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<マル激・前半>見逃されてきた「新しいリベラル」の受け皿になるのはどの政党か/橋本努氏(北海道大学大学院経済学研究科教授)
今日、日本でも世界でも、リベラル勢力は退行し、保守勢力や国家主義的な勢力が政治の主導権を握っていると考えられている。実際、アメリカではアメリカファーストのトランプ政権がリベラル政策をことごとく塗り替えているし、日本でも自民党内では比較的リベラルとされた石破政権が短命に終わり、それに代わって保守派の高市政権が発足したばかりだ。 ところが、北海道大学の橋本努教授らのグループが大規模な社会意識調査を行ったところ、日本には既存のリベラル勢力とも、また保守勢力とも一線を画する、「新しいリベラル」層というものが生まれており、今やそれが最大勢力になっていることがわかったという。 橋本氏らの研究グループは2022年7月、約7,000人を対象とするウェブ調査を行った。調査の結果、これまで見落とされてきた「新しいリベラル」の存在が浮かび上がった。数としては多数派ではないものの、全体の約2割を占める最大勢力「新しいリベラル」の存在が確認されたという。 そもそも日本のリベラルというものは、「政治的には自由を重視し、経済では福祉国家を支持する人々」とされてきた。それに対し、「新しいリベラル」とは政府による投資を重視する人々だと橋本氏は言う。その結果、従来型リベラルが弱者支援を重視するのに対し、新しいリベラルは成長支援を重視するほか、従来型リベラルが高齢世代への支援を重視するのに対し、新しいリベラルは子育て世代や次世代への支援を重視するなどの違いがある。そしてもう一つ新しいリベラルが従来型リベラルと大きく性格を異にする点は、憲法9条、日米安保、自衛隊などリベラルであることの前提条件といっても過言ではない「戦後民主主義的な論点」にこだわりがないことだという。 政府の予算を大別すると年金などの「消費」と、教育などの「投資」に分けることができる。この2者の比率を投資側にシフトさせていくべきだと考えるのが新しいリベラルの発想で、それは例えば失業者に現金給付などの支援を主張する伝統的なリベラルの立場とは異なり、再び働けるようにする職業訓練やリスキリングなどへの「投資」を優先する。 7,000人を対象に行った大規模な意識調査では、例えば大学奨学金の望ましいあり方について、「経済状況に関係なく学ぶ意欲のある全ての生徒を対象とすべき」、「貧困層や障がいのある生徒など社会的に不利な立場にある人を中心にすべき」、「大学は原則として自己負担で進学すべき」といった選択肢を提示し、潜在クラス分析という統計方法で似た回答パターンをした人をグループ分けした。その結果、「従来型リベラル」、「新しいリベラル」、「成長型中道」、「福祉型保守」、「市場型保守」、「政治的無関心」という6つのグループに分かれたという。このうち「新しいリベラル」は、従来の社会調査では十分に把握されてこなかった層であり、今回の調査ではもっとも多数を占めるグループだったという。 高市政権は「責任ある積極財政」を打ち出し、AIや半導体、造船など17の戦略分野に重点投資する方針を示している。高市政権の「投資を通じた成長」という政策は、新しいリベラルが重視する投資国家の思想と重なる部分もあるが、高市政権が経済への投資を中心に据えているのに対し、新しいリベラルは社会的投資を重視するのが特徴だと橋本氏は指摘する。 「新しいリベラル」の考え方を初めて体系的に示したのはイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズだった。ギデンズが1998年に出版した『第3の道』は、労働党ブレア政権の理論的基盤となり、公共事業と手厚い福祉(第1の道)、小さな政府を志向する新自由主義(第2の道)の両極端ではなく、社会的公正と市場の効率性の両立をめざす現代的な社会民主主義を標榜したため、当時ブレア政権は「ニューレイバー」などと呼ばれた。 日本でも2009年に民主党政権が発足した際に、新しいリベラルの志向に近似した様々な政策が掲げられたが、民主党内に混在する古いリベラルと新しいリベラルの対立によって、両者の折衷案のような政策になってしまった。さらに民主党は戦後民主主義的な論点にも深々とコミットしたため、経験不足と東日本大震災も相まって民主党政権はあまり芳しい成果をあげられないまま3年で終焉してしまった。 その後、日本では世代交代も進み、国民の側は新しいリベラル意識を持った有権者層が確実に増えていったが、紆余曲折を経ながらも立憲民主党内のオールドリベラルとニューリベラルの対立は続いた。 現在、新しいリベラルの投票先は立憲民主党の右や国民民主と自民党の左と維新に分散されてしまっている。それはつまり、最大勢力の新しいリベラル層の受け皿をどの政党も提供できていないことを意味している。 隠れた主流派の新しいリベラルとはどのような人たちなのか。それは伝統的なリベラルと何が共通し何が異なるのか。新しいリベラルが最大勢力であるにもかかわらず、その立場を代表する政治勢力ができないのはなぜか。どうすればそれを作ることができるのかなどについて、北海道大学大学院経済学研究科教授の橋本努氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(今回橋本氏はリモート出演になります)後半はこちら→so45627872(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/11/17(月) 12:00
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<マル激・後半>見逃されてきた「新しいリベラル」の受け皿になるのはどの政党か/橋本努氏(北海道大学大学院経済学研究科教授)
今日、日本でも世界でも、リベラル勢力は退行し、保守勢力や国家主義的な勢力が政治の主導権を握っていると考えられている。実際、アメリカではアメリカファーストのトランプ政権がリベラル政策をことごとく塗り替えているし、日本でも自民党内では比較的リベラルとされた石破政権が短命に終わり、それに代わって保守派の高市政権が発足したばかりだ。 ところが、北海道大学の橋本努教授らのグループが大規模な社会意識調査を行ったところ、日本には既存のリベラル勢力とも、また保守勢力とも一線を画する、「新しいリベラル」層というものが生まれており、今やそれが最大勢力になっていることがわかったという。 橋本氏らの研究グループは2022年7月、約7,000人を対象とするウェブ調査を行った。調査の結果、これまで見落とされてきた「新しいリベラル」の存在が浮かび上がった。数としては多数派ではないものの、全体の約2割を占める最大勢力「新しいリベラル」の存在が確認されたという。 そもそも日本のリベラルというものは、「政治的には自由を重視し、経済では福祉国家を支持する人々」とされてきた。それに対し、「新しいリベラル」とは政府による投資を重視する人々だと橋本氏は言う。その結果、従来型リベラルが弱者支援を重視するのに対し、新しいリベラルは成長支援を重視するほか、従来型リベラルが高齢世代への支援を重視するのに対し、新しいリベラルは子育て世代や次世代への支援を重視するなどの違いがある。そしてもう一つ新しいリベラルが従来型リベラルと大きく性格を異にする点は、憲法9条、日米安保、自衛隊などリベラルであることの前提条件といっても過言ではない「戦後民主主義的な論点」にこだわりがないことだという。 政府の予算を大別すると年金などの「消費」と、教育などの「投資」に分けることができる。この2者の比率を投資側にシフトさせていくべきだと考えるのが新しいリベラルの発想で、それは例えば失業者に現金給付などの支援を主張する伝統的なリベラルの立場とは異なり、再び働けるようにする職業訓練やリスキリングなどへの「投資」を優先する。 7,000人を対象に行った大規模な意識調査では、例えば大学奨学金の望ましいあり方について、「経済状況に関係なく学ぶ意欲のある全ての生徒を対象とすべき」、「貧困層や障がいのある生徒など社会的に不利な立場にある人を中心にすべき」、「大学は原則として自己負担で進学すべき」といった選択肢を提示し、潜在クラス分析という統計方法で似た回答パターンをした人をグループ分けした。その結果、「従来型リベラル」、「新しいリベラル」、「成長型中道」、「福祉型保守」、「市場型保守」、「政治的無関心」という6つのグループに分かれたという。このうち「新しいリベラル」は、従来の社会調査では十分に把握されてこなかった層であり、今回の調査ではもっとも多数を占めるグループだったという。 高市政権は「責任ある積極財政」を打ち出し、AIや半導体、造船など17の戦略分野に重点投資する方針を示している。高市政権の「投資を通じた成長」という政策は、新しいリベラルが重視する投資国家の思想と重なる部分もあるが、高市政権が経済への投資を中心に据えているのに対し、新しいリベラルは社会的投資を重視するのが特徴だと橋本氏は指摘する。 「新しいリベラル」の考え方を初めて体系的に示したのはイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズだった。ギデンズが1998年に出版した『第3の道』は、労働党ブレア政権の理論的基盤となり、公共事業と手厚い福祉(第1の道)、小さな政府を志向する新自由主義(第2の道)の両極端ではなく、社会的公正と市場の効率性の両立をめざす現代的な社会民主主義を標榜したため、当時ブレア政権は「ニューレイバー」などと呼ばれた。 日本でも2009年に民主党政権が発足した際に、新しいリベラルの志向に近似した様々な政策が掲げられたが、民主党内に混在する古いリベラルと新しいリベラルの対立によって、両者の折衷案のような政策になってしまった。さらに民主党は戦後民主主義的な論点にも深々とコミットしたため、経験不足と東日本大震災も相まって民主党政権はあまり芳しい成果をあげられないまま3年で終焉してしまった。 その後、日本では世代交代も進み、国民の側は新しいリベラル意識を持った有権者層が確実に増えていったが、紆余曲折を経ながらも立憲民主党内のオールドリベラルとニューリベラルの対立は続いた。 現在、新しいリベラルの投票先は立憲民主党の右や国民民主と自民党の左と維新に分散されてしまっている。それはつまり、最大勢力の新しいリベラル層の受け皿をどの政党も提供できていないことを意味している。 隠れた主流派の新しいリベラルとはどのような人たちなのか。それは伝統的なリベラルと何が共通し何が異なるのか。新しいリベラルが最大勢力であるにもかかわらず、その立場を代表する政治勢力ができないのはなぜか。どうすればそれを作ることができるのかなどについて、北海道大学大学院経済学研究科教授の橋本努氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(今回橋本氏はリモート出演になります)前半はこちら→so45628557(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/11/17(月) 12:00
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<マル激・後半>外国人問題を政治争点化させないためには受け入れ態勢の整備が不可欠だ/小井土彰宏氏(亜細亜大学国際関係学部教授)
日本に住む外国人に対する政策が大きな政治的争点になっている。日本人ファーストを掲げた参政党が先の参院選で大躍進したのは記憶に新しいところだろう。その後、発足した保守色の強い高市政権は、あえて外国人政策の担当大臣を新設し、関係閣僚会議まで設置するなど、対外国人政策の厳格化を一つの目玉政策にしているようにも見える。 一方、日本の人口減少と労働力不足は誰の目にも明らかだ。日本中の経営者が深刻な人手不足を訴えている。そのため建前上は移民を受け入れていないことになっている日本だが、コロナが収束した2023年以降、年間30万人単位で日本国内の外国人の数は増え続けているのが実情だ。 ところが日本には法律上はあくまで移民はいないことになっているため、いわゆる移民政策というものは存在しない。移民政策には、そのような外国人をどれだけ受け入れるかだけでなく、受け入れた外国人の人権や社会保障、教育、社会生活をいかに保障し、日本人との摩擦が起きないようにするかなども含まれる。日本にはそれがまったくといっていいほど整備されていない。 経済的な要請から外国人人口は激増しているにもかかわらず、受け入れ策が未整備では、外国人との摩擦が高まるのは無理もない。そこに外国人の受け入れ規制や問題を起こした外国人に対する処罰の厳格化を訴えるなどの政策を掲げる政治勢力が、急増する外国人に対する不安や不満にうまく訴えかけることで、支持を拡げているのだ。 高市首相は11月4日、外国人政策を議論する関係閣僚会議で「一部の外国人による違法行為やルールからの逸脱に対し、国民の皆様が不安や不公平を感じる状況が生じていることもまた事実。排外主義とは一線を画しつつも、こうした行為には政府として毅然と対応をする」と、必ず「排外主義」とは一線を画するとの枕詞を付けているものの、外国人問題に対しては厳しく対処する姿勢を明確に打ち出している。しかし、そもそも外国人問題なるものが存在するのか。 実際、今あえて外国人に対する取り締まりや処罰を厳格化しなければならない立法事実があるわけではないようだ。外国人問題を担当する小野田紀美大臣も記者会見で外国人の問題行為の具体例を問われた際、一番最初に挙げたのが、運転免許証の外免切替問題だった。つまり外国で運転免許証を取得した人が、簡単に日本の免許証に書き換えられてしまうという問題だ。外免切替に問題があるのなら、必要な対応をとればいいと思うが、あえて担当大臣を置き関係閣僚会議まで設置して対応するほどの問題だろうか。そもそも外免切替で日本の免許を取得した外国人の違反率や事故率が特に高いというデータも今のところないようだ。 事ほど左様に外国人問題は実態がないまま、感情論で大きくなっているきらいがあるように見える。国際社会学が専門で移民政策に詳しい亜細亜大学の小井土彰宏教授は、近年の政府の動きをプロバガンダ戦のようなものだと指摘する。遡ると、2018年の入管法改正で新たな在留資格「特定技能」が創設され、2019年に施行されたが、そこで新型コロナが広がり人々の移動が制限されたことで、いったん議論が消えた。しかし2023年頃、コロナが落ち着いてくると、「特定技能」などの資格で日本に来る外国人が急増し、同時に政府のインバウンド奨励策に円安も手伝って、外国人観光客の数も急激に回復した。 そもそも特定技能制度は労働力不足を補うために政府が作ったものだし、観光立国を掲げてインバウンドを奨励したのも政府の方針だ。その結果として外国人の数が急増していった結果、「外国人の数を制限しろ」「不良外国人を取り締まれ」というような主張が、政治的に非常にポピュラーになっているのが現状だ。 しかし、そのような形でさしたる根拠もないまま感情論から外国人の排斥を訴えたり、外国人を自分たちの不安や不満のはけ口にすることは、百害あって一理なしだ。にもかかわらずそのような言説が幅を利かせてしまう背景にあるのは、やはり「移民はいないことになっているのだから日本に移民政策は不要」という、いつもの「~ということになっている」問題だ。これはある意味、自衛隊という巨大な軍事組織を持ちながら、日本には軍隊はないことになっているという言説にも通じる、日本人の悪い癖ではないか。 外国人問題を政治争点化し、選挙の具にされないようにするためには、いい加減日本も自分たちが国連の定義上世界第4の移民大国であることを認め、先進国水準の移民政策を確立する必要がある。そもそも現在の日本の移民政策にはサイドドアからの流入という誤魔化しがあり、まずはこれを正す必要がある。サイドドアというのは、実際は日本の労働力不足を補う移民として受け入れているにもかかわらず、特定技能のようなフロントドアとは別に、名目上は技能実習や留学などでビザを発給した外国人が実際には入国後それ以外の職業に就いていて、制度と実態が乖離してしまっているということだ。そうした外国人は法的身分も不安定で、制度上の滞在期間が終わっても、職はあるので非合法な移民として国内にとどまる人が自ずと出てくる。 では、日本はどのような外国人受け入れ制度を作るべきなのだろうか。小井土氏は、スペインで行われている「移民社会統合の全国フォーラム」が1つの参考になるのではないかと言う。これは政府や自治体だけでなく、様々なNPOや当事者団体が円卓式の対話によって政策形成と相互理解を図るものだ。人手不足が深刻化する中、移民の受け入れは不可避だが、社会的摩擦や差別意識を減らすためには、特に社会保障、教育などの面で包括的な政策が不可欠だ。 なぜ今、外国人問題が政治の場で争点化されているのか、実際に増えている外国人に日本はどう対応すべきか。日本に適した現実的な移民政策とはどのようなものかなどについて、亜細亜大学国際関係学部教授の小井土彰宏氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45603476(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/11/10(月) 12:00
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<マル激・前半>外国人問題を政治争点化させないためには受け入れ態勢の整備が不可欠だ/小井土彰宏氏(亜細亜大学国際関係学部教授)
