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ntr…をふと変な方向から考えてみた。
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ntr…をふと変な方向から考えてみた。

2018-10-31 13:14

    というわけで、下ネタのようなものです。

    …いや、哲学?いや性癖を真面目に考えるのって哲学…?エロは世界を救う…?

    しょっぱなから何を言っているのかわからないからとりあえず置いといて。

    ntr。ネトリとかネトラレとかどっちに読む場合もあるやなしやな略語ですが、ふと変なことを考えてしまったわけです。

    ネトリとネトラレって、境界線があるようでない…?

    まぁ、なんのこっちゃって話なので一つずつ解決していきます。

    本来、寝取り寝取られは要するに加害者だったり被害者だったりっていうわかりやすい境界線があるわけです。

    ではなぜ境界線がないなんてことを言っているのかというと…この場合の、被害者、加害者というのが読んでる本人ではない、ということで妙な矛盾が生まれることになるんです。

    つまり、読んでいる人がどっちに感情移入するかで被害者側か加害者側かが変わってしまう、ということ。

    例えば、Aが彼女をBに寝取られたとする。
    寝取られ、というジャンルとしてそういう本があったとして、それを見ている人がAではなくBに自分を重ねたとき…寝取られではなく、寝取りというジャンルとして認識できてしまうわけです。

    逆もまた同じ。AがBの彼女を寝取った話があったとして、見た人がBに感情移入してしまったら、寝取られたと思う、というわけです。

    …つまり、読み手が被害者加害者どちらにも成りえるために、境界線が非常に曖昧になるんですよね。

    この視点に関しては、いわゆる個性的なもので人によってだいぶ違うものです。
    例えば、ドラマを見て感情移入できる人がいます。けれど、感情移入できなくても、俯瞰で見て物語を楽しめる人もいます。この二つの違いは、見えているものに入れるか入れないか、という違いになるわけです。
    そしてそれが、曖昧な境界線をつくるわけです。

    では、ntrでどういう視点になるのか。
    感情移入できる人の場合、見た人を自分に重ね合わせることが出来る、ということです。
    つまり、AとBの姿が書かれていた時にAorBに感情移入して被害者や加害者になるということです。

    俯瞰で見る人の場合、AとBの姿を見て、流れを俯瞰します。つまり、AもBも自分とは他人であるために流れをそのまま把握するので境界線自体ははっきりしています。

    が、感情移入している場合、AとBの姿が描かれない、もしくは主張されない程度にしか書かれない場合に少し話が変わってきます。

    感情移入をする人の場合、Aが書かれないと必然的にBのほうへ感情移入しやすくなります。
    つまり、逆転現象が起きやすくなるわけです。逆に、Bが存在こそあるのですが姿を明確に書かれない場合、姿が書かれているAに感情移入して逆転が起きづらくなります。
    ではAもBも存在がぼやけて明確にされない場合…女の子メインになる場合ですね。
    感情移入先が無くなり、被害者でも加害者でも無くなるのではないか?という推測されます。

    逆に俯瞰する場合、そこにAが描かれていようがそこに感情移入はしません。
    むしろぼやけてた方が、俯瞰しやすいと考えるかもしれない。
    逆転現象こそ起きづらいのですが、そもそも被害者加害者の視点にもなりづらいためジャンル的にntrである必要性は薄いのではないか、と考えられます。

    要は、「このジャンルだからよい」ではなく「このジャンルでもよい」

    まとめると、感情移入する方が境界線があいまいになりやすい反面、ジャンルとしての被害者側、加害者側という立場には立ちやすい、ということになりますね。
    どちらがいい、という話ではないですのでお間違えなく。

    尤も、人物がの有無で見方が変わる人すべてが感情移入型かと言われると、そんなこともないですし、俯瞰している人が勘違いしない、なんてこともあり得ないんですけどね。





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