ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("練習巡洋艦"編)
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("練習巡洋艦"編)

2015-02-21 14:02
    2015年2月6日にアップデートで初登場となる練習巡洋艦。

    ・戦艦→こちら
    ・航空戦艦→こちら
    ・正規空母→こちら
    ・装甲空母→こちら
    ・軽空母→こちら
    ・水上機母艦→こちら
    ・その他艦種→こちら
    ・重巡洋艦→こちら
    ・航空巡洋艦→こちら
    ・軽巡洋艦→その1その2
    ・重雷装巡洋艦→こちら
    ・練習巡洋艦→ここ
    ・駆逐艦→その1その2その3、その4、その5

    ・潜水艦→こちら
    ・潜水空母→こちら
    ・期間限定艦→こちら
    ・海外艦→こちら
    ・敵艦→こちら
    ・NPC艦→こちら

    ※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
    ※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
    ※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。


    ■香取
    ●ルーフ/BTR'86

    ・パフォーマンスポイント(PP):505
    「ポルシェ・911(930型)をベースに、ルーフの名を一躍世界に向けたモンスターマシン」
     RUF社は、ドイツ南部のアルゴイ地方にあるファッフェンハウゼンという町にある。ここで生まれるクルマはポルシェをベースとしているが、決してポルシェのチューニングカーではない。それらはすべてホワイトボディからRUF社の工場で組み立てられる生産車なのだ。
     そのRUFの名を一躍世界に広めたのがBTRというモデルである。「ビック・ターボ・ルーフ」を意味するこのクルマは、1984年にアメリカの自動車雑誌が主催した最高速度テストで291km/hという記録を達成。並み居る強豪を押しのけて、見事世界最速のロードカーの座に就いたのだ。
     その外見は一見930型ボディの911ターボだが、フロントノーズにはしっかりRUFのエンブレムが飾られている。換装されたスポイラー一体のフロントバンパーもただの911ターボではないことを物語る。
     実際そのスペックは驚異的なものだ。ポルシェターボ用ブロックを使った水平対向6気筒のターボエンジンは、3.3Lと3.4Lがあったが、3.3Lでも330PS、3.4L仕様では374PSを発生。3.4Lの加速力は、49.0kgfmという図太いトルクもあいまって、0-100km/h4.6秒、0-1,000mが23秒フラットという圧倒的なもの。ギアボックスは専用の5速MT、タイヤはフロントが235/45ZR17、リアが255/45ZR17というロープロファイル仕様である。
     このBTRはそのパフォーマンスが人気を集め、さまざまなモデルが作られた。中でも極め付けは、空気抵抗の少ないカレラボディに3.4Lエンジンを積み込んだ、CTRというモデルである。このクルマは良好な空力条件により最高速度が305km/hを達成。最強のBTRとして最速スポーツカーの座に君臨したのである。
     2015年2月6日のアップデートで新規に実装。同日から始まった冬イベント:期間限定海域【迎撃!トラック泊地強襲】のE4クリア報酬。通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。今後の入手可能時期がいつになるか判らず、どの難易度でもクリア報酬の艦娘は入手可能のため、E3を突破できたならば是非挑戦しておきたい。
     「練習巡洋艦」であり軽巡洋艦ではないので、一般軽巡とは扱いが異なる部分も少なくない。
    遠征ではその他自由枠扱いとなる他、連合艦隊の編成時や出撃時のルート分岐でも軽巡洋艦とは別枠として扱われる。増設バルジ(中型艦)等香取には積めるもの、逆に一般軽巡には可能だが香取は装備不能なものが存在する。例えば、ドラム缶、対地ロケラン、探照灯、照明弾は装備不可。正直少しややこしい
     練習巡洋艦の特殊能力について、「練度の高い練習巡洋艦を旗艦にした演習は、経験取得効率が若干向上します」という運営告知がある。現状この効果が発動する「練度」がいくつかは不明。