日本に住む外国人に対する政策が大きな政治的争点になっている。日本人ファーストを掲げた参政党が先の参院選で大躍進したのは記憶に新しいところだろう。その後、発足した保守色の強い高市政権は、あえて外国人政策の担当大臣を新設し、関係閣僚会議まで設置するなど、対外国人政策の厳格化を一つの目玉政策にしているようにも見える。 一方、日本の人口減少と労働力不足は誰の目にも明らかだ。日本中の経営者が深刻な人手不足を訴えている。そのため建前上は移民を受け入れていないことになっている日本だが、コロナが収束した2023年以降、年間30万人単位で日本国内の外国人の数は増え続けているのが実情だ。 ところが日本には法律上はあくまで移民はいないことになっているため、いわゆる移民政策というものは存在しない。移民政策には、そのような外国人をどれだけ受け入れるかだけでなく、受け入れた外国人の人権や社会保障、教育、社会生活をいかに保障し、日本人との摩擦が起きないようにするかなども含まれる。日本にはそれがまったくといっていいほど整備されていない。 経済的な要請から外国人人口は激増しているにもかかわらず、受け入れ策が未整備では、外国人との摩擦が高まるのは無理もない。そこに外国人の受け入れ規制や問題を起こした外国人に対する処罰の厳格化を訴えるなどの政策を掲げる政治勢力が、急増する外国人に対する不安や不満にうまく訴えかけることで、支持を拡げているのだ。 高市首相は11月4日、外国人政策を議論する関係閣僚会議で「一部の外国人による違法行為やルールからの逸脱に対し、国民の皆様が不安や不公平を感じる状況が生じていることもまた事実。排外主義とは一線を画しつつも、こうした行為には政府として毅然と対応をする」と、必ず「排外主義」とは一線を画するとの枕詞を付けているものの、外国人問題に対しては厳しく対処する姿勢を明確に打ち出している。しかし、そもそも外国人問題なるものが存在するのか。 実際、今あえて外国人に対する取り締まりや処罰を厳格化しなければならない立法事実があるわけではないようだ。外国人問題を担当する小野田紀美大臣も記者会見で外国人の問題行為の具体例を問われた際、一番最初に挙げたのが、運転免許証の外免切替問題だった。つまり外国で運転免許証を取得した人が、簡単に日本の免許証に書き換えられてしまうという問題だ。外免切替に問題があるのなら、必要な対応をとればいいと思うが、あえて担当大臣を置き関係閣僚会議まで設置して対応するほどの問題だろうか。そもそも外免切替で日本の免許を取得した外国人の違反率や事故率が特に高いというデータも今のところないようだ。 事ほど左様に外国人問題は実態がないまま、感情論で大きくなっているきらいがあるように見える。国際社会学が専門で移民政策に詳しい亜細亜大学の小井土彰宏教授は、近年の政府の動きをプロバガンダ戦のようなものだと指摘する。遡ると、2018年の入管法改正で新たな在留資格「特定技能」が創設され、2019年に施行されたが、そこで新型コロナが広がり人々の移動が制限されたことで、いったん議論が消えた。しかし2023年頃、コロナが落ち着いてくると、「特定技能」などの資格で日本に来る外国人が急増し、同時に政府のインバウンド奨励策に円安も手伝って、外国人観光客の数も急激に回復した。 そもそも特定技能制度は労働力不足を補うために政府が作ったものだし、観光立国を掲げてインバウンドを奨励したのも政府の方針だ。その結果として外国人の数が急増していった結果、「外国人の数を制限しろ」「不良外国人を取り締まれ」というような主張が、政治的に非常にポピュラーになっているのが現状だ。 しかし、そのような形でさしたる根拠もないまま感情論から外国人の排斥を訴えたり、外国人を自分たちの不安や不満のはけ口にすることは、百害あって一理なしだ。にもかかわらずそのような言説が幅を利かせてしまう背景にあるのは、やはり「移民はいないことになっているのだから日本に移民政策は不要」という、いつもの「~ということになっている」問題だ。これはある意味、という巨大な軍事組織を持ちながら、日本には軍隊はないことになっているという言説にも通じる、日本人の悪い癖ではないか。 外国人問題を政治争点化し、選挙の具にされないようにするためには、いい加減日本も自分たちが国連の定義上世界第4の移民大国であることを認め、先進国水準の移民政策を確立する必要がある。そもそも現在の日本の移民政策にはサイドドアからの流入という誤魔化しがあり、まずはこれを正す必要がある。サイドドアというのは、実際は日本の労働力不足を補う移民として受け入れているにもかかわらず、特定技能のようなフロントドアとは別に、名目上は技能実習や留学などでビザを発給した外国人が実際には入国後それ以外の職業に就いていて、制度と実態が乖離してしまっているということだ。そうした外国人は法的身分も不安定で、制度上の滞在期間が終わっても、職はあるので非合法な移民として国内にとどまる人が自ずと出てくる。 では、日本はどのような外国人受け入れ制度を作るべきなのだろうか。小井土氏は、スペインで行われている「移民社会統合の全国フォーラム」が1つの参考になるのではないかと言う。これは政府や自治体だけでなく、様々なNPOや当事者団体が円卓式の対話によって政策形成と相互理解を図るものだ。人手不足が深刻化する中、移民の受け入れは不可避だが、社会的摩擦や差別意識を減らすためには、特に社会保障、教育などの面で包括的な政策が不可欠だ。 なぜ今、外国人問題が政治の場で争点化されているのか、実際に増えている外国人に日本はどう対応すべきか。日本に適した現実的な移民政策とはどのようなものかなどについて、亜細亜大学国際関係学部教授の小井土彰宏氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45603479(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/11/10(月) 12:00
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<マル激・後半>5金スペシャル・故レッドフォードが描いたアメリカという物語
月の5回目の金曜日に特別番組を無料でお送りする5金スペシャル。今回は、9月16日にこの世を去った映画界の巨星、ロバート・レッドフォード特集をお送りする。 今回取り上げたのはレッドフォード監督、出演の5作品。 ・『大統領の陰謀』(1976)出演 神保推薦 ・『大いなる陰謀』(2007)監督・出演 宮台推薦 ・『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)監督 神保・宮台推薦 ・『モンタナの風に抱かれて』(1998)監督・出演 宮台推薦 ・『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』(2013)出演 神保推薦 『大統領の陰謀』は、1972年のニクソン政権下で起きた民主党本部盗聴事件に端を発するウォーターゲート事件の真相を追求したワシントン・ポストの2人の記者を描いた実話の映画。ボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)とカール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)が数々の難問に直面しながらも地道な取材を続け、最後は大統領の関与まで暴く20世紀ジャーナリズムの金字塔を築いた。地道な取材、情報源の秘匿、NPOとの協力など、ジャーナリズムの基本に関わる論点が随所にちりばめられている。 『大いなる陰謀』はレッドフォードが監督と出演を兼ねた作品。アフガニスタンでの新たな軍事作戦をめぐり、上院議員、ベテラン記者、大学教授、そして学生がそれぞれの立場で葛藤する物語。大統領の座を狙うアーヴィング上院議員(トム・クルーズ)は、アフガニスタンでの新たな軍事作戦の情報をベテラン記者ロス(メリル・ストリープ)にリークする。その一方で、マレー教授(ロバート・レッドフォード)は、かつて教え子を戦地に送り出した罪悪感に苦しむ。 『リバー・ランズ・スルー・イット』は監督としてのレッドフォードの代表作の一つ。1910~1920年代のアメリカ合衆国モンタナ州の美しい自然を背景に描かれたある家族の物語。厳格な牧師の父に育てられた兄ノーマンと弟ポールは、幼い頃からフライ・フィッシングを通じて深い絆を結ぶ。しかし成長するにつれ、真面目な兄と自由を求める弟の人生は少しずつすれ違っていく。 『モンタナの風に抱かれて』は、事故で心身ともに深い傷を負った少女と、その母と、少女の愛馬を救おうとするカウボーイの物語。ニューヨークで暮らす少女グレース(スカーレット・ヨハンソン)は乗馬中の事故で片足を失い、愛馬は暴れ馬になってしまう。少女の母はグレースを連れて馬を癒す能力を持ったカウボーイのトム・ブッカー(ロバート・レッドフォード)を訪ね、グレースと母、そしてトム自身も大自然の中で心を回復していく物語。 『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』は出演がレッドフォードただ1人、台詞もほぼ皆無という珍しい作品。インド洋をヨットで航海していたある男(レッドフォード)が、海上を漂流していたコンテナに衝突してヨットに穴が開き浸水したのを手始めに、ありとあらゆる災難に見舞われながら、驚異的な抵抗力でそれを一つひとつ、黙々と乗り越えていく様が延々と描かれる。そして、無線は壊れ、水や食料も底を尽き、万策が尽きた時、思わぬところから救世主が現れる。まさに現代版ヨブ記と呼ぶべき作品だ。 今回の5金映画特集は、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が選んだロバート・レッドフォードの5つの名作について、両氏がそのテーマやそこにあるメッセージが何なのかなどについて議論した。前半はこちら→so45578834(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/11/03(月) 12:00
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<マル激・前半>5金スペシャル・故レッドフォードが描いたアメリカという物語
月の5回目の金曜日に特別番組を無料でお送りする5金スペシャル。今回は、9月16日にこの世を去った映画界の巨星、ロバート・レッドフォード特集をお送りする。 今回取り上げたのはレッドフォード監督、出演の5作品。 ・『大統領の陰謀』(1976)出演 神保推薦 ・『大いなる陰謀』(2007)監督・出演 宮台推薦 ・『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)監督 神保・宮台推薦 ・『モンタナの風に抱かれて』(1998)監督・出演 宮台推薦 ・『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』(2013)出演 神保推薦 『大統領の陰謀』は、1972年のニクソン政権下で起きた民主党本部盗聴事件に端を発するウォーターゲート事件の真相を追求したワシントン・ポストの2人の記者を描いた実話の映画。ボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)とカール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)が数々の難問に直面しながらも地道な取材を続け、最後は大統領の関与まで暴く20世紀ジャーナリズムの金字塔を築いた。地道な取材、情報源の秘匿、NPOとの協力など、ジャーナリズムの基本に関わる論点が随所にちりばめられている。 『大いなる陰謀』はレッドフォードが監督と出演を兼ねた作品。アフガニスタンでの新たな軍事作戦をめぐり、上院議員、ベテラン記者、大学教授、そして学生がそれぞれの立場で葛藤する物語。大統領の座を狙うアーヴィング上院議員(トム・クルーズ)は、アフガニスタンでの新たな軍事作戦の情報をベテラン記者ロス(メリル・ストリープ)にリークする。その一方で、マレー教授(ロバート・レッドフォード)は、かつて教え子を戦地に送り出した罪悪感に苦しむ。 『リバー・ランズ・スルー・イット』は監督としてのレッドフォードの代表作の一つ。1910~1920年代のアメリカ合衆国モンタナ州の美しい自然を背景に描かれたある家族の物語。厳格な牧師の父に育てられた兄ノーマンと弟ポールは、幼い頃からフライ・フィッシングを通じて深い絆を結ぶ。しかし成長するにつれ、真面目な兄と自由を求める弟の人生は少しずつすれ違っていく。 『モンタナの風に抱かれて』は、事故で心身ともに深い傷を負った少女と、その母と、少女の愛馬を救おうとするカウボーイの物語。ニューヨークで暮らす少女グレース(スカーレット・ヨハンソン)は乗馬中の事故で片足を失い、愛馬は暴れ馬になってしまう。少女の母はグレースを連れて馬を癒す能力を持ったカウボーイのトム・ブッカー(ロバート・レッドフォード)を訪ね、グレースと母、そしてトム自身も大自然の中で心を回復していく物語。 『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』は出演がレッドフォードただ1人、台詞もほぼ皆無という珍しい作品。インド洋をヨットで航海していたある男(レッドフォード)が、海上を漂流していたコンテナに衝突してヨットに穴が開き浸水したのを手始めに、ありとあらゆる災難に見舞われながら、驚異的な抵抗力でそれを一つひとつ、黙々と乗り越えていく様が延々と描かれる。そして、無線は壊れ、水や食料も底を尽き、万策が尽きた時、思わぬところから救世主が現れる。まさに現代版ヨブ記と呼ぶべき作品だ。 今回の5金映画特集は、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が選んだロバート・レッドフォードの5つの名作について、両氏がそのテーマやそこにあるメッセージが何なのかなどについて議論した。後半はこちら→so45579249(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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<マル激・後半>最高裁判決で違法とされた生活保護の引き下げは国の責任で一刻も早い正常化を/小久保哲郎氏(弁護士、いのちのとりで裁判全国アクション事務局長)
生活保護基準の引き下げが最高裁で違法と判断されたにもかかわらず、政府が判決内容を誠実に履行しないために、今も各地の裁判所で訴訟が続いている。 全国で提訴されていた生活保護基準引き下げを問う裁判で、最高裁は今年6月、基準引き下げにいたった厚生労働大臣の判断には裁量権の範囲の逸脱、または濫用があり、生活保護法に違反しているとして、生活保護基準引き下げ処分を取り消す判決を出した。 この裁判は、2013年に行われた生活保護基準の改定で、これまでにない平均6.5%、最大で10%の削減という大幅な削減が行われ、多くの受給者が窮乏したことを受けて、全国で1,000人を超える原告が引き下げは違法として国を訴えていた。そのうち名古屋と大阪の訴訟が最高裁に上告され、今年6月、最高裁は生活保護基準引き下げ処分を取り消す判決を下していた。 しかし、最高裁判決が出たにもかかわらず、違法状態は続いており、その後も同様の裁判が各地で続いている。名古屋地裁・金沢支部、名古屋高裁(三重訴訟)では原告側が勝訴しているほか、仙台高裁(青森訴訟)と東京高裁(金沢訴訟)でも今後判決が下される予定だ。 2013年の生活保護基準引き下げは、第2次安倍政権発足直後に行われた。しかし、この時の引き下げは、厚生労働省が政権に忖度して恣意的に引き下げたものだった。その前年から生活保護バッシングが起こり、当時野党だった自民党は政権公約の1つに生活保護の給付水準の10%削減を挙げていた。 これまで生活保護基準の変更は社会保障審議会生活保護基準部会の検証を踏まえて行われてきたが、このときは厚労省が独断で削減に踏み切った。生活に必要な食費、光熱費として支給される生活扶助費は、これまで消費水準をもとに決められており、物価を考慮したことはなかったが、このときは「デフレ調整」という名目で、リーマンショック前後の3年間の物価下落から算出された。しかも、計算には総務省が出している一般的な消費者物価指数ではなく、厚労省が独自に計算した指数を用いており、テレビやパソコンの下落率を過大に評価するなど低所得世帯の消費実態とは合わない計算方法を用いたため、総務省の消費者物価指数の2倍以上の下落率となっていた。 全国訴訟の事務局長で、日弁連で貧困問題対策に取り組む小久保哲郎弁護士は、当事者が声をあげられないことを見越して、もっとも弱い立場の人を標的にしていると憤る。引き下げを違法と断じられながら、官僚組織が原告側に謝罪もせずに司法を軽視した行動をとっていることは問題だと小久保氏は語る。 確かに、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ための最低保障ラインを決めるのは難しい。現在、厚労省は最高裁判決後の対応をどうするか専門委員会を開き検討をしているが、当初、訴訟に加わった原告たちへの対応はきわめて不誠実だったという。一方で、来年度以降の生活保護基準自体の検討も始まっており、一刻も早く事態を収拾して違法状態を解消する必要がある。 生活保護基準は、さまざまな社会保障制度と連動する。数字合わせのような恣意的な基準変更では制度の信頼自体も問われる。小久保氏は、当事者にスティグマを与えるような生活保護という用語ではなく、海外の制度などにあるように生活保障という考え方に変えるべきだと主張する。 生活困窮の当事者に寄り添い続けてきた小久保氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。前半はこちら→so45554049(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/27(月) 12:00
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<マル激・前半>最高裁判決で違法とされた生活保護の引き下げは国の責任で一刻も早い正常化を/小久保哲郎氏(弁護士、いのちのとりで裁判全国アクション事務局長)
