ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("駆逐艦"編) その5
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("駆逐艦"編) その5

2017-03-25 15:42
    事情により、一部のプロマガに記載できなかった艦娘を紹介します。期間限定イベントの駆逐艦もこちらになります。

    ・戦艦→こちら
    ・航空戦艦→こちら
    ・正規空母→こちら
    ・装甲空母→こちら
    ・軽空母→こちら
    ・水上機母艦→こちら
    ・その他艦種→こちら
    ・重巡洋艦→こちら
    ・航空巡洋艦→こちら
    ・軽巡洋艦→その1その2
    ・重雷装巡洋艦→こちら
    ・練習巡洋艦→こちら
    ・駆逐艦→その1その2その3その4、その5、その6、その7

    ・潜水艦→こちら
    ・潜水空母→こちら
    ・期間限定艦→こちら
    ・海外艦→こちら、その2、その3、その4
    ・敵艦→こちら
    ・NPC艦→こちら

    ※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
    ※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
    ※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。

    ■海風
    ●ホンダ/インテグラ TypeR(DC5)'04

    ・パフォーマンスポイント(PP):433
    「ハンドリングは世界一と言っても過言ではない、インテグラのタイプR仕様」
     21世紀のタイプR第1弾として2001年に登場したインテグラ TYPE R。それまでのTYPE Rは、完成されたベースモデルをホンダ自身がチューニングしたモデルだった。しかし今回は、インテグラ自体の開発が、TYPE Rにふさわしい性能を考慮したうえで行なわれた。いわば「はじめから計画されたスポーツモデル」なのだ。
     このため、遮音材を省いたスパルタンな仕様ではあるが、騒音や振動も限りなく抑えられ、ある程度の快適性まで手に入れているのが特徴である。
     その運動性能は先代を大きく凌ぐもので、エンジンは新世代の2L直列4気筒DOHCであるK20A型i-VTEC。軽量フライホイールによってレスポンス向上が図られ、220PS、21.0kgfmを発生する。
     ギアボックスは新開発の全段マルチコーンシンクロを採用したクロスレシオの6速MT。サスペンションはフロントがストラット、リアがダブルウィッシュボーン。さらにホンダ車初のブレンボ社製ブレーキを備えた。タイヤは215/45ZR17という17インチが標準である。
     走りのレベルは、世のFFをすべて置き去りにするほど素晴らしい。コーナリングは常に高い安定性を示すいっぽう、ヘタなFRよりも自由性が高く、意のままの姿勢変化が可能だ。脱出時のトラクションも充分だが、なお舵が効くほどタイヤの接地性は高い。FF車のコーナリングはアクセルを開けるのに「待ち」を要するが、インテグラ TYPE Rはそれすら必要としないほどだ。
     世界一を名乗れるFFスポーツであったインテグラ TYPE Rだったが、2006年7月、日本のクーペ不振の余波を受けて惜しくも生産を終了している。
     2015年8月10日のアップデートで新規に実装。他の新規実装艦と異なり、クリア報酬では無くドロップ艦。夏イベント:期間限定海域【反撃!第二次SN作戦】のE4のボスドロップで入手できた。通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。
     立ち絵を一見しただけでは銀髪できりっとした表情であることから初風のようなクールか高飛車な性格の子に見えるが、実は提督や妹達をよく気遣う礼儀正しい子である。改になって追加される時報では朝昼夕の食事作りはもちろん、深夜にも働いている提督に茶を淹れ、洗濯物の片づけまでしてくれるという良妻っぷりを発揮していることが分かる。俗に提督LOVE勢と言われる艦娘は多く、朝昼夕の食事を作る子も同時に実装された瑞穂速吸を初めとして少なくはないが、洗濯物の片づけ(もしかすると洗濯自体)までしてくれる子はかなり珍しい。
     白露型の7番艦。意味は海から吹く風や海の風
     従来の白露型に改良を加えた型でもあるので「改白露型」あるいは最初に改造が施された彼女から名前をとって「海風型」とも呼ばれている。改白露型と言われているのは、海風、山風(未実装)、江風涼風の4隻である(五月雨は含まれない)
     海風という名前の艦では二代目で、初代は日本初の大型駆逐艦である海風型駆逐艦の一番艦。
     同じ改白露型の山風、江風、涼風と共に第24駆逐隊を編成。図鑑では第二水雷戦隊と名乗っているが、太平洋戦争開戦時の所属は那珂率いる第四水雷戦隊。その後阿武隈率いる第一水雷戦隊に一時的に配置された後、ミッドウェー海戦後の1942年7月に実施された戦時編成改定で、第二水雷戦隊旗艦神通の指揮下に入った。艦これの関連作品ではその訓練の手厳しさで何かとネタにされることの多い二水戦旗艦神通だが、海風はその神通と2隻だけで朝から晩まで対空射撃や夜間射撃の訓練を行ったという記録がある。神通が沈没する約3か月半前、1943年3月26日のことであった。
     また正式な編制上は二水戦所属のままだが、第24駆逐隊はガダルカナル島への増援輸送作戦において第三水雷戦隊旗艦川内の指揮下で行動した時期もある。敵の飛行場があるガダルカナル島に近づくには、夜に紛れての行動となり、海風たち第24駆逐隊も夜間の揚陸や泊地突入に幾度も駆り出されることとなった。
    そのためか、時報で神通のみならず川内も登場、江風を率いて夜戦に出撃しているようだ。
     他の改白露型が敵艦を轟沈させた経験がある中、彼女だけは1隻も沈めていない。主に輸送任務が多かった彼女だが、激しい対空戦闘は何度も経験しており、中破大破を繰り返した苦労艦だった。
     戦争の初期に山風が、中期に江風が沈んだことで第24駆逐隊は海風と涼風の2人ぼっちになってしまった。そこで海軍は別の駆逐隊で1隻だけ生き残った艦をこの駆逐隊に編入させることにした。その名は満潮八駆逐隊が彼女を除いて全滅してから7ヶ月後、江風が沈んでから16日後のことだった。しかし、わずか3ヶ月後に最後の妹であった涼風が潜水艦の雷撃により沈没してしまう。
     涼風が沈んでから8日後の2月1日。海風はトラック北水道付近で米潜水艦ガードフィッシュ(USS Guardfish, SS-217)の雷撃に遭い沈没、50人もの船員が彼女と運命を共にした。なお当時の艦長の中尾小太郎少佐は沈む前に脱出し、運良く生き延びている。海風の沈没により、改白露型は全滅ということになった。
    そしてこのガードフィッシュ、アルバコアとは別の意味で有名な潜水艦であったりする。あの、アスロック米倉の生みの親である。フィクションでも違う意味で武勲艦なのだ…。
     たった3,4ヶ月で再び1人ぼっちとなった満潮は第四駆逐隊へ編入され、レイテ沖海戦にて波乱に満ちた生涯を終えた。
     他にも雪風の開戦時の艦長で「うんにょー」が口癖の薩摩隼人、飛田健二郎中佐も雪風の前は海風の艦長だった。
     Webサイト上で海風の乗員の実戦記録手記が御本人の許可を得て公開されている。24駆の司令駆逐艦であり、そして改白露型最後の生き残りである海風から見た24駆の生き様が大戦初期から最後の瞬間まで鮮明に綴られている。
     現在は、海上保安庁のひめぎく(旧:すずかぜ)型巡視船「うみかぜ(CL35 第3管区・湘南海上保安署所属」が現役である。

    ■江風
    ●ホンダ/インテグラ TYPE R(DC2)'95

    ・パフォーマンスポイント(PP):443
    「3代目インテグラをベースに、ホンダが目指した王道を行く究極のFFスポーツカー」
     3代目インテグラが登場したのは1993年5月のこと。丸目4灯式ヘッドランプは、新型インテグラの最大の個性で、遠くからでもひと目でわかることから「100mアイキャッチ」というコピーがつけられた。
     とはいえこの顔つき、アメリカ市場では好評だったのだが、日本国内では苦戦。結局、2年後の95年8月のマイナーチェンジで、国内モデルのみ横長台形ヘッドライトに戻されてしまう。
     それを打ち消すほど衝撃だったのは、95年にデビューしたTYPE Rだ。「公道を走るレーシングカー」TYPE Rの名は、92年に登場したNSXで多くのクルマ好きに知れ渡っていたが、インテグラへの投入で一気に身近な存在となった。
     心臓部のエンジンは、SiRに搭載していた1.8L VTECであるB18Cがベース。高圧縮比ピストンヘッド、高耐圧コンロッド、2重バルブスプリングなどによって圧縮比、レブリミットが高められた。組み付けは一機ずつ手作業で行なわれ、パワーはリッターあたり111PSを誇る200PSという高みに達した。
     ボディはとことん高剛性化したうえ、軽量化。パフォーマンスロッドやヘリカルLSDの採用で重くなる車重を、バッテリーの小型化や吸音材の廃止、軽量アルミホイールなどで相殺し、40kgの減量に成功している。足まわりも根本的なセッティングが見直され、アンダーステア知らずの強靭なフットワークを身につけた。
     こうしてインテグラ TYPE Rは、販売されるや高性能FF車のシンボルとなった。98年には等長エキゾーストや16インチタイヤを備えた98spec.Rへと進化している。
     2015年8月10日のアップデートで新規に実装。夏イベント:期間限定海域【反撃!第二次SN作戦】のE2海域クリア報酬。通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。改造後の初期装備の1つがいわゆる夕立砲。そういえば、妖精さんがどことなく似ているような……。
     セリフのテキストの中の「ん」が一部カタカナの「ン」に変換されている。そのせいか、劇画の大家(当時79歳。江風と同い歳)に目をつけられてしまい…2015年秋イベント中に着任。「この娘にたどり着くまで死ねン。
     割と普及している愛称が、中破ボイスの空耳に由来する「まろーん」。
    前述の誤植に由来する「なンなちゃん」というのもあったが、その後あまり見かけない。エガちゃんよりはかわいい
     2015年9月7日のアップデートで、浴衣バージョンの母港グラフィックが公開された。浴衣バージョンのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。頭にはキツネのお面をかぶり、右手にはリンゴ飴。よく見ると左手にはわたあめと人形のようなものを持っている。人形の頭部に何やらリボンのようなものがついているっぽい?
     2015年12月8日のアップデートによりクリスマス限定グラフィックが実装された。同時に1-5における期間限定ドロップ(同年12月29日までの予定)が発表された。同年秋イベントより後に着任した提督にとってはチャンスといえる。現状ではボスS勝利でのドロップが報告されている。
     白露型の9番艦。読み方は「かわかぜ」。決して「えかぜ」でも「こうふう」でも「えのかぜ」でも「ごうのかぜ」でも「うみかぜ」でも「シエ風」でも「えふぅ…」でも「ごうかぜ」でもない。江風の変わった読み方大募集意味は川を吹き渡る風や川から吹いてくる風。海風や山風と同じ海陸風の一種である。
     「江風」の名を持つ駆逐艦として本艦は三代目。初代は浦風型駆逐艦2番艦としてイギリスのヤーロー社に発注されたもの。蒸気機関とは別に巡航用としてディーゼルエンジンを装備した、航続距離の長い特別な駆逐艦となるはずだった。しかし第一次世界大戦が勃発。ディーゼルの動力系統にはフルカン社が独占的に製造する高性能な減速装置が必須であったが、敵国となったドイツの同社から装置を輸入する見込みはなくなり、本来の設計では建造できなくなってしまった。一番艦の浦風はディーゼル系統を省略して完成させ日本に回航したが、戦時下の欧州を潜り抜けて不完全な性能の駆逐艦を回航する意義はあまりなく、二番艦の江風は建造途上で宙に浮いた形となってしまった。このため駆逐艦を欲していたイタリアへ譲渡され、アウダーチェ(Audace)と改名された。ヤーロー社に支払い済みであった代金79,367円は国庫に返納され、これを元手に二代目江風が建造されている。アウダーチェは第一次世界大戦を戦い抜き水雷艇に分類変更されたり標的艦となった「サン・マルコ」の無線操縦もした。第二次世界大戦中も護衛艦として活躍。イタリアが降伏するとドイツが接収し「TA20」と命名された。1944年11月1日、イギリス駆逐艦らにより撃沈。皮肉にも、数奇な運命を辿ったこの初代が一番長命であった。二代目はその名も「江風型駆逐艦」の2番艦として開発・建造された。・・・ン?先代とは異なり船体は純国産、その他の主要部についてもほぼ完全なる国産艦である。姉妹艦には谷風がいた。察しの良い方はもうお気づきであろう。実は谷風が先行して計画されており、本来なら「谷風型駆逐艦」となるはずが、竣工順では江風が先になったという、日本海軍にありがちなパターンである。ただし、わざわざ書類まで「江風型」に書き換えた点ではレアケースでもある。日本海軍の駆逐艦で初の・・・正確には駆逐艦どころか日本海軍で最初の、オールギヤード・タービンエンジン搭載艦である。計画上はこの2隻のほうが先行していたのだが、竣工は龍田よりも江風のほうが6ヶ月ほど早かったのだ。本当にバーナー妖精がいたンじゃねえのか・・・?公試時は計画値の37.5ノットを上回る39ノット超の高速を発揮した。が、運用当初は天龍型ともども初期不良に悩まされ、特にタービン翼の折損が多発した。このあたりの原因については天龍の記事が詳しい。この二代目は戦歴の面では見るべきものがない一方で、新世代主機の問題点の洗い出しや、信頼性の向上については多大な貢献をしたと言える。沿岸警備等に従事した後、1934年に除籍された。
     そして三代目である彼女は、従来の白露型に改良を加えた型でもあるので「改白露型」あるいは最初に改造が施された7番艦海風から名前をとって「海風型」とも呼ばれている。改白露型と言われているのは、海風、山風(未実装)、江風、涼風の4隻である(6番艦五月雨は含まれない)
    「バランスいい体」を自慢している一方で姉達よりもある部分が控えめになってしまっているのはご愛敬。そンな彼女の2代目艦長はイクや伊58(初代。後の伊158)の艦長を務めた楢原省吾。5代目は吉川潔が務めている。
     同じ改白露型の海風、山風、涼風と共に第24駆逐隊を編成。初陣は日中戦争である。同戦争にて起こった「パナイ号事件」の際には江風が派遣されている。なお、マジパナイとか言ってる子は何の関係もない。
     他艦との共同も含め敵艦2隻轟沈、重巡1隻大破、ガダルカナルへの突入回数は駆逐艦内でトップの計26回、と実は白露型全体から見てもかなりの武勲艦。勇猛さや強運がちょっと規格外な姉貴たちがいるせいで霞んでしまいがちだがまさしく斬り込み隊長、或いは突入番長とでもいうべき実績を残した彼女ではあったが、後に技術格差の壁の前に敗れ去る事となる。
     第二次ソロモン海戦においては単艦でルンガ泊地へ突入、米駆逐艦3隻(ブルー、ヘルム、ヘンリー)と交戦し、このうち「ブルー」を撃沈し無事帰還した。
     ベラ湾夜戦にて江風、時雨、陽炎型駆逐艦の「萩風」「」の駆逐艦4隻で輸送任務を行っていた際、米駆逐艦「スタック」「スタレット」の雷撃を受け、柳瀬艦長以下169名と共に沈む。攻撃を受けてから沈むまではあっという間であり、まさに「轟沈」だったという。「萩風」「嵐」も江風の後を追うように沈ンでいき、生き延びたのは姉の時雨のみだった…ベラ湾夜戦は、それまで日本海軍の十八番であった夜戦において、アーレイ・バーク大佐が考案した新戦術によって、日本が米軍に完敗を喫した戦闘である。詳しくは注釈に譲るが、部隊を二手に分けて連携攻撃を仕掛けるという、僚艦・敵艦・別働隊の3者の位置を手に取るように把握していなければ絶対に不可能な戦術であった。夜闇の中でそれを実現しうる技術こそ、彼女が「…ありゃー反則さ」と語るレーダーであった。
     改白露型の中で駆逐艦の雷撃により沈ンだのは彼女のみである。他の3人は全員潜水艦の雷撃により沈ンでいる。
    開戦直後において既に山風が沈ンでいたため、江風の沈没により第24駆逐隊は海風と涼風の2隻のみとなってしまった。そこで海軍は別の駆逐隊で1隻だけ生き残った艦を第24駆逐隊に編入させた。日中戦争やパナイ号事件、そして太平洋戦争と、常に戦いの最前線に在り続けて壮絶な最期を遂げた彼女こそ、色々な意味において”日本艦らしい”存在であったといえよう。技術力の格差がはっきりと明暗を分けた最後の戦いを含め…とりあえず、ちゃンと「かわかぜ」と呼ンであげよう。
     まろーん。実装当初から、「中破/大破」時の台詞の最初の部分が「まろーん」と聞こえるとの意見が散見されていたが、後日、さらに「図鑑説明」の文章中に、縦読みで「マロん」と読める部分があるとの報告がなされた。まろーん今後更なる盛り上りを見せる、かどうかは定かではない…
    白露型九番艦、改白露型駆逐艦の江風だ。
    そうさ、海風の姉貴たちと同じ、ル2計画で建造さ
    れたよ。まー、働いた働いた。ソモン海は何度も駆
    け回ったよ。最期は夜戦さ。敵さの電探…ありゃー
    反則さ。(改行位置は原文のまま)
     満艦飾にて船体を飾り、船員一同登舷礼にて天皇陛下の御親閲を受ける江風の姿が映像として残されている。後世に残された、貴重な彼女の晴れ姿である。日本ニュース第19号「紀元二千六百年特別観艦式」(4:15辺り)
     戦後、「かわかぜ」を名乗った自衛艦は無いが、海上保安庁のひめぎく(旧:すずかぜ)型巡視船「かわかぜ(CL83 第六管区 呉海上保安部所属)」が存在する。

