずSLRの特徴は、カーボンモノコックボディを採用していることだ。フロントのエンジンベイをアルミとし、それ以外はすべてカーボンモノコックとすることで、車重は1,768kg。SL55 AMGと比べると200kg以上も軽いウェイトを実現している。
     パワーユニットは、AMGの手によってチューニングされた5.5LのV型8気筒SOHCツインスーパーチャージドで、最高出力は実に625PS/6,500rpm、最大トルクは79.6kgfm/3250-5000rpmを発生する。トランスミッションはSL系を採用されるものと同じ5速ATだが、スポーツ/コンフォート/マニュアルの切り替えが可能であり、さらにマニュアル時にはシフトの変速スピードまでが調整可能だ。
     ブレーキはもちろんSBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)。ブレーキディスクはファイバー強化セラミック製で、フロントにはブレンボ製8ポット、リアには4ポットのキャリパーが与えられる。いっぽうサスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーンのメカニカルサスで、あえてコンベンショナルなものが採用されている。
     パワーウェイトレシオ2.79kg/PSという、とてつもない数値を実現したSLR マクラーレンは、公式データによれば0-100km/h速をわずか3.8秒でこなし、最高速度は334km/hに達する。価格はドイツで43万5000ユーロ、日本円で約6000万円であった。
     2014年9月26日の更新で遂に実装された独艦の新たな改造段階。Lv75で改造可能。ちなみにdreiとはドイツ語で3のことで読み方は「ドライ」。純粋な改造回数はちとちよの5段階には届かないが、同一艦種(戦艦)のまま3段階改造を獲得した艦娘はこのBismarck dreiが初めてである。
     桜吹雪こそないが、改造紋章が赤色なのでレアリティは最上級の桜ホロ。これで5隻目となる。
     ここに至るまでの改造で、合わせて2枚の改装設計図を必要とする初の艦娘となった。2014年9月26日現在勲章は月に4個なので、勲章数0から2月目には(単純に考えれば)改造を完了できる。しかし、練度や編成によっては突破し難い3-5・5-5も含まれており、実際は3~4か月程度かかるかもしれない。
     改造すると新装備の主砲を2つ、機銃の中では最上級の3.7cm FlaK M42、そして零観とほぼ肩を並べるAr196改を持ってくる。特にAr196改は観測機不足の提督にはうれしいだろう。
     また戦艦としては初となる雷装値が実装。無論魚雷も装備可能で、雷撃も可能。戦艦なので中破率も低く、雷撃戦参加率は高いと言える。ただし威力はお察し。敵側では要塞系や装甲空母鬼、姫、南方棲戦姫等が雷撃戦に参加するがそのままである。雷撃の威力は低いが、戦艦棲姫など規格外の耐久力を持つ大ボス相手なら昼戦での火力の増加よりも攻撃回数の増加のほうが最終的な優位に繋がる。彼女は重巡洋艦と同じ役割が可能な戦艦、という独特な立ち位置を獲得したと言える。また必然的に夜戦火力も上昇することになった。火力のMAXが99、雷装はMAX36なので基礎は135、46砲×2で187となり、妙高型改二利根型改二クラスの夜戦火力となる。これは大和型に次ぐ威力である。
     魚雷を装備できる点で無視できないのは魚雷装備の時は、主砲を1個でも搭載すると、カットインになることである。お忘れなく。しかし大和砲*2+61cm四連装(酸素)魚雷*2とすると夜戦火力は207となり魚雷カットインのキャップに到達する。ただ運的に初期値は厳しいかも。戦艦が魚雷カットイン? 気にしたら負けちなみに61cm四連装(酸素)魚雷を1個61cm五連装(酸素)魚雷に変更するとキャップ計算式の√の部分が9となり+3と無駄がなくなる。またこの場合弾着観測射撃不可なので注意。なお運のMAXはZweiからDreiの運差分の2だけ上昇して84、魚雷カットインを視野に入れるなら旗艦配属として最低30、随伴ではできれば50以上がほしい。雪風改と同じ60を超えるとほぼ安定してくるだろう。弾着観測射撃を行いつつ、運を高めたので高威力、高命中のカットインにしたい場合は魚雷の1個を偵察機にするといい。この場合昼は連撃、夜は主魚カットインとなる。主魚カットインは1.3×2、連撃は1.2×2なので威力的には高め。ちなみに戦艦以外は砲より魚雷の上昇値のほうが夜戦火力は上昇するが、戦艦の場合主砲のほうが多く上昇する。一方主砲×3では2.0×1は全体からみると弱いカットインとなるので、2つまでにしておくこと。連撃したいからと言って主砲0にして副砲を装備することはオススメしない。その場合上昇値は断然主砲×2のほうが上である。そのうえ弾着も不可になる。魚雷を装備できない場合はキャッシュ削除をする事。
     
    一方耐久値は据え置き、ケッコンしても100に到達しないのは改造前と同じ。この辺りはゲームバランスによる調整もあるのだろう。
     欠点は燃費の悪さ。特に弾薬消費は長門型並に増え、大和型を除く戦艦で最大の大食らいになっている。弾薬消費が増えたのはおそらく魚雷搭載のせいか。普段から大和型や長門型を常時運用している場合、気にすることはまずないと思うが、逆に普段金剛型や航空戦艦メインの人は燃費を見たときにかなり気になる人はいるのかもしれない。結局普段の資材運用と使いどころである。適材適所を見つけてほしい。
     でも扶桑と同等だった執務室での存在感が、dreiとなってさらに増した。
     詳細は初めてと逢った時を思い出しなさい。
     「ツイッターアイコン用に絵師が個人的に書き始めたもの」がそのまま採用されたデザインである。「久々にアイコンかえてみちゃったい 個人的に書いたもの」(問題のアイコン絵)一応ラフだけは切ってたんだけど、先の作業想像すると、休日の週末作画でやるもんじゃないなと・・・」(全体ラフ)「パーツ単位で書けば気力持つじゃろか」(右舷側)「アイコン向きじゃないけど一番がんばったとこ」(アイコン絵2)フミカネ氏の「落書き」が正式採用化されたケースは前例があり、今回も同様であろう。「武装神姫」シリーズ(KONAMI)で、氏の落書きを基とした「オールベルン」「ジールベルン」がそれにあたる。
     装備の元ネタは姉妹艦ティルピッツの1943年夏改装であると推測され、「ビスマルクが生き残り、妹同様の改装を受けていたら」というコンセプトが伺える。細かい時期は不明だが、43年夏の作戦行動後に通商破壊戦のために魚雷発射管を増設されている。今後、ティルピッツやシャルンホルスト姉妹らが登場時は、彼の国の戦艦は、雷撃可能が当たり前になるのであろうか。
     フミカネ氏によるデザイン関連の呟き。「現実にはビスマルクに魚雷は積まれてないです あくまでネタ装備」「一応解説:史実では、ビスマルクに魚雷発射管は積まれていませんでした。 同型艦のティルピッツは、後部15㎝副砲のあたりに、後付けで53.3㎝4連装発射管(駆逐艦のと同じ)がつけられています」「二番艦様に魚雷発射管を設置して、同位置にあった15cm副砲は手持ちに移設。発射管は操作室に覆いをした後期型(背が高いのでZ1・3のzwei時にかけなかったやつリベンジ)」「ドイッチュラント級の平べったい覆いのついたのも、見た目がすごいかっこいいんですが、ティルピッツのはむき出しみたいなので、それに準じています。操作室のみ天蓋のついた後期タイプのものにしています」「艤装が若干濃いグレーになったのは、日本製のペンキで再塗装したもの(というつもり」日本海軍の軍艦色は海軍工廠ごとに色合いが異なるが、濃く暗いグレーを使っているのは横須賀海軍工廠・佐世保海軍工廠の二箇所なので、このどちらかでお色直しをしたのだろう。「ビスマルクは日本に来たら化け物みたいな艦がいっぱいいて、一回凹んでやさぐれたあとに立ち直った感じ、の表情を想像しながらかいてました
     メルセデス・ベンツ(AMG)とマクラーレンがコラボして製造したスーパーカー、SLR マクラーレン。あのエレクトロニック・アーツ(EA)のカーアクションゲームを実写化した「ニード・フォー・スピード」でも登場しており、後に"ニード・フォー・スピード ライバルズ(NFS:R)"でDLCとして収録された。
     グランツーリスモでは、2003年式と2009年式が収録されているが、ビスマルクが持つSLR マクラーレンは2009年式モデルだ。グランツーリスモ5までは"SLR マクラーレン(19インチホイール装着)'09"と車名になっていたのだが、どうやらややこしくなるのか省略されている(同様に、金剛のインプレッサ WRX STI'07もグランツーリスモ5プロローグでは"インプレッサ WRX STI(18インチホイール装着)’07"となっていたが、グランツーリスモ5から省略された)。
     加速性能は申し分なく、そこそこリスキーなコースでも乗りこなせるハンドリング性能のおかけで、より実戦に使えるマシンへと早変わり。コーナリングに関しては不安要素が隠れつつあるが、ドライバーのリカバリーで抑え込めるよう工夫されている。追加メーターを新たに装備され、元々エアコンがあったハンドル左を、メーターで潰したというのは言うまでもない。