生活保護基準の引き下げが最高裁で違法と判断されたにもかかわらず、政府が判決内容を誠実に履行しないために、今も各地の裁判所で訴訟が続いている。 全国で提訴されていた生活保護基準引き下げを問う裁判で、最高裁は今年6月、基準引き下げにいたった厚生労働大臣の判断には裁量権の範囲の逸脱、または濫用があり、生活保護法に違反しているとして、生活保護基準引き下げ処分を取り消す判決を出した。 この裁判は、2013年に行われた生活保護基準の改定で、これまでにない平均6.5%、最大で10%の削減という大幅な削減が行われ、多くの受給者が窮乏したことを受けて、全国で1,000人を超える原告が引き下げは違法として国を訴えていた。そのうち名古屋と大阪の訴訟が最高裁に上告され、今年6月、最高裁は生活保護基準引き下げ処分を取り消す判決を下していた。 しかし、最高裁判決が出たにもかかわらず、違法状態は続いており、その後も同様の裁判が各地で続いている。名古屋地裁・金沢支部、名古屋高裁(三重訴訟)では原告側が勝訴しているほか、仙台高裁(青森訴訟)と東京高裁(金沢訴訟)でも今後判決が下される予定だ。 2013年の生活保護基準引き下げは、第2次安倍政権発足直後に行われた。しかし、この時の引き下げは、厚生労働省が政権に忖度して恣意的に引き下げたものだった。その前年から生活保護バッシングが起こり、当時野党だった自民党は政権公約の1つに生活保護の給付水準の10%削減を挙げていた。 これまで生活保護基準の変更は社会保障審議会生活保護基準部会の検証を踏まえて行われてきたが、このときは厚労省が独断で削減に踏み切った。生活に必要な食費、光熱費として支給される生活扶助費は、これまで消費水準をもとに決められており、物価を考慮したことはなかったが、このときは「デフレ調整」という名目で、リーマンショック前後の3年間の物価下落から算出された。しかも、計算には総務省が出している一般的な消費者物価指数ではなく、厚労省が独自に計算した指数を用いており、テレビやパソコンの下落率を過大に評価するなど低所得世帯の消費実態とは合わない計算方法を用いたため、総務省の消費者物価指数の2倍以上の下落率となっていた。 全国訴訟の事務局長で、日弁連で貧困問題対策に取り組む小久保哲郎弁護士は、当事者が声をあげられないことを見越して、もっとも弱い立場の人を標的にしていると憤る。引き下げを違法と断じられながら、官僚組織が原告側に謝罪もせずに司法を軽視した行動をとっていることは問題だと小久保氏は語る。 確かに、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ための最低保障ラインを決めるのは難しい。現在、厚労省は最高裁判決後の対応をどうするか専門委員会を開き検討をしているが、当初、訴訟に加わった原告たちへの対応はきわめて不誠実だったという。一方で、来年度以降の生活保護基準自体の検討も始まっており、一刻も早く事態を収拾して違法状態を解消する必要がある。 生活保護基準は、さまざまな社会保障制度と連動する。数字合わせのような恣意的な基準変更では制度の信頼自体も問われる。小久保氏は、当事者にスティグマを与えるような生活保護という用語ではなく、海外の制度などにあるように生活保障という考え方に変えるべきだと主張する。 生活困窮の当事者に寄り添い続けてきた小久保氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。後半はこちら→so45554051(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/27(月) 12:00
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<セーブアース>日本人が愛するウナギは科学的データに基づいた保護を/海部健三氏(中央大学法学部教授)
ウナギ大国日本の主張は受け入れられるのだろうか。 絶滅の恐れがある野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約(CITES)の締約国会議が、11月にウズベキスタンで開かれる。今回、欧州連合(EU)などが、ニホンウナギを含むウナギ属全19種すべてを国際取引の規制対象に加えるよう提案しており、事務局は「採択を勧告する」との最終評価を公表した。世界最大のウナギ消費国である日本にとって、食文化の存続に直結する問題と言っていいだろう。 中央大学法学部の海部健三教授は、日本政府が反対の立場をとる理由や、その根拠となっている「資源量は十分であり、国際取引による絶滅の恐れはない」との主張について、科学的な妥当性に疑問を呈する。日本政府は、東京海洋大学の田中栄次教授の論文を引用し、1990年以降ウナギ資源が回復傾向にあると主張している。しかし海部氏は、「政府は論文の都合のよい部分だけを取り上げ、他の重要な分析を無視している」ため、説得力に欠けると厳しく指摘する。 実際この論文では、ウナギの資源量を18通りのモデルで試算しているが、日本政府はその中でも「環境が1950年代からまったく劣化していない」という非現実的な前提に基づいたモデルを元に主張を展開している。一方で、より環境の悪化を考慮した他のモデルでは資源が減少傾向を示し、統計的にもこちらの方が実際のデータに整合する結果となっている。海部氏は「現実的かつ信頼性の高いモデルを無視し、楽観的なデータだけを根拠に政策判断を下すことは、科学的とは言えない」と語る。 ウナギ資源の把握には、もともと大きな不確実性がある。世界でどれほどの量が消費されているのかすら正確には分かっておらず、FAO(国連食糧農業機関)の統計と東アジアの実態データとの間には、約2.4倍もの差が生じているという。密漁や違法取引が容易なことも、管理をいっそう難しくしている。「私たちはウナギがどれほど取られ、どれほど消費されているのか、実態をほとんど知らないに等しい」と海部氏は指摘する。 こうした科学的不確実性を抱えたまま、政府が「問題なし」と断言するのは危うい。海部氏は「反対する理由が経済的・文化的なものであるなら、それを正直に説明すればいい。しかし、その前提となる科学的根拠を恣意的に選ぶのはフェアではない」と訴える。 都合の良いデータだけを引用し、不都合な情報を排除することはウナギに限らず、日本社会全体が抱える構造的な問題とも言える。 最近では、ウナギの完全養殖に成功するなど、希望の光も見え始めている。しかし、持続的にウナギの恵みを享受していくためには、科学的データを正面から受け止め、国際的なルールづくりにも主体的に関与することが不可欠だ。「ウナギを守ることは、単に食文化を守ることではなく、科学に基づく公正な意思決定を社会全体で実践できるかどうかの試金石でもある」と海部氏は語る。 ウナギは増えているのか、減っているのか。ウナギという日本の伝統的食文化を護るために日本政府は何をすべきなのかなどについて、中央大学法学部教授でIUCN種の保存委員会ウナギ属魚類専門家グループ委員を務める海部氏と環境ジャーナリストの井田徹治、キャスターの新井麻希が議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/24(金) 12:00
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<マル激・後半>サナエノミクスは失われた30年から日本を救えるのか/門間一夫氏(みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)
サナエノミクスはアベノミクス2なのだろうか。 来週21日に予定される総理大臣指名選挙では、自民党の高市早苗総裁が選出される見込みが大きくなった。公明党の連立離脱で一時は首相就任が危ぶまれた高市氏だったが、日本維新の会が自民党との連立に乗り出してきたため、高市氏の首相選出がほぼ確実となった。 高市政権の経済政策はどのようなものになるのか。高市氏は自民党総裁選を通じて当面の物価高対策として、ガソリンや軽油の暫定税率廃止、自治体向けの交付金の拡充、給付付き税額控除の導入に向けた制度設計を進めることなどを挙げている。ガソリン減税などは野党の多くも同じような主張をしていることから、早晩実現する見込みだ。 しかし、緊急措置としての物価高対策が一巡したときに問題になるのが、高市政権の経済政策がこれまでの自民党のそれと同じようなものになるのか、あるいは日本経済が長期低迷から抜け出すための新機軸を打ち出すことができるのかどうかだ。 長年日本銀行に在籍し、現在はエコノミストとして積極的に発信を続ける門間一夫氏は、高市氏が掲げる物価高対策には目先で生活苦を抱える人の痛みを和らげる一定の効果はあると評価する一方で、中・長期的な政策についてはまだ未知数のところが多いと指摘する。高市氏の中長期の経済政策の中には、「危機管理投資」や「成長投資」、「新技術立国を目指す」などのメニューが並び、高市氏自身もAIや半導体、核融合といった分野への大胆な投資を強調しているが、実際の中身はまだ明確になっていないからだ。 そもそも「失われた30年」とは何だったのか。1995年頃に世界有数の経済大国にまで登りつめた日本は、その後の30年、経済成長がほぼ横ばいで実質賃金も上がらないまま低迷した。1995年以降日本の生産年齢人口が減少に転じている以上、日本は一人一人の生産性を上げない限り、成長率はさらに低くなっていくことが避けられないが、1人あたりのGDPもこの30年ほぼ横ばいのまま来てしまった。 門間氏は物価高により名目GDPや税収や株価は上がっているので、景気が回復したかのような言説が一部で流布されているが、日本経済の実際の状態は失われた30年の時よりもさらに悪くなっていると指摘した上で、すでに失われた40年が始まっていると考えるべきだし、このままでは50年、60年経っても日本経済の低迷は避けられないとの悲観的な見通しを示す。その上で、門間氏はそれを避けるために2つの重要なポイントをあげる。 それは格差の解消と、そもそもGDPを増やすことを目的とすべきかを再考することの2点だ。 安倍政権下で採用されたアベノミクスの下では金融緩和、財政出動、構造改革という3本の矢が掲げられたが、門間氏によると、大々的に喧伝された異次元緩和よりも、3本目の矢の一環で行われた資本市場改革の方が実は効果があったと指摘する。経営者がより株主の方を見るようになり、株価を上げる合理的な経営が大企業の多くに根付いた結果、大企業は拡大する見込みのない国内市場から海外へシフトし、国内産業の空洞化が進んだ。また、国内でも非正規雇用の増加や中小企業の切り捨てが進み、格差が広がった。格差の拡大や中小企業の多くが直面する苦境は、アベノミクスが機能した結果でもあると、門間氏は言う。 高市政権もアベノミクスの考えを踏襲しているとすれば、安倍政権下と同様に株価は上がり大企業は空前の好況を享受する一方で、格差はさらに広がり、ワーキングプアと呼ばれる貧困層が膨らみ続ける可能性がある。そして、それが実は自民党の政治基盤を弱体化させ、参政党などの新興政党に多くの票が流れる原因となっている。 日本が格差を放置したままでは、財政をめぐる社会の分断も続き、それが政権がとるべき政策の選択肢を縛ることになる。ところが給付付き税額控除とセットで行うことで富裕層の負担を増やす消費税増税や、明らかに富裕層に有利な金融所得税の増税などは政治的にはリスクが大きいとみられ、政治家は誰もが尻込みしている。 門間氏は、そもそも成長率を上げることを国の目標にすべきなのかについても、いったん立ち止まって考えてみる必要があると言う。無理にGDPを増やそうとするとさまざまな痛みを伴うが、その痛みを甘受してまで成長率を上げることを優先すべきなのか。経済成長も大事だが、国民が豊かさを感じられ、楽しく生きられる社会を作ることも、同じくらい重要なのではないか。そのためには格差是正など、やるべきことがあるのではないか。昨今の政治にはそういった議論が不足していると指摘する。 今われわれが問われているのは、日本をどのような国にしたいのかというビジョンではないか。アメリカのような格差を容認するのか、それとも格差を是正するのか。教育に力を入れ技術立国を目指すのか。あるいは資源の無いことを逆手にとって再生エネルギー大国を目指すのか等々。今の日本にはそのような国の方向性を示す大きなビジョンに対する国民的な合意が何よりも必要だと門間氏は言う。なぜならば、いずれの施策にも財源が必要で、その負担を国民に求める以上、国民がその目的を共有できている必要があるからだ。 高市氏の経済政策はどのようなものか。その経済政策で日本は失われた30年から脱することができるのか。今日本が目指すべき方向とは何なのかなどについて、みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミストの門間一夫氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45530717(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/20(月) 12:00
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<マル激・前半>サナエノミクスは失われた30年から日本を救えるのか/門間一夫氏(みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)
サナエノミクスはアベノミクス2なのだろうか。 来週21日に予定される総理大臣指名選挙では、自民党の高市早苗総裁が選出される見込みが大きくなった。公明党の連立離脱で一時は首相就任が危ぶまれた高市氏だったが、日本維新の会が自民党との連立に乗り出してきたため、高市氏の首相選出がほぼ確実となった。 高市政権の経済政策はどのようなものになるのか。高市氏は自民党総裁選を通じて当面の物価高対策として、ガソリンや軽油の暫定税率廃止、自治体向けの交付金の拡充、給付付き税額控除の導入に向けた制度設計を進めることなどを挙げている。ガソリン減税などは野党の多くも同じような主張をしていることから、早晩実現する見込みだ。 しかし、緊急措置としての物価高対策が一巡したときに問題になるのが、高市政権の経済政策がこれまでの自民党のそれと同じようなものになるのか、あるいは日本経済が長期低迷から抜け出すための新機軸を打ち出すことができるのかどうかだ。 長年日本銀行に在籍し、現在はエコノミストとして積極的に発信を続ける門間一夫氏は、高市氏が掲げる物価高対策には目先で生活苦を抱える人の痛みを和らげる一定の効果はあると評価する一方で、中・長期的な政策についてはまだ未知数のところが多いと指摘する。高市氏の中長期の経済政策の中には、「危機管理投資」や「成長投資」、「新技術立国を目指す」などのメニューが並び、高市氏自身もAIや半導体、核融合といった分野への大胆な投資を強調しているが、実際の中身はまだ明確になっていないからだ。 そもそも「失われた30年」とは何だったのか。1995年頃に世界有数の経済大国にまで登りつめた日本は、その後の30年、経済成長がほぼ横ばいで実質賃金も上がらないまま低迷した。1995年以降日本の生産年齢人口が減少に転じている以上、日本は一人一人の生産性を上げない限り、成長率はさらに低くなっていくことが避けられないが、1人あたりのGDPもこの30年ほぼ横ばいのまま来てしまった。 門間氏は物価高により名目GDPや税収や株価は上がっているので、景気が回復したかのような言説が一部で流布されているが、日本経済の実際の状態は失われた30年の時よりもさらに悪くなっていると指摘した上で、すでに失われた40年が始まっていると考えるべきだし、このままでは50年、60年経っても日本経済の低迷は避けられないとの悲観的な見通しを示す。その上で、門間氏はそれを避けるために2つの重要なポイントをあげる。 それは格差の解消と、そもそもGDPを増やすことを目的とすべきかを再考することの2点だ。 安倍政権下で採用されたアベノミクスの下では金融緩和、財政出動、構造改革という3本の矢が掲げられたが、門間氏によると、大々的に喧伝された異次元緩和よりも、3本目の矢の一環で行われた資本市場改革の方が実は効果があったと指摘する。経営者がより株主の方を見るようになり、株価を上げる合理的な経営が大企業の多くに根付いた結果、大企業は拡大する見込みのない国内市場から海外へシフトし、国内産業の空洞化が進んだ。また、国内でも非正規雇用の増加や中小企業の切り捨てが進み、格差が広がった。格差の拡大や中小企業の多くが直面する苦境は、アベノミクスが機能した結果でもあると、門間氏は言う。 高市政権もアベノミクスの考えを踏襲しているとすれば、安倍政権下と同様に株価は上がり大企業は空前の好況を享受する一方で、格差はさらに広がり、ワーキングプアと呼ばれる貧困層が膨らみ続ける可能性がある。そして、それが実は自民党の政治基盤を弱体化させ、参政党などの新興政党に多くの票が流れる原因となっている。 日本が格差を放置したままでは、財政をめぐる社会の分断も続き、それが政権がとるべき政策の選択肢を縛ることになる。ところが給付付き税額控除とセットで行うことで富裕層の負担を増やす消費税増税や、明らかに富裕層に有利な金融所得税の増税などは政治的にはリスクが大きいとみられ、政治家は誰もが尻込みしている。 門間氏は、そもそも成長率を上げることを国の目標にすべきなのかについても、いったん立ち止まって考えてみる必要があると言う。無理にGDPを増やそうとするとさまざまな痛みを伴うが、その痛みを甘受してまで成長率を上げることを優先すべきなのか。経済成長も大事だが、国民が豊かさを感じられ、楽しく生きられる社会を作ることも、同じくらい重要なのではないか。そのためには格差是正など、やるべきことがあるのではないか。昨今の政治にはそういった議論が不足していると指摘する。 今われわれが問われているのは、日本をどのような国にしたいのかというビジョンではないか。アメリカのような格差を容認するのか、それとも格差を是正するのか。教育に力を入れ技術立国を目指すのか。あるいは資源の無いことを逆手にとって再生エネルギー大国を目指すのか等々。今の日本にはそのような国の方向性を示す大きなビジョンに対する国民的な合意が何よりも必要だと門間氏は言う。なぜならば、いずれの施策にも財源が必要で、その負担を国民に求める以上、国民がその目的を共有できている必要があるからだ。 高市氏の経済政策はどのようなものか。その経済政策で日本は失われた30年から脱することができるのか。今日本が目指すべき方向とは何なのかなどについて、みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミストの門間一夫氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45530720(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/20(月) 12:00
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<マル激・後半>権力に抗えないNHKの肥大化が意味すること/砂川浩慶氏(立教大学社会学部教授)