    ■潮
    ●トヨタ/イスト 1.5S'02

    ・パフォーマンスポイント(PP):359
    「とあるアニメでも登場する、コンパクトカーの代表車種」
     2002年5月に発表された新型コンパクトカーがイストである。その名前はスタイリストやアーチストなど「~をする人」を表す接尾語から取ったもの。プラットフォームはヴィッツと共通で、ヴィッツファミリー6番目のモデルとして誕生した。
     イストの開発のキーワードは「For your 1st」、つまり「自分らしさを大切に生きる若者」がターゲットで、結果として今までにないコンパクトカーが生まれることとなった。
     最大の特徴はスタイリングだ。ボディサイズは全長が3,855mm、全幅が1,695mm、全高が1,530mmとヴィッツに比べてひとまわり大きいが、そのほとんどはSUV的な処理に使われている。存在感のあるフロントグリルや張り出したフェンダー、伸びたリアのオーバーハング、15インチホイールの大径ホイールなどが、アクティブ感と上質感を醸し出している。
     インテリアも、造形はシンプルだがアイデアを凝らしたもの。インパネやドアトリムには新しい幾何学パターンの樹脂が使われ、センターメーターはユニークな白黒タイプ。その下にはメタル調パネルで囲まれたオーディオユニット、エアコン調節ダイヤルが備わる。シートには上質な生地が使われ、荷室容量はヴィッツより拡大している。
     エンジンはヴィッツと共通で1.3Lと1.5Lの直4DOHC。ギアボックスは電子制御4速ATのみ。駆動方式はFFがメインだが、1.5Lにはフルタイム4WDもある。
     イストは販売直後の1ヶ月で4万2000台を受注し、記録的な大ヒット作となった。コンパクトカーにSUVのテイストを持ち込んで得た成功は、まさにアイデアの勝利だといえよう。
     1-1でも簡単に取得できるコモンの駆逐艦。小ネタ参照だが、史実では歴戦の艦でありそのためか運の数値が20と高めに設定されている。改造から20ある点で長月と異なる。とはいえ運は夜戦カットインの発動率に関わるくらいなのでそこまで気にしなくてよいだろう。残念ながら運20でのカットイン発動率はあまり高くないので、夜戦で活躍させたいなら連撃装備にした方が安定する。
     2013年12月11日のアップデートにおいて追加されたクエスト『「第1水雷戦隊」を編成せよ!』に必要となる。
     母港でつんつんしてるといきなり悲鳴をあげてきて結構危険。音量注意。
     おっぱいがでかい。新入りほどではないが中々でかい。手に入れたら中破させてみよう。轟沈には注意。
     臆病なおのぼりさん系だが、第一印象に騙されてはいけない。実は精鋭にして日本海軍を代表する武勲艦。同じく弱気設定ながら武勲を上げている艦に羽黒神通がいる。これはきっと敵を油断させる孔明の罠に違いない。
     浦賀船渠で1930年11月17日進水、1931年11月14日就役。「」「」「」「潮」で第七駆逐隊を編成した。
     初陣は第一次上海事変で、日華事変を通じて奮戦、仏印進駐作戦にも参加。太平洋戦争が始まったとき第七駆逐隊は第一航空戦隊(一航戦)付きだったため、緒戦から南雲機動部隊を支援。漣が告白しているが彼女もミッドウェー島への砲撃を行っている…というか、このときの駆逐隊旗艦は潮。翌年には日本海海戦以来の艦隊決戦であったスラバヤ沖海戦の先陣を切り、珊瑚海海戦では中破して離脱する翔鶴を護衛するため駆逐艦夕暮(未実装)と共に翔鶴を追いかけた。この際に潮は綾波型の性能諸元を超える40ノットを発揮している。それでも翔鶴には追いつけなかったという。可愛い顔してなんてバカ力だ!!更にはアリューシャン攻略、ショートランド泊地攻略、最後の艦隊決戦となったレイテ沖海戦に到るまで殆ど全ての作戦に参加し続けた。が加わる。第七駆逐隊は1944年11月時点で彼女以外は喪失、1945年1月に第六駆逐隊唯一の生き残りであるが編入された。
     1941年12月30日、柱島泊地のとある場所で対潜用爆雷を一つ起爆する状態で落としてしまい、その爆雷は回収されなかった。その爆雷を落としてから約一年半後、落とした場所の真上で陸奥が爆発・轟沈した。このため「潮の爆雷が陸奥爆沈の原因」という説がある。調査によって陸奥の船体には外圧による破損を認められなかったことから、この説は完全に否定されている。
     スラバヤ沖海戦では航行不能の敵潜水艦を発見して乗組員を救助したり、室戸岬沖でドイツの仮装巡洋艦ホルスト号を発見して神戸まで回航したり、第七駆逐隊を率いてルンガ沖に突入し第一次ソロモン海戦のキッカケを作ったりもしている。彼女いるところに事件ありだ。
     主機故障のため横須賀に係留されたまま終戦を迎えた。この時の白黒およびカラー写真が残されている。主砲や機銃などの艤装は取り外され、主砲はに装備された。響はその主砲を持って終戦五時間前に米軍の戦闘機に向けて発砲、これが日本海軍最後の発砲と言われている。
     ともあれ、雪風ほどではないにせよ豪運の持ち主だったのだ。……だがそのとばっちりを主に曙が被っている。別に何か恨みがあったわけではないのだろうが……。大破したを曳航して帰還させたのもこの子なので、単純に時の運だった……と思いたい。ちなみに加賀の進水日は1921年11月17日(ただし戦艦時代)。潮の進水日は1930年11月17日である。 誕生日を一緒に祝えるよ!やったね!
     彼女の胸部が大きいのは潮神社との関連がある、かもしれない……。ポン酢かけたい実はただの白じゃなく、バックにウサギさんプリントらしい。
     太ももに装着している魚雷管の固定ベルトには、動物のマークが描かれている。なんとこれは撃墜マーク代わりだとか。スコア凄いなオイ。手に持っている砲塔の顔は、単なる絵と思いきや……。
     補給や改装でも「これが近代化改装・・・」と言うのがネタにされるが、これは史実では一度も近代化改装を受けていない為。近代化改装とは何であるか、扶桑と一緒に手取り足取り教えてあげよう。
     
    尚、2014年2月現在の実装艦の中では、日本にて浮揚状態で生涯を終えた、最後の艦となっている。
     
    「潮」の名を持つ艦としては二代目であるが、朧・曙・漣が雷型駆逐艦をルーツに持つのに対し彼女のみ神風型駆逐艦がルーツとなっている。全32艦の大姉妹であり、「綾波」や「響」をはじめ睦月型から白露型までの艦これではお馴染みの艦が多数名を連ねている。なおこの2代目を最後に潮の名を受け継ぐ艦は現在まで存在していない。終戦時未完成だったまるゆの妹は別にして