    ■Prinz Eugen
    ●ミニ/ミニ クーパー S'07

    ・パフォーマンスポイント(PP):432
    「ミニを限界値に引き上げた、カート感覚で操作可能な最強モデル」
     オリジナルのミニが築き上げたコンセプトを見事に継承し、またもや世界中に多くのファンを獲得した第2世代のミニは、2006年、さらなるブラッシュアップをはかり、フルモデルチェンジを実施した。
     フルモデルチェンジとはいっても、内外装は一見してキープコンセプト。しかし実際には、エンジン、足まわりなど、コンポーネンツのほとんどを新設計している。新衝突安全基準に対応すべくエンジンフード高を20mm上昇させるなどのボディサイズ拡大や、新意匠となる大径ヘッドライトの採用などもポイントだ。
     中でも最も大きく変わったのはパワートレインだ。クライスラー製直列4気筒SOHCエンジンに代わり、新たにBMWとプジョーとの共同開発となる直列4気筒DOHCエンジンが採用されたのだ。
     ホットモデルのクーパー S用1.6Lユニットは、過給方式をスーパーチャージャーからターボへと変更。最高出力および最大トルク値は175PS/24.5kgfmとなり、先代クーパー Sをそれぞれ5PS/2.1kgfm凄く。一般的に低回転域からの扱いやすさはスーパーチャージャーに分があるとされるが、新型ユニットでは低回転域からのレスポンスにも優れるツインスクロール・ターボを採用。ピークパワーの向上と同時に常時回転域での扱い易さも実現している。さらにBMWお得意のバルブトロニックをベースとしたバルブ制御機構を備えることで、燃費性能も大きく向上させている。
     快適さとスポーティさを、デザインを損なうことなく両立させて、新時代にふさわしいミニに仕上がっているのだ。
     2014年11月14日のアップデートで新実装。同日から始まった秋イベント:期間限定海域【発動!渾作戦】のE-3クリア報酬。現時点では、秋イベント以外での入手手段は無い。なお改造後持参装備がアレなため、秋イベ以降の入手難易度は伊401同様高くなる可能性がある。重巡洋「艦娘」の追加は鈴谷熊野以来、1年3ヶ月ぶりである(13冬コラボイベント時限定実装のタカオを除く、ただしタカオ自体の性能は霧の艦艇とあって重巡のそれをはるかに超越していたが……)。
    ちなみにドイツ艦なので建造でZ1Z3、大型でBismarckが建造できるかは要検証。建造できれば、遠征が未終了でもドイツ艦を全て入手できることになるし、誤解体等でドイツ艦を全ロストしていても復活させることもできる。ただし、現時点で建造に成功したとの検証結果はなく、Z1等の代用にはできないと考えた方がよいかもしれない。
     改造Lvが45と高く、同レベルは磯風と同様になり、重巡の中ではトップ。改にするには5-4がオススメ。ちなみに旗艦S勝利のみ44周で達成可能(MVPを取ればその分周回数は下がる)。
     初の無改造でのホロ重巡。改造するとSホロになる。
     運の初期値が30と改造前の重巡洋艦娘の中ではトップの値。改造後を含めても2014年11月現在では青葉改妙高改二しか並ぶ艦が存在しない。このため着任してすぐから魚雷カットインが視野に入れられる唯一の重巡とも言える。この値は後述するクロスロード作戦に参加した長門酒匂を意識した値と思われる。改造後は更に上昇して運40になる。
     余談だが、この娘の登場により初めて、艦娘図鑑において、1人だけの絵師が手がける図鑑ページが登場した。絵師は島田フミカネ。惜しいのは、吹雪北上などを含む図鑑2ページ目。10隻のうち9隻がしばふ艦である。ちなみに同時に1ページすべて海外艦(日本艦以外)で初めて埋まったページでもある。
     どうにも和んでしまう「Feuer! Feuer!」のイントネーションは必聴。
     ちなみに中破絵で見られるパンツweiß…良い色だな…このこともあり、名前をもじってプリケツといわれることもある模様、むしろこっちのほうが流行っている可能性が
     アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦。キールのクルップ・ゲルマニア造船所にて1936年4月23日起工・1938年8月22日進水・1940年8月1日就役。基準排水量14,680tは第二次世界大戦に参加した重巡洋艦の中で最も重い。
     艦名は、17世紀末から18世紀初頭に活躍したオーストリアの軍人オイゲン・フォン・ザヴォイエンに因む。名前の独:プリンツ/Prinzは、英:プリンス/Prince、と同じ。王族・貴族の男子と言う事である。 だが断じて男の娘ではない!!彼がプリンツ・オイゲン、つまりオイゲン公子と呼ばれたのはサヴォイア公家の男系子孫だから。フランス生まれの陸軍の軍人である。イタリア系(サヴォイア家)フランス貴族出身のオーストリア軍人という大河ドラマのネタになりそうな人。
    【オイゲン・フォン・ザヴォイエンの略歴】
     名門サヴォイア公家のフランス分家であるソワソン伯爵家に生まれる。しかし、嫡子ではなかったので家を継げず、軍人として身を立てようとするも国王(ルイ14世)に取り立ててもらえなかった。そこでオーストリアに渡り仕官。数々の戦功を立て順調に出世、将軍に昇り詰め祖国フランスとの戦争で大活躍。元は他国人であるにも関わらずドイツ民族の名将として没後も尊敬を集める事となった。「ドイツ民族の英雄」なので、オーストリアも第一次大戦時の戦艦に同じ名前を付けている。そして第二次大戦時のイタリア巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」も同一人物が元ネタ。家系はイタリア系だしイタリア王家の親戚筋だしイタリア人みたいなもんだろ(byドゥーチェ)…という事か。都合三カ国で主力艦の名前になった人もこの人ぐらいだろう。(後述する英艦、本艦の米編入も含めると5カ国)彼の正式な名前をそれぞれあげると、
    ・ドイツ名:”オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリニョン(Eugen Franz von Savoyen-Carignan)”
    ・フランス名:”ウジェーヌ=フランソワ・ド・サヴォワ=カリニョン(Prince Eugène-François de Savoie-Carignan)”
    ・イタリア名:”エウジェーニオ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(Principe Eugenio Francesco di Savoia-Carignano)”
    どこのイーノックだ
    対フランス戦争の一つ、スペイン継承戦争ではイギリス軍司令マールバラ公ジョン・チャーチルと共同作戦を展開した。ちなみにこのジョン・チャーチルは名前から推測されるとおり、第二次大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルのご先祖様である。上記のエピソードに因んで、イギリスのロード・クライヴ級モニター5番艦にも「プリンス・ユージン」として使用されている。このクラスは地上砲撃艦としてのモニターの性格から、あえて陸軍軍人の名を艦名に採用している。対オスマントルコ戦争での功績もあって選ばれた名前だが、「フランス絶対倒すマン」だったオイゲンの名前を出されたことについてフランスはどう思ったことやら。比較的艦名が長いため、艦これでは「プリンツ」「プリンちゃん」「オイゲン」の様に略される事が多い。そして、上記「ゲームにおいて」の通り「プリケツ」が浸透・定着しつつある模様。実艦の乗組員達からは「オイゲン」と呼ばれていたようだ。
    【設計】
     アドミラル・ヒッパー級の仮想敵はフランス・イギリスの所有する条約型巡洋艦(つまり重巡)。仏の最新鋭重巡アルジェリーに対抗できる攻撃力、同じく仏海軍のダンケルク級戦艦との直接戦闘を避けられるだけの速力、そして広大な大西洋海域で行動しうる長大な航続力を念頭に置いて設計された。更にレーダー元帥の無茶ぶりで防御区画を強化したことなどもあり、基準排水量約14,000tと重巡にしてはかなり重く仕上がっている。その上オイゲンは、後期型の一番艦としてさらなる設計変更で600tも重くなっており、世界的にもかなり重く大きい部類の重巡として仕上がってしまっている。武装は主砲に20.3cm連装砲4基、高角砲に10.5cm連装6基と排水量の割にはしょっぱく、主砲の口径門数だけなら一回り小型のイギリス重巡と同レベルで日米より劣るが、60口径(実質は55口径)という長砲身のもので性能的には日本イギリスをやや上回っている。また高角砲の数は改装後の摩耶様と同等。魚雷発射管も53cm3連装4基とイギリスの1.5倍程。なお日本は61cm4連装4基という魚雷バカだった舷側装甲厚は80ミリ、主砲防盾105ミリと、排水量が巨大な割に薄弱である。防御範囲が広いのがドイツ式防御要領である。機関は姉のヒッパーやブリュッヒャーがあまりに機関不調に悩まされたため、信頼性を高めるために蒸気圧を低めたラモント式ボイラーを採用している。だが、それでも機関不調はあまり改善されておらず、機関整備に長けたフランスのブレスト工廠の世話になるまで万全の状態とは言いがたかったと言われている。ボイラー圧力はヒッパーの78気圧から73気圧へ低下させたが、この程度では信頼性改善について何の足しにもならず、ザイドリッツではさらに48気圧にまで落とすことになる。フランスでの修理においてはボイラ部品の6割をフランス製部品と交換することになった。フランス側の所見では「ボイラーの設計において熱膨張が全く考慮されていない」という。航続距離も、要求性能は20ノットで6,800海里であったが、ドイツではタービンの製造技術で他国に後れを取っていた為に19ノットで6,500海里と要求性能を下回る結果になり、ドイッチュラント級やシャルンホルスト級に追随できずに通商破壊戦では、不十分な戦果しか挙げられなかった。1929年に就役した北ドイツ・ロイド社の客船「ブレーメン」とその姉妹船、「オイローパ」がブルーリボン賞を相次いで受賞しているように、ドイツも機関の製造に関しては他の列強諸国と同じく世界最高水準の技術を持っていた。これらの客船は24気圧、13万5千馬力のパーソンズ式飽和蒸気機関を搭載している。「ブレーメン」は5万トンの船体を最大29ノットで、「オイローパ」は最大27.9ノットで走らせることができた。しかしドイツ海軍はシャルンホルスト級戦艦を設計する際、実績ある飽和蒸気機関に代わり、より新しい技術であった過熱蒸気機関を採用した。なぜなら同級には先行するドイッチュラント級装甲艦に比べ、三倍もの出力が要求されたからである。この過熱蒸気機関は飽和蒸気機関に比べると利用できる余剰圧力が大きく、エネルギーの利用効率と省スペース性に優れていたため、シャルンホルスト級以外にも大小様々な艦艇に採用されている。この技術は先に就役していた民間船に採用例があったので、発生する問題も既知であったがまだ未熟であり、大型艦に転用するには時期尚早であった。結局、その運用には当初の予想よりずっと多くの熟練機関員が必要となる。ドイツ海軍は開戦後もしばらく、この故障しやすい機関の運用ノウハウ蓄積に大変苦労した。その一例はZ3のページに詳述されている。アドミラル・ヒッパー級は主砲の数・配置、艦橋等、艦形を同時期に建造されていたビスマルク級・シャルンホルスト級に意図的に似せて設計されている。これは敵側による誤認の誘発を狙ったもので、ライン演習作戦での「デンマーク海峡海戦」において実際にイギリス艦隊(フッド、プリンス・オブ・ウェールズ)が先頭を走るプリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認しており実戦において効果を発揮している。ビスマルク:sidefront、シャルンホルスト:sidefront、プリンツ・オイゲン:sidefront実艦を見比べてみると艦橋周りや全体のシルエットなど似せてあるのが分かるだろう。大和型・金剛型・高雄型の三級などと見比べてみるとドイツ艦三級がいかに似せているかが分かり易い。後述のフミカネ氏の呟きにもある通り、艤装など彼女の見た目がビスマルクに似ているのはこれが由来して意図的に似せてデザインされているからである。・・・ということはシャルンホルスト級も?
    【戦歴・戦果・参加作戦】
    【ライン演習作戦】
     1941年5月18日、大西洋での「ライン演習作戦」に出撃し、5月24日にデンマーク海峡開戦で戦艦ビスマルクとともに英海軍力の象徴であった英巡洋戦艦フッドを撃沈し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃破/首脳部をほぼ全滅させ撤退に追い込んだ。10時の時報はこれが元ネタ。戦闘の詳細はBismarckの戦歴部分を参照の事。フッド撃沈後、ビスマルクが損傷した為ビスマルクは作戦を離脱し仏ブレスト港を目指し、プリンツ・オイゲンは単独で通商破壊任務に就くこととなった。しかし道中機関不調を起こし、戦果を得られぬまま作戦を中止し、6月1日フランスのブレスト港に入港し作戦を終了した。この間、27日に空前の大追撃戦の末ビスマルクは沈没していたが、作戦中無線封鎖していたプリンツ・オイゲンはそれを知らず、自身が作戦を終了し入港した際に作戦中に別れたビスマルクのその後の運命を知る事となった。放置セリフでビスマルクを心配しているのはおそらくこれが元ネタ。ちなみにビスマルクの運命を決めたソードフィッシュ雷撃隊とはツェルベルス作戦で相対する事となり、全滅させる。入港後は、英空軍の爆撃をはじめとして厳重な監視・攻撃下におかれ、先に入港していた戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ共々、出撃もままならない日々が続いた。フッドが轟沈した理由は諸説あるが、そのひとつに「オイゲンの8インチ砲弾を受けた副砲の火災を消し切れず、最終的に副砲火薬庫から主砲弾火薬庫へ引火誘爆した」というものがある。実はフッドを撃沈したのは彼女だったのかもしれない。あれ、そうするとビスマルクの立場は……?