政治に弱いNHKの一人勝ちを許していて、本当に大丈夫なのだろうか。 この10月からNHKによる「NHK ONE」という新しいネットサービスが始まった。これはテレビのNHKで放送されている内容がそのままネットでも配信されるもので、10月1日に施行された改正放送法によって、ネット配信がNHKの「必須業務」に指定され、NHKがネット配信を通じてNHKを視聴する人からも受信料を徴収することが可能になったことを受けたものだ。NHK ONEでは放送の同時配信に加え、過去の番組をオンディマンドで視聴できる「見逃し配信」や記事の配信などのサービスも提供される。 受信料収入の伸び悩みに苦しんできたNHKは、かねてよりネット配信を通じた課金が悲願だった。今回ようやくその悲願を達成したことになるが、問題は受信料収入という巨大な安定財源を持つNHKという団体が、政治や行政に極端に弱い立場にあることだ。そのNHKが特に報道の分野で放送のみならずネット市場でも他社を席巻するようなことになれば、日本の報道市場は政府や政権与党に忖度した情報で溢れかえることになりかねない。 NHKの番組は2020年4月からインターネットで同時配信されているが、今回の法改正では放送を補完する「任意業務」にすぎなかったNHKのインターネット配信が、放送と同じ「必須業務」に格上げされ、ネット配信のみの視聴者からも受信料の徴収が可能になった。当面、既に受信料を払っている世帯は追加負担なくインターネット上のコンテンツを利用できるとしているほか、スマホやパソコンを持っているだけでは受信料は発生しないという方針のようだが、元々NHKの野望は斜陽産業化している放送事業への依存から脱皮し、ネットでも課金できるようになることだったため、そう遠くない将来、課金の範囲が広がる可能性は否定できない。 メディア法制度に詳しい立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏は、今回のインターネット業務の必須業務化は政治と行政とNHKの妥協の産物でしかなく、NHK ONEがNHKにとって基幹ビジネスに育っていく可能性は非常に低いだろうと言う。本来NHKは放送との単なる同時配信だけではなくインターネット上で独自のサービスを提供し別料金を徴収することを目指していたが、菅政権を始めとする政治権力がこれを寄ってたかって潰してしまったと砂川氏はいう。その結果、NHK ONEが始まっても何か劇的にサービスが充実したわけでもない。また、NHK ONEにより受信料を新たに払うことになる人はほとんどいないだろうと砂川氏は語る。 とはいえ今回の法改正で、NHKのインターネット事業がNHKの必須業務として認められたことは確かだ。NHKのネット事業の拡大に対して日本新聞協会や民放連は、民業圧迫になる懸念を示しているが、年間6,000億円という圧倒的な受信料収入を持つNHKがフルにネットに参入してくれば、市場を席巻する可能性は排除できない。 では、なぜNHKが市場を席巻し他の事業者を駆逐することが問題なのか。それは、受信料という事実上の税金によって運営されているNHKが相手では、他の民間事業者との間に公正な競争が生まれないという問題もあるが、それにもまして問題なのは、そのような特権的な地位にあるがゆえにNHKは政府に対して極端に弱い立場にあることだ。 NHKは予算に国会の承認を必要とする上、組織のトップである経営委員会の委員の任命にも衆参両議院の同意が必要だ。これまでもNHKには政治介入を許したり、元総務省OBが天下っている日本郵政からのいいがかりのような抗議にも全面降伏した前歴がある。そのNHKがどんどん肥大化し、他の事業者を駆逐するようになれば、それは日本の言論、とりわけ政府や権力をチェックする言論が大きく後退することになる。 今、アメリカではトランプ政権が大手放送局や公共放送局に対する介入の度合いを強めている。そして、そのほぼすべてで放送局側が政権に全面降伏している。それは特にアメリカでは放送局が他のメディアビジネスの傘下に入り、親会社が政権や政権の影響下にあるFCC(連邦通信委員会)からの認可を必要とするようになっているからだ。また政府からの助成金に依存している公共放送の場合は、トランプ政権が助成金を引き上げた途端に経営が立ち行かなくなっている。 言論という事業は過度な商業主義に走ることで政府の認可を必要としたり、公共放送のように政府の補助金に依存していては、いざ政府が言論に対して牙を剥いてきた時、それと対峙することができず、結果的に自由な言論を守ることができないのだ。 アメリカで起きていることは単なる対岸の火事と思うことなかれ。現時点で次期総理になる可能性が一番高い高市早苗自民党総裁は、総務大臣当時、政権の放送局への介入は当然の権利であるとの見解を明らかにしている。アメリカで起きていることは大抵10年くらい後で日本でも起きていることを考えると、権力の言論への介入は決して他人事として見過ごしていい問題ではない。 NHKのネット業務をめぐる放送法改正により何がどう変わるのか。NHKが政治的に脆弱な現行の体制のまま肥大化することにどのような問題があるのかなどについて、立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45501544(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/13(月) 12:00
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<マル激・前半>権力に抗えないNHKの肥大化が意味すること/砂川浩慶氏(立教大学社会学部教授)
政治に弱いNHKの一人勝ちを許していて、本当に大丈夫なのだろうか。 この10月からNHKによる「NHK ONE」という新しいネットサービスが始まった。これはテレビのNHKで放送されている内容がそのままネットでも配信されるもので、10月1日に施行された改正放送法によって、ネット配信がNHKの「必須業務」に指定され、NHKがネット配信を通じてNHKを視聴する人からも受信料を徴収することが可能になったことを受けたものだ。NHK ONEでは放送の同時配信に加え、過去の番組をオンディマンドで視聴できる「見逃し配信」や記事の配信などのサービスも提供される。 受信料収入の伸び悩みに苦しんできたNHKは、かねてよりネット配信を通じた課金が悲願だった。今回ようやくその悲願を達成したことになるが、問題は受信料収入という巨大な安定財源を持つNHKという団体が、政治や行政に極端に弱い立場にあることだ。そのNHKが特に報道の分野で放送のみならずネット市場でも他社を席巻するようなことになれば、日本の報道市場は政府や政権与党に忖度した情報で溢れかえることになりかねない。 NHKの番組は2020年4月からインターネットで同時配信されているが、今回の法改正では放送を補完する「任意業務」にすぎなかったNHKのインターネット配信が、放送と同じ「必須業務」に格上げされ、ネット配信のみの視聴者からも受信料の徴収が可能になった。当面、既に受信料を払っている世帯は追加負担なくインターネット上のコンテンツを利用できるとしているほか、スマホやパソコンを持っているだけでは受信料は発生しないという方針のようだが、元々NHKの野望は斜陽産業化している放送事業への依存から脱皮し、ネットでも課金できるようになることだったため、そう遠くない将来、課金の範囲が広がる可能性は否定できない。 メディア法制度に詳しい立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏は、今回のインターネット業務の必須業務化は政治と行政とNHKの妥協の産物でしかなく、NHK ONEがNHKにとって基幹ビジネスに育っていく可能性は非常に低いだろうと言う。本来NHKは放送との単なる同時配信だけではなくインターネット上で独自のサービスを提供し別料金を徴収することを目指していたが、菅政権を始めとする政治権力がこれを寄ってたかって潰してしまったと砂川氏はいう。その結果、NHK ONEが始まっても何か劇的にサービスが充実したわけでもない。また、NHK ONEにより受信料を新たに払うことになる人はほとんどいないだろうと砂川氏は語る。 とはいえ今回の法改正で、NHKのインターネット事業がNHKの必須業務として認められたことは確かだ。NHKのネット事業の拡大に対して日本新聞協会や民放連は、民業圧迫になる懸念を示しているが、年間6,000億円という圧倒的な受信料収入を持つNHKがフルにネットに参入してくれば、市場を席巻する可能性は排除できない。 では、なぜNHKが市場を席巻し他の事業者を駆逐することが問題なのか。それは、受信料という事実上の税金によって運営されているNHKが相手では、他の民間事業者との間に公正な競争が生まれないという問題もあるが、それにもまして問題なのは、そのような特権的な地位にあるがゆえにNHKは政府に対して極端に弱い立場にあることだ。 NHKは予算に国会の承認を必要とする上、組織のトップである経営委員会の委員の任命にも衆参両議院の同意が必要だ。これまでもNHKには政治介入を許したり、元総務省OBが天下っている日本郵政からのいいがかりのような抗議にも全面降伏した前歴がある。そのNHKがどんどん肥大化し、他の事業者を駆逐するようになれば、それは日本の言論、とりわけ政府や権力をチェックする言論が大きく後退することになる。 今、アメリカではトランプ政権が大手放送局や公共放送局に対する介入の度合いを強めている。そして、そのほぼすべてで放送局側が政権に全面降伏している。それは特にアメリカでは放送局が他のメディアビジネスの傘下に入り、親会社が政権や政権の影響下にあるFCC(連邦通信委員会)からの認可を必要とするようになっているからだ。また政府からの助成金に依存している公共放送の場合は、トランプ政権が助成金を引き上げた途端に経営が立ち行かなくなっている。 言論という事業は過度な商業主義に走ることで政府の認可を必要としたり、公共放送のように政府の補助金に依存していては、いざ政府が言論に対して牙を剥いてきた時、それと対峙することができず、結果的に自由な言論を守ることができないのだ。 アメリカで起きていることは単なる対岸の火事と思うことなかれ。現時点で次期総理になる可能性が一番高い高市早苗自民党総裁は、総務大臣当時、政権の放送局への介入は当然の権利であるとの見解を明らかにしている。アメリカで起きていることは大抵10年くらい後で日本でも起きていることを考えると、権力の言論への介入は決して他人事として見過ごしていい問題ではない。 NHKのネット業務をめぐる放送法改正により何がどう変わるのか。NHKが政治的に脆弱な現行の体制のまま肥大化することにどのような問題があるのかなどについて、立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45501758(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/13(月) 12:00
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<マル激・前半>自民党は統治能力を失ってしまったのか/河野有理氏(法政大学法学部教授)
石破首相の退陣表明を受けた自民党総裁選の投開票が10月4日に行われ、決選投票で高市早苗氏が小泉進次郎氏を抑えて第29代自民党総裁に選ばれた。現時点では高市氏が内閣総理大臣に選ばれる可能性が最も高い。 選挙戦では日本記者クラブでの討論会や党本部での共同記者会見などが行われ、それなりにメディアは取り上げたものの、その中身はいたって空疎なものだった。2024年10月の衆院選、2025年7月の参院選で両院とも自公で過半数割れの少数与党に転落した自民党は、あえて党員投票を含む「フルスペック」の総裁選を仕掛けて注目を集めようとしたが、肝心の中身がほとんどなかった。 特に自民党が石破政権の下での2度の国政選挙に大敗し、衆参ともに過半数割れとなった直接の原因ともいうべき裏金問題や統一教会との癒着問題、そして自民党政権の下で続いてきた失われた30年からどう抜け出すのか、そしてトランプ政権の下で明らかに変容しているアメリカとの関係をどうするのかといった、日本にとって根本的な問題に対しては、5人のどの候補からも踏み込んだ発言はなかった。 自民党は統治能力を失ってしまったのか。 日本政治思想史が専門の河野有理・法政大学法学部教授は、今回の総裁選で論点に迫力が出ないのは、1年前に比べて自民党の地位が劇的に低下したからだという。2025年7月の参院選で自公が非改選を含めて過半数を失ったことで、今後20~30年、日本の政党政治はもう安倍政権のような一党多弱の時代には戻らないということがはっきりした。どこかの野党に支持してもらわないと自民党総裁は日本の首相にもなれず、政策も実現できない。一政党の内輪の選挙という感じが強く出てしまったと河野氏は語る。 自民党は少数与党だが、とはいえ野党の足並みが揃わない中、自民党の高市新総裁が次の首相に選ばれる公算は大きい。今回も自民党総裁選が実質的に日本の総理大臣を選ぶ選挙だったことに変わりはないのだが、選挙戦での議論はあまりにもスカスカだった。 河野氏は、かつて55年体制下には今よりむしろ色々な中間団体がいて、癒着といえば癒着なのかもしれないが、利権をめぐる癒着競争があったと指摘する。その活力が失われ、イデオロギー的な動機を持つ宗教団体などが悪目立ちしているというのが自民党の衰退の1つの原因だと言う。 一方、河野氏は、このような基本的な問いに自民党が答えられなくなっている中、代わりとなる競争的なリーダーが現れるというのが本来の民主主義の姿のはずだと語る。そして河野氏は、そうしたリーダーが出てこない原因は、30年前の政治改革の失敗にあると見る。政権交代可能な2大政党制を目指した政治改革はうまくいかず、多党制になり、自民党のオルタナティブを生み出すという構想は崩れてしまった。 自民党政治とは何だったのか、なぜそれが終わりを迎えているのか、日本の政治はどこに向かうのかなどについて、法政大学法学部教授の河野有理氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45477697(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/06(月) 12:00
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<マル激・後半>自民党は統治能力を失ってしまったのか/河野有理氏(法政大学法学部教授)
石破首相の退陣表明を受けた自民党総裁選の投開票が10月4日に行われ、決選投票で高市早苗氏が小泉進次郎氏を抑えて第29代自民党総裁に選ばれた。現時点では高市氏が内閣総理大臣に選ばれる可能性が最も高い。 選挙戦では日本記者クラブでの討論会や党本部での共同記者会見などが行われ、それなりにメディアは取り上げたものの、その中身はいたって空疎なものだった。2024年10月の衆院選、2025年7月の参院選で両院とも自公で過半数割れの少数与党に転落した自民党は、あえて党員投票を含む「フルスペック」の総裁選を仕掛けて注目を集めようとしたが、肝心の中身がほとんどなかった。 特に自民党が石破政権の下での2度の国政選挙に大敗し、衆参ともに過半数割れとなった直接の原因ともいうべき裏金問題や統一教会との癒着問題、そして自民党政権の下で続いてきた失われた30年からどう抜け出すのか、そしてトランプ政権の下で明らかに変容しているアメリカとの関係をどうするのかといった、日本にとって根本的な問題に対しては、5人のどの候補からも踏み込んだ発言はなかった。 自民党は統治能力を失ってしまったのか。 日本政治思想史が専門の河野有理・法政大学法学部教授は、今回の総裁選で論点に迫力が出ないのは、1年前に比べて自民党の地位が劇的に低下したからだという。2025年7月の参院選で自公が非改選を含めて過半数を失ったことで、今後20~30年、日本の政党政治はもう安倍政権のような一党多弱の時代には戻らないということがはっきりした。どこかの野党に支持してもらわないと自民党総裁は日本の首相にもなれず、政策も実現できない。一政党の内輪の選挙という感じが強く出てしまったと河野氏は語る。 自民党は少数与党だが、とはいえ野党の足並みが揃わない中、自民党の高市新総裁が次の首相に選ばれる公算は大きい。今回も自民党総裁選が実質的に日本の総理大臣を選ぶ選挙だったことに変わりはないのだが、選挙戦での議論はあまりにもスカスカだった。 河野氏は、かつて55年体制下には今よりむしろ色々な中間団体がいて、癒着といえば癒着なのかもしれないが、利権をめぐる癒着競争があったと指摘する。その活力が失われ、イデオロギー的な動機を持つ宗教団体などが悪目立ちしているというのが自民党の衰退の1つの原因だと言う。 一方、河野氏は、このような基本的な問いに自民党が答えられなくなっている中、代わりとなる競争的なリーダーが現れるというのが本来の民主主義の姿のはずだと語る。そして河野氏は、そうしたリーダーが出てこない原因は、30年前の政治改革の失敗にあると見る。政権交代可能な2大政党制を目指した政治改革はうまくいかず、多党制になり、自民党のオルタナティブを生み出すという構想は崩れてしまった。 自民党政治とは何だったのか、なぜそれが終わりを迎えているのか、日本の政治はどこに向かうのかなどについて、法政大学法学部教授の河野有理氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45477707(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/06(月) 12:00
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<セーブアース>洋上風力はエネルギー資源大国への転換の起爆剤となる/大林ミカ氏(自然エネルギー財団政策局長)
2025年8月、三菱商事が秋田県と千葉県沖で計画していた大規模洋上風力発電事業からの撤退を表明した。コストの大幅な上昇が理由とされ、国が成長産業として期待する再生可能エネルギー政策に冷や水を浴びせた格好だ。 風力発電はすでに世界的には拡大しており、陸上風力だけで1テラワット超が導入済みだ。特に中国は世界全体の半分を占め、ヨーロッパも域内で役割分担しながら産業を育成してきた。洋上風力も83ギガワット(2023年末)に達し、欧州や中国がリードしている。これに対し、日本の導入量は世界全体の1%に過ぎず、かつて存在した国産風車メーカーも相次いで撤退している。 自然エネルギー財団の大林ミカ氏は、世界の動向を踏まえながら日本で再エネが停滞している要因として、電力会社による系統接続の制約、政策の不安定さ、環境アセスメントの長期化などを挙げる。固定価格買取制度で太陽光は急拡大したが、風力は立地条件の制約が大きく、大規模導入に時間がかかる。一方で、風力の潜在力は極めて大きい。着床式で500ギガワット、浮体式で1,000ギガワットと試算され、現在の電力需要の8〜9倍に相当する規模が存在する。 洋上風力発電には海底に固定する「着床式」と、浮体にタービンを載せる「浮体式(二重式)」の2種類がある。浅い海域の多い日本海側では着床式が、深海が広がる太平洋側では浮体式が有望視される。長崎県五島沖では浮体式の実証機が15年以上稼働しており、近年は出力15メガワット級の大型タービンも主流になりつつある。洋上風力は、太陽光と時間帯を補い合いながら安定的に電力を供給できる点でも期待が高い。 しかし日本の政策設計には課題が多い。2019年に「再エネ海域利用法」が施行され、国が区域を指定して公募を行う仕組みが整ったが、地域の合意形成や送電線費用負担は依然として事業者任せだ。今回の秋田と千葉の案件も、低価格入札で三菱が総取りしたものの、コスト高騰と制度的制約の狭間で頓挫した。大林氏は、送電線の優先接続ルールの見直し、科学的根拠に基づく環境影響評価、国によるゾーニングの明確化が不可欠だと指摘する。また、日本単独でコストを下げるのは困難であり、台湾や韓国など近隣諸国との「リージョナルコラボレーション」による産業基盤の共有の必要性も訴える。 「日本は資源小国と言われてきたが、実は広大な海洋エネルギー資源を持つ」と大林氏。洋上風力は、太陽光と並んで再生可能エネルギーの両輪となることが期待される。今回の撤退劇は痛手ではあるが、制度や産業構造を見直す契機ともなり得る。国が適切なルールを整え、企業が持続可能なビジネスモデルを築ける環境を整えることで、日本は“海洋国家”として再生可能エネルギー大国に転じる可能性を秘めている。 海洋エネルギーの可能性と課題について、環境ジャーナリストの井田徹治とキャスターの新井麻希が、自然エネルギー財団の大林氏と議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/10/02(木) 12:00