    最初期(入手直後、Lv1)でも経験値の取得量が2%増えている模様。一定のレベルを満たすなどでこの補正が大きくなると予想できる。Lv10~29の時点では4%、Lv30で6%の上昇がみられる。その後Lv90台で8%、Lv100突破で10%と上昇率は緩やかになる模様。香取本人の練度を十分高めたうえで、複数の低Lv艦を纏めて教育…といった使い方が主になるかと思われる。システム上、旗艦ボーナスはどうしても香取に行く。S勝利とMVP調整は効率アップのためにも狙っていきたい。結局は演習でMVPを取りにくい艦娘が多い時に役に立ちやすい。ある意味では香取を旗艦にすることによって通常の旗艦ボーナス分を残り5隻に割り振っているとも解釈できる。
     練習艦の設計上その性能は軽巡には遠く及ばず、駆逐と並べても心許無い。立ち位置はあきつ丸らに近い。初期で3スロット、改造すると4スロットと改装の自由度は高い。
     図鑑No.は長らく同ページ内で唯一空白のままになっていた154番。元々この位置に載せる予定でいたかは不明。大鳳と伊401の間であり、他の最近実装された艦娘と離れているため、Lvソートしていると入手直後に見つからずに焦るかもしれない。
     改修工廠でのみ入手可能であった14cm装砲を初期装備として持参してくる。14cm装砲と間違えないよう。さらに改修したい場合や思い入れがあるのならロックを忘れずにかけておくこと。
     ちなみに低速。軽巡等と勘違いして5-4上ルート等でレベリングすると渦潮に行くので注意。もっとも対潜は可能。史実では潜水艦隊旗艦をやっていたものの、大鯨とは異なり6-1の潜水艦作戦における特別なルート分岐は無い模様。
     香取実装と同時に、遠征(西方海域)に『遠洋練習航海』が追加された。難度はDと最低ランク、遠征内容に明記された「練習巡洋艦が旗艦」以外の成功条件は要検証。久々に本遠征で低い難易度が実装されたのは秘密
     姿と台詞で変態紳士の提督に人気。被虐趣味や嗜虐趣味に覚醒する提督も少なくない模様。

     実装から2015年02月09日頃まで、香取を旗艦にして開発を行うと通信エラーになる不具合が発生していた。
     どういうわけか香取のバナーについている艦種とレアリティを示すアイコンの文字が「工(工作艦を示す)」の上に「練巡」を重ねたように見える。
    こんな感じ
    だからといって工作艦としての機能は当然持たない。まあ当たり前なのだが。
     日本海軍が建造した純粋な練習巡洋艦としては唯一の艦型となる香取型の一番艦。姉妹艦に二番艦「鹿島」三番艦「香椎」があり、このうち鹿島は終戦まで生き残った。4番艦「橿原」も建造されていたが途中で中止になっている。艦名は姉妹四艦とも神宮名で統一されている。元々海軍は旧式化した巡洋艦などを練習艦に充てていたのだが、航行能力や装備の古さ等で練習艦としての任に追従できなくなりつつあったことから建造されることになったのが本型である。香取型就役まで練習艦として遠洋航海にあたっていたのは出雲、八雲、浅間、磐手などの旧式装甲巡洋艦。いずれも日露戦争で偉勲を建てた古強者たちだが、艦齢実に40歳に近い老嬢となっては流石に老いが隠せなかった。しかも石炭焚きに旧式ピストン機関、兵装も日露戦争時代のままとあって、これから新鋭艦に乗り組み新時代を担っていく候補生たちの練習艦としては不適当になりつつあった。さらに浅間が1931年に乗員の不注意で暗礁に乗り上げ、自力での航行が不能なダメージを負ったこと。出雲が上海事変以来たびたび大陸方面艦隊の旗艦として引きぬかれたこともあり、練習艦が不足する事態にも陥っていたのである。ロンドン条約締結時には老朽装甲巡洋艦の廃艦と引き換えに旧式化した球磨型のうち、球磨多摩北上(北上、大井木曾とも)の三隻が兵装やボイラーの一部を撤去し、練習巡洋艦に改造される予定だった。だが士官候補生の倍増などを考えた結果、球磨型3隻程度の収容力では不適当とされ、香取型4隻の建造を計画したのである。まだ航海に不慣れな士官候補生が疲弊しないように安定性を第一に設計されており、5500トン級とあまり変わらない排水量にも関わらず艦幅は古鷹型に匹敵するほどの幅になっている。逆に全長は駆逐艦ほどしかなく、どことなく現用の戦闘艦のようなイメージも持たせる。火砲は練習航海に必要な程度に留められており、14cm連装砲2基に12.7cm連装高角砲1基と排水量に対して控えめである。