    【ツェルベルス作戦】
     1942年2月、オットー・チリアクス海軍中将の指揮の元、シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦6隻他と共にフランスのブレスト港から白昼堂々ドーバー海峡を強行突破しドイツ本国へ帰還させる「ツェルベルス(ケルベロス)作戦」(英語呼称「チャンネルダッシュ」)に参加。ブレスト港は独支配下のフランス南端に位置しておりドイツ海軍の大西洋における通商破壊作戦の前線基地で、海軍はここで修理を完了させ通商破壊作戦を遂行する事を企図し望んでいた。しかしヒトラーが連合軍のノルウェー上陸を危惧しており大型艦を防備に当てたかった事と、三隻も連日の空爆により動けずにいた事に業を煮やした事により総統の直命で作戦が決定された。このイギリス海峡はまさに英国の目と鼻の先
    1:レーダーと哨戒機による警戒網が張り巡らされている
    2:航路全編に渡って無数の機雷が敷き詰められている
    3:最挟部ドーバー海峡に至っては僅か34km、人が泳いで渡れる距離(佐渡島~本州とほぼ同じ)
    4:レーダー管制の沿岸重砲が対岸まで直接射程に収めている
    5:無数の航空基地にはブレストや沿岸は勿論ドイツ本国まで爆撃を繰り返している英空軍が待ち構えている
    6:ブレスト~ドーバー間よりも英海軍根拠地スカパーフロー~ドーバー間の方が近い
    ざっと危険要素を挙げるだけでも分かるまさに絶望的な航路である。本国へのルートは、1:イギリスを迂回しデンマーク海峡を大周りするビスマルクやシャルンホルストらも過去に通ったルート、2:はるかに危険だがより短距離のイギリス海峡を通るルート、の2通りあったがより短距離だが遥かに危険な海峡ルートが取られる事になった。空軍の海軍に連動する作戦は「ドンナーカイル(サンダーボルト)作戦」。沿岸基地から飛び立った戦闘機が艦隊直掩にあたり、半数づつ交代し続ける事でブレストから本国まで常時最低32機以上があたる作戦。犬猿の仲の空・海軍であったが、ヒトラーから艦隊防衛を念押しされバトル・オブ・ブリテンの英雄である夢の国チキンレースに参加した最古の著名人アドルフ・ガーランド大佐が指揮をとり、戦闘機250機以上が投入された。この2ヶ月前1941年12月に日本軍が英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを航空機で撃沈し、戦艦は飛行機の攻撃では沈まないと信じられていた時代から、飛行機の優位性が認識され始めた時であった。狭いドーバーではその航空機が大挙して襲いかかってくるであろう事が最大の脅威だったのだ。ドイツ軍がこの航路で白昼堂々ドーバー海峡を突破する事を選択したのは、
    1:陸上基地から飛び立つ航空機による援護を受けられる
    2:夜間に出港する事にで作戦露見までの時間を遅らせ安全距離を稼げる
    の2点が大きかった。つまり援護なしの奇策ではなく強力な援護を伴った正攻法を選んだのだ。対して英軍は独軍の三隻の海峡突破作戦をそのほぼ正確な日時まで予想しておりイギリス海峡ルート遮断計画「フラー作戦」を立案し、沿岸航空軍団(Coastal Command)からボーフォート雷撃機3個戦隊、海軍航空隊(FAA)からソードフィッシュ1個戦隊、爆撃機軍団(Bomber Command)からランカスター爆撃機300機、を攻撃隊として待機させており大量の戦闘機の援護も約束されていた。しかしボマーコマンドは当時世界最強の戦略爆撃部隊だったが艦艇攻撃の経験はなく、ボーフォート雷撃機隊は泊地攻撃は経験してるものの高速で移動中の艦艇への攻撃訓練は十分出来ておらず、最も頼りになるのはビスマルク追撃戦を経験している旧式複葉機のソードフィッシュ雷撃隊であった。英海軍は、ノルウェーから何時出てくるか分からないティルピッツに対応する戦力を残しておかねばならず本国艦隊主力はスカパーフローを離れられないと言う事情もあり、海軍は軽量級のみに任せ空軍が攻撃の主力を担うと言う話が出来ていた。また、この作戦ではレーダー対電波妨害装置による史上初の正真正銘の電子戦が行われた。英軍の強力なレーダー対策として独軍は1ヶ月以上前からジャミングを開始し、少しづつ時間を延ばしていく事で単なる電波障害と思わせ油断させる事に成功した。イギリス軍はドイツ艦艇の脱出経路としてドーバー海峡も想定していたが、迎撃作戦を過度に秘匿したため各部署の連携に支障を来した。さらにブレスト港を監視していた潜水艦シーライオン(※S級英潜水艦。金剛及び浦風を撃沈した米バラオ級潜水艦ではない)もドイツ艦隊の出撃を察知できなかったため完全に後手に回ることとなった。イギリス軍は急ぎ「高速魚雷艇による攻撃」「ソードフィッシュによる空襲」「旧式駆逐艦による追撃」を行うもドイツ空軍の支援機とドイツ艦艇の砲火により有効なダメージを与えられず、一隻も撃沈することが出来なかった。英軍で攻撃に参加したのは航空機681機・駆逐艦6・護衛駆逐艦3・魚雷艇32隻。シャルンホルスト、グナイゼナウが触雷するなどのトラブルはあったが、プリンツ・オイゲンを含め戦艦2・重巡1・駆逐艦6・水雷艇14・Sボート26という堂々たる艦隊でドーバー海峡の突破に成功。一隻の撃沈もなく全ての艦が突破に成功し、プリンツ・オイゲンは全くの無傷でドイツ艦隊の死者は1名のみであった。この事件を英「The Time」誌は以下の様に報じた。『チリアックス中将はメディナ=シドニア公(スペイン無敵艦隊総司令官)が出来なかった事を成し遂げた。 17世紀以降、我らが海軍力の誇りをこれ以上傷つけた出来事はない。~中略~ これにより私達が誇りを持ってイギリス海峡と呼ぶ場所を戦時下においていかなる敵国艦隊も通過する事は出来ないと言うロイヤルネイビーの伝説に終止符が打たれたのだ。』
    【ノルウェー、練習艦隊】
     爆撃から逃げた先のキールでもイギリスによる空襲を受けたため更にノルウェーへ避難したが、英潜水艦トライデントの雷撃によって艦尾を損傷。操舵不能になるも、二時間の修理の末に自力航行能力を回復した。そしてローフィヨルド泊地へ緊急退避し、応急処置として艦尾を切断してまえばり板で塞ぎ、手動式の舵を取り付けた。5月16日、プリンツ・オイゲンは自力でドイツへ向け出発した。キールへの航海中、イギリスの爆撃機19機と雷撃機27機による攻撃を受けたが幸運にも命中弾ゼロで被害は無かった。10月まで修理のため戦列をはなれ、1月には2度ノルウェーへの増援としてプリンツ・オイゲンはシャルンホルストとともにノルウェーへ向かおうとしたが、イギリス軍機に発見されたため引き返した。ノルウェーへの移動を諦めたプリンツ・オイゲンは練習艦隊に配属され、9ヶ月間バルト海で士官候補生の訓練に使用された。
    【バルト海での艦砲射撃】
     東部戦線においてソ連軍がドイツ軍を押し戻し始めた為、1943年10月1日からプリンツオイゲンは砲術支援の為に戦闘任務に復帰し艦砲射撃により迫りくるソ連軍を撃退し陸軍を支援した。1944年6月、プリンツオイゲンは装甲艦ドイッチュラント(通称ポケット戦艦、この時はリュッツオウに改名済み)・第六駆逐隊と共に第2任務部隊を編成し、後にティ―レ任務部隊と改称され大型艦では装甲艦アドミラル・シェーアが加わった。8月19・20日、プリンツ・オイゲンはリガ湾に入り25,000m離れたトゥクムスを砲撃し、主砲弾265発を発射。4隻の駆逐艦Z25・Z28・Z35・Z36と搭載機アラドAr196・魚雷艇2隻がそれを援護した。9月初め、プリンツ・オイゲンは要塞島、ゴーグラント島攻略作戦を支援したが作戦は失敗に終わった。その後フィンランドから撤退する兵士を輸送する船団の護衛にティ―レ任務部隊全軍があたった。10月11・12日、メーメルのドイツ軍支援の砲撃を実施。同14・15日、弾薬の補給後再び砲撃に戻り、この4日間で28の目標に対し主砲弾1,196発を発射した。10月15日、夜間の濃霧の中、プリンツオイゲンは軽巡洋艦ライプツィヒ(未実装)に衝突、同艦をあわや真っ二つにする大事故を起こしている。この際、実に14時間もの間繋がったままであったが、皮肉にもこれによってライプツィヒは沈没は免れている。というのも船体に深く食い込む程の衝突を起こしてすぐに両艦が離れた場合、防水措置の猶予もなく大破孔が口を開くことになり大浸水で一気に沈没に至ってしまうからである。これは排水量が10,000tを超えるような船であっても例外ではなく、イギリスで1893年の演習中に戦艦「キャンパーダウン」に衝突された戦艦「ヴィクトリア」は衝突から僅か13分で転覆・その数分後には沈没してしまっている。11月20、21日、ゴーテンハーフェンへ送られ1ヶ月にわたる修理を終えたプリンツ・オイゲンはソルベ半島のドイツ軍支援のため主砲弾約800発を発射した。当時の野砲の口径は7.5cm程度のものが多く、数が少なく運用に難のある列車砲が28cmがやっとという状況下でプリンツオイゲンの20.3cm砲による長距離艦砲射撃がいかに強力で心強いものであったかが想像出来るだろう。21時の時報「艦砲で押し寄せる戦車の群れを、結構叩きました。これも割と得意です!」はこれらの艦砲射撃が元ネタ。艦砲射撃はソ連軍の撃退に効果を発揮し、撃ちまくった砲弾の量を思えば得意どころの話ではない
    【ハンニバル作戦】
     1945年1月中旬に修理を終えたプリンツ・オイゲンはハンニバル作戦に参加した。これは終戦間際、ソ連軍に包囲され陸の孤島となった東プロイセンに取り残された200万を越すドイツ軍民の救出作戦で、プリンツオイゲンは艦砲射撃による長距離砲撃で迫りくるソ連軍を足止めし救出・撤退を支援した。このハンニバル作戦はドイツ海軍最後の作戦で、ドイツ海軍は残されていた海軍兵力を総動員しこの救出作戦にあたった。1月中旬、ザームラントへ派遣されたプリンツオイゲンはケーニヒスベルクを死守していたXXVIII軍団を艦砲射撃により支援。ソ連軍砲撃を実施し主砲弾870発以上を発射。駆逐艦Z25がこれを援護した。この後にもゴーテンハーフェン、ダンツィヒ、ヘラなどでも艦砲射撃を実施し、主砲20.3cm砲弾2,025発、副砲10.5cm砲弾2,446発を撃ち尽くした。他にもポケット戦艦アドミラル・シェーアやドイッチュラント、ユトランド沖海戦の生き残り準弩級戦艦シュレジェンなども共に艦砲射撃や船団護衛にあたった。ハンニバル作戦では1945年1月21日~終戦日5月8日の4ヶ月間に、戦艦から魚雷艇などの小艦艇までの艦艇・商船や漁船に至るありとあらゆる種類の稼働する全ての艦船が動員されその数は約1100隻にのぼり、約240万人の軍民が安全な港へ送り届けられた
    この作戦は救出作戦としては史上最大の作戦で、ダンケルクの奇跡として有名な30万人を救出した英仏軍撤退作戦ダイナモ作戦をその規模・救出人数の両面において遥かに上回るものだった。ドイツ海軍はWW1時にはキール軍港での反乱により敗戦の直接原因となったが、WW2では敗色濃厚となった大戦末期に徒に勝利を模索したり一矢報いるべくその兵力を磨り潰すのではなくその持てる全兵力と資源を以って同胞の救出に全力を挙げる事で有終の美を飾ったと言えるだろう。4月8日、プリンツ・オイゲンはドイッチュラントと共にスヴィネミュンデへ移動。4月13日には34機の英ランカスター爆撃機が襲来したが、分厚い雲に二隻は守られ爆撃は失敗。しかし二日後、4月15日に18機のランカスター爆撃機が再度襲来し5t爆弾一発がドイッチュラントに命中しドイッチュラントは着底するも、幸運にもプリンツオイゲンは被害を免れた。その後、4月20日にコペンハーゲンへと移動し、そこで5月7日退役、8日に終戦を迎え英海軍に引き渡された。
    【戦後】
     浮揚・戦闘可能状態で終戦を迎え、「USS プリンツ・ユージン(USS Prinz Eugen, IX-300)」として米海軍に接収・編入された。1946年、ビキニ環礁での原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦となった。2発の原爆の爆発を受けても沈まなかったため、実験終了後に調査のため曳航しようとしたが、途中でクェゼリン環礁の浅瀬に乗り上げて転覆・座礁した。同様に爆撃で沈没しなかった長門も4日後の未明に人知れず沈んでおり、これらを以って「枢軸海軍最後の勝利」とする向きもある。この「座礁」を彼女なりの「自決」と取れば、ついに敵の手によって"沈められる"ことはなかった、と言っても間違いではないかもしれない。後にスクリューのみドイツに返還されている。なお現在でも転覆した船体がほぼ完全な状態で残っており、艦尾のスクリューや舵が水上に露出した状態なので潜水しなくてもその姿を偲ぶことが出来る。今も水上から見ることのできる艦これ登場艦としては菊月に続いて2隻目。菊月同様GoogleMapでその姿を見ることができる
     ライン演習作戦、ツェルベルス作戦、バルト海での対地支援、ハンニバル作戦とドイツ海軍の主要な作戦に参加して武勲を積み重ねながら終戦まで浮揚・戦闘可能状態で生き延びた強運の巡洋艦として有名
     左肩のバルケンクロイツ(黒十字)下にある紋章は、プリンツオイゲン(実艦)のエンブレムである。これは元は艦名の由来であるオイゲン・フォン・サヴォイエンのサヴォイア=カリニャーノ家の紋章。同様にビスマルクにも艦の紋章がある。これも艦の由来であるオットー・フォン・ビスマルクのビスマルク家の紋章が元になっている。この様にドイツ海軍の艦艇はそれぞれに艦ごとの紋章があり、艦名の由来となっている人物・都市などの紋章が元になっている。他の艦の紋章も見てみたい人はこちらへ

