チャンネル 動画 (12) 記事 動画投稿が新しい順 再生が多い順 コメントが新しい順 コメントが多い順 マイリスト登録が多い順 再生時間が長い順 動画投稿が古い順 再生が少ない順 コメントが古い順 コメントが少ない順 マイリスト登録が少ない順 再生時間が短い順 キーワード タグ 会員無料 166:42 安藤礼二×中島隆博「井筒俊彦と中国——あたらしい東洋哲学のために」(2019/11/26収録) 【収録時のイベント概要】近年、慶應義塾大学出版会より井筒俊彦の英文著作が数多く刊行されている。2017年に配本が開始され、今年完結した「井筒俊彦英文著作翻訳コレクション」のことだ。井筒俊彦は、1950年代半ばから70年代までの約20年間を欧米や中近東で過ごしており、その間は英語で執筆や講演活動を行なっていた。この叢書は、ちょうどこの時期の井筒の代表作を集めたものであり、2016年に配本が完了した『井筒俊彦全集』の空白を埋めるものとなっている。『意識と本質』をはじめとする、晩年の日本語による著作の源泉がここにあると言えるだろう。この叢書には、エラノス会議の講演原稿や Language and Magic(『言語と呪術』)、 Sufism and Taoism (『スーフィズムと老荘思想』)などといった重要なテクストが含まれているが、井筒が中国ないし東洋の哲学を積極的に論じていることがわかる内容となっている。日本ではあまり知られてこなかったこれらの仕事は、井筒のあらたな側面を明らかにするだけでなく、東洋哲学へのあらたなアプローチとなる可能性を秘めている。今回ゲンロンカフェでは、文芸批評家の安藤礼二氏と哲学者の中島隆博氏をお呼びして、井筒俊彦と東洋哲学について考えるトークイベントを開催する。井筒と関連の深い折口信夫の研究でも知られる安藤氏は、今回の叢書の翻訳にも深く関わっている。また中島氏は、井筒が提唱する東洋哲学の「共時的思考の次元」における「構造化」(『意識と本質』)を彷彿とさせるような仕事でも知られている。しばしばイスラーム研究のイメージを持たれがちな井筒だが、そのきわめて多様な側面に光を当てることで、私たちはより豊かな「遺産」を受け継ぐことができるのではないだろうか。最新の翻訳によって明らかになりつつある新たな井筒像を通じて、「あたらしい東洋哲学」の可能性を探求する必見の議論! 【井筒俊彦とは】井筒俊彦(1914-1993)は日本の哲学者、東洋思想研究者。日本ではじめて『コーラン』を原典訳するなどイスラームの研究で知られるが、大乗仏教や老荘思想などの研究でも有名。また卓越した語学力をもち、30以上の言語を操ったとも言われている。なお、1950〜70年代を欧米や中近東で過ごし、その間英文で講演や執筆を行なっていたため、欧米での評価が高い。晩年の代表作『意識と本質』のなかでは、自身の試みを「東洋哲学の共時的構造化」、つまり古代の東洋哲学を現代的な文脈と問題意識のなかで再構築することであると語っている。 【ゲンロン編集部員ゐせが選ぶ、イベント予習のための参考図書5冊!】・『コスモスとアンチコスモス――東洋哲学のために』(岩波文庫)今年文庫化されたばかりの論集。イベントまえに、「コスモスとアンチコスモス」と「事事無礙・理理無礙」はとりあえず読んでおくとよいかも。・『東洋哲学覚書 意識の形而上学――『大乗起信論』の哲学』(中公文庫)イスラーム神秘思想などとの比較のなかで大乗仏教を論じた本。簡単ではないが、とてもコンパクトなので手にとりやすい。・『言語と呪術』(慶應義塾大学出版会)今回登壇の安藤礼二さんの監訳で2018年に刊行された。安藤さん曰く「これによって井筒の読み方がガラッと変わる」とのこと。・『意識と本質――精神的東洋を求めて』(岩波文庫)いわずと知れた晩年の主著。時間があってまだ読んでないひとはぜひ。井筒の英文著作はどれも『意識と本質』以前なので、今回のイベントではこの本にいたるまでの道すじが語られるか。・安藤礼二・若松英輔編『井筒俊彦――言語の根源と哲学の発生』(河出書房新社)井筒に関する論集。デリダの原稿がのっている。『言語と呪術』を論じた安藤さんの論考と、安藤さん+若松さんの対談を読んでおくと今回登壇される安藤さんの問題意識が把握できるはず。