本艦型が実戦で魚雷戦を行うことはほぼあり得ないと考えられたため、魚雷発射管も球磨型世代が装備していた旧式の53センチ連装発射管が教習用に2基4門だけ。目的上速度もあまり重視されなかったこともあり速力も最大で18ノットと控えめ。その代わり広い艦橋と一体化した講義室に水上機運用設備、甲板の魚雷発射管の上にはプロムナードデッキ、機関も小型低出力ながらも蒸気タービンとディーゼルを双方備えるなどその船体には練習巡洋艦での実習に必要な全てが詰め込まれている。遠洋航海で諸外国を歴訪するという任務上、対外的にも目が集まる艦故に、来賓をもてなすための司令官室や威厳のある大型の艦橋など軍艦として申し分ない艦様を誇っていた。ただしそんなものを造るにどうしても建造費が嵩んでしまうこともあり、費用節約のため船体は安く上がる商船構造とし装甲も持たないなど戦闘艦としてはどうしても不向きな艦となってしまった。
     優秀な練習巡洋艦として就役した彼女であったが、悲しいことにその就役した時には既に1940年。ヨーロッパではナチスドイツが暴走を始め、極東でも対米感情の悪化などとてもではないが練習航海どころの話ではない状況であった。江田島から大湊、大連に旅順、上海を巡る始めての練習航海さえも完遂することなく中止されてしまい、その本領を発揮することなく戦争に突入してしまったのである。練習巡洋艦としては涙を飲んだ香取。しかし、彼女の「教師」としての資質は「艦隊の指導者」として生かされ、決して無駄にはならなかった。
    候補生の実習の為に様々な設備や余裕のある船体が功を奏し、潜水母艦伊号潜水艦を集中運用する新設の第六艦隊の初代旗艦を拝命したのである。幾度かの再編を経ても旗艦任務は続き、44年2月に通商護衛を担う海上護衛総隊に彼女が編入されるまで旗艦を勤め上げたのだ。彼女率いる第六艦隊の戦果で有名なものとしては、ミッドウェー海戦における伊168によるヨークタウン撃沈という大殊勲が挙げられる。一航戦二航戦の敵を討ったこの一撃の陰には、イムヤの頼れる指揮者たる彼女の助力もあったのだ。そんな彼女であったが、指揮者としての「教壇」を降り海上護衛任務に励んでいた際、壮絶な最期を遂げた。1944年(昭和19年)2月17日、トラック島は第58任務部隊の奇襲を受ける。当時海上護衛任務に就いていた香取は「舞風」「野分」らと第4215船団を編成、特設巡洋艦赤城丸を護衛し内地に向かう予定だったが、赤城丸の荷役の遅れで出発が一日遅れてしまい、空襲に巻き込まれてしまった。船団は脱出を図るも艦載機に捕捉され集中攻撃を浴び、魚雷3本と爆弾十数発が命中した香取は大火災が発生、黒煙と缶の破裂による水蒸気を噴き上げ著しく速力が低下したが、それでも撃沈された赤城丸の生存者を救出している。しかし間もなく、香取は舞風ともども敵戦艦部隊に捕捉され、最後は戦艦「アイオワ」らの砲撃を浴び転覆沈没していった。(この戦闘の詳細については舞風野分の項目も参照されたい)かろうじて浮いていた香取の艦首主砲は、沈没するその瞬間まで砲撃をやめなかったという。なんか誰かに似ている気が……。また香取が最後の力を振り絞って発射した魚雷は命中こそしなかったものの、「アイオワ」の艦尾至近を通過した。香取からは生存者を乗せた救命艇が3隻脱出したが、戦闘機2機がこれに機銃掃射を加えたため全滅、艦長以下誰一人助からなかった。この最期ゆえか、改造後に実装される時報ボイス(14時)にて舞風と野分への気遣いを見せている。なお、トラック島空襲の記録映像には攻撃を受ける香取の姿も記録されている(4分34秒付近~)。余談ながら、彼女が「独立旗艦」として第六艦隊を率いていた時代には大鯨(第一→第三潜水戦隊を指揮)・五十鈴(第二潜水戦隊を指揮)等の洋上艦、そして伊168伊19伊8といった潜水艦達が彼女の指揮下に属し、太平洋戦争序盤~中盤を共に戦い抜いた。なお、伊58伊401が同艦隊に配属された頃には香取は先生独立旗艦の座を辞していた。実戦力として運用されなかった呂500や陸軍所属艇であるまるゆは、そもそも第六艦隊所属艦ではない。
     艦名は千葉県の香取神宮にちなみ、日露戦争直後に英国ヴィッカース社で竣工した帰国子女の戦艦「香取」に次ぎ二代目。先代も対バルチック艦隊用に主砲と副砲の他に20.3㎝口径の「中間砲」を配した強力な戦艦として就役するも、日本海海戦どころか日露戦争終結にも間に合わなかった。その上登場後数年でドレッドノート・ショックが発生し二線級に転落した、なんともタイミングの悪い艦であった。ワシントン軍縮条約により1921年に廃艦。解体された。艦首の菊の御紋章などの遺品は香取神宮に奉納され、宝物館に展示されている。