    ●トヨタ/イスト 1.5S チューンドカー'02

    ・パフォーマンスポイント(PP):
    「小型車と見ていると、痛い目見るよ?」
    (車両解説は上記の「潮」と変わらない為、省略)
     2014年11月14日のアップデートにおいて実装された潮のさらなる改装。必要資源は弾薬30、鋼材170と非常に安い。改装に際して、母港での悲鳴系ボイスなど一部ボイスが変更される。近代化改修の勘違いも解けたよ!
     イラストでは12.7cm連装高角砲(後期型)を持っているが、実際に持ってくる装備は機銃二つに爆雷である。史実でも12.7cm連装高角砲を装備した事は無い爆雷に関しては、おそらく米潜水艦の撃沈、もしくは陸奥の爆沈に関するエピソードが反映されたもの。理由は前者だと思いたいが、もしや…主砲を持ってこないのは最終時、損傷したの修理の際に一番砲塔を撤去したためか。連装砲ちゃんは犠牲になったのだ
     史実で酸素魚雷を積んでいたのに持ってこない。吹雪改二が持ってきたきた他、三連装魚雷の改修は吹雪(改二除く)と叢雲が担当である。何故だ。
     艤装の迷彩模様は、実際に横須賀で係留された際に施されたものである。
     改造前との比較では耐久+3、装甲+6、回避+5、火力+1、雷装+1、対空+25、対潜+13、索敵+9、運+12。火力、雷装はほとんど強化されておらず、駆逐艦の平均程度。夕雲型駆逐艦と同等である。また耐久や装甲は改二相応のそれなりの値である。代わりに対空が大幅強化されている。前回対空値の駆逐トップを更新した初春改二をさらに追い越した。秋月型?知らない子ですねステータス比較を見ると、攻撃型の夕立や綾波とは違い、対空カットイン実装前の五十鈴改二のように対空・対潜・索敵・回避が強い、防御・補助よりのステータスとなっていると言える。しかし、火力・雷装は値が与ダメージに直結するのに比べると、対空・対潜は艦娘の能力値よりも装備値が重視される計算式であるため、高い能力値を実感しにくい。防空駆逐艦としての特化運用は同時実装の秋月が上位互換。ただし秋月は他の駆逐艦に比べると夜戦火力に乏しいし、何より2014年秋イベント報酬であるため入手が限られている。2015年1月9日のアップデートでは同じ特型で対空に勝る吹雪改二が登場、あちらは対空カットインに必要な高射装置を自前で用意できる。
     2014年秋イベントと同時に対空砲火にアップデートが入ったため、素の対空値の重要度は今までよりも上がっている可能性がある。今後の検証を待とう。運32は幸運艦・生存艦の改二としてはやや控えめである。カットインを狙うならば、念の為にまるゆで少し運を上げたほうが良いと思われる。ただ北上改二の運30でも魚雷カットインにする人もいることを考えると、32という数値でカットインか連撃にするかの選択には正解はなく、その辺は提督の好みによるだろう。また、運は初期値こそ長女に負けているものの、最終値では上回っている(綾波改二77、潮改二80)。ここらへんは生存艦の意地を見せたといえるだろうか。
     1944年後半、レイテ前に行われた対空強化改修~戦後までを元とした改装。対空機銃が増設され、マストには13号対空電探が装備されているのが確認出来る。

     史実での最終的な対空兵装は25mm三連装4基、同連装1基、同単装8挺、13mm単装6挺。特に25mm単装機銃の数が初春(17挺)、時雨(15挺)、響(14挺)の半分程度しか無い。それでも対空値がこれだけ高いのは、阿武隈や曙を最後まで守ろうと奮闘した事への評価だろうか。
     イラストに描かれた連装高角砲は、橘型駆逐艦の初桜のものかもしれない…勿論史実で換装はしてないし憶測に過ぎないが1945年5月28日の竣工後、特に戦闘に参加する事も無く終戦まで潮と共に横須賀に待機していた。戦後は潮と同日に除籍され、その後復員船を経て賠償艦としてソ連に旅立っていった艦である。
     低い火力・雷装は終戦時に武装を撤去した状態だったためか。1945年6月に第四予備艦(廃艦待ち状態)となり、主砲や機銃を下ろされている。
     朧の方に記してある通り背部艤装は綾波型準拠の物に修正された。しかし同時期に描かれたと思われる雑誌掲載の描きおろしの漣、またXmas限定バージョンの漣では吹雪型準拠のままであり、どうやら改二が実装されない限りは綾波型準拠にはならなさそうである。

    ■荒潮
    ●ホンダ/シティ ターボ Ⅱ'83

    ・パフォーマンスポイント(PP):390
    「日本の若者に大人気となった、ターボ搭載のホンダ個性派コンパクト」
     1981年11月にデビューした、ホンダならではの個性派コンパクトがシティだ。トールボーイコンセプトという画期的なスタイルで、それまで存在しなかった広い室内空間を生み出したことが最大の魅力。ホンダの理念ともいえるMM思想、つまりマンマキシマム、メカミニマルを体現し、爆発的にヒットした。
     完全新設計のボディは全長が3,380mm、全幅が1,570mm、全高が1,470mm(E、R他)。マンハッタンルーフと呼ばれるハイルーフ仕様は、さらに車高が100mm高かった。約3.4mという全長は軽自動車とほぼ同じだが、そのスペースに大人5人をしっかり座らせたのだから、見事なパッケージングという他ない。効率のいい室内の実現には、コンパクトに作られたエンジンと、前後ストラットというサスペンションがひと役買っていた。丸目2灯式の愛嬌あるフロントマスクも手伝って、そのルックスは独特な存在感を醸し出していた。
     エンジンもこれまた完全新設計の1.2L直4SOHC。当時のホンダとしては珍しいロングストロークで、低速トルクを重視したものだった。パワーは67PSと平凡だったが、19.0km/Lという10モード燃費を考えれば立派なものだ。
     高い人気に支えられて、シティは続々とバリエーションを生んだ。82年9月に100PSのシティ ターボを発表、83年11月にはインタークーラーで性能を高めた110PSのシティ ターボⅡがデビュー。84年にはカブリオレまでが追加された。中でもシティ ターボⅡはコンパクトカーとしては圧倒的な動力性能を誇り、当時の走り好きの若者から熱狂的な支持を受けた。
     2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『「第八駆逐隊」を編成せよ!』『「第八駆逐隊」出撃せよ!』に必要となる。
     駆逐艦としては珍しく、神戸(神戸川崎造船所)生まれのおしゃれさん。艦これでは他に「初風」「朝雲」がいる。
     朝潮らと共に、1942年2月のバリ島攻略作戦に参加。この際、先に避退する輸送船を護衛するために満潮と共に一旦バリ島から離れるが、島に残った朝潮と大潮が敵艦隊の攻撃を受けていると聞くや取って返し、なんと軽巡一隻、駆逐艦四隻からなる優勢な艦隊の中央に殴り込み、軽巡を猛射した。意外に武闘派である。当然ながら敵からも撃たれ、満潮は機関室に直撃弾数発をもらって航行不能となり、大潮も1発命中し小破した。しかし、彼女と満潮が引き返して救援に来てくれなければ、朝潮と大潮は優勢な敵に押し潰されていたところであった。大潮が駆逐艦ピートハインを撃沈したほか、彼女たちの活躍により軽巡トロンプは中破、駆逐艦スチュワートも小破し、敵艦隊は遁走していった。4姉妹で力を合わせ、優勢な敵の撃退に成功したのであった。
     八十一号作戦において反跳爆撃の餌食となり、直撃弾のため艦橋が木端微塵に。艦長以下艦橋要員全員が爆死し、辺り一面に血と肉片が飛び散る惨状を呈した。艦橋が無くなったため操舵不能、さらに応急の人力操舵を指示するはずの航海士官も一人残らずいなくなってしまったため、そのままなすすべなく最大戦速で給炭艦「野島(未実装)」へ激突、艦首も大破させてしまう。もはや戦闘力の殆どを喪失し炎上漂流状態となった荒潮だが、それでも近くで爆発炎上していた輸送船「太明丸」の船員と陸軍将兵約30名を救助している。荒潮乗員が「危険だから来るな」のつもりでやっていたジェスチャーを、漂流者たちが「こっちに来い」と勘違いしたためだった。しかしせっかく救助したものの、敵機第二波来襲を目にした救助者たちは一斉に恐怖と絶望の叫び声を上げ、約10名が発狂したようになって海へ飛び込んでしまったという。この事態に朝潮が木村昌福提督の撤退命令を振り切って両艦の救助に駆けつけ、負傷した乗組員を移乗させることに成功した。どこかで聞いたような話だが…だが駆けつけた朝潮に対し、乗員たちは「荒潮と共に戦って死ぬ」と言い張り、押し問答の末に、負傷者や輸送船から救助した陸軍将兵だけを移乗させることに。これが図らずも乗員たちの明暗を分けることになる。「そんなことよりぃ、アレ。敵の飛行機じゃないのぉ?」救助が終わったその直後、再び敵機が来襲。無事だった朝潮のほうが先に沈められてしまい、多くの移乗者が戦死してしまったのだ。一方、艦内外で生き残った乗員たちは夜中不死身の娘に救助された。運命とは真にわからないものである。そして放棄された彼女は、翌日B-17によって500ポンド爆弾を落とされ、日本人に看取られることなく逝ったという。この最期の戦闘の模様については『撃沈された船員たちの記録』(光人社)に荒潮生還者の証言として収録されている。
     因みに、荒潮の名は海上自衛隊の潜水艦に受け継がれており、「あさしお」型潜水艦「あらしお(SS-565)」と「はるしお」型潜水艦「あらしお(SS-586)」の二回採用されている。前者は、三菱重工業神戸造船所生まれで、後者は荒潮と同じく川崎重工業神戸工場(神戸川崎造船所の後進)生まれと両艦共に神戸娘である。
     艦娘としては何とも掴み所がなく、アイテムを拾ったときなどに突然「好きよ…」と呟いたり砂浜で青春するようなセリフでMVPアピールしたりするが、一方で作戦を急かしたり敵に対して容赦がなかったりして意外に好戦的でもある。上記したバリ島攻略作戦での大立ち回りが元か。ケッコンすると本音が分かるかもしれない。
     マーシャル諸島で1993年3月3日に発行された4枚組み切手セットにゼロ戦とともに登場する(ほかには白雪が登場)。あらあら。素敵なことするわね~。

