ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

視点が違う。けれど、着地点は同じ、に見える。
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

視点が違う。けれど、着地点は同じ、に見える。

2021-05-08 20:00

    我ながら、おかしな視点だとおもう。そんな話。

    漫画やアニメでよく「どういう展開がいいのか」みたいな希望や好みを書いているコメントをみかけることがある。

    それ自体はすごくよくわかる。私の好みは言いたいものだ。
    もちろんそれが、他人には興味ないだろうこともわかるのだが…もしかしたら同意が得られたり、違うという話が聞けたり…なんてことまで考えていなくても、どっかでそれを期待しているのだろうなぁ、と思ったりもする。

    で。
    「なんで主人公はチート能力もっているのか。」とか「なんで主人公が普通の人じゃだめなんだ」みたいなコメントを見かけたときに、私の中で何故か変な結論が浮かぶことがある。

    話にしづらい、とか盛り上がらないとか色々あるから作りづらいんじゃないか、っていうのが普通の反応なのだろうけども。

    私は何故かこう考える。

    普通の人も含めて多くの人が生きていて、たまたま波乱万丈な人にスポットが当たっているから主人公がそういう存在なんだろう、と。

    要するに、主人公を作るためにチート能力が与えられた、ではなく。
    主人公っぽい能力を持つ人を探し当ててスポットを当ててる。

    卵が先か、鶏が先か、って考え方に似ているように聞こえるかもしれないが、似てるようで大きく異なることがある。

    それは、主人公っぽい能力を持つ人にスポットを当てている、と考えて場合、他に候補となった人や候補にならなかった人がいる、ということだ。

    逆に主人公にするためにチート能力を追加した場合、極論その主人公一人で成り立つ。
    他の人が存在しなくていいのだ。

    さすがにそこまで極端になることはないから、どっちでも同じような世界観が出来る。
    …出来るはずなのだが。
    何故か私は、能力をもった人に主人公としてのスポットが当たっているだけ、という感じ方になってしまう。

    似たような世界観で成立するのだから、どちらになってもいいはずなのにね。

    考え方の癖なのだと思う。
    自分で一度見つけた、もしくは感じたものが当たり前のように次もそうだと感じる。
    悪く言えば、すぐに分かったようになってしまう感覚。
    よく言えば呑み込みのはやさ、になるのだろうか。

    そんな癖があると自分でもわかっていて、尚且つ自分の視点が人とは違う感じになっていることが分かっているからこそ、同じ世界観で話すことができる。

    根本の理解が違うとわかっているから、共通の世界観で話すわけだ。

    …なんて話をしていたら、思い出してしまうマンガの台詞がある。
    「自分が異端であるとわかっていれば常人のフリをすることができる」

    異端とはいえ、別に社会になにか及ぼすわけじゃないけれど。
    違うとわかっているから、合っているところで話して生活するわけだ。

    …同じ話をしているはずなのに、内容が、思い描いてるものが違う。
    軽くホラーみたいな話になってきたなぁ…

    書き始めたときは、こんな視点で見てます、程度の話だったはずなのにね。
    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。