     戦後は三代目となる、海上自衛隊の練習艦「かとり(TV-3501)」が1969年から1998年まで活躍した。先代と全く同じ目的の艦として生まれ変わり、就役28年半の間に24回の遠洋練習航海に従事、延べ訪問国数は209ヵ国(307港)に達し、文字通り地球を駆け巡る活躍を見せた。平和な時代に生まれ変わり、静かな海でようやく本来の任務を全うすることが出来たのである。なお、かとりが遠洋航海先の国々でプレゼントされた記念の品々も香取神宮宝物館に展示されているほか、かとりの錨も同じく香取神宮に奉納され、境内に安置されている。
    因みに現在の海自の練習艦は「かしま」。名前は香取型練習巡洋艦2番艦「鹿島」からの引き継ぎ。そのほか、第三管区銚子海上保安部に、しれとこ型巡視船「かとり(PL125)」が現役で活躍している。
     肩につけている、肩の線に沿って取り付ける細長い部分とモップのような飾り紐を垂らす丸い部分の合わさったひょうたん型の肩章は、海外ではエポーレット、日本海軍では正肩章と呼ばれるもの。これは正装・礼装する際に着用するもので、本来なら上部に所属や階級を示すマークや意匠が入る。なお、日本海軍において正肩章をつけられるのは士官以上。そして中尉以下は飾り紐が付けられないため、香取は最低でも大尉以上ということになる。練習艦隊の遠洋航海は国家としての正式の訪問とみなされるため、訪問先の諸外国の首相や高官などのVIPたちはもとより、時に各国皇帝、国王、大酋長に謁見することもある。またもちろん艦内にご招待してパーティーを開く機会もあり、いずれの場合も当然正装・礼装しなければならない。このように浮かぶ外交官としての側面も持つ彼女だからこそ、他の艦娘たちよりも高い格式の制服を着用しているのだろう。
     RUF(ルーフ)は、創業者アロイス・ルーフ(初代)によるポルシェを基に独自の車造りを行うドイツの自動車メーカーである。一般のチューニングメーカーとは異なり、独自性の高い車造りを行い、そして排気ガスや耐久性等の社会的責任を持つことからドイツ自動車工業会VDAに所属が認められている。日本での正規輸入は京都にあるRTCが取り扱っている。
     当初より米国の連邦自動車安全基準 (Federal Motor Vehicle Safety Standard, FMVSS) のバンパー強度規定Std215に従った5マイルバンパーが装着された。930型は本来ターボモデルを指すものであり、「ビッグバンパー」であってもNAモデルは1977年モデルまで901型のままである。1978年にはNAモデルも930型となった。
     ボディの種類はクーペと脱着式のルーフをもつタルガの2種類。トランスミッションは当初915型と呼ばれるポルシェ内製トランスミッション(ポルシェシンクロ)を採用した。

     2代目となった930型911ターボをベースにしたRUF車の名を世界に轟かせた名車。ターボとRRの基礎を学ぶには、持って来いの車両であり、コーナリングスピードを計算に入れている走り方を変えている。香取の場合、練習というより神通等と同じように教官と言った方が正しい方か。駆逐艦たちから信頼と興味心の眼差しを受けている。
     今後アップデートで香取型2番艦以降もRUF車なんだろうね(汗)

    ■鹿島
    ●ルーフ/RGT'00

    ・パフォーマンスポイント(PP):527
    「996型の911 GT3がベース車。スーパーロードカーの名に相応しいスポーツカー」
     RUF RGTと呼ばれるこのモデルは、996型ポルシェ911 GT3をベースにRUF社が作り出したスーパーロードカーである。
     RGTに搭載される3.6Lのフラット6は、新たなカムシャフトや専用開発されたエキゾーストシステム、リマッピングされたエンジンマネージメントシステムやエアフィルターの採用により、最高出力385PSを発生。組み合わされるトランスミッションは6速MTだ。ベースとなったGT3同様2WDがベースだが、オプションで4WDをチョイスすることも可能だ。
     足まわりはGT3のものをベースに開発した、RUF独自のスポーツタイプサスペンション。また、ブレーキもフロント370mm、リア355mmという大径ベンチレーテッドディスクとなる。フロントのキャリパーは6ピストンというレーシングスペックだ。アルミホイールはオリジナルの18インチサイズが標準で、タイヤはフロント255/40、リア285/30というZR規格。オプションで19インチのタイヤ&ホイールも用意される。
