• 回帰する歌たち ――中島みゆきにおける「リメイク」が語るもの――⑤

    2014-05-03 12:00

    5 おわりに

     一九九五年の「夜会VOL.7 ―2/2」では、これまでの「夜会」とスタイルを大きく変え、(「二隻の舟」を除く全曲が)新曲で構成されることになった。「VOL.6」までの、過去の作品に新たな意味を与えるという「夜会」の方向性はここで大きな転換を迎えたわけである。「VOL.7」で生まれた新曲が、いつかまた新たな意味をはらんで回帰してくるとき、それを私自身の生というストーリーの中で受け止めることができればと願っている。

     「ローリング」の主人公が立っていた「荒野」も、「人待ち歌」の主人公が越えようとした「荒野」も、われわれが生きているこの世界のなかに広がっている。その「荒野」の風景は、一人ひとりの視点によってそれぞれに違うだろう。しかし、それぞれの視点から「荒野」を見つめ、そしてどこかへ向かって歩きだそうとするとき、中島みゆきの歌は翼のように回帰し、われわれに何かを語りかけるはずである。

    MIYUKOLOGIE


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  • 回帰する歌たち ――中島みゆきにおける「リメイク」が語るもの――④

    2014-04-26 12:00

    4 もうひとつの「夜会」――「10WINGS」

     一九九五年十月にリリースされたアルバム「10WINGS」は、「夜会」のために書かれたオリジナル曲をアルバムに収録したという点で、「時代 -Time goes around-」以上の驚きをわれわれにもたらした。なぜなら(繰り返しになるが)「夜会」には、アルバムでの位置づけなどからくる固定された意味から、歌を解放してやりたいという明確な動機が存在し、われわれもその「実験劇場」に六年間のあいだ立ち会ってきたからである。しかし「10WINGS」では逆に、「夜会」のオリジナル曲を「夜会」のストーリー上の意味だけには限定されない、多様な意味をはらむ作品へと再び解放しようというヴェクトルが働いているのである。(「夜会」のミュージシャンが意図的に外されているのも、その傍証であろう。)

     ただし注意しなければならないのは、「ストーリー上の意味だけには限定されない」ということは、必ずしも「ストーリー上の意味とは無関係」ということではないということである。むしろ「ストーリー上の意味をいったん踏まえた上で、しかもその歌を別の文脈に置き直してみればどうなるか」という(もう一段高度な)思考実験を、かつて「夜会」での実験を目撃した聴き手は要求されているように思われるのである。実際、夜会のステージを観た者にとっては、これらの曲を歌われた場面をまったく思い浮かべずに聴くことは難しい。だから、その場面だけが前後の文脈から切り離されて、突然記憶によみがえるという違和感が生じてくる。それも、歌い方やアレンジや、時には歌詞までもが変わっているために、その違和感はさらに強められる。その失われた「前後の文脈」を、聴き手自身の想像力によって、聴き手自身の生の文脈の中に位置づけ直しながら、「夜会」の「そうでありえたかもしれないもうひとつのストーリー」として補いながら聴いてゆくことが、われわれ聴き手には求められているのかもしれない。だとすれば、十の舞台袖(Wings)のあいだの舞台では、われわれ一人ひとりにとっての、もうひとつの「夜会」が上演されることになるだろう。

     個々の曲についても、思い付くままにコメントしておこう。

     「DIAMOND CAGE」は、「夜会VOL.4 ―金環触―」では「さあ旅立てWOMAN」という外向的なメッセージになっていたのに、アルバムでは、(まさにその部分の歌詞が歌われていないことに象徴されるように)依然として「檻」の中に閉じ込められたままの女性を歌った内向的な歌になっている。

     「Maybe」では、「何でもないわ、私は大丈夫……」以下の、いわゆるサビの部分でもテンポが変わらずに、リズムに乗りながら、またメロディーを自由にデフォルメしながら歌われているのが心地よい。他の曲でも感じたことだが、「夜会」よりもむしろコンサートツアーで歌うとこんな感じになるのではないか、というライヴ的な乗りを感じさせる。

     このバージョンの場合は、「なんでもないわ、私は大丈夫」という女性の、強がりと裏腹の弱さよりもむしろ、「夢見れば人生は辛い思いが多くなる、けれど夢見ずにいられない」と、まさに「夢見る勇気」を最後に力強く肯定することの方にアクセントが置かれている。あるいは、「夢」がついにかなった歓びを、それまでずっと「もしかしたら……」と願い続けることしかできなかった過去を振り返りながら、歌っているようにも聴こえる。「夢が本当にかなうことだってあるんだよ」と……

