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ゴールデンウィークが終わりましたね!
皆さん、どんなゴールデンウィークでしたか?
私は、今年1月に更新したブロマガでも書いたように「大分での音楽活動」をさせていただいておりました!
正直、今年の1月の時点では全くそんな気配もなく、とりあえず目標として掲げてみた「大分での音楽活動」。
それが有り難いことに、4ヶ月ほどで叶いました。
どんなに願っても、頑張っても叶わないときは叶わないのに、本当有り難いなという気持ちでいっぱいでした。
大分の新聞掲載、ラジオ出演、そしてショッピングモールでのライブ、、、
どれも念願叶ってでした。
そんな中、合間に実家でたまたま昔、お友達にいただいた手紙達を発見しました。
その中の一枚は、私が人生で最大の挫折をした時期に、友達からもらった手紙でした。
私は、一度進学校に入学しました。
その高校はとても厳しい高校で、朝まで頑張っても宿題が終わらず、休み時間にはみんな参考書を読んでいる。入学してすぐ大学の志望校を決めさせる。そんな高校でした。
もちろん、その高校の在り方を否定するつもりはありません。
ただ、そこに私は意義を感じなかった。
私が本当にやりたいのは、勉強なのか。この先に、私はどうなるのか。本当にこれでいいのか。
そう思えば思う程、うまくいかなくて、体を壊して入院しました。
勉強していい大学に行く。ちゃんとした夢があって、その過程として踏まなければ行けないのなら、それは十分に意味のあることだと思います。
だけど、私はその道を歩きたくなかった。
自分でちゃんと選択したかった。後で、「つまらない人生だった」と言いたくなかった。
その結果、私は1年棒に振って、翌年別の高校に入り直すことを決めました。
その時もらったのが、冒頭で書いた一枚の手紙。
もう、かなり記憶が褪せていたのですが、読み直して当時のことを思い出しました。
「苦しいのはみんな苦しいし、大変だ。みんな闘ってる。
だけど、さりーはそれに負けたんだよね。」
とその手紙には書いてありました。
それと同時期に、その進学校を辞めますと言うときに、校長室に通され、学年主任の先生が母に言いました。
「それは逃げです。ちょっと辛いことがあったとき、いちいち逃げるつもりですか?そんなことで今後社会に出て、どうするつもりですか?ここでそんな風に甘えさせたら、お宅の娘さんは、将来ロクな人間になりませんよ。」と。
うちの母がそれに対して、毅然と言いました。
今でも覚えている、最高にかっこいい母の姿でした。
共通して言えることは、あの時私は「負け」だとか、「挫折したくだらない人間」だと認定されていたということです。
大多数が選んだ行き先を選ばず、自分で道を開拓しながら何かを選択することのどこが「負け」で「挫折」なのでしょうか。
私はあの「挫折」があったからこそ、音楽に救われ、今自分が音楽を届ける仕事をさせていただいてます。そして、入り直した高校からちゃんと短大に進学もしました。
きっと、あの日の私のように何かを選んだ結果、ボロクソに言われたり、否定されたりして「自分はつまらない人間なんだ」と思っている方がいると思います。
だけど、「挫折」する勇気を持ったあなたは素晴らしい。
あなたは決してつまらなくなんかない。
今は、明日が見えなくて不安かもしれないけれど、いつか絶対に笑える日が来るからと、そう伝えたい。
と、ここまで書いてきましたが、あの時手紙をくれた友達も、学年主任の先生も全然恨んでません。むしろ、あの言葉たちがあったからこそ、今の私がいます。
言ってもらえてよかったと本当に、感謝の気持ちしかありません。
あの言葉が今の私を強くしてくれています。
ただただ、「ありがとう」です。
私もまだまだ夢の途中です。
自分の「挫折」した想いを、形に変えている最中です。
「挫折」も「スタート」も何かも始まった、ここ故郷「大分」で、こうして帰って来て、音楽を届けることが出来て、本当に幸せだなあと思います。
ベッドの上で、歌を口ずさむことしか生き甲斐のなかったあの日の自分は、いつも私の心の中にいます。その子と一緒に、いつもステージに立って歌っている。
そういう気持ちで、これからもたくさんの場所で歌っていきたいです。
気持ち新たに、頑張ります!
皆さん、どんなゴールデンウィークでしたか?