     エクステリアにはオリジナルのフロントスポイラー、サイドスカート、エアロミラー、リアスポイラーなどが与えられ、ただならぬ雰囲気を醸し出している。室内にはRUF独自のインテグレーテッドロールケージが組み込まれ、剛性と強度を強化されている。インテリアはオプションでスポーツシートやレザーパッケージを用意する他、ステアリングやインパネも専用品である。
     RGTの性能は0-100km/h加速が4.6秒、最高速度は307km/hと発表されている。ポルシェ GT3が世界随一のNAスポーツならば、RUF RGTはさらにその上をいく、究極のNAスポーツカーといえるだろう。
     2015年11月18日のアップデートで新規に実装。秋イベント:期間限定海域【突入!海上輸送作戦】のE3海域クリア報酬。通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段がない。
     ちなみにカード色は銀色だが、入手画面は水色と風雲同様レアリティ詐欺となっている。

     姉の香取に続く、2隻目の「練習巡洋艦」。重巡や軽巡とは別艦種として扱われるため艦種縛り海域等では注意が必要。その他の特徴や運用に関しては香取のページを参照。
     鹿島の実装と合わせて、練習巡洋艦の経験値取得量増加効果に以下の様な変更が行われた。「練習巡洋艦旗艦の演習、随伴艦としての演習参加、複数艦参加での経験値取得量が向上」(原文
     余談だが、18日のメンテ直後、呂500がこの鹿島のグラになるバグが発生した。ただし、メンテナンス延長の告知を知らずにログインしたり、メンテの終了告知よりも先にログインしたフライング組が遭遇したため、完全なバグとは言い切れない。その結果だが呂500を秘書艦にしていた提督にとっては早速ネタバレ祭りとなった。そして実装後1時間もせずにケッコンカッコカリされてしまった……間違いなく過去最速ケッコ
     練習艦としても陳腐化が目立ってきた、旧式の装甲巡洋艦「出雲」「磐手」を交替すべく、練習航海専用の艦としてマル3計画の追加分で姉の香取とともに計画された。香取型練習巡洋艦の2番艦である。
    香取とは計画時期も同じ、命名も同時、加えて建造スケジュールも2~3ヶ月の差でしかなく、香取とは姉妹というより双子に近い存在である。
     香取型練習巡洋艦の艦名は全て「か」から始まる神社から採られている。この艦の艦名は、Jリーグ・鹿島アントラーズの本拠地、茨城県鹿嶋市にある「鹿島神宮」が由来。香取の名の由来の香取神宮とは古来(少なくとも奈良時代以前)より、不可分と言って過言では無いくらい深い関係にある。中世(江戸時代初期)までこの付近は「香取海」(かとりのうみ)あるいは学術的に「古鬼怒湾」(こきぬわん)とも呼ばれる、内海が扇状に切り込む地形であった。大和朝廷が蝦夷地(現在の東北地方)平定軍を送り込む鎮守府最前線基地を置き、大願成就の為その”扇の要”付近の北側と南側の比較的高台それぞれに遷座したのが鹿島神宮と香取神宮である、とされている。以降、東国海上交易の要衝に建つ両社は「海夫」(かいふ)と呼ばれる民を、貢物⇔権益保護のwin-winで多数支配下に置いてゆく。このような経緯から、蒸汽船による利根川水系の河川交易が続いていた第二次大戦直前頃までは、両社とも武神としてだけでなく、航海の安全を守る海神・水神としても崇敬を受けてきた。両社は利根川を挟んで建っており12年に一度の御船祭では神輿を載せた船が利根川を渡り、香取神宮の神職の出迎えを受ける。鹿嶋市の隣にある神栖市の息栖(いきす)神社と合わせて「東国三社」といい、この3社を直線で結ぶと、鹿島社~香取社を斜辺(約12km)とする直角二等辺三角形になる。なお、3番艦の由来の香椎宮、4番艦の由来の橿原神宮は、とても遠い。ちなみに、現在の利根川河口を南端、那珂川河口付近を北端とする、太平洋に面した海岸線を鹿島灘(なだ)と呼ぶ。鹿嶋市はかつては「茨城県鹿島郡鹿島町」という町で、1995年9月に隣接する大野村と合併して市制を施行した際、旧鹿島町の名称を引き継いだ「鹿島市」とすることを計画していたが、佐賀県に「鹿島市」が存在しており、重複を避けるために「鹿嶋神宮」(『延喜式神名帳』における表記)にちなみ、異体字の「嶋」を用いて現在の「鹿嶋市」となった。和風テイストのゲームで要石(かなめいし)というものが登場することがあるが、じつは鹿島神宮社殿群から離れた、森(俗に「神宮の森」と呼称されており、森自体が茨城県の天然記念物に指定されている)の中の小さな祠にある(ちなみに香取神宮にも要石が存在し、一説には2つの要石は地下でつながっているという)。地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえているという。あるいは貫いている、あるいは打ち殺した・刺し殺したともいう。