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<マル激・後半>見えてきたトランプ関税の真の狙いとその影響/前田和馬氏(第一生命経済研究所主任エコノミスト)
結局、トランプ関税とは何だったのか。 トランプ政権は4月、約60の国・地域に対し、10%~50%にのぼる高率の「相互関税」を一方的に課すことを発表し、その後、各国との交渉に入った。アメリカ側は税率を下げて欲しければ、交換条件としてアメリカ製品を買うなりアメリカに投資するなりして、何らかの形でアメリカに利益をもたらす措置を取るよう求めてきたのだ。 そしてここに来て中国やインド、ブラジルなど一部の国を除き一連の交渉が概ね妥結したため、トランプ関税の全貌がほぼ出揃った形となった。 そもそもトランプ関税の発端は無名のエコノミストが書いた1本の論文だった。ハドソン・ベイ・キャピタルのシニアストラテジストだったスティーブン・ミラン氏が、トランプ大統領が大統領選挙に勝利した直後の2024年11月に発表した「ミラン・ペーパー」と呼ばれるものだ。その論文の内容をトランプ大統領がひどく気に入り、トランプ政権の経済政策の理論的基盤に据えることとなった。 ミラン氏の主張は、ドルが世界の基軸通貨であるがゆえに、アメリカはドル高を甘受せざるを得ず、それがアメリカの製造業を衰退させてきたというもの。そのため、アメリカ経済を再興するためにはドル高を是正する必要があり、それを実現するための有効な交渉カードとして、アメリカは関税を利用すべきだとミラン氏は主張していた。同時にミラン氏は、アメリカが関税と並んでその圧倒的な軍事力も交渉カードに使うことも提唱する。アメリカにとって有利な条件をのまない国に対しては、安全を保障しないというカードを切ればいいというのだ。関税と軍事力という2つのツールを使って、世界の貿易体制をアメリカにとってより有利なものに変えていこうというのが、ミラン・ペーパーの趣旨だった。 ところが、それまでまったく無名だったミラン氏は、第2次トランプ政権でCEA(大統領経済諮問委員会)委員長の重責を与えられたばかりか、9月16日にはFRB(連邦準備制度理事会)理事に就任している。これを見てもミラン氏の考えがトランプ政権の経済政策に多大な影響を与えていることは間違いないだろう。つまり、トランプ政権にとって関税はそれ自体が目的ではなく、あくまで交渉を有利に進めるための武器として利用している可能性が大きいということだ。 さて、問題は日本だ。日本は石破茂首相の数少ない側近の1人だった赤沢亮正経済財政・再生相がアメリカとの粘り強い交渉の結果、8月1日から導入が予定されていた25%の関税を15%に引き下げることに成功したとされる。それはそれで評価に値しようが、しかし、トランプ政権の真の目的が関税そのものではなかったことを忘れてはならない。 日本は関税を15%に下げることと引き換えに、2029年1月19日までにアメリカに80兆円の投資をすることに同意している。2029年1月19日というのは、トランプ大統領の任期が終わる日だ。これは金額が巨額な上、投資先は事実上アメリカが一方的に決められるようになっている。日本がその案件を拒否するのは自由だが、その場合、アメリカはふたたび関税を25%に戻すことができるような建て付けになっているため、事実上日本側に拒否権はないも同然だ。アメリカが一方的に決めた事業に日本はほぼ無条件で80兆円もの巨額の出資や融資を行うことになってしまった。 第一生命経済研究所主任エコノミストでアメリカウォッチャーでもある前田和馬氏は、世界一金融が発達しているアメリカで、良質な投資案件が80兆円分も残っているとは考えにくいという。利益が出る事業なら、とっくに民間が投資していると考えられるからだ。 しかも、日本はその80兆円を捻出するために、為替相場の急激な変動に対応するための特別会計である外国為替資金特別会計(外為特会)を使う予定だそうだ。実際に80兆円を投資するのは民間の金融機関や企業になるとしても、この投資には政府が何らかの保証を付ける必要がある。そこで政府系金融機関のJBIC(国際協力銀行)や NEXI(日本貿易保険)などが融資保証を行うとともに、JBICが財投債を発行し、これを外為特会で引き受けることで80兆円を捻出する計画のようだ。 トランプ大統領はアメリカメディアのインタビューで「関税を少し下げてやっただけで、5,500億ドルを引き出せた」と満足げに語っているが、早い話が外為特会160兆円の半分を、トランプ政権が自由に使えるお金としてくれてやったようなものだった可能性が大きいのではないか。 言うまでもないが、万が一事業が失敗し融資や出資の一部が焦げ付いた場合、裏書きをしているJBICはたちまち破綻の危機に瀕することになり、政府はその損失を公的資金、つまり税金で埋めなければならなくなる。 日本にとっては何もいいことのない条件で合意しているようにしか見えないが、前田氏は、そもそもアメリカが一方的に関税をかけてきて、何をすれば下げてくれるのかという不平等な立場での交渉を強いられていたことを考えると、今回の合意は日本にとっては悪くはなかったのではないかと言う。 トランプ関税の影響はどこまで見えてきたのか、日本はどのように対応すべきか、世界経済の形はどこまで変わるのかなどについて、第一生命経済研究所主任エコノミストの前田和馬氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45451714(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/29(月) 12:00
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<マル激・前半>見えてきたトランプ関税の真の狙いとその影響/前田和馬氏(第一生命経済研究所主任エコノミスト)
結局、トランプ関税とは何だったのか。 トランプ政権は4月、約60の国・地域に対し、10%~50%にのぼる高率の「相互関税」を一方的に課すことを発表し、その後、各国との交渉に入った。アメリカ側は税率を下げて欲しければ、交換条件としてアメリカ製品を買うなりアメリカに投資するなりして、何らかの形でアメリカに利益をもたらす措置を取るよう求めてきたのだ。 そしてここに来て中国やインド、ブラジルなど一部の国を除き一連の交渉が概ね妥結したため、トランプ関税の全貌がほぼ出揃った形となった。 そもそもトランプ関税の発端は無名のエコノミストが書いた1本の論文だった。ハドソン・ベイ・キャピタルのシニアストラテジストだったスティーブン・ミラン氏が、トランプ大統領が大統領選挙に勝利した直後の2024年11月に発表した「ミラン・ペーパー」と呼ばれるものだ。その論文の内容をトランプ大統領がひどく気に入り、トランプ政権の経済政策の理論的基盤に据えることとなった。 ミラン氏の主張は、ドルが世界の基軸通貨であるがゆえに、アメリカはドル高を甘受せざるを得ず、それがアメリカの製造業を衰退させてきたというもの。そのため、アメリカ経済を再興するためにはドル高を是正する必要があり、それを実現するための有効な交渉カードとして、アメリカは関税を利用すべきだとミラン氏は主張していた。同時にミラン氏は、アメリカが関税と並んでその圧倒的な軍事力も交渉カードに使うことも提唱する。アメリカにとって有利な条件をのまない国に対しては、安全を保障しないというカードを切ればいいというのだ。関税と軍事力という2つのツールを使って、世界の貿易体制をアメリカにとってより有利なものに変えていこうというのが、ミラン・ペーパーの趣旨だった。 ところが、それまでまったく無名だったミラン氏は、第2次トランプ政権でCEA(大統領経済諮問委員会)委員長の重責を与えられたばかりか、9月16日にはFRB(連邦準備制度理事会)理事に就任している。これを見てもミラン氏の考えがトランプ政権の経済政策に多大な影響を与えていることは間違いないだろう。つまり、トランプ政権にとって関税はそれ自体が目的ではなく、あくまで交渉を有利に進めるための武器として利用している可能性が大きいということだ。 さて、問題は日本だ。日本は石破茂首相の数少ない側近の1人だった赤沢亮正経済財政・再生相がアメリカとの粘り強い交渉の結果、8月1日から導入が予定されていた25%の関税を15%に引き下げることに成功したとされる。それはそれで評価に値しようが、しかし、トランプ政権の真の目的が関税そのものではなかったことを忘れてはならない。 日本は関税を15%に下げることと引き換えに、2029年1月19日までにアメリカに80兆円の投資をすることに同意している。2029年1月19日というのは、トランプ大統領の任期が終わる日だ。これは金額が巨額な上、投資先は事実上アメリカが一方的に決められるようになっている。日本がその案件を拒否するのは自由だが、その場合、アメリカはふたたび関税を25%に戻すことができるような建て付けになっているため、事実上日本側に拒否権はないも同然だ。アメリカが一方的に決めた事業に日本はほぼ無条件で80兆円もの巨額の出資や融資を行うことになってしまった。 第一生命経済研究所主任エコノミストでアメリカウォッチャーでもある前田和馬氏は、世界一金融が発達しているアメリカで、良質な投資案件が80兆円分も残っているとは考えにくいという。利益が出る事業なら、とっくに民間が投資していると考えられるからだ。 しかも、日本はその80兆円を捻出するために、為替相場の急激な変動に対応するための特別会計である外国為替資金特別会計(外為特会)を使う予定だそうだ。実際に80兆円を投資するのは民間の金融機関や企業になるとしても、この投資には政府が何らかの保証を付ける必要がある。そこで政府系金融機関のJBIC(国際協力銀行)や NEXI(日本貿易保険)などが融資保証を行うとともに、JBICが財投債を発行し、これを外為特会で引き受けることで80兆円を捻出する計画のようだ。 トランプ大統領はアメリカメディアのインタビューで「関税を少し下げてやっただけで、5,500億ドルを引き出せた」と満足げに語っているが、早い話が外為特会160兆円の半分を、トランプ政権が自由に使えるお金としてくれてやったようなものだった可能性が大きいのではないか。 言うまでもないが、万が一事業が失敗し融資や出資の一部が焦げ付いた場合、裏書きをしているJBICはたちまち破綻の危機に瀕することになり、政府はその損失を公的資金、つまり税金で埋めなければならなくなる。 日本にとっては何もいいことのない条件で合意しているようにしか見えないが、前田氏は、そもそもアメリカが一方的に関税をかけてきて、何をすれば下げてくれるのかという不平等な立場での交渉を強いられていたことを考えると、今回の合意は日本にとっては悪くはなかったのではないかと言う。 トランプ関税の影響はどこまで見えてきたのか、日本はどのように対応すべきか、世界経済の形はどこまで変わるのかなどについて、第一生命経済研究所主任エコノミストの前田和馬氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45451971(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/29(月) 12:00
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<マル激・後半>現行の学習指導要領体制のままでは日本の教育はよくならない/植田健男氏(名古屋大学名誉教授)
学習指導要領は今のままでよいのか。 10年に1度の学習指導要領の改訂に向けて、今月19日、文科大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)が「論点整理」をまとめた。今後、これに沿って各教科で具体的な内容の検討が進められ、来年度中に中教審として答申する。その後、小・中・高の学習指導要領が順次改訂されることになっている。 実は、前回から学習指導要領改訂のプロセスが大きく変わっている。中教審のなかに教育課程企画特別部会が設けられ、教科の枠を超えた根本的な課題の議論をまず行うことになった。19日に出された「論点整理」がこれに当たる。次期学習指導要領に向け、主体的・対話的で深い学び、多様性の包摂、実現可能性の確保の3つを基本的な方向性として示し、分かりやすく使いやすい学習指導要領、調整授業時数制度の創設、「余白」の創出を通じた教育の質の向上、などを挙げている。 名古屋大学名誉教授で教育経営学が専門の植田健男氏は、論点整理の内容には一定の評価をしつつも、教育内容を一元的に管理しようとする現行の学習指導要領体制のやり方自体を変えないままでは、現場の負担を増やすだけで逆にますます教育自体が疲弊していくことを懸念する。 植田氏によれば、学習指導要領は戦後間もない1947年に「これまで上から与えられたことをそのとおりに実行するといった画一的な傾向を反省して、下の方からみんなの力でつくりあげよう」と当時の文部省が試案として発表したのが始まりで、当初は地域や児童・生徒の実態に応じて使っていく手引書といった扱いだったという。それが、1958年に文部省告示として「教育課程の基準」とされ、いつの間にか法的拘束力があるような誤った解釈が広がったという。さらに、教科書検定や全国一斉の学力テスト、大学入学試験なども学習指導要領が基準になっているため、学校現場は学習指導要領に縛られざるをえない状況に追い込まれている。 植田氏は、10年前の前回の改訂時の議論で、この1958年体制ともいえる画一的な学習指導要領のあり方を見直し、地域や子どもたちの実態に応じて一つひとつの学校が創意・工夫を凝らす「教育課程」の重要性が強調されたことに期待していたという。しかし結局は、教育内容や方法を縛る従来の学習指導要領のあり方そのものには手をつけられないままとなっている。 2年前には、子どもたちに合った教育課程を実施していたとされる奈良教育大附属小学校の授業が学習指導要領通りでないとの理由から、文科省や県教育委員会の介入が行われ、教員が異動させられるという事態も起きている。植田氏は、どのような教育課程が作られ、それがどれほど子どもたちに合ったものになっているかという観点から検討されることが重要だったはずだと指摘する。 グローバル化、デジタル化といった時代の変化のなかで教育はどうあるべきなのか、教育課程づくりの重要性を指摘し続けてきた植田健男氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。前半はこちら→so45423866(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/22(月) 12:00
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<ディスクロージャー&ディスカバリー>政府内部の動きを浮き彫りにする森友学園文書が宝の山である理由
森友学園問題に関しては政府が情報公開裁判で上告を断念したため、高裁判決が命じた関連文書の開示が現在進行形で進んでいる。3回目となる8月には、情報公開請求への対応に関する文書など約1万8,000ページが開示された。 主要メディアでは森友学園問題は既に過去の問題のように扱われている謗りは免れないが、開示された文書は実際は「宝の山」だと情報公開クリアリングハウスの三木由希子氏は言う。それはその中に、国有地の不当な廉価払い下げ疑惑と現職総理の辞任発言という、エリート官僚のクビがいくつ飛んでもおかしくないような2つの大波に襲われた時、政府内部、とりわけ中央官庁の官僚たちがどのような動きをしていたかを浮き彫りにしてくれる、貴重な資料が満載されているからだ。この手の文書は滅多なことではお目にかかれない代物だと三木氏は言う。 森友学園問題には大きく分けて2つの問題がある。1つは森友学園側が国有地の払い下げに際して、政治家や現職総理の妻を後ろ盾にすることで本来は有り得ない破格の値下げが行われていたのではないかという問題。そしてもう1つが、当時の安倍首相が、自分や妻がその取り引きに関与していた場合、総理のみならず国会議員も辞めると国会で答弁してしまったために、妻昭恵氏の関与を隠す目的で公文書の改ざんや破棄が行われていたという問題。 特に後者の文書改ざんに際しては、実際の改ざん作業を行ったとされる当時近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんが、公文書毀棄という違法行為を強いられたことを苦に自殺に追い込まれ、その妻雅子さんが夫の死の真相究明を求めて関連文書の開示訴訟を起こしこれに勝訴したことで、これまで疑惑に過ぎなかった森友問題の具体的な経緯が徐々に明らかになってきている。 ただ、財務省が開示する一連の交渉記録は合計17万ページにものぼる。財務省はこれを順次開示しているところだが、ここまで開示された分だけでも2万8,800ページに及んでいるので、それをすべて解析するには時間を要する。 とはいえ、ここまで開示された文書では、土地の払い下げ交渉の過程で政治家の名前が出た後に不当な値引きが行われていた疑惑がメディアに報じられた後の政府内の動きなどが、かなり浮き彫りになっている。特に2017年2月9日に朝日新聞が森友学園に不当に安い価格で土地が払い下げられた疑惑をスクープした直後に財務省から官邸に送られたメールの内容や、財務省が近畿財務局に送った「重要作業依頼」と題するメールでは、決裁文書の「修正・差し替え」=改ざん指示が出されていたことから、安倍首相の「辞める」発言の直後から、官邸や財務省から近畿財務局に対して文書の改ざんが指示されていたことが見て取れる。 また、森友学園への8億円を超える値引きについても、これが名目のゴミ処理費用ではなく実際は「開校遅延による損害賠償回避」のためだったと赤木氏の手記に記されていたことも明らかになった。さらに、昭恵夫人と籠池夫妻の3ショット写真提示後に財務局の対応レベルが一気に上がった経緯も文書から明らかになり、総理夫人が官僚組織に及ぼす影響力の大きさが浮き彫りになった。 一方で、改ざんに直接関与した高官は責任を免れ、多くがその後も順調に出世を果たす一方、現場職員が責任を押し付けられる構図も明らかになった。赤木氏が残した「公用文書毀棄罪」に関するメモは、当時から自身が違法行為に加担させられているという認識を持っていたことを示すものだった。 今回は赤木雅子氏と弁護団の地道な努力によって裁判を経てようやくここまでの情報開示に漕ぎ着けたが、もし日本に最初からこれらの文書が公開される仕組みが備わっていれば、そもそも森友問題などは起きなかったし、赤木俊夫さんが自死に追い込まれることもなかった。森友問題とその後の裁判を経た文書開示は、日本の情報公開制度がまだまだ多くの課題を抱えていることも明らかにしていると言えるだろう。 裁判所命令によって財務省が徐々に開示し始めている森友問題を巡る公文書が露わにしつつある政治家の口利きの実態や政治と官僚の癒着、高級官僚は現場に責任を擦り付け出世している実態、そして日本の情報公開制度の課題などについて、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏とジャーナリストの神保哲生が議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/22(月) 12:00