    ■朝雲
    ●ホンダ/エレメント'03

    ・パフォーマンスポイント(PP):356
    「北米ホンダの若いスタッフで作り上げた若者向けSUVの決定版」
     2003年4月に登場したアメリカンSUV、エレメントの最大の特徴は、企画・開発・生産をすべて北米ホンダが担当したこと。開発スタッフもほとんどが若いアメリカ人である。いかにホンダが現地に溶け込んでいるかを示すクルマでもある。
     開発のキーワードは「エンドレスサマー」。いかにもアメリカ西海岸を思わせる言葉だが、具体的には北米のジェネレーションYと呼ばれる20代前半世代がターゲットだった。
     エンジンは2.4L DOHC i-VTEC、ギアボックスは4速ATのみ。駆動方式は、普段はFFで、必要に応じて4WDになるリアルタイム4WDだ。
     外観は「ライフガードステーション」つまり海辺でライフセーバーが待機する小屋がモチーフ。ボディ下部にはユニークに無塗装の樹脂パネルが備わる。
     左右ドアは画期的な観音開き式で、センターピラーレス構造により、高さ1,140mm、幅1,550mmの大きな開口部が広がる。リアゲートも上下に開くタイプで、ロアゲートをイスにアッパーゲートをひさし代わりに使える。アメリカでいうところの「テールゲートパーティ」を想定したものだ。
     室内もユニークで、樹脂製タンクやリアサスペンションの工夫により低床フラット設計を実現。全長4,300mm、全幅1,815mmとボディはそれほど大きくないが、助手席を倒せば10フィートのロングボードを、リアシートを両サイトに跳ね上げれば2台のマウンテンバイクを、そのまま収納できる。また水拭き可能なワイパブルフロアや防水シート、撥水ルーフライニングを採用。とにかく自由で使い勝手のいいSUVだ。
     2014年11月14日のアップデートにて新実装。他の新実装艦と異なり、クリア報酬では無くドロップ艦。秋イベント:期間限定海域【発動!渾作戦】のE-2以降のボスのドロップで入手できた。2015年2月6日からの冬イベント:迎撃!トラック泊地強襲にてE2ボスとE3ボスでのドロップが確認されていた。2015年4月10日に追加実装された【Extra Operation】 鎮守府近海航路からドロップが確認された。持っていない人には朗報である。西村艦隊組めるよ
     開戦時の第九駆逐隊としては初の実装艦となる。知らないのも仕方がないことかもしれない。
     初期性能は運以外は他の朝潮型と同値。ただし、改造Lvは35と高いことに注意。
     後述の八十一号作戦と西村艦隊の両方に参加した唯一の駆逐艦である。運が他の駆逐艦よりやや低いのはこのためか。日本の未改造駆逐艦としては山雲に次ぐ最低値である。改造すれば標準レベルに持ち直す。朝潮型(満潮型)駆逐艦は、八十一号作戦(3隻中2隻沈没)と西村艦隊(3隻全滅)だけで実に半数が戦没している。まさしく鬼門である。
     他の朝潮型と比べ、すらりとした手足と長身で垢抜けた印象だが、中破絵ではやはり子供らしいインナーを着用していることがわかる。制服もスカートの白いラインが二本線、かつ上の線が一箇所円を描いていたりと、細かいところに差異がある。
     出撃時にいないはずの山雲を呼んでいる2014年12月26日アップデートでついに相方の山雲が実装された。
     大東亜戦争の時は、朝潮型の「山雲」「夏雲」(未実装)「峯雲」(未実装)と一緒に第9駆逐隊を結成したわ。開戦時の第九駆逐隊は第四水雷戦隊に所属。フィリピン方面の攻略に参加している。自ら盟友と呼ぶ山雲は開戦ほどなくして触雷。修理中に第九駆逐隊から外れている。朝雲が彼女と再会するのは第四駆逐隊に編入されてからである。他には薄雲(特I型・未実装)、白雲(特I型・未実装)、霞、不知火が在籍。1944年3月に第十八駆逐隊と改称される頃には、初期の四隻はすべて戦没か移籍をしている。
     歴代第9駆逐隊司令にはいろんな人がいたけど、中でも佐藤康夫大佐は忘れられないわね。スラバヤ沖海戦の時、他の駆逐隊が1万メートルで魚雷を発射して退避していくのに、佐藤大佐だけは「もうちっと、もうちっと」と言って発射許可を出さずひたすら肉薄していったの。たまりかねた艦長が反転を進言すると「艦長!後ろを見るなっ!前へっ!」って叫んでね。結局5000メートルまで接近して発射したんだけど、それでも反転せずそのまま真一文字に突撃していったの。私も機械室に被弾して電源が止まっちゃったけど、人力で砲撃を続行して、敵艦エレクトラを撃沈に追い込んだのよ。負けん気の強い駆逐艦乗りの中の駆逐艦乗りだったけれど……例の作戦で約束を守ろうとして、朝潮と一緒に……他の第九駆逐隊司令は、小西要人大佐と井上良雄大佐。小西大佐は雲龍艦長として、井上大佐は第十八駆逐隊司令として不知火と運命を共にしている。
     私もクリスマス島攻略戦に参加したのよ。
     第三次ソロモン海戦時は秋月さんの代わりに第四水雷戦隊の旗艦を務めて白露型のみんなを指揮したわ。被弾炎上中の夕立にカッターボートを出し、ガダルカナル島へ向かえと指示し離脱するも、彼女は素敵なパーティの真っ最中だった。夕立乗員は最終的に五月雨に移乗した。五月雨、照月(未実装)と共に霧島乗員の救助を行っている。時報から察するに、彼女の戦いぶりを間近で見たのだろう。
     ……八十一号作戦のことは訊かないで頂戴。知りたければ白雪さんや朝潮姉さんのところを読んで。思い出すだけで腹が立つから。
     でも、名将木村提督の下で戦えたのはいい思い出ね。八十一号作戦の指揮官(三水戦司令官)から一水戦司令官になった提督から、キスカ島撤退作戦にも呼ばれたのよ。
     「夏雲」「峯雲」が沈んでからは第3艦隊第10戦隊・第10駆逐隊に編入されたわ。「夕雲」「巻雲」を喪失して「風雲(艦これ未実装)」「秋雲」の2隻となってたけど、私の編入で3隻編制となったの。
     マリアナ沖海戦の頃、山雲が居た第四駆逐隊に編入されたわ。元から居た「野分」「満潮」とでまた4隻になったの。
     レイテ沖海戦では野分が第17駆逐隊へ行って、かわりに第27駆逐隊の時雨が艦隊に参加したんだけど……扶桑山城最上と一緒に西村艦隊を結成してスリガオ海峡海戦に参加するも第四駆逐隊はその日に壊滅した。そういうわけで山雲ともども西村艦隊の一隻である。
    突入の際、朝雲は満潮に続く二番手に位置していたが、第四駆逐隊は敵駆逐隊の雷撃を受けて山雲が轟沈、満潮は大破、航行不能となり、朝雲も一番砲塔下に被雷して艦首を吹き飛ばされた。満潮はその後沈没したが、朝雲は反転、離脱を開始する。かし艦首を失った朝雲はほとんどスピードが出せない状態であり、同じく反転した舵故障中の時雨や大破炎上中の最上に追い抜かれ、さらに後続の志摩艦隊も離脱したため、単艦でスリガオ海峡内に取り残されてしまう。航行不能に近い状態でありながらも追撃してくる敵駆逐艦の砲雷撃を切り抜け続けたが、軽巡二隻駆逐艦三隻からなる追撃部隊の集中攻撃を受け、1944年10月25日7時21分、海峡中央部にて撃沈された。米軍記録によれば前甲板が海中に没しているにもかかわらず後部砲塔で反撃を続け、最後の斉射とともに艦尾から沈んでいったという。彼女の最後の戦闘は、米艦隊に深い感動を与えたとされる。
     私の初代艦長は森可久もりよしひさ子爵よ。あの戦国一アブナイ武将鬼武蔵こと森長可や蘭丸兄弟の家の人。名門武家の血が流れているってことかしら?
     腰に付けてるのは爆雷投下軌条ね。小さい上に格子状の構造物だから電探と見分けが付け辛いかもしれないけど。改になったら同じ場所に爆雷投射機を付けるの。
     戦後は「あさぐも」が1998年まで国防の任に就いていたわ。艦番号は「115」だったんだけど、この番号、今は彼女の後継者が付けているわ。奇遇ね……


    ●ホンダ/エレメント チューンドカー'03

    ・パフォーマンスポイント(PP):416
    「チューン出来るところを全てやってのけた、SUVの最強版」
    (車両解説は上記の「朝潮」と変わらない為、省略)
     改造可能レベルは35と若干高め。
     改造するとレアな12.7cm連装高角砲(後期型)を持ってきてくれる数少ない艦。
     一応爆雷も持ってきてくれる。グラフィック準拠の三式ではなく九四式の方だが。
     笑っている。可愛い。11月18日のオンメンテで朝雲改のグラフィックが図鑑に差分として登録されるように修正された。
     時報では朝雲実装当時に未実装であった山雲が登場している。ボイスで未実装艦を呼ぶだけならよくあるが、性格についても言及しているのは珍しい。
     23時の時報では夜でおなじみのあの方も。またお前か。
     改造前と比べ、髪型・服装と細かい変化がある。差分探しをしてみよう。

    ■山雲
    ●ホンダ/シビック 1500 3door CX'79

    ・パフォーマンスポイント(PP):368
    「米国の厳しい排ガス規制『マスキー法』を最初にクリアした、CVCCエンジン搭載のシビック」
     初代誕生から7年後の1979年7月、シビックは2代目へフルモデルチェンジした。動力性能から居住性まであらゆる点で性能がアップしており「スーパーシビック」と呼ばれた。
     スタイリングは国産FFハッチバックの原型ともいうべき台形フォルムで、非常にスマート。ただしボディサイズは全長3,870mm、全幅1,580mm、全高1,350mmと、初代にくらべてひとまわり大きくなり、居住性はかなり改善されている。
     当初のラインナップは3ドアと5ドアのハッチバックだったが、80年に5ドアワゴンと4ドアセダンが加わる。エンジンは直4SOHCで1.3Lと1.5Lが選べた。
     この中で初代のスポーティモデル、1200RSの血統を受け継ぐグレードとして設定されたのが、CXである。3ドアの1500をベースにエンジンを強化、ファイナルレシオを低め、足まわりには強化ダンパー、リアスタビライザーなどがおごられた。外観ではブラックアウトしたウィンドウモール、バンパーにオーバーライダーが備わり、さらにハニカムグリルとCXのエンブレムが特別な存在をアピールした。
     CX最大の注目点はエンジンだ。初代シビックが搭載した低排出ガスエンジンCVCCをベースに、カムシャフトなどを変更。1.5L直列4気筒SOHCでありながら、最高出力は85PS、最大トルクは12.3kgfmを発揮した。それでいて当時の厳しい排ガス規制までクリアしていたのだから、見事という他ない。
     ギアボックスはスポーティな5速MT、サスペンションも完全なる新設計。良好なハンドリングと乗り心地を高い次元で両立させ、若者からファミリー世代まで、幅広い人気を誇った。
     2014年12月26日のメンテナンスで実装された。1-5でのドロップは2015年1月9日のメンテで終了している。2-4、3-3、3-5、5-3(全てボス)で報告がある一方、ランカー御用達の5-2や5-4の報告は皆無。基本的には、北方任務を兼ねた3-3やEOも兼ねた3-5で気長に周回するのが良さそうだ。
     彼女の登場により、西村艦隊の完全編成が可能になった。通常艦隊では誰か1人はぶられてしまうので、那珂等の西村提督に縁のある艦を含めた連合艦隊を組むのが面白そうだ。
     朝潮型の中では運が最も低く(次点は朝雲)、逆に対潜の初期値が高めに設定されている。もっとも現在の仕様だと素の対潜値はあまり重視しなくてもいいが
     若干運が低いのは、開戦早々に触雷、損傷し、戦争前半を第9駆逐隊(那珂ちゃんの四水戦麾下。僚艦は朝雲、夏雲、峯雲)の仲間ともろくに行動できずほとんど入院して過ごしたから…かもしれない。自己紹介でも「機雷とかは注意」と述べているが、開戦の年の大晦日の出来事だった。応急修理ののち、本土に帰って本格的に修理することになったので復帰出来たのはなんと翌年10月。それも九駆ではなく横鎮の船団護衛部隊に配属された。結局第9駆逐隊が全員揃って実戦に参加した期間は3週間程度しかないのである。ちなみに、この1942年には2月20日のバリ島沖海戦で大潮満潮が損傷、2月27日のスラバヤ沖海戦で朝雲が損傷、4月には峯雲、夏雲も整備・修理に入ってしまったため、第9駆逐隊の全員と第8駆逐隊の半数が実働していなかった期間がある。7月にはが戦没しているし、朝潮型にとっての厄年だったのかもしれない。
     夜戦突入時の台詞(および「改」の時報)からは夜に苦手意識を持っている様子が伺えるが、最期となったスリガオ海峡夜戦のみならず、龍田丸の一件もその由来であろう。1943年2月8日、山雲はトラック島へ向かう兵員輸送船「龍田丸」(元日本郵船の客船、17000トン)を護衛していた。当日は20mの強風と時化、日が落ちると月もない暗夜だったが、この悪条件にもかかわらず米軍の潜水艦が龍田丸に雷撃を行ったのである。波浪の影響をモロに受けるうえ被発見リスクも高まる浮上状態の魚雷発射だったが、なんと4本全弾が龍田丸に命中。この大爆発ではじめて敵の存在を察知した山雲は直ちに敵の捜索を行うも荒天と夜闇に阻まれ発見できず、また龍田丸の生存者救助も行うことが出来なかった。結果、輸送中の兵員と龍田丸の乗員合わせて1500名もの命と積荷の軍需物資が波間に消え、翌朝海面には一面の油膜以外に何の浮遊物も残っていなかったという。
     同年11月19日、山雲は船団護衛中に再び米潜水艦(スカルピン:USS Sculpin, SS-191)と遭遇。潜水艦乗組員から「スコールのよう」と形容されるほどの猛烈かつ執拗な爆雷攻撃を行い、損傷して浮上してきた同艦に主砲と機銃の弾雨を浴びせて撃沈した。対潜の初期値が高めなのは、この成果のためであろう。なおその時、スカルピン乗組員42名の救助も行っている。余談ではあるが、山雲によって撃沈されたスカルピンの生存者は、空母「冲鷹」と「雲鷹」に各21名ずつ分乗して日本本土へ連行され…るはずが、その途上で米潜セイルフィッシュ (USS Sailfish, SS-192)の雷撃により冲鷹が撃沈。スカルピンの生存者も1名を除き冲鷹と運命を共にしている。実はこの米潜セイルフィッシュ、潜水試験中に一度沈没し乗組員59名の内26名が殉職している。この際に沈没したセイルフィッシュを発見し通信を確立、生存者の救助に貢献したのが、なんと姉妹艦であるスカルピンであった。20名は当時救助作業に携わった乗組員とは別人であったとはいえ、なんとも皮肉なことである。
     さらに翌12月25日未明、米潜水艦から護衛対象への雷撃を許してしまう。が、その護衛対象の防御力が桁外れていたために、命中弾1本を浴びながらも損傷は軽微だった。
     1944年10月25日未明、西村艦隊は複縦陣でスリガオ海峡に突入。しかし艦隊は海峡両側に待ち伏せしていた敵駆逐隊に奇襲され米駆逐艦マクデルマットの雷撃を受けた山雲は瞬く間に轟沈。西村艦隊の駆逐艦としては最初の喪失艦となった。後続した最上は付近の海上にいくつも人影が浮かび、「助けてくれ!」と悲壮な叫び声を上げているのを目撃している。最上が通りかかった時点で既に沈没しているのは山雲のみであり、彼らはその乗員だった可能性が高い。この光景を前に最上の橋本副長は「浮かぶものを何でも投げてやれ」と叫び、藤間艦長も「推進器に巻き込まれなければよいが……」と彼らを案じていた。しかし、山雲の生還者は3名のみである。暗い海上に取り残された彼らは、結局ほとんどが助からなかったのだろう。
     戦前、臨機調事件(朝潮の項目参照)の原因追求のため、実験艦に供された事がある。実験内容は右舷と左舷にそれぞれ本来の朝潮型のタービンと、臨機調事件後に改良されたタービンを配するわかりやすいもの。この状態で航行を行った結果、本来のタービンにのみ亀裂が発生したことから、臨機調事件は朝潮型本来のタービン固有のものという結論を裏付けたのであった。
     海上自衛隊ではやまぐも型対潜護衛艦の1番艦にその名が継承された。「やまぐも(DD-113)」は1966年1月29日就役、練習艦(TV-3506)に種別変更の後、1995年8月1日除籍。
    姉妹艦には「まきぐも」「あさぐも」「あおくも」「あきぐも」「ゆうぐも」がいた。やまぐもの護衛艦としての艦番号「113」はその後、2005年に就役したたかなみ型汎用護衛艦「さざなみ」が受け継いでいる。