    ●メルセデス・ベンツ/C 63 AMG BlackSeries'12('08)

    ・パフォーマンスポイント(PP):607
    「限界知らずのハイパフォーマンスカーの鏡」
     AMGは、元々メルセデスをベースにしたマシンでレースに出場し、目覚ましい活躍を見せていた独立系のチューナーだった。1999年にダイムラーの傘下に収まり、メルセデス・ベンツのモータースポーツ活動を強力に支えるブランドになると、メルセデス・ベンツのラインナップの中でもハイパフォーマンス・バージョンを専門的に開発するエンジニア集団として知られることとなった。
     その技術力の高さは折り紙付きで、メルセデス・ベンツのエンジンをチューンナップするだけでなく、高性能パワーユニットを完全自社開発するほどのレベルにある。
     C 63 AMGは、その自社製のパワーユニットをCクラスのフロントフードの下に詰め込んだモデルだ。V型8気筒DOHCの6.2Lユニットは、NAながら457PS/61.2kgfmを発揮。専用のチューニングを受けた7速ATとの組み合わせで、ポルシェを楽々追い詰められる強烈なパフォーマンスを見せる。もちろんサスペンションやブレーキ、駆動系など、走りを高めるためのおおよそ考えられる部分のすべてに入念な改良の手が入れられており、セダンの皮をかぶったスーパーカーとすら呼べるモデルに仕上がっている。
     さらにこの204系からは、盛り上がったフロントフードやワイドフェンダー、空力特性を考慮した前後バンパーやサイドスカートなど、これまでのCクラスAMG以上に特徴的な専用パーツが与えられており、控えめな雰囲気の通常のCクラスとは異なるそのアグレッシブなルックスも人気を集める大きな要素になっている。
     Lv45で改造可能。同イベント作戦実装艦娘の中では一番高レベルな改造艦である。
     改造すると、改造前持参していた主砲、あと機銃を持ってくるが、しかし一番の目玉は最後の電探だろう。この電探のステータスは火力+3、命中+10、対空+7、索敵+9といろいろおかしく、まさに「全ての電探が過去になった」だろう。唯一索敵面のみ32号対水上電探に1だけ負けているがそれと回避以外は1位である。ただ対空電探か水上電探か微妙のため、防空補正%は不明。 → 対空カットインが発動するので対空電探扱いのようだ。
     性能は耐久が63と利根筑摩を超えて1位、おまけに装甲も82とこれまた1位、雷撃値も羽黒改二同様84と高め。ただ対空が60と低く、火力も最上改同様75と少し物足りない。火力面は雷撃値と運でカバーしよう。夜戦火力は基礎で159、持参するSKC砲×2で179と改時点で上位にいける。なお魚雷カットイン構成にすると、艦首1+五連装2で198(艦首×2ならば201)で魚雷カットインキャップ値とほぼ同一になる。運が高いため魚雷装備もありだろう。運も綾波改二同様40あるため、カットイン構成も視野に入れられる。ちなみにMAXは89と流石に雪風長門にはかなわないが、非常に高い。重巡内ならば1位となる。ちなみに次点は妙高改二の32、そう考えると高めであるが、史実を見ると低い印象もあるだろう。ゲームバランス的な部分はあると思われる。
     ただし燃費が少し悪いため、その点はご注意。(燃料は航巡改を超えて1位、弾薬は妙高型改二と同値で1位タイ、合計は自動的に1位)
     改の塗装はツェルベルス作戦時の迷彩塗装になっており、砲塔天蓋が水色に塗られ船体はグレーと白のまだらになっている。作戦航路であるイギリス海峡に垂れ籠める分厚い雲と濃い霧の中での視認性低下を狙ったものと思われる。これはツェルベルス作戦時のシャルンホルストの塗装図だが、実艦の塗装が反映されているのが分かるだろう。
     MVPボイスで「浅瀬とか、苦手だし……」と話すのは、クロスロード作戦で二回の原爆を耐え、調査の為に曳航されていた際に浅瀬で座礁・転覆した事から。
     9時、14時の時報で長門酒匂に言及するのはこのクロスロード作戦で肩を並べ共にあの光を見た事から。
     10時の時報でビスマルクとなら戦艦も余裕で撃沈と話すのは、ライン演習作戦時のデンマーク海峡開戦時でビスマルクと共に英海軍の象徴・巡戦フッドを撃沈、最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃破した事から。母港ボイスの「ライン演習作戦」とはこの作戦。
     15時の時報で話す改の塗装にもなっている「ツェルベルス作戦」とは、戦艦シャルンホルスト・グナイゼナウ、駆逐艦6隻、水雷艇・Sボート多数の艦隊でイギリス海峡を一隻の撃沈も出さずに白昼堂々突破した作戦の事。
     21時の時報で「艦砲で押し寄せる戦車の群れを、結構叩きました」と話すのは、バルト海におけるハンニバル作戦など幾度もの作戦での対地支援の艦砲射撃で5,000発以上を撃ちまくりソ連戦車を撃退した事から。ガルパン・WoTとのコラボまだ~?
     彼女が用意してくれる朝食:パン・チーズ・ソーセージ・サラダ・コーヒー、はドイツの極一般的な朝食。夕食にカルテスエッセン(火を使わない食事)を用意してくれようとするが、ドイツでは日本と異なり朝と夕はパンとチーズ・ハム・ソーセージを中心とした食事で済ませ昼に温かい食事をしっかりと食べる。なのでドイツ人には普通だが日本人には夕食が物足りなく感じてしまうため、文化差が表れている時報となっている。
     ビールの国の艦娘達で初めてビールに言及する艦娘である。余談だが、ドイツの飲酒法では、14才から保護者同伴ならビール・ワインなどの非蒸留酒が飲め、16歳からは保護者の同伴なしに購入も可能、18歳でウイスキーやウォッカなどの蒸留酒を含む飲酒が完全に解禁となる。
     フミカネ氏によるデザイン関連の呟き。「よく似た艦影が特徴なので、「一回りコンパクトなビスマルク」と言うイメージにしています

