【考察】”戦闘美少女の精神分析”を読んで
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【考察】”戦闘美少女の精神分析”を読んで

2013-02-03 01:04
    「おたく」と呼ばれる人たちはなぜ2次元の虚構に住まう女の子を愛するのか。
    特に80~90年代の漫画・アニメには戦う少女、特に美少女が主人公となる話が氾濫しているように見える。
    一般的に、映画や漫画は「現実の模倣」として位置づけられていた。
    しかしこの”戦う美少女達”というのはあまりにも非現実ではないか。
    著者、斎藤環氏は「おたくとは何か」からアウトサイダーアーティストのダーガーを例にとり、戦闘美少女が意味するものを論じている。

    日本の漫画、アニメというものは世界的にも有名であるが、それはまるで一般的ではない。
    というより西洋的ではない。大きい目、小さい口、デフォルメされた身体、それらはアメコミには見て取れない特徴である。
    さらに、2次元の非現実世界が性的対象になるというのは、奇特である。日本人か、極東アジアの中でしか見られない文化である。(それは江戸時代の春画からも分かる)

    おたくが彼女らを愛する時、彼らはそこに「女性性」というものを見ている。
    虚構世界にいる描かれた人物は、現実ではない。それは物質的に現実的でないのであって、幻想的現実を考慮した場合、その虚構世界すら本人(おたく)にとっては現実となりうる。
    それはただの妄想の世界で美少女達ときゃっきゃうふふするだけではない。そこに「性」を見ることによって現実的になりうる。

    前述したように、西洋でポルノといえば写真やビデオになる。被写体は生きた女性である。
    日本にもそういったものはいくらでもあるが、デフォルメされて描かれた女の子がその対象になるのはおそらく日本くらいであろう。しかもその市場は大規模である。(例:コミケ)
    眼前の紙の上に可愛い女の子が描かれているだけならば、それは虚構である。平面に描かれた記号である。しかしそこに「性」を盛り込むことで、その女の子はなぜか現実的になってくる。
    それは彼女たちが「現実を模倣した世界」に住んでいるからではなく、むしろ物質的現実では有り得ない虚構に住んでいて、尚且つ性的に魅力的だからである。
    (ある意味”おたく”にとって、性的描写を徹底排除するような人種というのは「病的」なのである)
    女性性は「ヒステリー」という言葉で表せられる。すなわち「意識的外傷」と「無意識的性的魅力」の乖離である。
    「外傷(例:レイプ)」が「魅力」を生み出す、というのだ。
    これは物質的現実世界の話で、これを2次元に当てはめようとすると、鏡合わせのような現象が起こる。
    すなわち「外傷の欠如」が彼女たちの「魅力」を生む。彼女たちはそのストーリー設定において外傷を一切持っていない。
    それは純潔とかではなく、無垢に近い。傷つかないのである。
    しかしそのどちらにおいても、リアリティと性(セクシュアリティ)が混在することで我々は魅力を生ずる。(虚構におけるリアリティとは、現実世界ではないもうひとつの世界におけるリアリティという意味である)
    虚構に、現実世界の外傷を含めると、妙な現実性が出てきてしまう。それは本当の現実では有り得ないことになり、つじつまが合わない。
    虚構的現実世界で戦う彼女たちだからこそ、可憐であり、エロティックなのであり、だからこそ魅力的なのである。



    とりあえずまとまってないけど最終章(第5章)の大まかなまとめ
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