井筒俊彦と中国 – ゲンロンカフェhttps://genron-cafe.jp/event/20191126/ 142 0 0 2020/12/01(火) 00:00 会員無料 214:25 安藤礼二×大澤聡×杉田俊介×東浩紀「『現代日本の批評 1975-2016』再考——共同討議全3回完結記念」 【2017/1/13収録】@sat_osawa @sssugita @hazuma 一般発売前からSNSなどで大きな話題を呼んだ『ゲンロン4』。この本で、『ゲンロン』創刊から3回にわたって行われた特集「現代日本の批評」がついに完結した。1975年から2016年までの論壇を、ゲンロンはどのように評価したのか。そこで何が語られたのか。これから語るべきことは何か。本イベントでは、特集「現代日本の批評」をあらためて総括する。「現代日本の批評」の討論には参加していない批評家の安藤礼二と杉田俊介による、この特集に対する問題提起をうけて、大澤聡、東浩紀はどう答えるのか。ポスト「現代日本の批評」の批評はどうなっていくのか。現在の日本の批評を担う4人が、批評の歴史、そして現在と未来について、熱く議論を戦わす金曜の夜。【イベントのページ】http://genron-cafe.jp/event/20170113/ 777 10 8 2018/06/01(金) 00:00 会員無料 36:51 〈4/4〉安藤礼二×速水健朗「満洲国というユートピア——分離独立から考える日本のいま」【2015/11/25収録】 @gotanda6 この夏、中国東北部、旧満洲地方の三つの主要な都市、瀋陽(奉天)、長春(満洲帝国の首都であった新京)、ハルビンを旅してきたという安藤礼二。11月新創刊の『ゲンロン1』に、満洲をテーマとする論考を寄稿している。いま、満洲を論じる理由は、それが近代日本を映し出す鏡として存在していたからだと安藤は言う。宗教とそれを表現する美的な建築様式、ヨーロッパ的な近代を乗り越えようとした都市計画、国家機能を先鋭化した政治と経済の体制の整備。近代日本が目指した新しい国家の純粋なかたちが、そこにはあったのだ。他方、速水健朗が満洲に注目するのは、「独立国家」という観点からである。速水は満洲国を失敗した独立国家として捉えている。ポール・ヴィリリオは「事故のないところに進歩はない」と述べたが、満洲の失敗をヴィリリオの「事故の博物館」構想の視点から捉えると見えてくるものがあるのではないか、というのが速水の視点である。五族協和を掲げた、多民族・多宗教の帝国、満洲。近代日本のユートピアは、日本の精神文化や社会構造のなにを写し、いかにデフォルメさせていたのか。現在の満洲を旅することで、われわれはどのような視点を獲得できるのか。大著『折口信夫』が角川財団学芸賞を受賞したばかりの安藤礼二と、速水健朗が、ユートピア国家満洲から日本のいまを激論。 269 0 3 2016/05/01(日) 00:00 会員無料 36:37 〈3/4〉安藤礼二×速水健朗「満洲国というユートピア——分離独立から考える日本のいま」【2015/11/25収録】 @gotanda6 この夏、中国東北部、旧満洲地方の三つの主要な都市、瀋陽(奉天)、長春(満洲帝国の首都であった新京)、ハルビンを旅してきたという安藤礼二。11月新創刊の『ゲンロン1』に、満洲をテーマとする論考を寄稿している。いま、満洲を論じる理由は、それが近代日本を映し出す鏡として存在していたからだと安藤は言う。宗教とそれを表現する美的な建築様式、ヨーロッパ的な近代を乗り越えようとした都市計画、国家機能を先鋭化した政治と経済の体制の整備。近代日本が目指した新しい国家の純粋なかたちが、そこにはあったのだ。他方、速水健朗が満洲に注目するのは、「独立国家」という観点からである。速水は満洲国を失敗した独立国家として捉えている。ポール・ヴィリリオは「事故のないところに進歩はない」と述べたが、満洲の失敗をヴィリリオの「事故の博物館」構想の視点から捉えると見えてくるものがあるのではないか、というのが速水の視点である。五族協和を掲げた、多民族・多宗教の帝国、満洲。