    ■Z1
    ●BMW/M5'08

    ・パフォーマンスポイント(PP):535
    「心臓部に『V10エンジン』を搭載された、セダンの皮を被ったスーパーカー」
     2004年登場のM5は、量産モデルとして初めてV10エンジンを搭載した、5シリーズの頂点に立つモデルだ。
     外観のモディファイは控えめで、若干膨らみを増したファンダーや独自のエアダム形状、マフラーエンドなど、標準型5シリーズとの差別化は少ない。だがそのボンネットには、BMW史上最もパワフルなV10エンジンが搭載されている。BMW M社が製造するS85B50A型と呼ばれるバンク角90度のV10エンジンは、4999ccの排気量から最高出力507PS/7,750rpm、最大トルク53.0kgfm/6,100rpmを絞り出す。レッドゾーンは8,250rpmだ。
     驚異的なスペックの理由は、このV10が2006年シーズンにレギュレーションが変更されるまでのF1のBMW V10をベースにしているからである。シリンダー個々に独立したスロットルバタフライや、強力な横Gを受けても確実なオイル供給が可能なシステムなどは、その表れだ。
     トランスミッションはセミATの7速SMGドライブロジック。従来のSMGと比べてシフト時間が20%短縮されているばかりか、11種類のシフトプログラムを用意し、あらゆるシーンで思い通りの変速が可能。その気になれば0-100km/h加速4.7秒の加速を体験できる。
     足まわりは快適性を確保しつつ、V10のパワーをしっかり受け止められるよう強化されている。可変ディファレンシャルロック機構とMダイナミックモード付きのDSCは、ドライバーがコントロールする幅を広げてくれるM5ならではのメカニズムである。
     「羊の皮を被った狼」という言葉は使い古されているが、M5はまさにそれ。レーシングカーのパフォーマンスとラグジュアリーを併せ持つ究極のスポーツサルーンである。
     2014年3月14日のメンテで艦これ初の純海外艦(ドイツ産まれ)として姉妹艦のZ3と戦艦Bismarckと共に実装された、他の海外艦のトリガーとしても重要な艦娘。
     面倒な任務や遠征をコツコツとクリアして行った提督へのご褒美艦。1人目の入手方法は任務「潜水艦派遣による海外艦との接触作戦」の成功報酬なので、時間はかかるが確実に入手可能。ただし上記任務を出現させるための準備段階として、遠征の1~5、9~20、27~29を成功させ、それと共に任務のA1~A13、A20、A21、A27を完了しておく必要がある。その後、任務「第一次潜水艦派遣作戦」「第二次潜水艦派遣作戦」「潜水艦派遣作戦による技術入手の継続!」をクリアするために48時間掛かる遠征「潜水艦派遣作戦」を4度成功させると、ようやく上記任務が出現する。任務報酬であって遠征報酬では無いので、派遣作戦一回だけでいいと勘違いしないように。ちなみに、遠征「潜水艦派遣作戦」と「海外艦との接触」は潜水艦が4隻要る上に旗艦にLv55とLv60が必要、更に「海外艦との接触」では艦隊の合計レベルが200以上と難易度が高く見える。しかし、潜水艦以外も艦隊に入れられるため、潜水艦以外の2隻で旗艦レベルをクリアし6隻の合計で艦隊合計レベル200を超えるように編成すれば、手に入れたばかりの低Lv潜水艦まじりでも任務達成が可能。
     上述任務クリア以外の入手方法としては、2014年春イベントの最終海域E-5にてレアドロップした。しかし非常にレアなドロップだったため、むしろ通常に任務クリア入手の方が早く入手できそうなほどだった。
     特殊な建造システムとしてZ1旗艦でZ3、Z3旗艦でZ1を通常建造可能。そしてZ1かZ3を旗艦に置く事で大型艦建造にてBismarckを建造する事が可能。要は通常は最初にZ1を入手しないと他の海外艦の入手は不可能。つまりZ3が居ない状況下でZ1を轟沈させてしまうと、Z1の再入手は現状ほぼ不可能。Bismarckが居ない場合はそれも入手不可になるので、Z1を轟沈させないように気を付けること。
     初期から装備スロットが3つ空いている初の駆逐艦で、改造前の装備選択の幅が従来の駆逐艦より広く取れるのがポイント。
     耐久こそ高めなもののほとんどのパラメータが駆逐艦としては平均以下で、回避に至っては最低値。その割に燃費が悪く(改造後は島風と同等)、やや扱いの難しい艦である。特に運が駆逐艦中最低値となっているため、カットイン攻撃は期待できない。にすると他艦と遜色ない数値になるため、早めに改造したい(運の最終値は他と同じで49)。他の潜水艦比でのアドバンテージはZ3と共に初期対潜値が五十鈴由良に次いで高く、駆逐艦の中ではトップであること。3スロットも含めて対潜に強い仕様になっている。
     姉妹共々艦これ初の初期金レア駆逐艦。ホロはいたが今まで金レアはいなかった。しかし前述したように潜水艦の入手以外は時間さえかければ誰でも確実に成功させられるため、入手に運はあまり絡まない。一部の銀レア駆逐艦より入手は容易である。
     「レーベレヒト・マース」の綴りは"Leberecht Maaß"(ASCII文字のみを使用する場合は"Leberecht Maass"表記)。「Z1」をドイツ語で読むと「ツェット アインス」となる。ちなみに艦名は正確には「Z1」では無く「Z 1」で、Zと数字の間に空白が入る。
     第一次大戦後のヴェルサイユ条約による軍備制限下、新鋭駆逐艦の一番手として建造された、1934型駆逐艦のネームシップ。それまで運用されていたメーヴェ級・ヴォルフ級駆逐艦(後に水雷艇に再区分された)よりも大型の駆逐艦として建造された。艦これでは「Z1型 1番艦」と成っているが「Z1型」は1番艦にちなんだ通称で、正確には「1934型」。後述の「Z5型」「Z17型」「Z23型」も同様で、正確には「1934A型(1934型の改良型)」「1936型(再設計した別型)」「1936A型(1936型の改良型)」である。ドイツ駆逐艦は「Z ××」という「ナンバー」と、それとは別に「艦名」が与えられている。書籍などではナンバーで書かれる場合と艦名で書かれる場合があり、同じ艦なのに本によって全く異なる名前で書かれていたりする。ちなみに、艦名として人名が付けられたのはZ22までで、Z23以降は艦名なしのナンバーのみとなった。Zは、ドイツ語で駆逐艦を意味する"Zerstörer(ツェアシュテーラー)"の頭文字から。そして1934年は皇紀2594年なので、「1934型」の「Z1」と「Z3」を日本海軍風に表記すると「九十四式駆逐艦」の「駆一号」と「駆三号」辺りだろうか。
     起工時点ではヴェルサイユ条約下であったにもかかわらず、それを無視した巨艦として、新技術てんこもりで建造された。武装も、主砲は日米駆逐艦並みの12.7cm(実寸12.8cm)主砲5門、魚雷も欧米基準では強力な53.3cm魚雷8門の強武装艦として竣工した。また、特筆すべきは60発も搭載可能な機雷敷設能力で、戦争序盤、北海での機雷敷設にイギリスは苦しめられることとなる。だが、タイプシップはドイツ帝国海軍時代のS113級水雷艇であり、Bismarck同様設計の古さからくる戦闘能力の微妙さは否めなかった。太平洋戦線と違い、欧州戦線では北海・バルト海の狭い海域での活動が主であった為に機雷の効力は大きく、大戦中英独共に艦艇の機雷被害に多く苦しめられた。
     船体は長船首楼型で、一般的には艦首乾舷を高くとれ、凌波性能が良くなる形状である。ところが艦首乾舷は不足であり、フレアも小さいため艦首が波に突っ込み易くトップヘビーであることもあわせて荒天での安定性に難があった。
     機関には、説明にあるように70気圧のワグナー式水管缶を採用、缶・機・缶・機と配置する、いわゆるシフト配置としていた。このワグナー式水管缶は当時としては破格の高性能であったが、同時に非常に複雑で安定性に欠けるアキレス腱でもあった。例えばZ5型のZ15シュタインブリンク(1938年5月就役、終戦時残存/ベンソン式缶搭載)は、二次大戦中1249日間もドック内に入っていたが、中でも機関関係の修理には819日を費やしている。ボイラー以外にも問題を多数抱えており、以後、改良型・後継型(Z5型、Z17型)は次々と船体、機関の小改良を加え続けることとなる。その改良型でも懲りずに110気圧とかいうトンデモ缶を搭載し、さらなる故障を頻発させたのはどうかと思うが。Bismarckもそうだがつくれなかった日本はともかくアメリカ・イギリスではすでに民間の大型船舶に高圧缶が登場していた。にもかかわらずキングジョージV世級やアイオワ級でも33気圧程度と大和型の28気圧と比してもそんなに高くない低圧艦を使い続けている。これは信頼性が確保できない上に、万一缶を破損したときに缶自体の圧力で被害が大きくなると考えられたため。下記にあるようにWWI以降ろくな軍艦設計のノウハウを得られなかったドイツではそういう考慮が薄かったのである……が、「ドイツの技術は世界一ィィィ」なノリで採用したフシがないわけでもない。
     いっぽうシフト配置とは、簡単にいえば「一箇所の被弾が直ちに致命的な被害につながらないよう、上手いこと機関を配置すること」である。しかし、とりわけ駆逐艦は小型の艦種であることからその「上手いこと」が難しく、日本の駆逐艦でシフト配置に取り組み始めたのは島風型と秋月型から。本格的に採用されたのは更に後の松型からであった。それゆえ、日本の駆逐艦では、たった一発の被弾で航行不能になってしまうケースが多かった。なお米国駆逐艦でも早期からこのシフト配置は採用されていた。日本でシフト配置が進まなかった理由は大型艦の設計事情による。アメリカがシフト配置を採用した理由はパナマ運河による制限から水線下防御に不安があったためという事情がある。これに対して日本海軍では極端に浅い水域を通過することを考える必要もなく、喫水はある程度深く取った方が艦も安定するので厚い防御を集中して施す集中防御という考え方に走った。この考え方では装甲容積を減らすため機関もより小さい方がよく、そちらに有利な集中配置になったのである。成果がどうだったか言えば大和・武蔵の壮絶な最期を見ていただければわかるだろう。一方駆逐艦はもとより充分な装甲など期待しえなかったので特にシフト配置の恩恵が大きかった……はずなのだが、ボコボコに撃たれてもなお沈まず、ようやく機関全損で航行不能、しかし沈むまでに生存者は全員脱出したソロモンの悪夢とかワケわかんない例も残っている。現代の軍艦のほとんどはこのシフト配置を採用している。タービンはワグナー式ギアードタービンだが、極めて震動が多くこれも故障に直結した。
     「通商破壊じゃなくて、艦隊決戦?!」と驚いているが、これはドイツ海軍が基本的に艦隊決戦を想定しておらず、軍艦同士の戦闘をなるべく避けた通商破壊をその主任務としていた為。ドイツ軍が通商破壊に終始したのは、艦隊決戦を挑める程の艦隊を揃えられなかったからである。WWI時は世界第二位の海軍を誇ったが敗戦でそのほぼ全てを失った上まともな艦隊の保有・建造と兵力が厳しく制限された。再軍備宣言後、海軍再建のために「Z計画」が遂行されるが、計画完了予定は1947年(!?)。WWIIに向けて新艦建造を進めてはいたが予定より早く(1939年に)大戦が勃発してしまい、長らく名実ともに世界最強であった英国ロイヤルネイビーとの戦力差が大きかったからである。独海軍「海軍再建できてないから開戦待って!」ちょび髭「1944年までイギリスと戦争する気ないから安心しろ」⇒1939年9月、英仏が対独宣戦布告orz通商破壊は資源のみの問題ではなく、船団の護衛や敵の捜索などに戦力を分散・消費させられる。英国は船団護衛に戦艦まで動員せねばならず、これに大いに苦しめられた。
     「外洋での艦隊戦は苦手」と言っているが、これはドイツの駆逐艦が基本的に内海のバルト海などでの運用を中心としていたために航洋性を欠いた重武装偏重型として発達したためか。Z1型は巡航速度19ktで航続距離1,900浬である。同時期の日本海軍駆逐艦である初春型は巡速14ktで4,000浬、仏海軍駆逐艦ル・アルディ級は巡速20ktで2,726浬、英海軍駆逐艦E級は巡速15ktで6,350浬(!?)である。結果、後に、更なる発展形として、十分な検証も経ずに軽巡洋艦級の15cm砲を無理やり積んだZ23型以降の艦を作ってしまう。このクラスの計画値では、740トンの燃料で4400海里航走できるはずだった。ところがトップヘビーのため燃料が減るとお腹が軽くなって不安定になってしまい、実際に使用できるのはわずか30%。更に予定より大幅に燃費が悪く1530-1900海里が航続距離となる。なお、このトップヘビーは新型艦になっても全く改善されない。航続力不足の欠点が修正されたのは主機にディーゼルエンジンを採用した1944年のZ51(終戦時未完成)から。
     戦歴だが、開戦時のポーランド戦に参加、その後北海で機雷敷設作戦に従事したものの、早々に戦列を離れ、12月まで修理ですごすこととなる。1940年には戦列に復帰し、スカゲラック海峡での通商破壊戦に従事後、2月22日、ヴィーキンガー作戦で、イギリス漁船団への臨検を行うべく北海ヘリゴランド・バイトに出撃したが、夜間対空戦闘中に突然爆発、沈没する。この爆発は、味方であるはずのドイツ空軍機He111誤爆によるもので、生存者は2割に満たなかった。さらにこの時、姉妹艦のZ3もまた爆撃もしくは回避行動中に英軍の機雷に触れて轟沈し、生存者なしという悲惨な結果となった。この報せを聞いた総統閣下は相当カッカ激怒した様で、調査委員会設置を命令している。調査の結果、ドイツ空軍がZ1らを敵艦と誤認した原因は「夜間作戦行動時の視界不良」及び「双方共に作戦行動計画の通達不徹底」であったことが判明された。駆逐艦娘としては極めて低い運は、この戦歴に起因しているものと思われる。と言っても、Z1らが行った機雷敷設作戦によってドイツ軍はウン十万tもの連合軍商船を海の藻屑にしている。目立たないがかなりの武勲艦でもある。ちなみにこれ、太平洋戦争開戦前。同日に沈んだZ3、1年3ヵ月後に沈んだビスマルク同様、日本のWWII参戦を見ていないのである。
     名前の由来になったのはドイツ帝国海軍のレーベレヒト・マース(Leberecht Maaß)少将。第一次大戦中の1914年8月28日に発生したヘルゴラント・バイト海戦でドイツ巡洋艦部隊の指揮官として英国海軍の水雷戦隊に挑み、増援の英巡洋戦艦部隊の攻撃で旗艦「ケルン」と運命を共にした人物。なおこの海戦でマース少将の艦隊と激突した英水雷戦隊の旗艦は、天龍型のお手本ともなった軽巡洋艦の元祖中の元祖、アリシューザ型軽巡一番艦アリシューザ。この海戦でアリシューザは撃沈寸前まで追い込まれたという。
     遠藤綾氏の担当するZ1・Z3・Bismarckのドイツ語は一般的なカタカナ表記とは異なる独特の発音(ダンク・シューンやアイヌン・シェーヌン・タークなど)に聞こえるが、これは実際のドイツ語の発音に近づけたもので、曖昧な音(弱母音)を表現しているため。逆に伊8が「ダンケ・シェーン」とカタカナ的に発音するのは、彼女が日本の潜水艦であり、母国語ではないドイツ語を「勉強して覚えた」からであるとも取れる。
     カーアクション映画「ワイルドスピード EURO MISSION」では、ブラックのM5が街を駆け抜けたり、クラッシュするなどの印象があるはずだ。そんな中グランツーリスモ6は、2005年モデルと2008年モデルを収録。本来なら2005年モデルと変わらないコンセプト仕様も入れる予定だったが、それは前作の「グランツーリスモ5」から消去されてしまった。
     ドイツ艦であるZ1は、ドイツが誇る自動車メーカーの中で選んだのが、この2008年式のM5だ。銀色という色で塗装されるはずが、とあるPAD長メイド長により、仕方なく別色であるダークグレーに身を包んだ仕様となった。装備品なども品がよく、警察の装備も完璧に備わっている。勿論チューニングもしており、セダンとしては重さを感じられないパワフルな仕上がりとなった。