     1940年8月、姉の香取と共に昭和15年度の練習艦隊が組まれ、生涯最初で最後の遠洋練習航海を行っている。つまり三女で妹の香椎(未実装)は遠洋航海未経験なのである。しかし、日本を取り巻く情勢は遠洋航海での表敬訪問を許す段階ではなくなっており、中国大陸沿岸まで進んだところで中止が決まる。これが、帝国海軍練習艦隊最後の遠洋航海となった。
    練習艦から第四艦隊旗艦へ。
     国際情勢の悪化による遠洋練習航海の中止により、が第六艦隊(潜水艦を統括する艦隊)旗艦に転用されたのに対して、鹿島は第四艦隊旗艦に転じた。第四艦隊(南洋部隊)とは、中部太平洋と南太平洋を管轄とする警備部隊で、主にトラック環礁を根拠地とした。警備部隊ということで、旗艦鹿島の指揮下に所属するのは、旧式の天龍型軽巡や神風型、睦月型駆逐艦、陸上基地航空隊、根拠地隊(陸上の守備隊)など、連合艦隊主力の第一艦隊や第二艦隊とは比べるべくもない、二線級の戦力であった。その管轄区域は、パラオ諸島、マリアナ諸島、トラック環礁、マーシャル諸島、ギルバート諸島、ウェーク島と、地図で見るととにかく広い。さらにラバウルからソロモン諸島まで担当させようとしたのだから、その負担は推して知るべし。これではさすがに担当の地域が広くなり過ぎたため、後に鳥海を旗艦とする第八艦隊(外南洋部隊)が南太平洋・ソロモン諸島担当として新編された。これに伴い、第四艦隊は内南洋部隊に区分されることとなった。第四艦隊の負担の大きさを象徴するエピソードとして、ミッドウェー作戦前に連合艦隊司令部の参謀が鹿島の第四艦隊司令部を訪れたときのやりとりがある。ミッドウェー島を攻略して補給担当はどうするのかと尋ねた第四艦隊参謀に、連合艦隊参謀は「第四艦隊にやって頂く。」と言い放ったのだ。ただでさえ現状の担当地域だけでも補給維持に苦労しているのに冗談じゃない、せめて空母を増援してくれと反発する第四艦隊側に対して、怒った連合艦隊側はもうお前らには頼まんと捨て台詞を残して帰ってしまう。アテが外れた連合艦隊司令部が頼ろうとしたのは、トラック環礁、マーシャル諸島、ラバウルなどに展開する基地航空部隊の第十一航空艦隊。ちなみに十一航艦への補給を担当しているのは第四艦隊であった。当時の連合艦隊司令部が、太平洋の島々の補給維持をいかに軽く考えていたかがわかる。そしてMI作戦立案時のずさんさも。この補給維持に対する意識のずさんさが、後のガダルカナル島攻防戦でさらに酷い事態を招くことになる。もっとも、ガダルカナル島への飛行場建設を主導したのは第四艦隊司令部なのだが…。
     史実で旗艦を務めたのが由来の艦隊(海軍において「戦隊」より上位の存在)の名前をボイスで宣言するのは、連合艦隊旗艦大淀、第八艦隊旗艦鳥海に次いで鹿島が三隻目。上記の史実を知らないと、「第4艦隊じゃなくて第1艦隊だぞ?」と戸惑う提督もいるかもしれない。連合艦隊旗艦はもとより、第四艦隊と似た目的で設立されたのがソロモンで大きな武勲を立てた鳥海の第八艦隊に比べると、任務も戦歴もかなり地味な警備部隊ではあるが、鹿島にとっては名誉の称号なのだろう。
     鹿島改の時報で登場する第六戦隊は、正式な編制上は第一艦隊所属であるが、軍隊区分により、南洋部隊(第四艦隊)の指揮下に組み込まれた。第六戦隊は南洋部隊としてグアム島の攻略に参加した後、第一次作戦が失敗したウェーク島攻略の増援に派遣。その後も井上第四艦隊長官の指揮下でMO作戦の攻略部隊に組み込まれて、珊瑚海海戦に参加している。ミッドウェー海戦後、前述の通り南洋部隊が内南洋部隊(第四艦隊)と外南洋部隊(第八艦隊)に分離したことにより、第六戦隊は外南洋部隊の配置に転じ、第一次ソロモン海戦に参戦した。ちなみに、1943年12月から約半年間鹿島の艦長だった山澄忠三郎大佐の次の職が、青葉艦長だったという縁もある。
    鹿島と井上成美提督