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<マル激・前半>現行の学習指導要領体制のままでは日本の教育はよくならない/植田健男氏(名古屋大学名誉教授)
学習指導要領は今のままでよいのか。 10年に1度の学習指導要領の改訂に向けて、今月19日、文科大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)が「論点整理」をまとめた。今後、これに沿って各教科で具体的な内容の検討が進められ、来年度中に中教審として答申する。その後、小・中・高の学習指導要領が順次改訂されることになっている。 実は、前回から学習指導要領改訂のプロセスが大きく変わっている。中教審のなかに教育課程企画特別部会が設けられ、教科の枠を超えた根本的な課題の議論をまず行うことになった。19日に出された「論点整理」がこれに当たる。次期学習指導要領に向け、主体的・対話的で深い学び、多様性の包摂、実現可能性の確保の3つを基本的な方向性として示し、分かりやすく使いやすい学習指導要領、調整授業時数制度の創設、「余白」の創出を通じた教育の質の向上、などを挙げている。 名古屋大学名誉教授で教育経営学が専門の植田健男氏は、論点整理の内容には一定の評価をしつつも、教育内容を一元的に管理しようとする現行の学習指導要領体制のやり方自体を変えないままでは、現場の負担を増やすだけで逆にますます教育自体が疲弊していくことを懸念する。 植田氏によれば、学習指導要領は戦後間もない1947年に「これまで上から与えられたことをそのとおりに実行するといった画一的な傾向を反省して、下の方からみんなの力でつくりあげよう」と当時の文部省が試案として発表したのが始まりで、当初は地域や児童・生徒の実態に応じて使っていく手引書といった扱いだったという。それが、1958年に文部省告示として「教育課程の基準」とされ、いつの間にか法的拘束力があるような誤った解釈が広がったという。さらに、教科書検定や全国一斉の学力テスト、大学入学試験なども学習指導要領が基準になっているため、学校現場は学習指導要領に縛られざるをえない状況に追い込まれている。 植田氏は、10年前の前回の改訂時の議論で、この1958年体制ともいえる画一的な学習指導要領のあり方を見直し、地域や子どもたちの実態に応じて一つひとつの学校が創意・工夫を凝らす「教育課程」の重要性が強調されたことに期待していたという。しかし結局は、教育内容や方法を縛る従来の学習指導要領のあり方そのものには手をつけられないままとなっている。 2年前には、子どもたちに合った教育課程を実施していたとされる奈良教育大附属小学校の授業が学習指導要領通りでないとの理由から、文科省や県教育委員会の介入が行われ、教員が異動させられるという事態も起きている。植田氏は、どのような教育課程が作られ、それがどれほど子どもたちに合ったものになっているかという観点から検討されることが重要だったはずだと指摘する。 グローバル化、デジタル化といった時代の変化のなかで教育はどうあるべきなのか、教育課程づくりの重要性を指摘し続けてきた植田健男氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。後半はこちら→so45424146(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/22(月) 12:00
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<マル激・後半>陰謀論を侮ってはならないこれだけの理由/烏谷昌幸氏(慶應義塾大学法学部教授)
世界中で陰謀論が政治や社会に深刻な影響を与え始めている。一見荒唐無稽なトンデモ話にしか見えないような情報が、SNS上で集積され広く拡散されることで、実際の市民生活や一国の国政選挙にまで影響を及ぼし始めているのだ。もはや世界は現実の世界とパラレルワールドの識別がつかないところまで来ていると言っても過言ではないかもしれない。 著書『となりの陰謀論』の中で陰謀論を甘く見ることの危険性を指摘している慶應義塾大学法学部教授の烏谷昌幸氏は、陰謀論を「出来事の原因を誰かの陰謀であると不確かな根拠をもとに決めつける考え方」と定義した上で、素朴な陰謀論的思考は昔から人々の中にあったが、それがネット環境の中で過激なものに変異を遂げていると語る。烏谷氏によると、普段めったに起きないことが続けて起きると、人間の脳はそれをつなげて考えたくなり、偶然の一致に過剰な意味を読み込んでしまう習性がある。そこに、陰謀論が巧みに入り込んで来る余地ができるのだと言う。 しかし、陰謀論が広がっている状況を軽視するのは危険だと烏谷氏は言う。陰謀論の背景には人々の厳然たる剝奪感があるからだ。何か大事なものが奪われたという被害感情や、大事なものが奪われようとしているのではないかという不安や恐怖に支配されると、人間はその原因を説明する単純な答えに飛びつきたくなる。陰謀論の型は「信じられないほどの巨悪が糸を引いて公正な競争を歪めている」というものだが、そこには「悪いのはあなたではない」という隠れたメッセージがあるのだという。つまり、多くの人が陰謀論に引き寄せられることには原因があり、その原因に手当てしない限り、陰謀論は収まるどころか、更に広がっていくことが避けられない。 実際の陰謀論は多種多様だ。「選挙に不正があった」といった誰が信じてもおかしくないものもあれば、コロナやコロナワクチンが世界の人口を減らすための陰謀だと主張するものや、果てはオバマ元大統領もバイデン元大統領も本当はすでに処刑されていて偽物がゴムマスクを被っているのだといったものまである。その対象は宇宙人からディープステート、秘密結社、国際金融資本等々の伝統的なものから、最近では地球温暖化、パンデミックにワクチン、財務省の緊縮財政など多岐に渡る。中には一見すると誰も信じそうにない極端な陰謀論も多いが、そんなものでもYouTubeなどに出てくる関連動画を見続ける中で、無関係な点と点をつなぎ隠れていたものを暴き出すナラティブ(物語性)が徐々に説得力を持つようになり、気がつけばパラノイド性の強い陰謀論者になっている人が増えているのだと烏谷氏は言う。 世界的に見ると、陰謀論が最初に猛威を振るったのはアメリカだった。トランプ支持者の多くが、「2020年の大統領選挙には不正があった」、「ディープステートがアメリカを牛耳っている」、「非白人を意図的に移民させることで白人の政治力と文化を衰退させようという陰謀がある」といった陰謀論を主張している。トランプ大統領自身がこれらの陰謀論を本気で信じているかどうかは疑わしいが、政治的にはこれを積極的に利用している。実際、アメリカでは選挙不正を訴える人々が暴徒化し、2021年1月6日の議会襲撃事件まで引き起こすなど、陰謀論はもはや単なるトンデモ話にとどまらず、現実の世界に影響を与えている。 サイバーセキュリティが専門で、情報セキュリティ大学院大学客員研究員の長迫智子氏は、陰謀論は今や安全保障上の脅威になっていることを指摘する。人々の認知領域に攻撃を加える「認知戦」では、分かりやすく世界を説明する物語である陰謀論は広まりやすいため使いやすいのだ。 これまで日本語の壁に守られてきた日本も、生成AIの進歩によって誰でも自然な日本語が容易に書けるようになったことで、遅ればせながら外国勢力によるSNS上のディスインフォメーションの標的になり始めていることがようやく明らかになってきた。政府もようやくそれを認識し、遅ればせながら対策に乗り出し始めているが、明らかに後手に回っている。 さらに日本では国政選挙でも、陰謀論的な言説を党の主張に盛り込んだ参政党が大きく党勢を伸ばしており、もはや日本も陰謀論を対岸の火事と傍観していられる状態にはなくなっていると烏谷氏は言う。 陰謀論とは何か、陰謀論はどのようにして生まれるのか、なぜ人は陰謀論を信じてしまうのかなどについて、慶應義塾大学法学部教授の烏谷昌幸氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45399642(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/15(月) 12:00
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<マル激・前半>陰謀論を侮ってはならないこれだけの理由/烏谷昌幸氏(慶應義塾大学法学部教授)
世界中で陰謀論が政治や社会に深刻な影響を与え始めている。一見荒唐無稽なトンデモ話にしか見えないような情報が、SNS上で集積され広く拡散されることで、実際の市民生活や一国の国政選挙にまで影響を及ぼし始めているのだ。もはや世界は現実の世界とパラレルワールドの識別がつかないところまで来ていると言っても過言ではないかもしれない。 著書『となりの陰謀論』の中で陰謀論を甘く見ることの危険性を指摘している慶應義塾大学法学部教授の烏谷昌幸氏は、陰謀論を「出来事の原因を誰かの陰謀であると不確かな根拠をもとに決めつける考え方」と定義した上で、素朴な陰謀論的思考は昔から人々の中にあったが、それがネット環境の中で過激なものに変異を遂げていると語る。烏谷氏によると、普段めったに起きないことが続けて起きると、人間の脳はそれをつなげて考えたくなり、偶然の一致に過剰な意味を読み込んでしまう習性がある。そこに、陰謀論が巧みに入り込んで来る余地ができるのだと言う。 しかし、陰謀論が広がっている状況を軽視するのは危険だと烏谷氏は言う。陰謀論の背景には人々の厳然たる剝奪感があるからだ。何か大事なものが奪われたという被害感情や、大事なものが奪われようとしているのではないかという不安や恐怖に支配されると、人間はその原因を説明する単純な答えに飛びつきたくなる。陰謀論の型は「信じられないほどの巨悪が糸を引いて公正な競争を歪めている」というものだが、そこには「悪いのはあなたではない」という隠れたメッセージがあるのだという。つまり、多くの人が陰謀論に引き寄せられることには原因があり、その原因に手当てしない限り、陰謀論は収まるどころか、更に広がっていくことが避けられない。 実際の陰謀論は多種多様だ。「選挙に不正があった」といった誰が信じてもおかしくないものもあれば、コロナやコロナワクチンが世界の人口を減らすための陰謀だと主張するものや、果てはオバマ元大統領もバイデン元大統領も本当はすでに処刑されていて偽物がゴムマスクを被っているのだといったものまである。その対象は宇宙人からディープステート、秘密結社、国際金融資本等々の伝統的なものから、最近では地球温暖化、パンデミックにワクチン、財務省の緊縮財政など多岐に渡る。中には一見すると誰も信じそうにない極端な陰謀論も多いが、そんなものでもYouTubeなどに出てくる関連動画を見続ける中で、無関係な点と点をつなぎ隠れていたものを暴き出すナラティブ(物語性)が徐々に説得力を持つようになり、気がつけばパラノイド性の強い陰謀論者になっている人が増えているのだと烏谷氏は言う。 世界的に見ると、陰謀論が最初に猛威を振るったのはアメリカだった。トランプ支持者の多くが、「2020年の大統領選挙には不正があった」、「ディープステートがアメリカを牛耳っている」、「非白人を意図的に移民させることで白人の政治力と文化を衰退させようという陰謀がある」といった陰謀論を主張している。トランプ大統領自身がこれらの陰謀論を本気で信じているかどうかは疑わしいが、政治的にはこれを積極的に利用している。実際、アメリカでは選挙不正を訴える人々が暴徒化し、2021年1月6日の議会襲撃事件まで引き起こすなど、陰謀論はもはや単なるトンデモ話にとどまらず、現実の世界に影響を与えている。 サイバーセキュリティが専門で、情報セキュリティ大学院大学客員研究員の長迫智子氏は、陰謀論は今や安全保障上の脅威になっていることを指摘する。人々の認知領域に攻撃を加える「認知戦」では、分かりやすく世界を説明する物語である陰謀論は広まりやすいため使いやすいのだ。 これまで日本語の壁に守られてきた日本も、生成AIの進歩によって誰でも自然な日本語が容易に書けるようになったことで、遅ればせながら外国勢力によるSNS上のディスインフォメーションの標的になり始めていることがようやく明らかになってきた。政府もようやくそれを認識し、遅ればせながら対策に乗り出し始めているが、明らかに後手に回っている。 さらに日本では国政選挙でも、陰謀論的な言説を党の主張に盛り込んだ参政党が大きく党勢を伸ばしており、もはや日本も陰謀論を対岸の火事と傍観していられる状態にはなくなっていると烏谷氏は言う。 陰謀論とは何か、陰謀論はどのようにして生まれるのか、なぜ人は陰謀論を信じてしまうのかなどについて、慶應義塾大学法学部教授の烏谷昌幸氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45399992(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/15(月) 12:00
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<マル激・後半>角川裁判が問う「人質司法」の罪とそのやめ方/角川歴彦氏(KADOKAWA元会長)
東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で、大会組織委員会の高橋治之元理事側への贈賄の罪に問われている出版大手KADOKAWAの角川歴彦元会長は、9月3日に行われた裁判の最終意見陳述でも改めて無罪を主張し、結審した。 判決は来年1月22日に言い渡される予定だ。 五輪汚職事件とは、東京五輪・パラリンピックのスポンサー契約で有利な計らいをしてもらうことの見返りに、大会組織委元理事の高橋治之被告らが計約1億9,800万円の賄賂を受け取ったというもの。高橋元理事ら収賄側3人のほか、角川氏が会長を務めていた出版社のKADOKAWAのほか、AOKIホールディングス、大広、ADK、サン・アローの贈賄側12人が逮捕・起訴され、これまでに収賄側1人、贈賄側10人の有罪判決が確定している。 東京五輪は不祥事の連続だった。不透明な新国立競技場の決定過程や直前になってのデザイン変更に始まり、ロゴマークの盗作、関係者の相次ぐ差別発言等は記憶に新しいところだろう。数々の問題の中でも、経費が当初の予定から3倍近くに膨れあがったことは、実際に都民や国民にその負担を強いることになったこともあり、五輪そのものに対する国民の怒りを大きく助長した。かねてから金満体質を指摘されてきた五輪に対して、「正義の味方」を自任する特捜検察は何らかの対応を取る必要があった。 そうした中、検察は高橋元理事がコンサルティング契約などの名目でスポンサー企業から金銭を受け取っていたことを賄賂と認定し受託収賄で逮捕。贈収賄では贈賄側が必要になる中で、五輪スポンサーだったKADOKAWAの角川歴彦会長(当時)に目を付けた。角川氏は元理事側への金銭支払いについて報告を受けていなかったとして、一貫して無罪を主張している。角川氏の関与については、物的証拠はなく、他のKADOKAWA社員の証言のみに依存した立件だった。 しかし、角川氏が犯行を否認したために、そこから悲劇が始まった。当時既に79歳で心臓に重い持病を抱える角川氏は、2022年9月14日に逮捕され、その後も一貫して無実を主張し続けたため226日間、東京拘置所の独居房に留め置かれることとなった。 しかも、検察が高齢の角川氏を逮捕に踏み切った理由が、角川氏がメディアの取材に応じたからだったことを後に検察は公判の中で明らかにしていた。メディア取材で無罪を主張したために、罪証隠滅の可能性があると検察が主張する根拠となり、7カ月あまりに及ぶ長期勾留につながったというのだが、この取材対応も、角川氏を任意で事情聴取していることが検察からメディアにリークされ、記者やカメラマンが角川氏の自宅前に大挙して押しかけてきたため、近所迷惑になることを懸念した角川氏が渋々メディアの代表取材に応じたもので、角川氏が自ら積極的にメディアを通じて発信したものではなかった。 一貫して自白も調書への押印も拒否していた角川氏の健康状態の悪化を懸念した弁護団が、やむなく検察側が提出していた証拠のいくつかに同意したことで、逮捕から約8カ月後に角川氏はようやく保釈された。 そして角川氏は2024年6月、国に2億2,000万円の損害賠償を求める国家賠償請求訴訟を起こす。これが「角川人質司法違憲訴訟」と呼ばれるものだ。これまで刑事事件で無罪が確定した人が捜査の違法性などを主張して国賠請求を提起することはあったが、刑事事件で係争中の被告人が国賠訴訟を起こすのは恐らくこれが初めてのことで、画期的なことだ。無罪であれ有罪であれ、いずれにしても人権を無視した人質司法は間違っているし、違法であるという強い信念が背景にある。 原告団には裁判官として袴田事件の再審決定の英断を下した村山浩昭団長の下、弘中惇一郎弁護士、喜田村洋一弁護士、海渡雄一弁護士、伊藤真弁護士ら、これまで人質司法と戦ってきたオールスター弁護団といっても過言ではない錚々たるメンバーが加わった。 弁護団は「人質司法」を「刑事手続で無罪を主張し、事実を否認または黙秘した被疑者・被告人ほど容易に身体拘束が認められやすく、釈放されることが困難となる実務運用」と定義。日本では人質司法が行われ、人質司法は「人身の自由」、「恣意的拘禁の禁止」など、憲法上・国際人権法上のあらゆる権利・原則を侵害していると訴えている。 しかし、ここまで国側は弁護団の主張に対し、人質司法の実行者として名指しされている検察官や裁判官は、法令と判例に則り職務を遂行しているだけで、憲法や国際人権法違反の批判は当たらないばかりかその可能性を検討する必要もないと、原告側の主張を嘲笑うかのような不誠実な立場をとっている。 この国賠訴訟の成り行き次第で、日本はこの先何十年、いや何百年もの間、世界から「中世」と揶揄される人権を蔑ろにした前時代的な人質司法がまかり通りことになるのか、ようやく戦後80年にして、国際水準の司法制度に近づくことができるのかが決まる可能性がある。 角川氏はなぜ逮捕されたのか、226日に渡る長期勾留はどのような状況だったのか、人質司法とは何か、どうすればやめることができるのかなどについて、刑事被告人であると同時に国賠訴訟の原告でもある角川歴彦氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45377924(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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<マル激・前半>角川裁判が問う「人質司法」の罪とそのやめ方/角川歴彦氏(KADOKAWA元会長)