    ●BMW/M3 GT2 ベースモデル'11

    ・パフォーマンスポイント(PP):577
    「M3・GT(BMW Motorsport)のベースモデル、それをZ1がアレンジしたオリジナルマシン」
     このモデルはカラーリングやゼッケンの選択などを楽しむためのベースとなるモデルである。以下が元となったモデルを紹介しよう。
     初代E30型のBMW M3は、グループA既定のツーリングカー・レースのホモロゲ―ションを獲得するために生み出された特別なモデルであったが、第2世代以降は3シリーズの高性能グレードとして販売している。
     いっぽうでBMWは第2世代以降のM3を元に、レースのための特別なベース車両を用意し続けている。
     第4世代となるE92型にも、FIAの車両規定に合わせたGT4とGT2のふたつのレーシングM3が用意された。特に改造範囲が広いGT2規定で開発された「M3 GT2」は、歴代M3最強となったモデルである。
     ストリート仕様のE92型M3は、先代であるE46型よりも車体がひとまわり大きくなり、車重も1,630kgと80kgほど重くなったが、パワーユニットを従来までの直列6気筒の3.2LからV型8気筒の4.0Lへと変更し、E46型M3の標準モデルの343PSから420PSへと大幅にパワーアップを果たした。
     M3 GT2はこれをベースに前後フェンダー、フロントフードやトランクリッド、前後バンパーなどをカーボン製の専用品へと変更し、車重を1,245kgまでダイエット。フェンダーが前後とも大幅に拡大されて車幅は110mm広くなり、フロントにエアダムが、リアに巨大なウィングが備え付けられるなど、完全に競技車仕様となっている。V8ユニットは30.1mmのリストリクターを装着した状態で500PS/50kgfm以上のパワーを発揮した。
     BMWは2010年シーズン、このマシンをALMSとILMCのシリーズや24時間耐久レースなどで走らせた。ALMSのGTクラスではシリーズ制覇、またニュルブルクリンク24時間レース、ILMC珠海(ズーハイ)1000kmレースでは見事に総合優勝を飾っている。
     2014年3月28日のアップデートにてZ3 zweiと共に実装された。改装レベルが70とВерныйと同様に高い事に注意。
     3月14日に実装されたZ1の(マイナーチェンジとはいえ)実質の改二となるが、改二実装までたった2週間とかなり早めの改二実装である。改造後を含めた駆逐艦のSホロ艦娘はこの2隻が初となる(島風雪風は改でもホロ止まり)。
     性能は改二として見るとかなり弱い。詳細はの方で。
     改二デザインコンセプトは「1944年まで生き残っていたら」ということがテーマになっている。島田フミカネ曰く「Z1とZ3のマイナーチェンジ もし44年まで健在だったら・・・ということで、ほぼ同型艦のZ5に施された改装を参考にしています装面以外だと、マストを三脚化、垂直艦首をクリッパーバウに変更、レーダー搭載、煙突を少しカットダウンして軽量化&低重心化 絵だと地味~な変化です」「設置スペースの上下高が足りなくて、操作部がシールドされた後期の魚雷発射管は積めませんでした・・・無念
     なお史実の対空装備は3.7 cm SK C/30単装速射砲と2cm FlaK 30単装機関砲にとどまっていた。
     表情が一段と柔らかくなっている。かわいい
     Z1のZwei仕様。FIA-GT2用に開発されたM3を活用し、ドイツ艦としての誇りを保っている。Bisumarck改のSLS AMG GT3とは違い、同メーカーを所有している七葉HTレーシングミクのZ4 GT3とはとても仲が良い。
     ゼッケン番号は79。カード番号の下2桁から取られたようだ。並み居る強敵がいる中、こうしたちょい過激なレースカーがいてもおかしくないはずだ。