     鹿島は比叡と縁のある、最後の海軍大将・井上成美提督が第四艦隊司令長官として将旗を掲げた艦である。かつて軍令部の横暴に盾突いてクビになりかけた井上は、今度は航空本部長として軍令部の軍備計画を「明治の頭」とこきおろし、海軍の空軍化を目指す「新軍備計画論」を提案。さらに海軍の航空兵力整備の遅れから「アメリカと戦争をしてはならない」と強く主張し、その結果、第四艦隊司令長官に「栄転」する形で、海軍省から厄介払いされることとなった。第四艦隊長官として鹿島に着任した井上だったが、開戦直後に臨んだウェーク島攻略は如月轟沈など散々な結果で、いきなり攻略失敗の黒星を付けてしまう。真珠湾から帰還の途上だった南雲機動部隊から二航戦の応援を得て、どうにか攻略を成功させたものの、開戦前までの歯に衣着せぬ言動への反動もあり、井上の評判に大きく傷がつく。さらに、旗艦鹿島をラバウルに進めて指揮を執った珊瑚海海戦でも祥鳳沈没にはじまり五航戦の米空母追撃を打ち切り、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)の延期を決定。これが連合艦隊司令部をはじめ、連戦連勝に慢心していた海軍部内での一大バッシングにつながる。後に、鹿島の第四艦隊司令部から大和の連合艦隊司令部に人事異動した参謀が、第四艦隊司令部から提出された報告書類を閲覧したところ、そこには「バカヤロー」などと罵詈雑言の朱書きがされていたという。戦術的勝利、戦略的敗北に終わった珊瑚海海戦には、史上初の空母機動部隊同士の戦いとして、直ちに取り入れるべき貴重な戦訓が多々あったが、井上を侮り海戦の内容を分析しないままミッドウェー海戦に臨んだ連合艦隊は、四空母喪失というあまりにも大きな代償を以ってその慢心のツケを払うことになった。そしてこの第四艦隊時代に井上が残してしまった大きな置き土産が、あのガダルカナル島のルンガ飛行場である。海軍部内で叩かれ続けた井上は、ついに第四艦隊長官から海軍兵学校校長に人事異動。しかし、左遷されたかに見えた井上は、ここから海軍士官育成の責任者として辣腕を振るうことになるのであった。練習艦で指揮を執った提督が、奇しくも教育者としての適性を発揮するのである。井上の長官退任の直後、第四艦隊参謀長も矢野志加三少将から鍋島俊策少将に交代している。鍋島少将は、奇しくも鹿島竣工時の初代艦長であった。一方、矢野少将は海軍兵学校も管轄する海軍省教育局長に就任。元上官である井上校長の活動を支援した。鹿島の司令部で司令長官と参謀長だった二人の提督は、教育期間を切り詰めよという圧力から兵学校の生徒教育を守ろうとするのであった。敗戦後、英語塾を開いて細々と生計を立てていた井上の困窮ぶりをみかねたかつての第四艦隊司令部の参謀長、先任参謀、機関参謀が訪ねてきて、金銭援助を申し出たが井上は頑なに拒み続けた。それでも第四艦隊司令部幕僚や兵学校校長時代の生徒たちは、井上の喜寿を祝う会を開く。強硬な言動で時には国賊と罵られ、自らが認める「戦下手」ながら部下や生徒からの人望が厚い提督であった。れが鹿島の「色々言う人はいますが~」という一言につながるのだろう。
     海軍兵学校を成績順位179名中2番で卒業した井上は、恩賜の双眼鏡を拝受している。つまり鹿島がイラストで持っている双眼鏡は…?
    船団護衛と復員輸送
     1943年11月、鹿島は第四艦隊旗艦の任を解かれ、日本へと帰国する。
     その後約1年、日本本土で練習艦として扱われた。遠洋航海ができず本来の建造目的とは少し違うが、それに近い用途といえる。
     戦争末期になると、それまで軽んじられていた海上輸送路保護を少しでもテコ入れすべく、前年末から対潜装備の強化を行った鹿島は、1945年2月に海上護衛総隊に編入、ここでも第一護衛艦隊・第102戦隊の旗艦任務に就いた。1944年の改装により、魚雷発射管を撤去する代わりに、高角砲、機銃、爆雷の増備が行われ、電探も搭載している。鹿島改のボイスでは、海上護衛総隊旗艦と名乗るものもあるが、海上護衛総司令部は設立時から陸上にあり、司令長官が旗艦に座乗することはなかった。
     日本本土と中国大陸との航路を護衛する任務に就いた鹿島は、無事に終戦を迎えた。しかし鹿島より先に海上護衛総隊に編入されていた妹の香椎は、より過酷な戦況である東南アジアと日本との航路を護衛する任務で、空襲により撃沈された。また、さらに先だって長女の香取も米機動部隊のトラック泊地攻撃で無残な最期を遂げており、三姉妹で終戦まで生き残ったのは鹿島のみであった。余談だが、鹿島が旗艦時代の殆どを過ごしたトラック泊地を空襲が襲ったのは、鹿島が艦隊を抜け内地へ帰投した、僅か4ヵ月後の出来事であった。運命とは分からないものである。