近代日本のユートピアは、日本の精神文化や社会構造のなにを写し、いかにデフォルメさせていたのか。現在の満洲を旅することで、われわれはどのような視点を獲得できるのか。大著『折口信夫』が角川財団学芸賞を受賞したばかりの安藤礼二と、速水健朗が、ユートピア国家満洲から日本のいまを激論。 275 0 2 2016/05/01(日) 00:00 会員無料 42:56 〈2/4〉安藤礼二×速水健朗「満洲国というユートピア——分離独立から考える日本のいま」【2015/11/25収録】 @gotanda6 この夏、中国東北部、旧満洲地方の三つの主要な都市、瀋陽(奉天)、長春(満洲帝国の首都であった新京)、ハルビンを旅してきたという安藤礼二。11月新創刊の『ゲンロン1』に、満洲をテーマとする論考を寄稿している。いま、満洲を論じる理由は、それが近代日本を映し出す鏡として存在していたからだと安藤は言う。宗教とそれを表現する美的な建築様式、ヨーロッパ的な近代を乗り越えようとした都市計画、国家機能を先鋭化した政治と経済の体制の整備。近代日本が目指した新しい国家の純粋なかたちが、そこにはあったのだ。他方、速水健朗が満洲に注目するのは、「独立国家」という観点からである。速水は満洲国を失敗した独立国家として捉えている。ポール・ヴィリリオは「事故のないところに進歩はない」と述べたが、満洲の失敗をヴィリリオの「事故の博物館」構想の視点から捉えると見えてくるものがあるのではないか、というのが速水の視点である。五族協和を掲げた、多民族・多宗教の帝国、満洲。近代日本のユートピアは、日本の精神文化や社会構造のなにを写し、いかにデフォルメさせていたのか。現在の満洲を旅することで、われわれはどのような視点を獲得できるのか。大著『折口信夫』が角川財団学芸賞を受賞したばかりの安藤礼二と、速水健朗が、ユートピア国家満洲から日本のいまを激論。 371 1 2 2016/05/01(日) 00:00 会員無料 40:22 〈1/4〉安藤礼二×速水健朗「満洲国というユートピア——分離独立から考える日本のいま」【2015/11/25収録】 @gotanda6 この夏、中国東北部、旧満洲地方の三つの主要な都市、瀋陽(奉天)、長春(満洲帝国の首都であった新京)、ハルビンを旅してきたという安藤礼二。11月新創刊の『ゲンロン1』(https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=261)に、満洲をテーマとする論考を寄稿している。いま、満洲を論じる理由は、それが近代日本を映し出す鏡として存在していたからだと安藤は言う。宗教とそれを表現する美的な建築様式、ヨーロッパ的な近代を乗り越えようとした都市計画、国家機能を先鋭化した政治と経済の体制の整備。近代日本が目指した新しい国家の純粋なかたちが、そこにはあったのだ。他方、速水健朗が満洲に注目するのは、「独立国家」という観点からである。速水は満洲国を失敗した独立国家として捉えている。ポール・ヴィリリオは「事故のないところに進歩はない」と述べたが、満洲の失敗をヴィリリオの「事故の博物館」構想の視点から捉えると見えてくるものがあるのではないか、というのが速水の視点である。五族協和を掲げた、多民族・多宗教の帝国、満洲。近代日本のユートピアは、日本の精神文化や社会構造のなにを写し、いかにデフォルメさせていたのか。現在の満洲を旅することで、われわれはどのような視点を獲得できるのか。大著『折口信夫』(http://amzn.to/1ppU7gI)が角川財団学芸賞を受賞したばかりの安藤礼二と、速水健朗が、ユートピア国家満洲から日本のいまを激論。