    Z3
    ●アウディ/R8 5.2 FSI クワトロ'09


    ・パフォーマンスポイント(PP):540
    「進化という過程で、ミクロン単位までチェックされたアウディ得意の4WDシステムマシン」
     R8の起源は、2003年に発表されたコンセプトカー「ルマン クワトロ」まで遡る。市販車ではその名前がR8に改められたが、これはル・マン24時間で制覇を遂げる大活躍をみせたプロトタイプ・レーサーに由来するものだ。
     ボディにはシャシーをアルミで合成したアウディ自慢のASF(アウディ・スペース・フレーム)が使用され、ボディ・シェル単体重量はわずか210kg。ボディの大半は手作業で作られ、溶接部をX線でミクロン単位までチェックするというこだわりを貫いている。
     100km/hを超えるとせり上がるリア・スポイラーの中心部は格子状で、立ち上がった状態では空力効果に影響を与えず、格納された状態ではエキゾーストからの熱を拡散するという効果を持つ。
     4.2 FSIのエンジンは4.2LのV8直噴で420PSを発生。強大なパワーを伝える駆動方式は、アウディの基幹ともいえるクワトロ・フルタイム4WDシステムだ。センター・デフにはビスカス・カップリングが用いられ、前輪へは全体の10~35%が駆動配分される可変式となる。
    ほかにもマグネティックライドと呼ばれる磁性粒子を混入したダンパーや、油圧によって変速を行なうRトロニックなど、スーパーカーにも最新テクノロジーを取り入れる点は、アウディならでは。2009年には、最高出力525PSを発生する高回転型の5.2L・V10エンジンを搭載した5.2 FSIが登場した。
     「ルマン クワトロ」時代から変わらない独創的なエクステリアは、個性的なデザインが集まるスーパーカーの中でもひときわ目に引く存在である。
     2014年3月14日のメンテにて、Z1Bismarckと共に実装された艦これ初の純海外艦(ドイツ産まれ)の艦娘。
     Z1を旗艦に置き、レア駆逐レシピで建造することで、Z3を入手する事が可能となる。だが建造時間はまさかのしれぇ!と同じ24分。Z3だと思ったら雪風だった、ということがよくあるので泣かないように。ちなみにZ3を秘書艦にしてレア駆逐レシピを回すとZ1を建造することも可能。(無論24分なので雪風もあるが)
     ゲーム中の図鑑では「Z3型 3番艦」と表記されているが1934型(通称Z1型)の3番艦である為、正しい表記は「Z1型 3番艦」である。2014年4月23日のメンテで修正された。
     ドイツ語の綴りは"Max Schultz"。「Z3」はドイツ語で読むと「ツェット ドライ」である。こちらも艦名は正確には「Z3」では無く「Z 3」で、Zと数字の間に空白が入る。
     名前の由来は第一次大戦中にドイツ帝国海軍の水雷艇「V69」の指揮官を勤め、英国海軍による攻撃を受け、艦が大破した際に死亡したマックス・シュルツ艇長。ドッガーバンク海戦・ユトランド海戦にも参加した人物である。ちなみにシュルツ艇長はレーベレヒト・マース少将の下で働いたことがある人物だったりする。
     艦の基本性能はZ1を参照。1935年1月2日起工。同年11月30日進水。1937年4月8日就役。
     第二次世界大戦勃発のわずか4日前の1939年8月27日、Z3はバルト海ボーンホルム島沖で独海軍の水雷艇「ティーガー」となのです!衝突してしまう。ティーガー側は死者2名を出し沈没、Z3側も死者こそ出なかったものの損傷がひどく、姉のZ2等に曳航され全治1ヶ月。そのため不幸にも?9月のポーランド戦中はドックに入渠していたのである。
     修理が終わったZ3は同年10月、今度はノルウェー沖で作戦行動中に第一缶室のが故障、さらに機関室浸水→缶室に海水が入り水蒸気爆発→缶を直そうとした機関士の1人が死亡→さらに浸水悪化→配電盤・発電機ショート→電話不通と負のスパイラルに突入。さらにさらに第一缶室の爆発の影響で給水ポンプが故障し第二缶室の缶も使用不能に、第三缶室の缶も使用困難となってしまったのである。Z3は冬のノルウェー沖の荒波の中で全機関停止という大ピンチに陥ってしまった。波の影響でどんどんドイツ軍が敷設した機雷原に向かうZ3。発電機故障のせいで錨も降ろせないので艦を止めることができない。ざんねん、Z3のぼうけんはここでおわってしまった!だが、奇跡的に第三缶室の缶が復活し、艦は航行可能になり危機を脱した。直した機関士GJ。この一連の出来事を教訓に「缶が故障したらアレしてコレしろ」というマニュアルができ、以後、Z1型駆逐艦達は缶の故障に(ちょっとだけ)悩まずに済んだとか。
     Z3の最後はZ1と同じく味方の誤爆が一因。味方に誤爆され回避行動中に英海軍の敷設した機雷に触雷、沈没したものと思われる。艦長以下乗員308名全員が死亡し、また状況が混乱していたためはっきりと彼女の姿を見た者もおらず、Z3の最期を知る者はいない。
     一応(パンツは)はいてる。
     アウディが誇るミッドシップ四輪駆動でフラッグシップカーであるR8。快適な装備も組み込まれるR8の最上級モデルがV10エンジンを搭載した5.2FSIクワトロ、彼女の愛車である。標準のレッドで纏ったボディは、まるでこれから戦場に行くにも似つかわしい姿勢が見えてくる。
     なにより特筆するべきものと言えば、アウディの伝説を語るのに不可欠な"クワトロシステム"だろう。同じ4WD車両を持つ艦娘では、戦艦の金剛や扶桑、伊勢、軽空母の鳳翔、水中機母艦の千代田、駆逐艦の皐月や三日月、菊月、望月、時雨、夕立、春雨等。日本車を超える存在意義を示したアウディ。WRCで培ってきた伝説のS1ラリーカーの技術を惜しみなく入れた傑作だ。

    ●アウディ/R8 LMS'09

    ・パフォーマンスポイント(PP):596
    「5.2 FSI クワトロをベースにした、販売価格のみ法外レベルのFIA-GT3仕様」
     アウディ R8は2003年のフランクフルトショーでお披露目となったコンセプトカー、ルマン クワトロをベースに、2006年パリ・モーターショーでデビューした。
     このR8は当初V型8気筒モデルであったが、エンジンルームにゆとりがあったため、さらに大きなエンジンの搭載が噂された。実際にアウディは、2008年のデトロイトショーに12気筒ディーゼルのコンセプトカーを発表。さらに翌2009年の同ショーに5.2LのV型10気筒モデル、R8 5.2 FSI クワトロを送りこんだ。
     V10搭載によって、エンジンスペックは525PS/8,000rpm、54.0kgfm/6,500rpmまで向上した。トランスミッションは従来型と同じくシーケンシャル式の6速Rトロニックだが、専用デザインのセレクターとパドルのどちらでもシフトチェンジ可能。最高速度は316km/h、0-100km/h到達タイムは3.9秒と、それぞれ301km/h、4.6秒の4.2 FSI クワトロを大幅に上回る性能を誇った。
     しかしR8プロジェクトは、このモデルで終わらなかった。2008年秋、アウディは5.2 FSI クワトロをベースにしたR8のGT3バージョンを発表したのである。それがR8 LMSだ。
     LMSはR8を使ってレースに参戦しようと考えるプライベータ―のための競技専用モデル。V10ユニットはリストリクターで制限を受けながらも500PSオーバーを確保、同時に
    GT3カテゴリーに準拠した改造が行なわれ、駆動システムも後輪駆動に改められた。エクステリアでは、張り出した前後フェンダーと大型スポイラーが、生枠のレースマシンであることを物語る。
     2009年秋からリリースを前に、アウディは4台のLMSをニュルブルクリング24時間レースに投入した。その結果、全車完走はもちろんGT3クラス優勝、総合2位という快挙まで成し遂げたのである。
     2014年3月28日のアップデートにてZ1 zwei共に実装された。
     性能だけで見ると改二としてはかなり弱いそこ、装備が本体とか言わない
     
    コモンの吹雪型駆逐艦と比べても火力・雷装・回避が低い。そのため昼戦・夜戦ともに日本駆逐艦と比べ弱い。装甲・耐久は若干高いものの、天津風改の方が装甲が高く耐久も1しか違わない。敵巡洋艦以上の攻撃に耐えられる防御力ではなく、回避も日本駆逐艦に比べて低いこともあってか非常に脆い印象がある。しかも対空以外のすべての能力値がВерный以下の数値という不遇の扱いである。
     唯一、対空は高めだが、それも時雨改二には及ばず、あちらは幸運艦なので10cm連装高角砲61cm四連装(酸素)魚雷を三つ装備してカットインを狙える。育て切るにはが必要だろう。
     燃費も島風改と同じと駆逐艦の中では最悪の部類で、遠征にも不向きである。
     現状の能力値では「戦闘もダメ、遠征もダメ」と労力に見合ったものと言えず、戦力として考える提督がいるなら「他を育てろ」としか言いようがない。
     改二デザインコンセプトは「1944年まで生き残っていたら」ということがテーマになっている。改造前の状態と比べると間違い探し程度の差しかない。島田フミカネ曰く「Z1とZ3のマイナーチェンジ もし44年まで健在だったら・・・ということで、ほぼ同型艦のZ5に施された改装を参考にしています武装面以外だと、マストを三脚化、垂直艦首をクリッパーバウに変更、レーダー搭載、煙突を少しカットダウンして軽量化&低重心化 絵だと地味~な変化です
    設置スペースの上下高が足りなくて、操作部がシールドされた後期の魚雷発射管は積めませんでした・・・無念
     日本のコモン駆逐艦に余裕で負ける弱さだが、実際のところ元の艦が初期の吹雪型の1.4倍もの排水量でありながら主砲12.7㎝砲5門は同6門の吹雪型以下で初春白露と互角程度雷装に至っては53㎝8門と、61㎝6門の睦月型と互角かそれ以下なので…滅的な燃費も、航続距離が旧式駆逐艦以下の夕張(3300浬)のさらに6割しかない1900浬の史実再現と言える。確かにフミカネ氏の発言を鑑みても他艦より高めの耐久は低重心化の設定、他艦より高めの索敵はレーダー搭載の設定、睦月並みの雷装は「後期の魚雷発射管は積めませんでした」の設定どおりではあるのだが…というか対艦戦闘に限れば史実の睦月型初春型以外の日本駆逐艦がハイスペックすぎるだけでもある。
     微かに笑っている。かわいい
     アウディが開発し、世に送り出したFIA-GT3仕様のR8 5.2 FSI クワトロ。グランツーリスモのユーザーなら「R8が4WD仕様なんでしょ?」なんで言えるはずがない。そりゃこのクルマはアウディお得意のクワトロシステムを無くした後輪駆動車であるからだ(理由としては、レギュレーションによるもの)。ベース車と違い、コーナーでの踏ん張りが無く、まるでホンダ・NSXのGT500仕様や魔改造したロータス・エリーゼ 111Rみたいに安定が失われた。しかし、後輪駆動車ならではの操作性の良さと限界領域が高いのは確保している。
     が、彼女の艦娘としての能力なども何故かクルマにも反映されていて、メルセデス・ベンツとBMWより運が悪いわ耐久値が低いなどの欠点が潜んでいる。こうした改善も猶予もあまりないのが現実だと受け止めよう。