東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で、大会組織委員会の高橋治之元理事側への贈賄の罪に問われている出版大手KADOKAWAの角川歴彦元会長は、9月3日に行われた裁判の最終意見陳述でも改めて無罪を主張し、結審した。 判決は来年1月22日に言い渡される予定だ。 五輪汚職事件とは、東京五輪・パラリンピックのスポンサー契約で有利な計らいをしてもらうことの見返りに、大会組織委元理事の高橋治之被告らが計約1億9,800万円の賄賂を受け取ったというもの。高橋元理事ら収賄側3人のほか、角川氏が会長を務めていた出版社のKADOKAWAのほか、AOKIホールディングス、大広、ADK、サン・アローの贈賄側12人が逮捕・起訴され、これまでに収賄側1人、贈賄側10人の有罪判決が確定している。 東京五輪は不祥事の連続だった。不透明な新国立競技場の決定過程や直前になってのデザイン変更に始まり、ロゴマークの盗作、関係者の相次ぐ差別発言等は記憶に新しいところだろう。数々の問題の中でも、経費が当初の予定から3倍近くに膨れあがったことは、実際に都民や国民にその負担を強いることになったこともあり、五輪そのものに対する国民の怒りを大きく助長した。かねてから金満体質を指摘されてきた五輪に対して、「正義の味方」を自任する特捜検察は何らかの対応を取る必要があった。 そうした中、検察は高橋元理事がコンサルティング契約などの名目でスポンサー企業から金銭を受け取っていたことを賄賂と認定し受託収賄で逮捕。贈収賄では贈賄側が必要になる中で、五輪スポンサーだったKADOKAWAの角川歴彦会長(当時)に目を付けた。角川氏は元理事側への金銭支払いについて報告を受けていなかったとして、一貫して無罪を主張している。角川氏の関与については、物的証拠はなく、他のKADOKAWA社員の証言のみに依存した立件だった。 しかし、角川氏が犯行を否認したために、そこから悲劇が始まった。当時既に79歳で心臓に重い持病を抱える角川氏は、2022年9月14日に逮捕され、その後も一貫して無実を主張し続けたため226日間、東京拘置所の独居房に留め置かれることとなった。 しかも、検察が高齢の角川氏を逮捕に踏み切った理由が、角川氏がメディアの取材に応じたからだったことを後に検察は公判の中で明らかにしていた。メディア取材で無罪を主張したために、罪証隠滅の可能性があると検察が主張する根拠となり、7カ月あまりに及ぶ長期勾留につながったというのだが、この取材対応も、角川氏を任意で事情聴取していることが検察からメディアにリークされ、記者やカメラマンが角川氏の自宅前に大挙して押しかけてきたため、近所迷惑になることを懸念した角川氏が渋々メディアの代表取材に応じたもので、角川氏が自ら積極的にメディアを通じて発信したものではなかった。 一貫して自白も調書への押印も拒否していた角川氏の健康状態の悪化を懸念した弁護団が、やむなく検察側が提出していた証拠のいくつかに同意したことで、逮捕から約8カ月後に角川氏はようやく保釈された。 そして角川氏は2024年6月、国に2億2,000万円の損害賠償を求める国家賠償請求訴訟を起こす。これが「角川人質司法違憲訴訟」と呼ばれるものだ。これまで刑事事件で無罪が確定した人が捜査の違法性などを主張して国賠請求を提起することはあったが、刑事事件で係争中の被告人が国賠訴訟を起こすのは恐らくこれが初めてのことで、画期的なことだ。無罪であれ有罪であれ、いずれにしても人権を無視した人質司法は間違っているし、違法であるという強い信念が背景にある。 原告団には裁判官として袴田事件の再審決定の英断を下した村山浩昭団長の下、弘中惇一郎弁護士、喜田村洋一弁護士、海渡雄一弁護士、伊藤真弁護士ら、これまで人質司法と戦ってきたオールスター弁護団といっても過言ではない錚々たるメンバーが加わった。 弁護団は「人質司法」を「刑事手続で無罪を主張し、事実を否認または黙秘した被疑者・被告人ほど容易に身体拘束が認められやすく、釈放されることが困難となる実務運用」と定義。日本では人質司法が行われ、人質司法は「人身の自由」、「恣意的拘禁の禁止」など、憲法上・国際人権法上のあらゆる権利・原則を侵害していると訴えている。 しかし、ここまで国側は弁護団の主張に対し、人質司法の実行者として名指しされている検察官や裁判官は、法令と判例に則り職務を遂行しているだけで、憲法や国際人権法違反の批判は当たらないばかりかその可能性を検討する必要もないと、原告側の主張を嘲笑うかのような不誠実な立場をとっている。 この国賠訴訟の成り行き次第で、日本はこの先何十年、いや何百年もの間、世界から「中世」と揶揄される人権を蔑ろにした前時代的な人質司法がまかり通りことになるのか、ようやく戦後80年にして、国際水準の司法制度に近づくことができるのかが決まる可能性がある。 角川氏はなぜ逮捕されたのか、226日に渡る長期勾留はどのような状況だったのか、人質司法とは何か、どうすればやめることができるのかなどについて、刑事被告人であると同時に国賠訴訟の原告でもある角川歴彦氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so45377926(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/08(月) 12:00
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<マル激・後半>5金スペシャル・「法」と「掟」 韓国ドラマはなぜ社会問題を痛烈に描けるのか
月の5回目の金曜日に特別番組を無料でお送りする5金スペシャル。今回は韓国映画と韓国ドラマを取り上げた。 今回取り上げたのは以下の4作品。いずれも韓国の作品だ。 ・『ソウルの春』(キム・ソンス監督) ・『二十五、二十一』(チョン・ジヒョン監督) ・『広場』(チェ・ソンウン監督) ・『悪縁』(イ・イルヒョン監督) 『ソウルの春』は、1979年12月12日に韓国で発生した「粛軍クーデター」を、一部フィクションを交えて描いた2023年の韓国映画。このクーデターは、後に大統領となるチョン・ドゥファン(全斗煥)が中心となり武力で軍の指揮権を掌握したもので、「ソウルの春」と呼ばれた韓国の民主化運動の機運を壊すきっかけとなった。映画では、正義感の強い主人公イ・テシンがクーデターに果敢に立ち向かうが、次第に多勢に無勢となり、追いつめられる様子が描かれている。 『二十五、二十一』は、1997年のIMF危機に翻弄される韓国の若者たちの人生を描いたネットフリックスのドラマシリーズ。粛軍クーデター、光州事件と挫折を繰り返しながらようやく民主化を果たしながら、アジア通貨危機に端を発する経済危機に陥り、IMFからの緊急援助に頼らざるを得ない状況に追い込まれた韓国では、IMF主導の構造調整プログラムに基づく緊縮財政が進められ、多くの家庭が貧困に陥ったまま借金を抱えて一家離散の憂き目に遭うこととなった。 『二十五、二十一』には、その中で夢を追い続ける若者たちの姿が描かれている。突然これまでの生活が一変するような激動の時代だからこそ、相手が没落すれば切り捨てるうわべだけの愛は偽物だと見抜かれ、逆に本物の愛が輝く。マッチングアプリなど「効率的」な恋愛の形が世界的に広がる中で、このドラマは社会から本物の愛が失われたことを批評的に描いている。 『広場』は、ウェブ漫画を原作とするネットフリックスのドラマシリーズで、ソウルを仕切る2つのヤクザグループの抗争を描いたもの。「ジュウン組」と「ボンサン組」はかつて同じ組織に属していたが分裂した。その時に主人公ナム・ギジュンは、自らがヤクザの世界を去ることと引き換えに、ジュウン組とボンサン組は互いに裏切らないという掟を作った。しかし、その掟は若い世代のヤクザたちによって破られることになる。作品には法も掟も存在せず、他者を顧みることなくそれぞれが自分自身の利益のためだけに行動する荒廃した世界が描かれている。 『悪縁』も同じくウェブ漫画を原作とするネットフリックスのドラマシリーズだ。次々と明らかになる過去の因縁に翻弄される登場人物たちが、悪事に悪事を重ねていく姿が描かれている。極悪人が出てきたと思えばさらにそれを超える極悪人が現れるという、法も掟もない究極まで荒れた社会を描いた、これまでにない作品だ。 1997年の韓国を描いた『二十五、二十一』には、かつて存在した、少しずつ心が通い合うような恋愛の姿が描かれており、それが今は失われたことを批判している。また、IMF支援の下で経済成長は果たしたが、格差は広がり社会はよくならなかった現代韓国を舞台にした『広場』と『悪縁』は、愛も法も掟もない今の韓国社会を批判的に描いている。今回取り上げたネットフリックス3作品は、社会の劣化というモチーフを明確に批評的に提示している。このように、その時代が直面する問題を鋭くえぐるような作品は、日本ではなかなか見られない。 なぜ社会を痛烈に批評する作品が韓国では生まれるのか。4つの映像作品を題材にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 また、映画特集の冒頭では、8月12日に発生から40年を迎えた日航ジャンボ機墜落事故について、当時事故直後から墜落現場に入った神保哲生の取材を通じて、40年経った今も未解決のままの課題が多く残されていることなどを取り上げた。前半はこちら→so45353208(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/01(月) 12:00
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<マル激・前半>5金スペシャル・「法」と「掟」 韓国ドラマはなぜ社会問題を痛烈に描けるのか
月の5回目の金曜日に特別番組を無料でお送りする5金スペシャル。今回は韓国映画と韓国ドラマを取り上げた。 今回取り上げたのは以下の4作品。いずれも韓国の作品だ。 ・『ソウルの春』(キム・ソンス監督) ・『二十五、二十一』(チョン・ジヒョン監督) ・『広場』(チェ・ソンウン監督) ・『悪縁』(イ・イルヒョン監督) 『ソウルの春』は、1979年12月12日に韓国で発生した「粛軍クーデター」を、一部フィクションを交えて描いた2023年の韓国映画。このクーデターは、後に大統領となるチョン・ドゥファン(全斗煥)が中心となり武力で軍の指揮権を掌握したもので、「ソウルの春」と呼ばれた韓国の民主化運動の機運を壊すきっかけとなった。映画では、正義感の強い主人公イ・テシンがクーデターに果敢に立ち向かうが、次第に多勢に無勢となり、追いつめられる様子が描かれている。 『二十五、二十一』は、1997年のIMF危機に翻弄される韓国の若者たちの人生を描いたネットフリックスのドラマシリーズ。粛軍クーデター、光州事件と挫折を繰り返しながらようやく民主化を果たしながら、アジア通貨危機に端を発する経済危機に陥り、IMFからの緊急援助に頼らざるを得ない状況に追い込まれた韓国では、IMF主導の構造調整プログラムに基づく緊縮財政が進められ、多くの家庭が貧困に陥ったまま借金を抱えて一家離散の憂き目に遭うこととなった。 『二十五、二十一』には、その中で夢を追い続ける若者たちの姿が描かれている。突然これまでの生活が一変するような激動の時代だからこそ、相手が没落すれば切り捨てるうわべだけの愛は偽物だと見抜かれ、逆に本物の愛が輝く。マッチングアプリなど「効率的」な恋愛の形が世界的に広がる中で、このドラマは社会から本物の愛が失われたことを批評的に描いている。 『広場』は、ウェブ漫画を原作とするネットフリックスのドラマシリーズで、ソウルを仕切る2つのヤクザグループの抗争を描いたもの。「ジュウン組」と「ボンサン組」はかつて同じ組織に属していたが分裂した。その時に主人公ナム・ギジュンは、自らがヤクザの世界を去ることと引き換えに、ジュウン組とボンサン組は互いに裏切らないという掟を作った。しかし、その掟は若い世代のヤクザたちによって破られることになる。作品には法も掟も存在せず、他者を顧みることなくそれぞれが自分自身の利益のためだけに行動する荒廃した世界が描かれている。 『悪縁』も同じくウェブ漫画を原作とするネットフリックスのドラマシリーズだ。次々と明らかになる過去の因縁に翻弄される登場人物たちが、悪事に悪事を重ねていく姿が描かれている。極悪人が出てきたと思えばさらにそれを超える極悪人が現れるという、法も掟もない究極まで荒れた社会を描いた、これまでにない作品だ。 1997年の韓国を描いた『二十五、二十一』には、かつて存在した、少しずつ心が通い合うような恋愛の姿が描かれており、それが今は失われたことを批判している。また、IMF支援の下で経済成長は果たしたが、格差は広がり社会はよくならなかった現代韓国を舞台にした『広場』と『悪縁』は、愛も法も掟もない今の韓国社会を批判的に描いている。今回取り上げたネットフリックス3作品は、社会の劣化というモチーフを明確に批評的に提示している。このように、その時代が直面する問題を鋭くえぐるような作品は、日本ではなかなか見られない。 なぜ社会を痛烈に批評する作品が韓国では生まれるのか。4つの映像作品を題材にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 また、映画特集の冒頭では、8月12日に発生から40年を迎えた日航ジャンボ機墜落事故について、当時事故直後から墜落現場に入った神保哲生の取材を通じて、40年経った今も未解決のままの課題が多く残されていることなどを取り上げた。後半はこちら→so45353369(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/09/01(月) 12:00
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<セーブアース>大人の自由研究:虫や鳥が減っているって本当なの?/藤田卓氏(日本自然保護協会自然のちから推進部チームリーダー)
今回の「セーブアース」では、日本自然保護協会の藤田卓氏をゲストに迎え、夏休みの大人向け自由研究として、「虫が減っているというのは本当か」をテーマに全国で行われている里地・里山の生物多様性モニタリング調査の結果を紹介した。 環境省が行っているこの調査は、全国約1,000カ所の里山や農地、湿地などを対象に、100年の長期にわたり生物の動向を記録していくというもので、2005年以来、市民ボランティアや研究者など延べ約5,700人が参加し、植物、鳥類、両生類、昆虫などさまざまな生き物のデータを蓄積している。この活動から明らかになったのは、日本の里山環境で身近な生き物たちが急速に減っているという衝撃的な現実だった。特に、日本人なら誰もが馴染みのある「普通種」の減少が顕著に見られた。 例えば、スズメやヒバリといった鳥類、アゲハチョウやシジミチョウといった昆虫など、これまで身近な存在だった生き物が次々と姿を消している。調査では鳥類で年間約3%、チョウでは年間7〜10%も個体数が減少している種があった。これは10〜20年でその数が半減することを意味している。 生息環境別にみると、農地や草原、湿地など開けた場所での減少が目立つ一方で、森林内では生態数が比較的安定していることがわかった。また、鹿やイノシシといった大型獣は逆に増加しており、植生を食い荒らすことで環境全体に悪影響を与えている現状も浮かび上がった。 また、気候変動の影響として、南方系のチョウが北上して分布エリアを広げる一方で、カエルの産卵時期が早まるなど、生態系全体に変化が生じていることもわかった。 虫や小動物が減っている原因は多岐にわたり、農業の縮小や農地放棄によって草地や湿地が減少したこと、都市化の進展、農薬や化学肥料の使用、さらには気候変動など、多くの複合的な要因が重なっていると見られる。特にネオニコチノイド系農薬のような浸透性農薬の影響は、まだデータ上では明確に示されてはいないが、生態系に長期的な負荷を与えている可能性が指摘されている。 さらに「人口が減れば自然が戻る」というイメージは里山には当てはまらず、人が管理をやめた土地は荒れ、外来種や大型獣に占拠され、多様性を失うケースが多い現実も確認された。 虫や小動物の減少は日本に限らず、欧米でも同様の傾向が報告されている。農地や草原に生息する生き物の減少は共通の問題であり、欧州では環境保全型農業を推進するための補助金や制度を整備し、農業と生物多様性を両立させる努力が続けられている。一方、日本ではこうした制度や支援がまだ十分ではなく、農薬や肥料の削減、農地管理の工夫、直接支払制度の見直しなどが急務とされている。 藤田氏は「今回調査を行った場所は比較的良好な環境。それでもこれだけ減少している。調査対象外の地域ではさらに深刻な可能性がある」と警鐘を鳴らす。虫が減っているという実感は、もはや体感や一部の観察者だけの話ではなく、科学的データに裏打ちされた事実となった。虫や小動物は生態系の土台であり、その減少は食物網全体に影響を及ぼす。人間が自然と共生することの重要性とともに、管理することで初めて守れる多様性があることも、この調査は明らかにしている。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/08/29(金) 12:00