私は、今年1月に更新したブロマガでも書いたように「大分での音楽活動」をさせていただいておりました!
正直、今年の1月の時点では全くそんな気配もなく、とりあえず目標として掲げてみた「大分での音楽活動」。
それが有り難いことに、4ヶ月ほどで叶いました。
どんなに願っても、頑張っても叶わないときは叶わないのに、本当有り難いなという気持ちでいっぱいでした。
大分の新聞掲載、ラジオ出演、そしてショッピングモールでのライブ、、、
どれも念願叶ってでした。
そんな中、合間に実家でたまたま昔、お友達にいただいた手紙達を発見しました。
その中の一枚は、私が人生で最大の挫折をした時期に、友達からもらった手紙でした。
私は、一度進学校に入学しました。
その高校はとても厳しい高校で、朝まで頑張っても宿題が終わらず、休み時間にはみんな参考書を読んでいる。入学してすぐ大学の志望校を決めさせる。そんな高校でした。
もちろん、その高校の在り方を否定するつもりはありません。
ただ、そこに私は意義を感じなかった。
私が本当にやりたいのは、勉強なのか。この先に、私はどうなるのか。本当にこれでいいのか。
そう思えば思う程、うまくいかなくて、体を壊して入院しました。
勉強していい大学に行く。ちゃんとした夢があって、その過程として踏まなければ行けないのなら、それは十分に意味のあることだと思います。
だけど、私はその道を歩きたくなかった。
自分でちゃんと選択したかった。後で、「つまらない人生だった」と言いたくなかった。
その結果、私は1年棒に振って、翌年別の高校に入り直すことを決めました。
その時もらったのが、冒頭で書いた一枚の手紙。
もう、かなり記憶が褪せていたのですが、読み直して当時のことを思い出しました。
「苦しいのはみんな苦しいし、大変だ。みんな闘ってる。
だけど、さりーはそれに負けたんだよね。」
とその手紙には書いてありました。
それと同時期に、その進学校を辞めますと言うときに、校長室に通され、学年主任の先生が母に言いました。
「それは逃げです。ちょっと辛いことがあったとき、いちいち逃げるつもりですか?そんなことで今後社会に出て、どうするつもりですか?ここでそんな風に甘えさせたら、お宅の娘さんは、将来ロクな人間になりませんよ。」と。
うちの母がそれに対して、毅然と言いました。
「この学校にいさせることの方が、よっぽどロクな人間になりませんよ。大丈夫です。私が責任取りますから。どうぞ、ご心配なく。」
今でも覚えている、最高にかっこいい母の姿でした。
共通して言えることは、あの時私は「負け」だとか、「挫折したくだらない人間」だと認定されていたということです。
大多数が選んだ行き先を選ばず、自分で道を開拓しながら何かを選択することのどこが「負け」で「挫折」なのでしょうか。
私はあの「挫折」があったからこそ、音楽に救われ、今自分が音楽を届ける仕事をさせていただいてます。そして、入り直した高校からちゃんと短大に進学もしました。
きっと、あの日の私のように何かを選んだ結果、ボロクソに言われたり、否定されたりして「自分はつまらない人間なんだ」と思っている方がいると思います。
だけど、「挫折」する勇気を持ったあなたは素晴らしい。
あなたは決してつまらなくなんかない。
今は、明日が見えなくて不安かもしれないけれど、いつか絶対に笑える日が来るからと、そう伝えたい。
と、ここまで書いてきましたが、あの時手紙をくれた友達も、学年主任の先生も全然恨んでません。むしろ、あの言葉たちがあったからこそ、今の私がいます。
言ってもらえてよかったと本当に、感謝の気持ちしかありません。
あの言葉が今の私を強くしてくれています。
ただただ、「ありがとう」です。
私もまだまだ夢の途中です。
自分の「挫折」した想いを、形に変えている最中です。
「挫折」も「スタート」も何かも始まった、ここ故郷「大分」で、こうして帰って来て、音楽を届けることが出来て、本当に幸せだなあと思います。
ベッドの上で、歌を口ずさむことしか生き甲斐のなかったあの日の自分は、いつも私の心の中にいます。その子と一緒に、いつもステージに立って歌っている。
そういう気持ちで、これからもたくさんの場所で歌っていきたいです。
気持ち新たに、頑張ります!
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