     呉にて終戦を迎えた後、損傷もなく健在であったため、同じく呉で終戦を迎えた鳳翔葛城らと共に特別輸送艦として復員輸送を行った。その後、1946年11月12日から翌1947年6月15日にかけて川南工業香焼島造船所(長崎市)にて解体された。尚、書類上は解体が始まった後の11月26日まで特別輸送艦であった。最後の鹿島艦長として復員輸送を行った横田稔大佐は、伊26(未実装・伊19の姉妹艦)潜水艦長として、アメリカ本土砲撃・空母サラトガ撃破・軽巡ジュノー撃沈の戦歴を持つ人物である。尚、鹿島に搭載されていた内火艇の一隻は1952年に海上警備隊(海上自衛隊の前身)に移管され「雑船内火艇公称鹿島1号」として1956年まで使用されていた。「実際に復員輸送に就いた艦」としては、雪風鳳翔酒匂葛城に続いて鹿島が6隻目の実装になる。そのため、復員輸送艦だけで艦隊を組むことも可能になった。
    歴代「鹿島」
     練習巡洋艦の「鹿島」は日本の艦艇としては二代目にあたる。
     初代は「香取型準弩級戦艦」の2番艦として1906年に竣工。ここからも分かるように、先代においても「香取」は姉であった。初代姉妹はそろって英国製であるが、「香取」がヴィッカース製なのに対し「鹿島」はアームストロング製で、運用上共通化する点以外の設計は両者に丸投げしていたので、砲をはじめ細部はかなり異なっていた。竣工は日露戦争後の1906年となったが、建造当時は日露戦争で消耗した戦力を増強すべく大いに期待された。しかし・・・・同年に竣工したドレッドノートに端を発する「ドレッドノートショック」の煽りを受けあっという間に陳腐化。1923年に香取共々軍縮条約により解体されてしまった。ちなみに解体から遡ること2年前の1921年3月、皇太子(後の昭和天皇)ヨーロッパ巡遊に伴う遣欧艦隊に同行し、御召艦の香取と共にイギリスへの「里帰り」を果たしている。なおこの時代の鹿島の写真は、二代目鹿島の写真共々三代目かしまの上部構造物最後端に収められた実習員講堂に展示されている。
     三代目は海上自衛隊の練習艦「かしま(TV-3508)」であり、1995年に就役、現役である。生まれは日立造船舞鶴(旧舞鶴海軍工廠・現JMU)。長らく遠洋練習航海に従事してきた練習艦「かとり(TV-3501)」を代替するため、当初は1994年就役で計画されていた。しかし湾岸戦争が始まり、日本政府は多国籍軍に多額の支援金を捻出することを決定。その煽りで練習艦建造計画は1年延期されることになった。
    そのため1994年の遠洋練習航海は「ながつき」が祝砲用空砲を装備して旗艦を担当している。「かとり」の後継として実習の効率をより上げるため、船型や機関配置の変更・レーダーの多重化・搭載艇の改良・電源の強化など、実習現場からの意見も取り入れた様々な改良が施された。「女王陛下のキス」のエピソードが語り草になっている(詳しくはググるべし)2000年の「アメリカ独立記念日洋上式典」、そして戦後最大級の観艦式と呼ばれる、2005年の「トラファルガーの海戦200周年記念国際観艦式」などといった世界の観艦式に、日本代表として参加することも多い。2014年の遠洋練習航海では、かつての激戦地であったガタルカナル島ホニアラ港に、日本の艦艇として実に71年ぶりに入港した。そこで「かしま」は現地でボランティアにより収集された、ソロモン諸島戦没者の御遺骨137柱を艦内に迎え、彼らの故郷である日本本土へ無事送り届けるという任務を、海軍を継承した海上自衛隊として初めて実施した。なお三代目の「かしま」は二代目までと違い、上述の通り「かとり(1998年除籍)」の更新のために建造されたため、姉妹艦は居ない。「かしま(TV-3508)」は「かとり(TV-3501)」から艦番号が飛んでいるが、これは間に護衛艦を艦種変更した練習艦がいるため(TV-3502~TV-3507はいそなみ,しきなみ,てるづき,もがみ,やまぐも,まきぐも)。第一線を退いたばかりの艦を順次練習艦とすることにより、進歩していく兵装や管制システム等へ対応した教育や訓練が行えるという利点があるからで、かしまの後に続く練習艦も全て艦種変更組である。そのため、海上自衛隊で当初から純然たる練習艦として建造されたのは「かとり」と「かしま」しかいない。
    その他
     リボンは恐らく、国際信号旗のUとYと思われる。UYの2字信号の意味は「本船は演習中(練習中)である。避けられたし」である。海保の巡視船艇はよく掲揚しているので目にした提督方もおられると思うが、その代表例としてAKBダンスで有名になったPC217「いそなみ」が、上記のダンス中に掲揚しているのがわかる。こちらの方が目にした提督方は多いと思われる。

    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。