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<ディスクロージャー&ディスカバリー>日米地位協定を盾に在日米軍情報の公開を妨げているのは誰か
「知らしむべからず由らしむべし」の言葉を地で行くように、日本政府は得てして情報公開には後ろ向きだが、しかしその一方で日本には情報公開法や情報公開制度があり、法律に則って開示請求をすれば、ある程度までは政府が情報を出さざるを得ない状況を作ることは可能だ。 しかし、これがこと在日米軍に関する情報となると、政府は日米地位協定を理由に一切の情報開示を拒絶する。これはまるで日米地位協定の方が日本の法律よりも上位の法規であると言わんばかりの姿勢だ。 今年3月に発生したオスプレイの松本空港への緊急着陸では、正にその実態が如実に現れだ。 2025年3月25日、長野県の松本空港に2機のオスプレイが緊急着陸した。その後修理用の部品を運んだとみられる3機目のオスプレイが松本空港への着陸を要請したが、長野県はこれを拒否しようとした。長野県と松本市の間で松本空港を軍事利用しないことを取り決めた協定があったからだ。しかし、外務省が「日米地位協定に抵触する恐れがある」として受け入れを求め、結果的に長野県は着陸を認めざるを得なかった。この経緯は後に信濃毎日新聞社による情報公開請求で明らかになったが、その中で長野県側が外務省に対し、「日米地位協定の方が(地元の協定よりも)上位にあるということか」と尋ねるやりとりがあったことを同紙は報じている。 日米地位協定は、日本に駐留する米軍関係者の法的地位や権限を定める協定で、法律上は他国との条約と同等の地位を持つ。その中には、事故や事件が起きた場合や航空管制などで日本の主権行使に制約を課す内容が含まれている。そして、日本政府と在日米軍との間で地位協定の運用を話し合う場となっている日米合同委員会は、基本的にその内容は完全に非公開となっており、日本の情報公開法も日米合同委員会には一切力が及んでいない。 番組では具体例として、沖縄北部訓練場をめぐる情報公開訴訟や普天間基地の周辺で行われていた飛行経路の情報公開訴訟、横田基地における燃料流出事故などを取り上げ、日本の自治体が情報開示を決定しても、外務省が日米合同委員会での「非公開合意」を盾に公開決定の差し止めを求める訴訟を起こし、結果的に情報開示が取り消されるという事例が相次いでいることを紹介した。 日米安全保障条約や日米地位協定がある以上、安全保障上の配慮は必要だろう。しかし、地域住民の安全や環境保護に関わる情報の中には安全保障に直接関係がない情報も多く、これは過度に公開を制限されるべきではない。しかも、日本政府が頑として非公開を譲らない情報の多くが、アメリカの情報自由法を元にアメリカ側で公開を求めると、簡単に出てきたりする。日本政府が地位協定を盾に、極端に情報公開に後ろ向きな態度を取っているのは明らかだ。同盟の重要性を認めつつも、国民の知る権利を守ることこそが日本政府の本来の役割であり、民主主義の基盤であることを政府はあらためて確認すべきだろう。 情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子とジャーナリストの神保哲生が、日本政府の米軍関係の情報公開に対する極端に否定的な姿勢の実態とその背後にある官僚側のマインドセットなどについて議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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<マル激・後半>映画『黒川の女たち』から考える戦争と性暴力/松原文枝氏(映画監督、テレビ朝日ビジネス開発担当部長)
戦争はあらゆる面で人間性を奪う。それは戦争中も。そして戦争が終わった後も。 戦後80年となるこの夏、日本から満州に渡ったある村の開拓団で起きた衝撃的な事件を描いたドキュメンタリー映画が公開されている。タイトルは『黒川の女たち』。敗戦が濃厚となった1945年8月、日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)を一方的に破棄して満州に進軍してきたソ連軍に対し、関東軍は民間人を置き去りにしたまま撤退してしまう。残された市民はソ連軍のみならず、日本人に強い恨みを持つ地元の中国人からも容赦ない殺害、略奪、強姦などにさらされることとなった。満州では移住した27万人のうち、8万人が命を落としている。 岐阜県黒川村から満州に渡った黒川開拓団は、未婚女性を差し出すことでソ連軍の保護を受け、650人余りのうち451人が日本に引き揚げることができた。その時、性接待に駆り出された女性のうち、「なかったことにはできない」との思いを強く持った女性が語り始めたことで、長らく封印されてきた歴史的事実が明らかになってきた。 日本は1932年、傀儡国家「満州国」を建設し、1936年には「満州農業移民100万戸移住計画」を決定。満州国の開拓を目的に、日本からは主に困窮した農民が移住させられた。1945年の敗戦までに約27万人の日本人が満州に移住したとされる。岐阜県黒川村(現加茂郡白川町)の黒川開拓団もその国策に応じた移住団の1つだった。 関東軍の撤退でソ連軍と地元民からの攻撃にさらされた開拓団の中には、集団自決の道を選んだ村も数多くあった。しかし、黒川開拓団は生き延びるために、地元住民の襲撃からの護衛をソ連軍に依頼し、見返りとして若い未婚女性15人を性の相手として差し出すことを選択した。当時、17~21歳の未婚女性15人が差し出され、日夜ソ連兵の性接待に応じた。15人のうち性病や発疹チフスで4人が現地で亡くなったという。 敗戦から1年後、黒川開拓団451人の日本への引き揚げが実現した。ところが日本で、村を守るために自らを性接待に差し出した女性たちを待っていたものは、差別と偏見だった。これから日本で結婚したり、職を得たりしなければならない若い女性たちにとって、性接待の事実はできるだけ隠したいことだったし、女性を差し出すことで自分たちが生き延びたことへのうしろめたい思いを持つ村の人々も、性接待については固く口を閉ざした。そのためこの事実は、長らく封印されてきた。黒川村では誰もが知るこの歴史の事実が、村の外に出ることはなかった。 1982年には村の神社に「乙女の碑」と刻まれた慰霊碑が建立されたが、そこには性接待の事実に関する説明は一切なかった。 しかし、その一方で1983年に月刊誌の取材を皮切りに複数のメディアの取材に応じてきた被害者の1人だった佐藤ハルエさん(2024年1月死去)は、実名で性接待の事実を語り、実名が公表されることを望んでいた。メディアの側が佐藤さんの実名も、また性接待の事実についても、「自主的」にこれを隠蔽した。性接待の事実や佐藤さんの実名が表に出れば、他にも被害者だったことが疑われる人が出てしまう。その中には事実を隠したまま結婚し、社会生活を送っている人がいるため、実名での告発は見送られ続けたのだった。 佐藤ハルエさんと安江善子さん(2016年死去)の証言によって黒川開拓団のソ連兵への性接待という歴史的事実が実名とともに表に出たのは、2013年のことだった。戦争が終わってから68年が経っていた。 ドキュメンタリー映画『黒川の女たち』は、そのような自らの性被害を証言する女性たちを追ったドキュメンタリー映画だ。監督の松原文枝氏は、「戦争は人間性を失わせる。明日死ぬか、女性を道具にするかという究極の選択を迫るような状況を為政者に作らせてはいけない」と語る。 黒川村のケースでは、佐藤ハルエさんらの「事実を埋もれさせてはならない」という強い思いがあったからこそ、歴史的な事実が人々の知るところとなった。しかし、犠牲になった女性にとっても、女性を差し出すことで生き延びた人々にとっても、この事実を公表するのが非常に困難な選択であることは容易に想像できる。満州のみならず、日本が侵攻し積極的に住民の移住を進めた地域では、他にも似たような事例が少なからずあった可能性が否定できない。 黒川開拓団に何が起きたのか、帰国した彼女たちを何が待ち受けていたのか、表には出にくいこの歴史的事実がいかにして公の知るところとなったのかなどについて、映画『黒川の女たち』監督の松原文枝氏と、ジャーナリストの神保哲生、迫田朋子が議論した。前半はこちら→so45327412(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2025/08/25(月) 12:00
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<マル激・前半>映画『黒川の女たち』から考える戦争と性暴力/松原文枝氏(映画監督、テレビ朝日ビジネス開発担当部長)
戦争はあらゆる面で人間性を奪う。それは戦争中も。そして戦争が終わった後も。 戦後80年となるこの夏、日本から満州に渡ったある村の開拓団で起きた衝撃的な事件を描いたドキュメンタリー映画が公開されている。タイトルは『黒川の女たち』。敗戦が濃厚となった1945年8月、日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)を一方的に破棄して満州に進軍してきたソ連軍に対し、関東軍は民間人を置き去りにしたまま撤退してしまう。残された市民はソ連軍のみならず、日本人に強い恨みを持つ地元の中国人からも容赦ない殺害、略奪、強姦などにさらされることとなった。満州では移住した27万人のうち、8万人が命を落としている。 岐阜県黒川村から満州に渡った黒川開拓団は、未婚女性を差し出すことでソ連軍の保護を受け、650人余りのうち451人が日本に引き揚げることができた。その時、性接待に駆り出された女性のうち、「なかったことにはできない」との思いを強く持った女性が語り始めたことで、長らく封印されてきた歴史的事実が明らかになってきた。 日本は1932年、傀儡国家「満州国」を建設し、1936年には「満州農業移民100万戸移住計画」を決定。満州国の開拓を目的に、日本からは主に困窮した農民が移住させられた。1945年の敗戦までに約27万人の日本人が満州に移住したとされる。岐阜県黒川村(現加茂郡白川町)の黒川開拓団もその国策に応じた移住団の1つだった。 関東軍の撤退でソ連軍と地元民からの攻撃にさらされた開拓団の中には、集団自決の道を選んだ村も数多くあった。しかし、黒川開拓団は生き延びるために、地元住民の襲撃からの護衛をソ連軍に依頼し、見返りとして若い未婚女性15人を性の相手として差し出すことを選択した。当時、17~21歳の未婚女性15人が差し出され、日夜ソ連兵の性接待に応じた。15人のうち性病や発疹チフスで4人が現地で亡くなったという。 敗戦から1年後、黒川開拓団451人の日本への引き揚げが実現した。ところが日本で、村を守るために自らを性接待に差し出した女性たちを待っていたものは、差別と偏見だった。これから日本で結婚したり、職を得たりしなければならない若い女性たちにとって、性接待の事実はできるだけ隠したいことだったし、女性を差し出すことで自分たちが生き延びたことへのうしろめたい思いを持つ村の人々も、性接待については固く口を閉ざした。そのためこの事実は、長らく封印されてきた。黒川村では誰もが知るこの歴史の事実が、村の外に出ることはなかった。 1982年には村の神社に「乙女の碑」と刻まれた慰霊碑が建立されたが、そこには性接待の事実に関する説明は一切なかった。 しかし、その一方で1983年に月刊誌の取材を皮切りに複数のメディアの取材に応じてきた被害者の1人だった佐藤ハルエさん(2024年1月死去)は、実名で性接待の事実を語り、実名が公表されることを望んでいた。メディアの側が佐藤さんの実名も、また性接待の事実についても、「自主的」にこれを隠蔽した。性接待の事実や佐藤さんの実名が表に出れば、他にも被害者だったことが疑われる人が出てしまう。その中には事実を隠したまま結婚し、社会生活を送っている人がいるため、実名での告発は見送られ続けたのだった。 佐藤ハルエさんと安江善子さん(2016年死去)の証言によって黒川開拓団のソ連兵への性接待という歴史的事実が実名とともに表に出たのは、2013年のことだった。戦争が終わってから68年が経っていた。 ドキュメンタリー映画『黒川の女たち』は、そのような自らの性被害を証言する女性たちを追ったドキュメンタリー映画だ。監督の松原文枝氏は、「戦争は人間性を失わせる。明日死ぬか、女性を道具にするかという究極の選択を迫るような状況を為政者に作らせてはいけない」と語る。 黒川村のケースでは、佐藤ハルエさんらの「事実を埋もれさせてはならない」という強い思いがあったからこそ、歴史的な事実が人々の知るところとなった。しかし、犠牲になった女性にとっても、女性を差し出すことで生き延びた人々にとっても、この事実を公表するのが非常に困難な選択であることは容易に想像できる。満州のみならず、日本が侵攻し積極的に住民の移住を進めた地域では、他にも似たような事例が少なからずあった可能性が否定できない。 黒川開拓団に何が起きたのか、帰国した彼女たちを何が待ち受けていたのか、表には出にくいこの歴史的事実がいかにして公の知るところとなったのかなどについて、映画『黒川の女たち』監督の松原文枝氏と、ジャーナリストの神保哲生、迫田朋子が議論した。後半はこちら→so45327611(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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<マル激・後半>5金スペシャル・映画が突きつける「真の正義」はどこにあるのか
月の5回目の金曜日に特別番組をお送りする5金スペシャル。今回は目黒駅近くのイベントスペース「gicca池田山」で公開収録した映画特集の模様をお送りする。 今回取り上げた映画は次の4本。いずれもわれわれが深く考えずに当たり前だと信じて疑わない物事の表面と、その裏にある真実との隔たりが生み出す不条理を描いた秀作だ。 ・『陪審員2番』(クリント・イーストウッド監督) ・『聖なるイチジクの種』(モハマド・ラスロフ監督) ・『教皇選挙』(エドワード・ベルガー監督) ・『それでも私は Though I'm his daughter』(長塚洋監督) 『陪審員2番』はクリント・イーストウッドの最後の映画とも言われている作品で、恋人を殺害した容疑で罪に問われたジェームズ・サイスという男の裁判で陪審員を務めることになった主人公のジャスティン・ケンプが、そうとは気づかずにこの事件の被害者を車で轢いてしまったのが自分なのだという確信を深めていき、葛藤する物語。しかもケンプにとって都合がいいことに、被疑者のサイスは日頃から言動が粗暴だったことから、陪審員の多くはサイスを犯人だと決めつけていた。素行が悪いからというバイアスによって有罪評決に落ち着いてしまう不条理な集団心理を克明に描くとともに、そもそも陪審員の中に真犯人がいるという事態を想定していない司法の破綻が描かれている。しかし、そこはイーストウッドだ。最後に人間とはどうあるべきかという問いを突きつけてくる。 『聖なるイチジクの種』は、イラン人のモハマド・ラスロフ監督が命を危険に晒してイランの現体制の問題をえぐった渾身の作品。逮捕や検閲を避けるために監督がリモートで指揮を執り、映像を秘密裏に国外に持ち出して編集されたという曰く付きの秀作だ。22歳のクルド人女性マフサ・アミニさんがヒジャブを適切に着用していなかったとして2022年に逮捕され、亡くなった事件をきっかけに、反政府デモが過熱するイランが舞台だ。妻や2人の娘と暮らす主人公のイマンは、裁判所に勤務する中、予審判事に昇進し、反政府デモの参加者に不当な刑罰を下すことを強いられるようになった。始めはそれに罪悪感を持ち苦しんでいるように見えたイマンだが、物語が展開していくにつれ、家族に対してさえ監視や統制を強めようとしていく。リベラルのふりをして実は職場でのポジション取りに執着する人物だったことが徐々に露わになる。現在のイランの人権を無視した神権政治体制を批判しつつも、その中で生きる人間像を通して、根本的な人間の価値とは何かを問いかけている。 たまたまフランシスコ教皇の死去とタイミングが重なったことで異例の注目を集めている映画『教皇選挙』では、カトリック教会の新教皇を選出する選挙で、枢機卿たちが次期教皇の座を巡って様々な駆け引きをする様が描かれる。賄賂の受け渡しや対立候補を陥れるための策略に奔走する枢機卿たちは、宗教的な存在のように見えて実は誰よりも世俗的だ。一方、教皇選挙の進行を任された主人公のローレンス枢機卿は、カトリック教会の信仰が形骸化していることに疑念を持っており、そのような考えを持った自分は次期教皇にはふさわしくないと考えていた。ここでも現状のカトリック教会のあり方に疑念を持つローレンス枢機卿が神の目から見れば実は最も宗教的な存在だという反転が描かれている。 一見すると粗野で乱暴に見える人物が、実は公共的な精神を持ち、時に法を破ってでも目の前の人や社会的弱者を救おうとする存在だったということがある。逆に、善人に見えても実はポジション取りにばかり固執する人間だったということもある。この3作品はそのようなモチーフが共通して描かれている。われわれがそれを見抜く力をつけるためには、経験と教養が不可欠だ。 最後に取り上げたのは、オウム真理教の教祖、麻原彰晃(松本智津夫)の三女・松本麗華さんを6年にわたり追いかけたドキュメンタリー映画『それでも私は Though I'm his daughter』だ。1995年の地下鉄サリン事件当時12歳だった麗華さんは、加害者の家族だという理由だけで銀⾏⼝座の開設まで拒絶され、大学に合格しても入学を断られる。裁判所の命令によりようやく大学入学が認められたが、その後も定職に就くことを拒否され、⼈並みの⽣活を営むことができないでいた。しかし、どんなに凶悪な犯罪の首謀者だったとしても、麗華さんは子どもだった頃の自分には優しかった父親に対しては複雑な感情を抱いていた。事件の真相が十分に解明されないまま2018年に心神喪失状態にある麻原の死刑が執行されてしまったことで、自分の父親がなぜあのような凶悪な犯罪を引き起こしてしまったのかが明らかにならなかったことについて、麗華さん自身が深い悲しみと絶望に沈む姿が記録されている。映画は、二度と同じような事件が起こらないために必要だった真相解明の機会が失われたことの重みを改めて問いかけている。 物事の背後にある真実や、人間の内面に潜む本質に敏感になるためには何が必要か。4つの映画作品を題材にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so45040747(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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