1/4 http://www.nicovideo.jp/watch/14620244652/4 http://www.nicovideo.jp/watch/14620261583/4 http://www.nicovideo.jp/watch/14620262004/4 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026219満洲国というユートピア | ゲンロンカフェhttp://genron-cafe.jp/event/20151125/ 479 0 7 2016/05/01(日) 00:00 会員無料 74:24 (2/2)福嶋亮大×安藤礼二「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #2 折口信夫から井筒俊彦へ――日本的な「物語」とその彼方」【2014/08/22 収録】 連続講座「物語と観客の日本文明論ーー『復興文化論』の先へ」(全三回)開講に寄せて福嶋亮大昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。7月4日開催の第一回目では「日本の〈物語〉とポップカルチャー」と題して、私(福嶋)が『復興文化論』とそれに関連するアクチュアルな問題をお話します。8月22日の第二回はゲストに安藤礼二氏をお招きしての対談、9月の第三回は東浩紀氏との対談と続きます。講義全体を通じて、日本文明の姿を多角的に議論することを狙いとします。第一回の講義「日本の〈物語〉とポップカルチャー」では、日本の物語が伝統的にどういう仕事を果たしてきたのか、それは東アジアのコンテクスト(文脈)においてどんな意味を持つのか、さらにその伝統は今日のポップカルチャーといかに接続されているのか……といったテーマをお話します。たんにポップカルチャーの流行に右往左往するのではなく、むしろそれを日本的な〈物語〉の系譜に位置づけること。それはかえって新鮮なヴィジョンを私たちに与えてくれるはずです。第二回の講義では、文芸批評家の安藤礼二氏をゲストにお迎えして、第一回の議論をより深めていきます。安藤氏はデビューから一貫して民俗学者・折口信夫の研究に取り組んできた一方で、近年では井筒俊彦の再導入にも積極的に関わってきました。折口にせよ井筒にせよ、近代合理主義には収まりきらない「危険」な著述家であるばかりでなく、質量ともに圧倒的な仕事を残したということもあって、その思想を見極めるのは容易ではありません。しかし、安藤氏は彼らの「毒」を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼らを現代社会によみがえらせるという難しい仕事にチャレンジし続けているのです。今回はひとまず折口の文学論を踏まえながら、彼の弟子にあたる角川源義、さらには今日のKADOKAWA—DWANGOの合併問題なども視野に入れて、折口民俗学のアクチュアリティを探ります。と同時に、慶應義塾大学出版会から全集刊行中の井筒についても、その現代的可能性の一端を安藤氏にうかがっていきます。もっぱら日本をフィールドとしながら、神や物語の意味を問い続けた折口信夫。イスラーム神学からロシア文学、さらには言語哲学から神秘思想に到るまで、グローバルな思索を繰り広げた井筒俊彦。この両者の「出会い」にご期待ください。安藤礼二氏のレジュメはこちら(https://shop.genron.co.jp/user_data/upload/save_image/nihonbunmeiron_2.pdf)からご覧いただけます。 497 0 1 2015/10/01(木) 00:00 会員無料 60:00 (1/2)福嶋亮大×安藤礼二「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #2 折口信夫から井筒俊彦へ――日本的な「物語」とその彼方」【2014/08/22 収録】 連続講座「物語と観客の日本文明論ーー『復興文化論』の先へ」(全三回)開講に寄せて福嶋亮大昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。7月4日開催の第一回目では「日本の〈物語〉とポップカルチャー」と題して、私(福嶋)が『復興文化論』とそれに関連するアクチュアルな問題をお話します。8月22日の第二回はゲストに安藤礼二氏をお招きしての対談、9月の第三回は東浩紀氏との対談と続きます。講義全体を通じて、日本文明の姿を多角的に議論することを狙いとします。