    ●ホンダ/シビック 1500 3door CX チューンドカー '79

    ・パフォーマンスポイント(PP):485
    「シビックとは思えない圧倒的戦闘力」
    (車両解説は上記の「山雲」と変わらない為、省略)
     35と改造可能レベルはやや高めだが、浦風砲と九四式爆雷投射機を持ってきてくれる。
     運11は改造後の駆逐艦では最低値となる(Z1改や朝雲改は吹雪改などと同じ12)。
     他の朝潮型に比べ装甲の最大値が1低い(48)。火力・雷装・対空最大値は他と同じ。
     装甲が低いのは同時に被雷した満潮、朝雲と異なり瞬く間に沈没してしまったためか。

    ■霰
    ●ホンダ/1300 クーペ 9 S'70

    ・パフォーマンスポイント(PP):358
    「ホンダのじゃじゃ馬1300で最も大暴れした、クーペの名を冠した暴れん坊将軍」
     日本車の歴史でも、ホンダ 1300は屈指のじゃじゃ馬といわれたが、その頂点に君臨したのがクーペ 9 Sだ。
     1960年代後半、ホンダは空冷エンジンにこだわり、空冷F1にまで挑戦した。1300シリーズは「DDAC方式」と名乗る冷却方式が最大の特徴だった。内外二重構造の間に空気を流すため、精緻を極めたアルミダイキャストは、まさに金属の芸術品と呼ぶにふさわしい。
     しかし小型軽量であるはずの空冷エンジンが非常にかさ張り、それによってクルマ全体の性格まで規定されるという、皮肉な結果になってしまったのも事実。パワーも強烈で、フロントに横置きされた4気筒1,300cc SOHCエンジンはノーマルのクーペ 7で95PS、キャブレター4連装のクーペ 9では110PSもの爆発力を秘めていた。
     このエンジンがエンジンルームを埋め尽くしていたため、いつもボンネットからはゆらゆら陽炎が立ちのぼり、停止直後に触ると火傷しそうだった。
     そんなホンダ 1300の最大の武器は、もちろん加速力。反対にコーナーでの無理は禁物だった。鼻先が重く、ステアリングを切り込むと同時に外側前輪に過大な荷重がのしかかり、まだラジアル化されていなかったタイヤが派手に悲鳴をあげ、ドドッとグリップを失いかける。そこでアクセルを戻すと柔らかいサスペンションが耐えきれず、ドラマチックにリアが流れる。それだけに、慎重にコーナーをクリアしてから、絶大なパワーに物を言わせた立ち上がり加速に頼る必要があった。
     いかに性能に命をかけたホンダでも、その後こんなに熱いエンジンは作っていない。
     2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「第十八駆逐隊」出撃せよ!』に必要となる。
     「んちゃ」の元ネタは、御存知ドクタースランプのアラレちゃん。本人曰く『んちゃ・・・とかは言いません・・・』でも言ってくれる。お気に入りの持ちネタなのかもしれない。帽子被ってるのも真似です。飯盒じゃない。
     舞鶴海軍工廠で1937年11月16日進水、1939年4月15日就役。
    「朝潮型シリーズの最終艦」なのだが、霞のほうが竣工が遅かったため下から二番目になってしまった。誕生(竣工)日は小出義雄(マラソン指導者)と同じ。月日だけは北上と同じだが縁はなかった。竣工とともに同型の、陽炎型の陽炎不知火とともに第18駆逐隊を編成し、同年11月には第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。ボスはもちろんこのお方
     真珠湾攻撃の際には他の僚艦とともに南雲機動部隊の護衛にあたった。この時朝潮型の額面上の航続距離では機動部隊に追随できるか不安になった艦長が、「念の為」にと艦内居住区のいたるところに重油入りの18リットル缶を置いたという。もちろんそんな状況で火でも使おうものならどこかの装甲空母のようになるのは明らかで、作戦中霰の乗員はタバコすら吸えなかったとか。だが結局使うことはなかったらしい。真珠湾攻撃を終えての帰り道、霰は艦隊から分離して油槽船団の護衛につくよう指示された。それに赴く途中、遠洋漁業中のマグロ漁船の皆さんに遭遇。漁船側はすでにラジオ放送で真珠湾攻撃の大戦果を知っており、最大級の賛辞で霰を褒めそやした。のみならず、漁獲した大量のマグロをお祝いとして霰へ進呈、喜んだ霰側もこれに応え返礼に清酒の四斗樽をプレゼントしている。おかげで士官室にも兵員室にもマグロの良いとこばかりの刺身が山ほど出て、時ならぬ戦勝の大祝宴となったという。
     1942年、キスカ島補給部隊の護衛として遠征。7月4日濃霧のため沖合で仮停泊中、SS-215「グロウラー」の雷撃を受け沈没。朝潮型最初の喪失艦となった。このとき不知火も大破させられ、第18駆逐隊は陽炎を残し壊滅。宮坂司令は強い非難を浴び切腹自決(失敗し、一命は取り留めた)してしまった。霰は「どうせ沈むなら少しでも反撃してやれ」とグロウラーへ猛烈な砲撃を加えている。潜水艦に対し主砲は効果が無いのはわかっていたが、何もしなければ更なる攻撃を受けるかもしれず、他艦へ知らせるつもりもあって「潜望鏡でもへし折ってやれ」と発砲したのだった。しかし、横腹に大穴の空いた霰の船体は振動に耐えられなかった(もう一発とどめの魚雷が命中したという説もある)。まもなくV字型に折れると、そのまま沈没していった。
    当時艦橋にいた緒方友兄艦長は沈没時に投げ出され、極寒のなか気絶中のところを救助され生還。その後木曾副長としてキスカ撤退作戦に従事、第56駆潜隊司令を経て秋月の艦長を務めることとなる。ちなみに、同年同日、アリューシャン列島アガッツ島沖で子日も米潜水艦により撃沈されている。
     沈没後、およそ50年を経て米潜SS-216「グラニオン」捜索チームがグロウラーに発砲しつつ沈んでいった彼女を発見した(スケッチ)沈没時の状況の通り真っ二つに折れてはいるものの、現場海域が極低温のためか原型をよく留めている。また主砲砲身は真横を向いたままであり、最期の瞬間まで反撃し続けたことを裏付けている。この経緯は非常に興味深いので『グラニオン (潜水艦)』を参照のこと。
     駆逐艦「霰」としては二代目で、初代は初の国産駆逐艦である春雨型駆逐艦の1隻。竣工は1905年の5月10日で、竣工17日後の5月27日に発生した日本海海戦にも参加している。
     艦名の由来元である霰(あられ)とは雲から降る直径がおよそ2~5mmの氷の塊のこと。これが直径5mm以上になると呼び方が「雹(ひょう)」と変わり、こちらはゴルフボール大のが降っただの、ビニールハウスや農作物等に被害をもたらしただの、と時折ニュースで報じられるので皆様お馴染みだろう。
     貴重なしましま要員である。

    ■嵐
    ●日産/フェアレディZ 300ZX(Z31)'83

    ・パフォーマンスポイント(PP):446
    「重量バランスを向上させた、3代目のZ31型フェアレディZ」
     初代フェアレディZのインパクトは強烈であった。登場から14年後の1983年にデビューした3代目Zでも、まだ初代の基本フォルムを守っていたほどである。
     いっぽうで日産はこの3代目ZにV6エンジンを搭載した。スカイラインのV6化はこの20年後のことだ。これはまた、Zが最初から国際舞台に立っていたことの現われでもある。
     外観こそロングノーズだが、はるかに短縮されたエンジンが後ろ寄りに搭載された結果、前後の重量配分が改善され、よりスポーツカーにふさわしい俊敏さを手に入れた。
     3LターボのVG30DETは国内最高の230PS、34.0kgfmを誇ったが、最高出力ばかりでなく実質的なパンチを重視。ほぼ全域にわたって有効なトルクを生む設計がなされていた。V6ターボは2Lモデルもあり、こちらは170PS、22.0kgfmというスペックだった。
     反面、Zには自然なフィーリングにこだわる直6ファンもいた。1985年、こうした層に向けて、200ZRという直列6気筒ターボが追加される。とはいえエンジンは新世代のRB20DET。このエンジンは20世紀末まで各種の日産車を走らせた名機だ。
     ZのRB型は180PSと抑え気味のパワーだったが、それまでのL系からは信じられないほど軽快で、素直な切れ味が魅力。吹け上がりの一瞬を味わうためにだけ、わざわざギアシフトをくり返したくなるエンジンだった。さらに3代目Zは86年にマイナーチェンジを実施。エクステリアが劇的に進化した。このとき300ZRという190PSの3L V6NAモデルが追加され、3代目Zは実に多彩なバリエーションを完成させたのである。
     2015年11月18日のアップデートで新規に実装。秋イベント:期間限定海域【突入!海上輸送作戦】のドロップ艦。E5のボスマスでドロップする。通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段がない。全難易度でA勝利以上でのドロップが確認されている。むしろAのほうが高いかも知れないなお制限なしで複数入手も可能で、戦力ゲージ終了までに2~3隻来た提督もいる模様。一方で、掘り周回を数十周繰り返しても1隻も来ない提督がいるのはもはやお約束ちなみに同じボスAでまるゆも出る。A敗北ということはないため、ついでに狙うのも手か。ドロップ艦にする代わりに丙A勝利でも入手可能とし、改造後初期装備に三式爆雷を持たせたといったところだろうか。三式爆雷の開発が難航している提督は、可能な限り確保しておくことをお勧めする。
     海域モチーフとなった夜間輸送任務時の夜戦が原因か、特に川内のことを恐れている様子。神通については畏敬、那珂については上司への畏怖と思われるが……。
     かの海戦で第四駆の仲間と共に赤城の雷撃処分を行ない、加賀の最期を見守ったことにちなむだろう台詞も存在する。
    先立って、嵐は野分と共に赤城の生存者を、萩風は舞風と共に加賀の生存者を救出している。
     ゲーム中の容姿としては、ベルトのように腰の前面に装着した探照灯が特徴的。そのシルエットから、仮面ライダーのあだ名で呼び始めている提督も多数いる模様。ただ、残念ながら改になっても初期装備に探照灯は付いてこない。
     マル4計画仮称第112号艦として舞鶴海軍工廠で誕生した、陽炎型の16番艦である。実は15番艦の野分に比べ、起工から竣工まで嵐のほうが早く、お姉さんだったりする。野分萩風舞風と第四駆逐隊を結成し、嵐は駆逐隊司令艦となった。初代司令の佐藤寅次郎大佐は3か月足らずで転出し、後任の有賀幸作大佐が座乗している。有賀大佐(戦死後中将に二階級特進)は、知る人ぞ知る大和最期の艦長である。禿頭でヘビースモーカーで水虫持ちというとアレだが、駆逐艦や軽巡洋艦で経験を積んだベテランの水雷屋で、第四駆逐隊での評価は非常に高かった。戦闘指揮は豪放大胆だが、部下や家族を何かと気遣う優しい人物でもあった。「声には凄みがあった。ドスの利いた太いドラ声で『おい艦長』などとみんなを呼んでいた」「部下をかわいがった。兵隊を怒ったところを見たことがない」「ぶっきらぼうだが温かみがあった。天真爛漫な人、邪気のない人だった」「いつも半袖半ズボン草履履きだった。恰好なんかまったく気にしなかった」と、嵐の乗員たちは有賀の思い出を偲んでいる。
     ゲームにおける第四駆逐隊は、先に実装された舞風と野分のコンビのイメージが強くなっているが、もともと野分とコンビ(第一小隊)を組んでいたのは嵐である。
     腰のベルトのバックルの位置に探照灯があるが、これは『仮面ライダー』のタイフーン(変身ベルト)が元だと思われる。おそらく、嵐と同名のヒーローに『変身忍者嵐』がおり、仮面ライダーと同じ石ノ森章太郎原作作品だからであろう。

