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学校行くとか行かないとか。
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学校行くとか行かないとか。

2021-04-22 13:47

    たまたま短い期間で似たような話題に触れたので思案してしまった話。

    まず最初に。人間関係やらで不登校になった人に対してどうこういう話ではないです。
    というかそういう人は不登校の時期があっても別にいいと思ってる。その経験が後にいろんな形でいきるもの。

    で、もう一つ。私は学校行った方がいいと思う立場で勝手な意見を言ってます。


    さて。学校行くとか行かないとか言う話。

    いわゆる、環境問題に対するデモとしていかない人だったり、youtuberで行かないと言った人だったりでちょこちょこ前から話題として上がるものなのだけど。

    これ、本質が全然違う議論になってることが多い気がしてしょうがないんですよね。

    例えば、とある漫画で海外の人が「本当に頭がいい人が学校行く必要なんてない」といったことを言っていた。
    これ単体でみれば、行かないでいい、という理由なのだと思う。
    同時に、ここに大きな問題がある。

    『本当に頭がいい人』、って誰が判断するんだ?と。

    本人がそう決めたとしよう。だから今行ってないんだろうと判断した場合…はたしてそれは本当か?とまわりは必ず訝しむ。

    簡単な話だ。周りの人が全員『本当に頭がいい人』『天才と呼ばれるような人』だけで構成されるなんてことはありえない。

    故に周りの人は『天才』を測る尺度なんてもってない。
    だから自分たちの経験に照らし合わせて忠告するのだ。そんな生き方できっこない、と。

    これだけなら『天才が理解されてないだけ』なわけだが…実際のところ、大半がそうではない。
    何故なら、天才じゃない人達が自分の経験に照らし合わせることができるから、だ。

    思春期…中学生くらいになると一部の人たちにはある種の全能感が起きる。
    成長に伴いある程度なんでもできるようになるからだ。
    そしてそれ故に、その時期自分が特別である、という感覚を得ることは少なくない。

    そう。つまりは。
    学校行く必要がないと判断した子供がいたとして。
    その子が自らを頭がいいからそれで生きていけると判断していたとしたならば。
    周りの人には「自分が過去に経験した思い出しただけでも恥ずかしい話」的なものに見えている可能性がある、ということだ。

    そして、多くの場合は実際にそうなのである。何故なら。
    『天才』と呼ばれる人が大勢いたのなら、『天才』ではなく、それは普通なのだ。

    そして多くの『天才』は『天才』として居続けることが出来ずに普通になる。
    それは『天才』が多いが故に普通になったのではなく。
    『天才』が『天才』じゃなかったから、なくなったから、普通になっただけだ。

    故に。この話の問題は何かと言われたら。
    『天才を測る尺度がない大衆』と『尺度を持たない故に天才と思ってしまう人』が同時に存在してしまうことなのだと思う。

    まだ、どちらかだけが間違っているのなら議論にもなるのだろうけどね。
    どっちも間違えてるなんてことが日常茶飯事で。
    同時に、答えが色々ある故にどちらも合っているなんてこともあるかもしれない。
    天才だって色々あるのだから。

    そのうえで私は、学校行っとけばいいのに、という意見だ。

    だって、最終的に自分で判断するのなら、自分で尺度を持たなきゃいけない。
    じゃぁ尺度ってなんだ?ってなったら、比較しかないんじゃないかなぁ?

    例えば、私はIQは変に高い。じゃぁ、頭いいのか?って言われたらそうでもない、と思う。
    だって大した学歴じゃないもの。
    運動は出来ると思ってたが、他にもっとできる人の話をきいて、そこで乗り越えようとは思わなかった。実際はそのうち超えてたから立ち止まる必要はなかったのだけどね。

    でもその辺も、比較する相手がいての経験だ。
    そしてそれが、尺度の一つで、自分の中の判断基準の一つだ。

    結局学校行ったほうがいい理由って、他人といること以外は特にないんじゃないか、なんて思ってしまうのだが…これ自体切り取ると変なイメージにしかならんから補足しとこう。

    集団に溶け込まなくて、学校でボッチだったとしてもそれはそれで意味があるし、人付き合い疲れまくって何のために、なんて思った人がいたとしてもそれ自体に意味があるからね。

    「やったことをやってないフリはできるけど、やってないことをやったフリはできない」

    知り合いの言葉だけど、実際経験したってだけでものすごい意味なんだと思う。
    だからこそ、その経験をすることを一般人としては勧めたいと思うわけです。

    まぁyoutuberで稼いだり経験自体も立派な経験だからそれ自体に文句は言わない。私が彼ら彼女らのことをよく知らないからこそそこはどうこう言うことじゃないし。

    比較対象が自分や自分のやっていることで、完結することで尺度を持っている人もいる。
    だから全部が全部比較対象がいるわけじゃない。

    ただ普通で生きていく人達が頭がいいと言われる人たちを理解できるとするなら。
    『天才』の尺度がない人たちに『天才』だという証拠、結果を出さなきゃいけない。
    その時は『天才だけど奇人』みたいな言い方に変わるだけかもしれないけど、私のように尺度がないからそう思ってるだけなのでは、みたいな誤解は無くなるのかもしれない。

    なんてことを、ぼーっと考えてしまった、というお話。

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