第一回の講義「日本の〈物語〉とポップカルチャー」では、日本の物語が伝統的にどういう仕事を果たしてきたのか、それは東アジアのコンテクスト(文脈)においてどんな意味を持つのか、さらにその伝統は今日のポップカルチャーといかに接続されているのか……といったテーマをお話します。たんにポップカルチャーの流行に右往左往するのではなく、むしろそれを日本的な〈物語〉の系譜に位置づけること。それはかえって新鮮なヴィジョンを私たちに与えてくれるはずです。第二回の講義では、文芸批評家の安藤礼二氏をゲストにお迎えして、第一回の議論をより深めていきます。安藤氏はデビューから一貫して民俗学者・折口信夫の研究に取り組んできた一方で、近年では井筒俊彦の再導入にも積極的に関わってきました。折口にせよ井筒にせよ、近代合理主義には収まりきらない「危険」な著述家であるばかりでなく、質量ともに圧倒的な仕事を残したということもあって、その思想を見極めるのは容易ではありません。しかし、安藤氏は彼らの「毒」を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼らを現代社会によみがえらせるという難しい仕事にチャレンジし続けているのです。今回はひとまず折口の文学論を踏まえながら、彼の弟子にあたる角川源義、さらには今日のKADOKAWA—DWANGOの合併問題なども視野に入れて、折口民俗学のアクチュアリティを探ります。と同時に、慶應義塾大学出版会から全集刊行中の井筒についても、その現代的可能性の一端を安藤氏にうかがっていきます。もっぱら日本をフィールドとしながら、神や物語の意味を問い続けた折口信夫。イスラーム神学からロシア文学、さらには言語哲学から神秘思想に到るまで、グローバルな思索を繰り広げた井筒俊彦。この両者の「出会い」にご期待ください。安藤礼二氏のレジュメはこちら(https://shop.genron.co.jp/user_data/upload/save_image/nihonbunmeiron_2.pdf)からご覧いただけます。 687 5 2 2015/10/01(木) 00:00 会員無料 60:00 (1/2)安藤礼二×赤坂真理「折口信夫の愛と暴力――『折口信夫』刊行記念トークイベント」【2015/1/27配信】 私がはじめてまとめた書物、『神々の闘争 折口信夫論』から10年という歳月をかけて、ようやく、自分なりに、折口信夫という特異な表現者の「核心」をつかまえることができたと思う。もちろん、いまだ充分に論じきれていない問題は多い。しかし、現在までのところ、今回出版した『折口信夫』以上のものを書くこと、語ることは、私の力だけでは不可能である。研究と創作、理論と実践が不可分に結びついた折口信夫のさらなる可能性を、この機会に、小説家の赤坂真理さんとともに、ぜひとも深めて行きたいと考えた。赤坂さんが2012年に発表した『東京プリズン』は、従来の小説の型を破壊してしまう衝撃的なものだった。天皇の戦争責任を、「東京裁判」を、一人の少女が問い直し、生き直すのである。その背後には折口信夫の天皇論が通奏低音のように鳴り響いていた。赤坂さんは、さらに2014年、『愛と暴力の戦後とその後』を刊行した。「愛と暴力の戦後」を問うことは折口信夫の可能性と不可能性を問うことと等しい。赤坂さんとともに、聴衆の皆さんとともに、折口信夫の「未来」を考えたい。(安藤礼二記) 795 0 1 2015/08/01(土) 00:00 会員無料 59:36 (2/2)安藤礼二×赤坂真理「折口信夫の愛と暴力――『折口信夫』刊行記念トークイベント」【2015/1/27配信】 私がはじめてまとめた書物、『神々の闘争 折口信夫論』から10年という歳月をかけて、ようやく、自分なりに、折口信夫という特異な表現者の「核心」をつかまえることができたと思う。もちろん、いまだ充分に論じきれていない問題は多い。しかし、現在までのところ、今回出版した『折口信夫』以上のものを書くこと、語ることは、私の力だけでは不可能である。研究と創作、理論と実践が不可分に結びついた折口信夫のさらなる可能性を、この機会に、小説家の赤坂真理さんとともに、ぜひとも深めて行きたいと考えた。赤坂さんが2012年に発表した『東京プリズン』は、従来の小説の型を破壊してしまう衝撃的なものだった。