     艦首で波を切り裂き艦尾よりウェーキを噴上げた、公試全力航走の印象的な写真が有名。彼女は「ふぉとじぇにっく」なのである。この写真、よく見ると艦橋の上に人が立っている。公試の写真で人が写っているものは珍しい。なおフルスピードで走る駆逐艦の上では、無風だったとしても毎秒18mの台風並みの風を受けているはずであり、なかなか難儀である。
     就役時よりあて先不明の郵便・書類に悩まされていた。駆逐艦「山風(白露型・未実装)」が存在していたからである。縦書きだと「山風」は「嵐」とも読めてしまう。第6駆逐隊の雷電コンビも同様に誤配に悩まされていたが、こちらは同駆逐隊・同小隊なのでいつも一緒、交換は簡単である。しかし、嵐の場合は違っていた。陽炎型駆逐艦「嵐」は第4水雷戦隊第4駆逐隊、白露型駆逐艦「山風」は第4水雷戦隊第24駆逐隊に所属しており、必ずしも一緒にいるとは限らないからだ。
     開戦時の所属は第四水雷戦隊。つまり公式四コマで言うところの、那珂ちゃんの「真の四水戦のポーズ」要員である。ただし、那珂の被雷損傷と四駆の第十戦隊転属により、那珂の指揮下だった時期は意外に短い。というか、開戦時から四駆は第二艦隊旗艦愛宕の護衛に配置されていて、四水戦本隊とは別行動をとっていた。
     南方作戦中に、ジャワ島近海で連合軍の軍艦や商船を多数撃沈している。この時、英籍タンカーを砲撃で開いた穴に爆雷を放り投げて撃沈している。大型商船相手では駆逐艦の主砲弾程度の炸薬量では大した傷にならず、業を煮やした有賀司令は確実に撃沈可能な魚雷を使えと命令したのだが、嵐の田中一郎水雷長が「魚雷を使うのはもったいないから、爆雷を使いましょう」と提案。嵐をタンカーに並行させ、相対距離100mの位置から爆雷投射機を撃ち込んだ。1射目はタンカー船尾後方に爆雷が落下し失敗、反航して行った2射目も船首前方に落下して失敗。だがこの2発の爆発の衝撃で船体が捻れて砲撃で開いた穴が広がり、3射目の爆雷がその穴に見事入って撃沈したと言う。爆雷をボールのように扱っているイラストは、これが由来と思われる。また初期装備が九四式爆雷投射機な上に、改造すると三式爆雷投射機(持参する艦娘は他に五十鈴改二しかいない)を持参するという爆雷推しっぷりである。
     ミッドウェー作戦に先立って、四駆は軽巡長良を旗艦とする第十戦隊の指揮下に組み込まれた。この第十戦隊、最新鋭の陽炎型と夕雲型、後に秋月型も集中配備された、艦これにおけるレア駆逐艦の宝庫である。ちなみに嵐と萩風の実装により、開戦時の四水戦より早く1942年4月新編時から同年7月の四駆正式編入時にかけての第十戦隊所属駆逐艦が艦これで全て揃うこととなった。
     ドーリットル中佐指揮下のB-25爆撃機16機による日本本土初空襲の際にはちょうど横須賀に帰還しており、横須賀軍港に飛来したB-25を迎撃するが撃墜できず、ドック内で空母改装中の大鯨が被弾してしまった。その後ドーリットル隊を発艦させた米空母の追撃を命じられるも、会敵することはできなかった。この時出撃していた祥鳳が護衛の駆逐艦()と合流できずに単艦で航行していたため、代わりに嵐と野分が合流を命じられて、祥鳳と共に横須賀に帰港した。
     南雲機動部隊の直衛艦として知られており、南太平洋海戦では旗艦被弾により南雲忠一中将以下艦隊司令部の移乗を受けて臨時旗艦となっている。
    ただし、ミッドウェー海戦時の南雲司令部移乗については記録や証言が錯綜しており、野分もしくは風雲を経由して長良に移乗した説や、長良に直接移乗した説もある。
     ミッドウェー海戦において、嵐が赤城・加賀・蒼龍被弾炎上の惨劇を招いたのではないかという説がある。アメリカ側の証言や記録によると、潜水艦を追跡・攻撃した嵐が艦隊に戻るところを米艦爆隊が発見、嵐を追跡したら南雲艦隊を発見、攻撃したというのである。つまり嵐の分離行動がなければ、米艦爆隊は南雲艦隊を発見できなかったかもしれないのだ。隊を発見できなかったかもしれないのだ。ただし嵐の乗組員たちは、そのような事実はないと否定している。日本側の記録ではこの潜水艦「ノーチラス」を攻撃したのは午前6時10分から30分にかけてで、空襲前の午前7時(爆撃は7時20分以降)には旗艦赤城の直衛に復帰していたという。
     被弾炎上した赤城は自力航行が不能となり、艦長は総員退去を命じて自沈処分の要請をする。しかし、機動部隊のはるか後方にいる連合艦隊旗艦大和の山本五十六司令長官から「処分待て」の命令が届き、嵐以下の第四駆逐隊は乗員がいなくなった赤城をしばらく警戒して回る。この間、有賀司令は赤城の航海長や飛行長と共に青木泰二郎・赤城艦長を説得して嵐に移乗させた。しかし青木大佐は帰国後予備役編入・招集の措置で閑職を転々とすることになる。有賀司令はこのときのことを悔やみ、「俺は『赤城』と運命を共にしたいという青木さんをむりやり『嵐』にお連れした。しかし青木さんは同期の人たちから『おめおめ生き残るなど、貴様はクラスの面汚しだ』と罵られ、盃を投げつけられたり、酒をぶっかけられたりしたそうだ。俺は青木さんの顔に泥を塗ってしまった。しかしお詫びのしようもないのだ」と長男に話したという。そして後に、有賀は大和艦長となり、沈む艦と運命を共にするのである。赤城の処分を躊躇っていた山本司令長官だったが、飛龍の被弾炎上、新たな米空母の発見情報により、夜戦の見込みがなくなったことで作戦中止を決定。そして赤城の処分も命令した。第四駆逐隊の4隻は魚雷を1本ずつ発射し、そのうち2~3本が命中した赤城は6月6日の日の出直前に沈没した。
     なおこの時、救助されていた米軍のパイロットが嵐の艦内で殺害される事件が起きている。赤城から救助された心身ぼろぼろの乗員が溢れかえる無残な光景に激昂した一人の水兵が、独断で捕虜を連れ出して、夜陰に紛れて刀で斬殺、海に投棄したという。戦後GHQからこの事件を追及されるが、有賀司令も渡辺保正艦長もすでに戦死し、先任将校で捕虜管理責任者の松浦勉砲術長も戦後まもなく自決してしまっていた。こで元水雷長の谷川清澄大尉(嵐乗員の生き残りで最先任の将校)は「生存者から戦犯を出したくありませんので、どうぞお許しください」と心の中で詫びながら、GHQの三年に渡る厳重な尋問に対して「捕虜殺害命令を出したのは司令と艦長と砲術長」だと言い張り、犯人の氏名を最後まで明かさなかった。「この件にたいして、有賀司令、渡辺艦長、松浦先任将校に責任は全くない」と谷川は語っている。
     第四駆逐隊が救助した赤城や加賀の生存者たちは、狭い駆逐艦の艦内に収まり切れず甲板上で吹きさらしになっていた。それを見かねた有賀司令は「重傷患者を含む二千名が波しぶきに濡れている。人道問題なり。見るに忍びぬ。一刻も早く収容されんことを望む」と連合艦隊司令部に宛てて手旗信号を送らせ、戦艦陸奥に(舞風と萩風が収容していた加賀乗組員は長門に)移乗が行われた。(嵐と野分から赤城乗組員が移乗したのは榛名だという説もある。)

     ガダルカナル島攻防戦が始まるのと前後して、ニューギニア東部ミルン湾ラビに連合軍の飛行場が見つかり、海軍はここがラバウル基地攻撃の拠点になることを恐れて攻略に動く。嵐は第十八戦隊(天龍龍田)の指揮下に入ってラビ攻略作戦に参加する。しかし上陸した海軍陸戦隊は連合軍の反撃で壊滅状態に陥り、陸軍部隊を増援しようとしたが、同時進行のガダルカナル島攻防戦の影響で十分には増援できず、戦況は悪化の一途をたどり、ついに海軍は撤退を決定。嵐は撤収作業に従事する傍ら、龍田と共にミルン湾に突入。貨物船1隻を撃沈するが、陸戦隊は収容漏れが出てしまった。攻略作戦は完全に失敗、ガダルカナルと二兎(さらにポートモレスビー陸路攻略も含めて三方面)を追うことをやっていたのだから当然と言えば当然の結果である。余談だが、ゲームにおいて一人称が「俺」である嵐の口調は、どことなく天龍を思わせるものがある。
     一方、ガダルカナル島の戦況も悪化し、駆逐艦によるドラム缶輸送が行われることになった。嵐は、第二次の輸送作戦から参加するが、米軍の妨害によりドラム缶の輸送はなかなか上手くいかなかった。そして第四駆逐隊にも、次々と災厄が降りかかる。第三次輸送作戦では、野分が空襲で機関室浸水を起こして航行不能となり、嵐も小破。長波に曳航される野分を護衛して嵐もショートランド泊地に引き返した。その後舞風が野分の曳航を引き継ぎ、嵐も一緒にトラック泊地に帰還。そして応急修理を行う野分を残し、嵐は再び最前線へと戻る。これが開戦時から同じ小隊でコンビを組んできた野分との、決別となってしまった。第四次輸送作戦では、第二水雷戦隊旗艦照月が魚雷艇の雷撃で航行不能となり自沈。嵐は照月乗組員救助にあたったが、駆逐隊司令と艦長は移乗できずにガダルカナル島へ流れつくことになった。第五次輸送作戦では、初風が魚雷艇の攻撃で大破。嵐と江風、時津風が護衛してショートランド泊地への回航に成功し、照月の二の舞は辛うじて避けられた。第六次輸送作戦では、とうとう嵐自身が空襲で航行不能に陥り、舞風の曳航でショートランドへと帰還した。この時、最初に曳航を申し出たのは15駆の黒潮だったが、有賀司令が「ご厚意を深謝す。我が隊に曳かせる」と返信し、同じ4駆の舞風に救援を命じたことに、黒潮の砲術長は「その責任感と指揮ぶりに深い感動を覚えた」と回想している。損傷した嵐は応急修理の後、最前線の増援部隊ではその任に耐えられないとして、後方支援の空母隼鷹の護衛に移った。有賀司令は舞風に移乗してガダルカナル撤退作戦に参加し、第二次撤退作戦ではその舞風が損傷して航行不能に陥り、第四駆逐隊は全ての艦が長期修理を必要となってしまった。
     この一連のガダルカナル攻防戦は、駆逐艦に多大な負担と犠牲を強いたため、多くの司令や艦長は出撃回数が増えることを次第に嫌がるようになった。しかし「有賀司令と叢雲艦長の東日出夫少佐はイヤな顔を少しもせず『おお行こう』と出かけていった」「元気のない艦長は、スクリューと艦体の接点にある軸受け部品が摩耗したので『交換しない行けません』と出撃を拒否したが、有賀司令の隊のフネは、軸受の部品(リグナイバイダー)が絶対に減らなかった」と嵐の二代目水雷長田中大尉と三代目水雷長谷川大尉が回想している。しかしその奮闘の代償なのか、有賀司令の少ない頭髪は撤退作戦の頃にはすっかり白くなってしまったという。
     ガ島撤退作戦終了後、嵐は日本へと帰国して本格的な修理に入った。同時に有賀司令も後任の杉浦嘉十司令と交代している。
     戦線復帰した嵐は、今度はブイン基地への輸送任務に就くが、水上機母艦日進(未実装)が空襲で沈没し、その救助に当たっている。僚艦の萩風にとっては、ミッドウェーの加賀と合わせてこれが痛恨の記憶となっているようだ。
     その後、嵐はソロモン方面の増援輸送作戦を取り仕切る第三水雷戦隊旗艦川内の指揮下に入り、ブイン基地やコロンバンガラ島への輸送作戦に就き、ついに運命の時を迎えることとなった。
     1943年8月6日夜、コロンバンガラ島への輸送任務中に米駆逐艦6隻の襲撃を受け、先制雷撃で江風が撃沈、さらに砲撃で嵐と萩風も立て続けに撃沈された。生き残ったのは時雨1隻のみであった。嵐では乗員のうち178名、相乗りしていた陸兵も多数が犠牲になった。駆逐隊指令の杉浦大佐と艦長の杉岡中佐は共にベララベラ島へ退避していたが、杉岡中佐は辿りつけず途中で力尽きている。この惨事は、「東京急行」撃破のためバーク中佐が考案した波状攻撃作戦を、同期で後任のムースブラッガー中佐が引き継ぎ、天候不良の中、レーダーを駆使して完璧な奇襲を実現したことによる。しかしそれ以前の問題として、輸送隊は米軍偵察機によって日中に発見されており、その動向は米軍に筒抜けであった。しかもコロンバンガラ島への輸送は何度も繰り返していて、日本側に危機感はあったものの、水上機による偵察が前述の天候不良で中止された不運もあり、米軍の動向についての事前情報はほとんどゼロに等しかった。これだけの格差があっては、レーダーどころか情報戦の時点で、日本は負けるべくして負けた戦いといえる。
     「嵐」の艦名は初代でかつ、戦後も継承が無いため今のところ一代限りである。