    ■U-511
    ●BMW/Z4'03

    ・パフォーマンスポイント(PP):437
    「鍛え上げられたBMWの新生ロードスター」
     従来のZ3のあとを継ぐオープン・スポーツとしてZ4がデビューしたのは、2002年パリ・モーターショーでのこと。当初のエンジン・ラインナップは2.5Lと3Lの2種の直列6気筒で、当初は4気筒のみのスタートしたZ3に比べて明確なクラスアップが図られている。
     スタイリングはチーフ・デザイナーであるクリス・バングルの個性を強く反映したもので、流麗なフェンダーのラインとサイドのドア直前に入れられたZ型のプレス・ラインが大きな特徴だ。
     シャシー/ボディはプラットフォームからの新設計となっただけに、重量配分も50.3対49.7と理想的な数値を達成。さらにZ3比で約3倍というねじり剛性を確保しながら25kg軽くなっていたのは驚きであった。
     フロントがストラット、リアがマルチ・リンク式となるサスペンションは、当時の3シリーズ(E46型)から基本形式を継承しているが、それはテストが完了していて開発がスムーズに進められるという考えもあったのだそうだ。さらにBMW初となる電動パワー・ステアリング、トラクション・コントロールの補助機構となるDTC、さらにステアリングの操作感とスロットルの関係をスポーツ走行時~ノーマル走行時で切り替えられるDDCといった新技術も惜しみなく投入されている。トランスミッションもMT、AT、さらにSMGと呼ばれるセミATの3種から選択可能だ。
     Z3と同様、米国サウス・カロライナ州にあるスパータンバーグ工場で生産されている。また、モータースポーツ参戦向けのコンペティションモデルは、ニュルブルクリンク24時間レースなどで活躍している。
     2015年冬イベント「迎撃!トラック泊地強襲」E-3報酬として2015年2月6日に実装された。
     BismarckZ1Z3Prinz Eugenに続いて、実装5隻目のドイツ生まれ艦娘。2度の改装を経て呂500となる。響→Верныйに続いて、国籍と艦名がともに変化する艦としても2隻目となる。
     ちなみに呂500になると姿が一気に変わる。日本に毒された結果である。今日も鎮守府は平和です。
     ドイツ海軍のIX C型Uボートの1隻。IX型UボートはI A型Uボートの改良型として建造された1000~1600t級の航洋型潜水艦。IX C型はその中でも最も一般的な艦であり、VII C型(多くの人が「Uボート」と言われて思い浮かぶあの艦)と並びドイツ海軍の潜水艦戦隊の中核を為した名艦である。複殻式構造を採っているため、VII C型のように巨大な海水タンクのバルジがなく、スマートな船体が特徴。この恩恵から水中速度や対潜戦での生存性、安全潜行深度に優れ、VII C型より一回り大きいだけにもかかわらず、2倍近い航続力を発揮できるようになった。但しその分建造費や工数がかかり、改良型も含め700隻が建造されたVII C型とくらべ、改良型のIX C/40型を含めても143隻と生産数は少数にとどまっている。
     U-511はハンブルクのドイチェ・ヴェルフト社307番ヤードにて建造され、奇しくも太平洋戦争勃発翌日の1941年12月8日に竣工している。その後慣熟訓練の後、第4Uボート戦隊に加えられた。その後慣熟訓練の後、第4Uボート戦隊に加えられた。
     1942年の5月には潜水中におけるロケット弾の発射実験を行っている。当時のU-511艦長だったフリードリッヒ・シュタインホフ大尉がロケット技術者の兄、エルンスト・シュタインホフ博士と「ロケットによる対地攻撃が可能な潜水艦」を考えだしたのが原因で、実験に供されたそうである。U-511は甲板に陸軍用のネーベルヴェルファーを改造したWurfkörper 42 30cmロケット弾が6つ収まったラックを装着したまま潜水し、潜行深度12mからこれを発射。結果、見事発射実験は成功した。だが、狙いが不正確であることや、外付けのラックとロケット弾の産み出す水中抵抗がUボートの操縦性や速度・航行距離に悪影響を及ぼすなどの問題も露呈し、計画は破棄されたという。だが「ロケットによる対水上・対地上攻撃可能な潜水艦」というコンセプトそのものはドイツ海軍上層部に支持され、戦後に米国とソ連で戦略原潜として実を結んだのであった。
     その後は第10Uボート戦隊に移籍し、1942年7月から1943年3月までに3回の哨戒を実施。1942年12月にはシュタインホフ大尉に代わってシュネーヴィント中尉が艦の指揮を引き継いでいる。フランスのロリアン軍港を起点に遠くはカリブ海まで哨戒航海を行い、タンカー2隻、貨物船1隻合計総トン数27003トンを撃沈し、別のタンカー1隻、8773トンを損傷させた。
     1943年5月、U-511は大尉に昇進していたシュネーヴィントの指揮下、マレーシアのペナン軍港経由で日本の呉軍港に向かうこととなった。その理由は技術交換の一環もあるがズバリ、「インド洋での日本海軍の通商破壊作戦の要請のため、通商破壊用の潜水艦のモデルとしてU-511を供与すること」。ドイツは前々からインド洋におけるインドとイギリスの通商網の破壊を考えており、インド洋付近まで勢力圏を持っていた同盟国日本の援助も得ながら、仮装巡洋艦などを使用して地道な通商破壊作戦を展開していた。しかしそれでは埒が明かないとヒトラー総統が日本海軍にインド洋での大規模な通商破壊作戦を要請したのである。
    その際に太平洋での運用を前提とした伊号では量産に不向きなことから、IX C型潜水艦を量産型の通商破壊用潜水艦のモデルシップとするために、無償供与することとしたのである。便乗者には日本海軍の駐在武官であった野村直邦中将や次期在日ドイツ大使、ドイツ人科学者や潜水艦技術者がいた。なおこの時に野村中将が思いつき、U-511出港前の報告としてある「暗号」を用いてかわされた国際電話が、アメリカ軍の暗号解読部隊を相当に手こずらせている。外務省と駐独日本大使館の間で帰朝のスケジュールの打合せをするのに米軍に盗聴されるのを覚悟の上で国際電話を使用したのだが、盗聴されてもわからないようにするために、鹿児島出身職員同士で会話をした。当然米軍に盗聴されたが、早口の鹿児島弁だったため、そもそも日本語かどうかすら判別ができなかった。米軍自身が暗号にインディアンのナバホ族同士の会話を使用していたこともあり、アジアの諸言語まで検証した。2ヶ月後、米陸軍情報部に勤める鹿児島出身の日系人が「翻訳」して、ようやく内容がわかった。ちなみにこの方法による最初の通信は5月の野村中将が出発する1週間前のことで、東京からの「モ タタケナー」(もう発ったかな)という問い合わせに対しドイツからは「モ イッキタツモス」(もうすぐ発ちます)と答えるなどしたという。こうした国際電話による連絡は、連合軍の爆撃により中継局が破壊されるまでの1か月ほど続けられた。この航海はすなわち彼女のU-511としての最後の航海となったのだが、ついでとばかりにインド洋で商船狩りを実施し、アメリカ商船2隻、計14370tを撃沈している。
     1943年7月15日にマラッカ海峡のペナン港に寄港。野村中将と技師たちをここで下ろすと、U-511は日本人回航員を載せて「さつき1号」の仮称で一路呉へと向かった。その途上の7月29日、U-511は浮上航行中に、高雄発シンガポール行きの「ヒ03船団」と遭遇。明らかに日本の潜水艦とは異なる、見慣れない塗装と形状の潜水艦を見つけ、船団の先頭を行くタンカー・御蔵山丸は敵潜と判断して発砲を開始。どこかの輸送潜水艇よろしく、味方に敵と間違われたU-511であったが、回航員長だった奥田増蔵大佐が手旗信号と発光信号で説得を繰り返し、更に艦上で軍艦旗を大きく振って、御蔵山丸の誤解を解かせたのであった。その後、臨検に訪れた護衛の海防艦択捉(未実装)に事情を説明して、やっと船団側は納得に至ったという。
     1943年8月7日にU-511は呉軍港に到着。9月に入って艦籍が日本に移り、呂号第五〇〇潜水艦に改称された。
     U-511時代の艦長は2名おり、前述のシュタインホフ大尉(後に少佐)と、弱冠26歳のフリッツ・シュネーヴィント中尉の二人。シュタインホフ少佐はU-511退艦後、IX D/2型の新鋭艦U-873に乗艦。最初の哨戒航海でアメリカ東海岸にまで遠征を行ったが、哨戒中にドイツが敗戦し、1945年5月16日にポーツマス軍港付近で降伏。捕虜としてマサチューセッツ州ボストン、チャールズ・ストリートの刑務所に送還された。ここは民間の犯罪者も収監されていた一般的な刑務所であり、軍人向けの捕虜収容所に送られるまでの一時的な処置であった。5月19日に同刑務所内で自殺している。シュネーヴィント大尉は東京で盛大な歓迎を受けた後に、元U-511乗員らと再びインド洋に戻り、IX C/40型のU-183の艦長に就任。インド洋を転戦しドイツ十字金章を授与される栄誉を得たが、ドイツ敗戦間際の1945年4月23日にジャワ海にて、米潜水艦「ベスゴ(SS-321)」の攻撃により乗艦U-183と、救助された一人を残したクルー全員と共に海色の波間に消えた。
     Uボート(U-Boot、ウーボート)という単語は元来、Unterseeboot(ウンターゼーボート、英語に変換するとundersea boat、すなわちsubmarine)の略語でありドイツ語で単に「潜水艦」を意味するのだが、ドイツ国外でUボートと言うと第一次・第二次大戦期のドイツ潜水艦を指すことが多いようだ。


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