天皇の戦争責任を、「東京裁判」を、一人の少女が問い直し、生き直すのである。その背後には折口信夫の天皇論が通奏低音のように鳴り響いていた。赤坂さんは、さらに2014年、『愛と暴力の戦後とその後』を刊行した。「愛と暴力の戦後」を問うことは折口信夫の可能性と不可能性を問うことと等しい。赤坂さんとともに、聴衆の皆さんとともに、折口信夫の「未来」を考えたい。(安藤礼二記) 541 0 2 2015/08/01(土) 00:00 会員無料 74:24 (2/2)福嶋亮大×安藤礼二「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #2 折口信夫から井筒俊彦へ――日本的な「物語」とその彼方」【2014/8/22配信】 @liang_da 昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。第二回では文芸批評家の安藤礼二氏をゲストにお迎えします。安藤氏はデビューから一貫して民俗学者・折口信夫の研究に取り組んできた一方で、近年では井筒俊彦の再導入にも積極的に関わってきました。折口にせよ井筒にせよ、近代合理主義には収まりきらない「危険」な著述家であるばかりでなく、質量ともに圧倒的な仕事を残したということもあって、その思想を見極めるのは容易ではありません。しかし、安藤氏は彼らの「毒」を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼らを現代社会によみがえらせるという難しい仕事にチャレンジし続けているのです。今回はひとまず折口の文学論を踏まえながら、彼の弟子にあたる角川源義、さらには今日のKADOKAWA—DWANGOの合併問題なども視野に入れて、折口民俗学のアクチュアリティを探ります。と同時に、慶應義塾大学出版会から全集刊行中の井筒についても、その現代的可能性の一端を安藤氏にうかがっていきます。もっぱら日本をフィールドとしながら、神や物語の意味を問い続けた折口信夫。イスラーム神学からロシア文学、さらには言語哲学から神秘思想に到るまで、グローバルな思索を繰り広げた井筒俊彦。この両者の「出会い」にご期待ください。 (福嶋亮大) 290 0 1 2015/03/01(日) 00:00 会員無料 60:00 (1/2)福嶋亮大×安藤礼二「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #2 折口信夫から井筒俊彦へ――日本的な「物語」とその彼方」【2014/8/22配信】 @liang_da 昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。第二回では文芸批評家の安藤礼二氏をゲストにお迎えします。安藤氏はデビューから一貫して民俗学者・折口信夫の研究に取り組んできた一方で、近年では井筒俊彦の再導入にも積極的に関わってきました。折口にせよ井筒にせよ、近代合理主義には収まりきらない「危険」な著述家であるばかりでなく、質量ともに圧倒的な仕事を残したということもあって、その思想を見極めるのは容易ではありません。しかし、安藤氏は彼らの「毒」を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼らを現代社会によみがえらせるという難しい仕事にチャレンジし続けているのです。今回はひとまず折口の文学論を踏まえながら、彼の弟子にあたる角川源義、さらには今日のKADOKAWA—DWANGOの合併問題なども視野に入れて、折口民俗学のアクチュアリティを探ります。と同時に、慶應義塾大学出版会から全集刊行中の井筒についても、その現代的可能性の一端を安藤氏にうかがっていきます。もっぱら日本をフィールドとしながら、神や物語の意味を問い続けた折口信夫。イスラーム神学からロシア文学、さらには言語哲学から神秘思想に到るまで、グローバルな思索を繰り広げた井筒俊彦。この両者の「出会い」にご期待ください。 (福嶋亮大) 360 0 2 2015/03/01(日) 00:00 12件 < 1 次へ >