    ■萩風
    ●日産/キューブ EX(FF/CVT)'02

    ・パフォーマンスポイント(PP):331
    「四角いBOX型を追及したコンパクトカー」
     2002年に発表されたコンパクトハイトワゴンの2代目。初代同様マーチがベースだが、デザインがグッと洗練されほとんど「走るモダンデザイン」。オシャレなだけでなく、居住性や使い勝手も向上させての登場だった。
     エクステリアは「カドを丸めた四角」がモチーフで、フロントスクリーンとフェンダー以外はすべて垂直線と平行線で構成されている。目を惹くのは左右非対称のリアドアで、左後方ピラーを隠したデザイン。スタイリングの斬新さに加え視界を向上させる工夫だ。
     ボディサイズは全長3,730mm、全幅1,670mm、全高1,640mm。初代に比べて40mm広く、25mm高いいっぽう、全長は20mm短い。それでいて室内空間はすべての方向に広くなっており、4.4mという最小回転半径もクラス最小レベルだ。室内はモダンな雰囲気に満ちており、シンプルなデザインとデリケートなカラーリングが上手に組み合わせてある。
     エンジンはマーチと共通の1.4L直4DOHC。駆動方式はFFと4WDがある。4WDシステムはマーチにも搭載された「e・4WDシステム」。通常はFFで走行し、必要に応じてモーターで後輪を駆動する、軽量・省スペースのハイテク4WDである。
     ギアボックスは4速ATと6段マニュアルモード付きCVT。CVTはステアリング中央のシフトスイッチでMT感覚の操作ができる。サスペンションはフロントがストラット、リアがトーションビームでマーチと同じだが、若干固めのセッティングとなっている。
     若い世代を中心に大ヒットし、2003年には3列シートで7人が乗れる「キューブ 3(キュービック)」も追加販売された。
     2015年11月18日のアップデートで新規に実装。秋イベント:期間限定海域【突入!海上輸送作戦】のE5海域クリア報酬。通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段がない。
     ちなみに時報でのことを言うがその嵐はE5ボスドロップ。運が良い提督であれば入手できるであろう。
     一つの余談話だが、萩風の絵を左右逆にすると、駆逐水鬼に非常に似ている。
     マル4計画、仮称第113号艦として、駆逐艦の名門「浦賀船渠」で誕生した、陽炎型駆逐艦の第17番艦である。八八艦隊整備時に神風型・睦月型・特型で懸念されていた、一等駆逐艦の名前が不足する問題の再出により考案された名前。「萩に吹く風」であるが、意味や由来は無い。また「萩」(はぎ)であって「荻」(おぎ)ではない。が、「荻風」でググってみると結構出てくる。名前不足については大潮以降の「潮」シリーズから兆候はあったが、朝雲でついにネタ切れを起こして和歌俳諧や四字熟語を分解し始め、初風以降の「風」シリーズに移行、天津風以降は襲名できる名跡があったが、これも野分でネタ切れを起こしピークに達する時合で、以後甲型駆逐艦は巻雲を除き襲名艦は現れず、帝国海軍の創作の嚆矢と言える。嵐は何とか頑張ったものの、意味するところは野分と被ってしまった。もしも戦局が悪化しなければ、帝国海軍はさらに夕雲型4隻、秋月型11隻の「風」シリーズを誕生させるつもりだったのだが、その予定名は「東西南北」に「夏冬」(春風と秋風は在籍)だったり、「里風」「霜風」「大風」「沖津風」などと破れかぶれさすら感じるものだった。
     太平洋戦争開戦からミッドウェー海戦にかけては、第4駆逐隊内で舞風と第2小隊を組んで行動を共にしていた。
     ミッドウェー海戦においても、萩風は舞風と共に、被弾炎上した加賀に付き添い、やがて沈没した同艦の乗組員救助にあたった。その際、潜水艦の襲撃に遭い、萩風と舞風はこれを撃退している。ちなみにこの潜水艦が、嵐にある疑惑を招く原因となった「ノーチラス」である。加賀沈没後、赤城に付き添う嵐と野分に合流した萩風と舞風は、連合艦隊司令部からの命令により、赤城の雷撃処分を行った。つまり萩風の実装によって、一航戦コンビの最期を看取った駆逐艦がようやく揃ったのだ。そしてそれはミッドウェー海戦時の南雲機動部隊が、ついに全艦実装されたということでもある。(給油船は除く)

     嵐と行動を共にするようになるのはミッドウェー海戦後、ソロモン諸島の戦いが始まってからで、それも後述の損傷による離脱期間もあって、嵐と共に戦った時期は意外に短い。緒戦における組み合わせより、最期の戦いのイメージが強いコンビという点では、舞風と野分の組み合わせと似ている。
     ガダルカナル島の戦いが始まると、8月16日に有賀幸作第四駆逐隊司令座乗の嵐が率いる萩風、陽炎、磯風、浜風、谷風の6隻は、陸軍一木支隊を分乗させて同島に向かう。18日に一木支隊の揚陸は成功し、これがソロモン諸島で幾度も繰り返されることになる駆逐艦輸送の始まりとなった。もっとも、上陸した一木支隊は直後の戦闘で壊滅してしまうのだが……。揚陸後もガダルカナル島付近を警戒していた萩風は、B-17爆撃機の空襲により艦尾に被弾し舵が故障してしまった。その後僚艦である嵐の援護を受けながら、舵を中央に固定して、トラック泊地まで回航されている。これが中破セリフの「舵を復旧」の元ネタであると思われる。損傷の修復は翌年1月下旬までかかり、2月下旬に萩風がトラック島に戻った時にはガダルカナル島攻防戦は日本軍の撤退で幕を閉じていた。その間に第四駆逐隊の僚艦は3隻とも鼠輸送や撤退作戦で損傷し、萩風と入れ替わりに戦列を離れている。そのため、四駆の司令駆逐艦も嵐から萩風に交代した。
     萩風の復帰後最初の任務は、トラック島と日本本土を行き来する空母冲鷹(ちゅうよう・未実装)の護衛だった。冲鷹は日本郵船の豪華客船を改造した、飛鷹型航空母艦の先輩格というべき存在である。萩風はその後も、横須賀~トラック島間で冲鷹を護衛しており、また飛鷹が日本近海で被雷した際には救援しようとしたこともあるので、萩風改の時報でいう「特設空母」の護衛や救援とはこれらの経験が由来と思われる。ただし厳密に言うと、飛鷹と冲鷹は竣工の時点で正式な軍艦籍(航空母艦)に登録されているため、特設航空母艦としての経歴はない。特設艦船(特設航空母艦)としての経歴があるのは隼鷹や、冲鷹の姉妹艦である大鷹、雲鷹(共に未実装)である。ちなみに、萩風は雲鷹の護衛も経験してはいる。帝国海軍の艦種類別上は、軍艦籍の「航空母艦(正規空母)」か、軍艦籍ではない(艦首の菊の御紋章がない)「特設艦船(特設空母)」かの区別しかなく、いわゆる「軽空母」や「改造空母」はあくまで便宜上の区別であったり、とにかくややこしい。
     4月下旬から5月にかけては、第四駆逐隊唯一の稼働艦として、コロンバンガラ島への輸送作戦に投入された。この時萩風とコンビを組んだのが、こちらも第二四駆逐隊の仲間が共に修理中でひとりぼっちだった改白露型の海風である。萩風と海風の臨時コンビは、長姉の陽炎黒潮、親潮(未実装)の第十五駆逐隊組とローテーションの形でコロンバンガラ島輸送作戦を繰り返した。しかし、このローテーションが惨劇をもたらす。5月8日、入れ替わりに出撃していた第十五駆逐隊が機雷と空襲で全滅してしまったのだ。「1隻沈没(黒潮)、残り2隻は漂流中」との知らせを受けて救出に向かった萩風と海風は、陽炎の先任将校が乗った舟艇を発見。「漂流せる二艦も沈没し、生存者は陸上基地の舟艇で収容」の報告を受け、救出作戦は打ち切りとなった。陽炎型の姉3隻をあっという間に葬ったコロンバンガラ島沖の災厄は、この数か月後には立場と状況を変えて萩風自身にも降りかかることになる。
     1943年7月、萩風は損傷修理から復帰した嵐とコンビを組んでトラック島へと進出すると、中部ソロモン諸島の戦局悪化によりそのままラバウルへと派遣された。そして軽巡阿賀野に代わって臨時に第十戦隊旗艦(杉浦嘉十司令は嵐に移乗)となり、ラバウルからブイン基地に陸軍部隊と物資を輸送する任務の水上機母艦日進(未実装)を、嵐や磯風と共に護衛する。しかしブイン到着直前で、空襲により日進が沈没。萩風たち駆逐艦は、日進の乗員や陸軍兵士の救助にあたっている。時報で触れている「日進さん」はこれが由来で、当初の計画では機雷敷設艦という変わった経歴ゆえに、12.7cm連装高角砲装備のちとちよ瑞穂と違って14cm連装砲を装備しているため、一部では艦これ最強の水母になるのではと目されている艦である。
     ラバウルに帰還した萩風と嵐に待っていたのは、艦これの夜戦バカこと第三水雷戦隊旗艦川内恐怖の引き抜き伊集院松治司令官が率いる、南東方面・増援部隊編入の凶報命令だった。ラバウルに進出した時は、利根、筑摩、最上、阿賀野、大淀なども輸送任務で同行していたが、これらの巡洋艦や磯風はトラック島へと戻り、第十戦隊司令官の阿賀野復帰により再び司令駆逐艦になった萩風と嵐のコンビだけがラバウルにとり残されたのだ。
     萩風と嵐は川内の指揮のもと、白露型の時雨と輸送隊を組んでサンタイサベル島のレカタ基地に物資を運び、そこから陸軍部隊をブイン、そしてコロンバンガラ島へと玉突きで転送する任務に就く。その最中の8月1日夜、コロンバンガラ島からの帰路で魚雷艇群と遭遇、警戒隊の天霧(特II型・未実装)が魚雷艇1隻を踏みつぶして轟沈させる事件があった。この魚雷艇の艇長が、後のアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ中尉である。
     輸送作戦は成功したが、ニュージョージア島ムンダの戦況はますます悪化し、隣接するコロンバンガラ島へのさらなるテコ入れが必要とされた。そのため南東方面部隊司令部は、増援部隊の駆逐艦4隻によるコロンバンガラ島への輸送と、川内によるブイン基地への輸送を命じた。この時、天霧は上記の魚雷艇衝突で生じた損傷を修理するため戦列を離れ、代わりに改白露型の江風が加入する。コロンバンガラ輸送組は、輸送隊の萩風、嵐、江風と警戒隊の時雨の4隻で、萩風に座乗する第四駆逐隊の杉浦司令が指揮を執った。杉浦司令をはじめとするコロンバンガラ輸送隊としては、輸送作戦が約1週間おきに繰り返されている上に入泊の時刻と場所が限定されるので待ち伏せされる危険が大きいとして不安と不満を強めていた。川内が同行することにも反対だったのだが、上級司令部との板挟みにあった伊集院司令官の判断で、川内は南東方面司令部が指示した予定よりも早い段階で分離することになり、また三水戦司令部の先任参謀を萩風に便乗させ、駆逐隊にばかり苦労をかけて司令部が後方にいたのでは統帥はできぬとの配慮までされては、杉浦司令らは従うしかなかった。
     そして運命の1943年8月6日、コロンバンガラ輸送隊はラバウルを出撃する。折からの雨で視界は極めて悪く、雨は夜明け前にやんだものの、濃い靄で視界は不良のままだった。この影響で、昼間に予定されていた戦闘機の上空直援が中止となる。午前中に川内と分離した輸送隊は、上空の雲の切れ目から米軍の哨戒機に発見され、「敵水上部隊策動の兆しあり」の通信情報は得ていたが、日没後高速でベラ湾へと突入していった。日没ごろから激しいスコールに襲われ、視界はますます悪くなった。しかもこの影響で、夜間に予定されていた水上偵察機のコロンバンガラ哨戒と魚雷艇掃討も中止されてしまう。
     21時過ぎ、「310度19海里」の方向、つまり左舷前方に敵を発見している。「敵艦見ゆ!艦隊、左魚雷戦、左砲戦、よーい!」の開戦セリフはこの時の状況を基にしているが、史実では攻撃態勢に移る間もなく、時雨以外の3隻が次々魚雷を被雷してしまった。江風は爆発を起こして轟沈。嵐、萩風も被雷の爆炎で姿を露呈してしまってはどうしようもなく、集中砲火を浴びて沈没。萩風では乗員178名が犠牲となった。なお杉浦司令と萩風艦長の馬越少佐は奇跡的に生還しているが、嵐の杉岡艦長と江風の柳瀬艦長は戦死し、そして萩風に便乗していた二反田三水戦参謀も助からなかった。江風の項で触れるが、ベラ湾夜戦はバーク大佐の戦術で日本が完全敗北を喫した戦いである。緻密なまでの夜間襲撃に一方的に叩きのめされた事は、艦娘となった萩風の「夜はまだ怖い」というセリフにも現れ、トラウマとなっているようである。そもそも、事前の航空偵察で日本側の動きを把握して待ち構えていた米艦隊と、航空偵察が中止されて「敵艦隊が動いているかもしれない」という程度の認識で手探り状態だった日本艦隊ではまるで勝負にならなかった。
     上記のとおり「萩風」の名前は彼女が初であり、戦後も「軍艦・自衛艦」に継承は無く1代限りである。一方海保には、巡視艇「はぎかぜ(CL-124 第二管区塩釜海上保安部)」が1973年より存在していたが、既に退役している。(海保の巡視艇は管区に縁の名前がつき、異動で改名されるため)何故七管(山口県萩市)ではなく二管に「はぎかぜ」なのかは不明であるが、仙台藩の「伊達騒動」を題材とした歌舞伎演目『伽羅先代萩』、もしくは宮城県の県花が「ミヤギノハギ」である事が関わっていそうではある。


    ■野分
    ●日産/スカイライン 2000GT-R(KPGC110)'73

    ・パフォーマンスポイント(PP):396
    「排気ガス規制により197台のみ生産された悲劇のケンメリGT-R」
     「ハコスカ」と呼ばれたC10系スカイラインは、1972年9月、新型へとバトンを渡した。C110系という型式名をもつ新型は、コマーシャルのコピーをとって「ケンメリ」というニックネームを与えられ、デビュー早々爆発的な人気を誇るモデルとなった。
     ボディは無駄なラインを省いた、のびやかな造形。とはいえ、スカイラインのアイデンティティとなったサーフィンラインや丸系4灯のヘッドライトは、しっかり踏襲していた。
     このケンメリ・スカイラインにGT-Rのエンブレムがよみがえったのは、翌73年1月のこと。今度のGT-Rは型式名をKPGC110といい、ハコスカGT-Rと同じ名機、S20型直列6気筒エンジンを搭載した。160PS、18.0kgfmという最高出力、最大トルクは変わりはない。フロント・ストラット、リア・セミトレーリングアームという足まわりも先代から踏襲したものだったが、ブレーキが4輪ディスクへと変更されたことは進化だった。
     全長4,460mm、全幅1,695mm、全高1,380mmというボディサイズは、ハコスカから比べるとひとまわり大きい印象だ。
     本来ならば、このケンメリGT-Rもサーキットで数々の名勝負を演じるはずであった。ところが、このクルマが闘わねばならなったのは、排ガス規制という時代の壁だった。
     ほとんど純粋なレーシングエンジンといえるS20型が、この強敵に太刀打ちできるわけもなく、日産は苦渋の決断をする。わずか3ヶ月、197台を作っただけで、このケンメリGT-Rは一度もレースを戦わずに姿を消したのである。以来、日産はGT-Rのエンブレムを封印。R32型でこの名前が復活するのは、それから16年後のことだった。
     2014年11月14日のアップデートで新実装。同日から始まった秋イベント:期間限定海域【発動!渾作戦】のExtra Operationクリア報酬。2015年4月28日開始のイベント「発令!第十一号作戦」にて初めてドロップ配置された。難易度・確率ともにそこそこであり入手チャンスであった。2015年8月10日開始のイベント「反撃!第二次SN作戦」でもドロップ配置された。最初のE1海域であり、難易度も共通でボスマスだけでなく道中でも入手可能である。
     2015年6月12日に実装された4-5にて、待望の通常海域でのドロップが確認されたただし通常海域の中でも屈指の強ボス&道中編成が相手とあってイベント海域深部並みの探索難易度。勲章のついでと割り切るか、十分な余力を以て臨むかしよう。
     2013年7月10日実装の舞風の図鑑台詞内で言及されてから1年と4ヶ月越しの実装となった。
     未改造の金レア駆逐艦としては、Z1・Z3・時津風・磯風に続いて5番目である。
     野分(のわき)とは、秋から初冬にかけて吹き荒ぶ台風の事。秋の季語でもある。
     明治41年に建造され、大正13年に除籍された初代に続く二代目。
     所属は第4水雷戦隊第4駆逐隊、開戦時の旗艦は那珂太平洋戦争開戦から解隊まで、第4駆逐隊に所属し続けた唯一の艦である。結成時のメンバーは野分、舞風、萩風、嵐。第4駆逐隊の歴代司令は、佐藤寅治郎大佐が神通艦長としてコロンバンガラ島沖海戦で、有賀幸作大佐が大和艦長として坊ノ岬沖海戦で、杉浦嘉十大佐が羽黒艦長としてペナン沖で、磯久研磨大佐は舞風で、高橋亀四郎大佐は満潮に乗組みスリガオ沖でとそれぞれ最期を遂げられている。
     開戦初期には南方作戦に参加。開戦初日にノルウェー商船を拿捕し、日本海軍の敵船拿捕第1号を飾った。さらに3月、第4駆逐隊第1小隊の野分と嵐(舞風と萩風らの第2小隊は南雲機動部隊にいた)は有賀幸作司令指揮のもと、商船3隻、油槽船2隻を撃沈し、商船ビントエーハン号を拿捕。さらに英国駆逐艦ストロングホールド、米砲艦アッシュビルを撃沈するという武勲をあげた。次いで3月4日には愛宕と協同でオーストラリア護衛艦ヤラ、油槽船1隻を撃沈し、商船チャーシローアを拿捕。これら一連の戦闘は「チラチャップ沖海戦」と名付けられた。
     ミッドウェー海戦の際は第4駆逐隊は揃って4水戦から離れ、南雲機動部隊の警戒隊(第10戦隊旗艦長良が指揮)として参加。赤城の直衛の任にあたっていたが、図らずも被弾炎上する赤城の乗員救助と雷撃処分に当たる羽目になってしまった。野分の乗員も赤城の乗員も、嗚咽をもらしながら沈みゆく赤城の姿に別れを告げ、黙祷を捧げたという。
     ミッドウェー海戦後は南雲機動部隊が第3艦隊として再建されたことにより、第4駆逐隊は正式に第10戦隊に転属する。実は第4水雷戦隊よりも第10戦隊に所属していた時期のほうが長い。
     トラック島空襲の際の第4215船団の悲劇は、舞風の史実ですでに知っている提督も多いだろう。トラック島を脱出しようとした船団は米空襲部隊の襲撃に引っかかり、数波に渡る集中攻撃を浴びることとなった。特設巡洋艦赤城丸は爆発沈没、練習巡洋艦香取、そして舞風は被弾し航行不能に陥った。その中にあって、野分は航跡自画器の航跡が判読不能になるほどの回避を続け、ただひとり無傷で行動可能であった。戦闘中、舞風座乗の駆逐隊司令磯久大佐より「舞風被弾、機械室浸水ノタメ航行不能、直チニ横付ケセヨ、ワレ野分ニテ指揮ヲ執ル」と携帯無線機での通信があったが、あまりの空襲の激しさに野分も自身の身を守るのに精一杯で、この命令を果たすことが出来なかった。この時舞風乗員を救けられなかったことを、野分の佐藤清夫中尉(当時)は50年後に至っても最大の悲しみとして悔やみ続けている。香取と舞風が行動不能に陥った時点で航空攻撃は中止された。スプルーアンス提督率いる戦艦ニュージャージー、アイオワ、重巡2隻、駆逐艦4隻からなる米艦隊の射撃目標とするためである。この行動の目的については「戦艦部隊の戦意高揚のため」つまりリアルキラ付けとも、「米海軍力の強大さを日本に見せつけるため」とも言われるが、水上部隊を追撃に向かわせるのはさほど珍しいことではない。米戦艦部隊は船団の前に躍り出てきた特設駆潜艇第十五昭南丸を一撃のもとに爆発四散させると、瀕死の船団へと襲いかかった。この光景を佐藤中尉は「身の毛がよだったのは筆者一人ではなく、盛んに発砲している光景と発砲のオレンジ色の閃光に対する何とも形容の出来ない恐怖は、半世紀たった今でも脳裏に焼き付いている」と回想する。香取と舞風が八つ裂きにされる中、野分は限界一杯の全速力を出しつつ激しく転舵を繰り返し、戦艦ニュージャージーのレーダー射撃をかいくぐって脱出に成功した。連続8時間に渡る激闘で弾丸は演習弾すら撃ち尽くし、燃料は欠乏、船体には無数の機銃掃射の弾痕が残っていたとのこと。この戦闘での野分の戦死者は1名だった。無線も故障したためか横須賀と連絡が取れず、横須賀に帰還した際には「幽霊が帰ってきた」と驚かれたという。
     なお、この時の第4駆逐隊は萩風と嵐がソロモン方面ですでに失われていたため、朝潮型の山雲が転属してきていた。その山雲はトラック空襲直前に別の輸送船を護衛して出港しており、難を逃れている。
     その後東松2号船団に加わる。護衛艦艇9隻、輸送船12隻、航空機支援もつくというこの時期にしては異例の大船団だったが、その実、護衛艦艇も輸送船も全くの寄せ集めで、新鋭駆逐艦は野分だけ、あとは旧式巡洋艦龍田、旧式駆逐艦卯月の他に海防艦、掃海艇の混成で、訓練も泥縄という有り様であった。案の定、強風と波浪で船団隊形の維持が精一杯という状況下、潜水艦サンドランスの雷撃を受け、旗艦龍田と輸送船国陽丸が同時に被雷。国陽丸は爆発轟沈し、龍田もしばらくは持ちこたえたものの、翌日午後に力尽き沈んでしまった。野分は龍田生存者を救出し、航空機と協力して敵潜水艦を制圧、多量の重油流出を認めて撃沈確実と判断した。(だが敵潜水艦サンドランスは16時間、投下爆雷102発の猛攻に耐え奇跡的に脱出した)その後、野分は沈んだ龍田に代わって第11水雷戦隊司令部を乗せ船団の指揮を執り、無事に目的地へとたどり着いた。
     舞風を失った第4駆逐隊は欠員補充として満潮を加え、野分、山雲との3隻編成となり、第三次渾作戦に輸送部隊として参加する予定だった。しかし米軍のマリアナ諸島攻略開始に伴い作戦は中止になり、代わりにあ号作戦が発動されマリアナ沖海戦に参加する。
    奇しくも、史実では参戦できなかった渾作戦の名を冠したイベントで艦娘として実装されることとなった。
     最期はレイテ沖海戦。この頃朝雲を加えて4隻編成となっていた第4駆逐隊はレイテ湾に突入する西村艦隊に所属する事となるが、野分のみ時雨と入れ替わりで栗田艦隊に派出する事に。サマール沖海戦で被弾落伍した筑摩の生存者100余名を救助後、本隊から遅れて退却していたのだが、その途上ハルゼー提督指揮下の米戦艦部隊に捕捉される。奇しくもトラック空襲の時と同じニュージャージーとアイオワを基幹とする部隊だった。そして軽巡3隻と駆逐艦2隻のレーダー射撃の集中砲火を浴び大破、最後に駆逐艦の発射した魚雷が命中し、撃沈された。魚雷は弾火薬庫を誘爆させたらしく、野分大爆発の火炎は3万メートル先からもはっきり見えたという。ハルゼー提督が生涯で唯一目撃した「海戦」がこれであった。野分乗組員、そして救助された筑摩の乗員も全員が戦死を遂げた。なお、筑摩の沈没地点で取り残されていた筑摩4番主砲塔砲員1人が米軍に救助されている。最初は救助活動を開始した野分へ向かって泳いでいたものの、「戦死を覚悟して入隊したのだから、ここで死ぬのが本望ではないか」と思い直して力泳をやめ、背を向けたのだった。しかし皮肉にもこの覚悟が生還に繋がったのである。両艦合わせてたった1人の生き残りだった。もともと筑摩救援には雪風が向かっていたのだが、水平線の彼方に遠ざかりつつある土壇場になって、大和の指示により雪風は原隊復帰、野分が代わりに救援に向かうことになった。この交代命令に加え、交代するために要した時間のロスによって、両艦の運命の明暗は完全に分かれることとなったのであった。
     野分はスプルーアンス提督、ハルゼー提督の両方に直接相まみえるという稀有な戦歴を持つこととなった。
     呉の長迫公園に建立されている「巡洋艦阿賀野慰霊碑」の周りの欄干には「野分」の名も刻まれている。
     彼女の生涯については、野分乗員(通信士、のち航海長兼分隊長)佐藤清夫大尉の著した『駆逐艦「野分」物語』(光人社NF文庫)という本がある。野分に通信士として乗組み、トラック大空襲を目の当たりにした著者が米軍資料をも駆使して書き上げた、野分と舞風に捧げる鎮魂の書である。

    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。