     「ふたりは」の子供のコーラス、および世良公則とのデュエットという試みは賛否が分かれそうなところであるが、オーケストラの伴奏も含めて、この曲がもっているオペラ的な空間の拡がりをより豊かに感じさせるバージョンとなっているといえよう。行儀よく楽譜通りに歌う子供のコーラスは、(このバージョンで新たに付加された歌詞の言葉を借りれば)「意味も知らずに」、「バイタ」と呼びかける子供の、無邪気さと裏腹の残酷さを正確に表現している。さらに言えば、小市民的な日常性や「良識」が、「ふたりは」の主人公たちのような存在を排除せざるをえないという残酷さまでもが、そこには表出されているように思われるのである。

     「人待ち歌」はいうまでもなく「夜会VOL.5 ―花のいろは……」の唯一のオリジナル曲であったが、この「VOL.5」が夜会全十回の前半のラストに位置づけられる(はずである)ことと、「人待ち歌」が「10WINGS」のラストに置かれていることとのあいだには、やはり単なる偶然を超えた中島みゆきの意志が感じられる。「荒野を越えて、銀河を越えて、戦を越えて必ず逢おう」――このフレーズは、十曲の歌という翼にこめた、中島みゆきからわれわれへのメッセージでもあるかのように聴こえる。

    MIYUKOLOGIE


  • 回帰する歌たち ――中島みゆきにおける「リメイク」が語るもの――③

    2014-04-19 12:001

    3 Rollin' Age――時代と交差する視線

     周知のように、アルバムというレベルでも中島みゆきはいくつかのリメイク作をリリースしている。一九七九年の「おかえりなさい」、一九八五年の「御色なおし」、一九八九年の「回帰熱」の三枚は他の歌手への提供曲を自ら歌い直したものであったが、一九九三年にリリースされたアルバム「時代 -Time goes around-」は、他の歌手への提供曲に加えて、中島みゆき自身が歌っていた作品をもリメイクしたという点できわめて注目すべき試みであった。

     このアルバムがリリースされた当時、インターネットの「中島みゆきメーリングリスト」(略称「なみめり」)では、個々のリメイク作品の評価をめぐって非常に熱っぽい議論がおこなわれた。それも、どちらかといえば「オリジナルバージョンの方がよかった」という意見の方が量的には多かったのが印象的であった。私自身はリメイク版に対して全体に肯定的な評価をしたのだが、オリジナル版を評価する意見の中にも、その人なりの中島みゆきに対する姿勢や関わり方がうかがわれ、反論しつつも興味深く耳を傾けされられるものがあった。

     いくつかのリメイク作品の中でも、とりわけ賛否がはっきり分かれ、また興味深い議論がなされたのが「ローリング」である。この作品の主題に、学園闘争に象徴される過去の闘いの時代への屈折した思いがあることは、ほぼ異論の余地がないだろう。問題はその「思い」が、(過去ではなく)現在という時代のなかで、誰によって、どのような意味で引き受けられるかということである。興味深いのは、オリジナル版(つまり、アルバム「中島みゆき」に収録されているバージョン)の方を評価する人のひとりが、この歌の主人公を「内なる闘争心を抱えながら、それをどうしていいのかわからない若者」、つまり「狼になりたい」の主人公にも似た、社会の中で自らの居場所を探しあぐねている孤独な若者だと考えていたことである。

     私自身は、この歌の主人公の視点は、現在の若者ではなく、中島みゆき自身の世代(ないしはその五歳下ぐらいまで)におかれていると解釈している。なぜなら、「黒白フィルム」の中に「燃えるスクラムの街」を見、そして「夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた」世代とは、学園闘争が広がりを喪うとともに一部で自閉的に尖鋭化していった時代、すなわち一九七〇年代前半頃に青春期を送った世代だと考えるのが、もっとも自然だと思われるからである(ちなみに浅間山荘事件が起こったのが一九七二年であり、中島みゆきはこのときちょうど二十歳であった)。

     中島みゆきの世代は、きわめて微妙な位置にいる。彼女たちは、上の世代がまさにその中心にいた「闘い」の空気を肌で知りながら、それらが昂揚していった時代よりは、むしろそれらがやがて色あせ、「幻」となっていって時代こそを長く見つめ続けた世代なのである。「燃えるスクラム」の中にいた者たちが闘うことができたような明確な「敵」が、もはや眼に見えるようなかたちでは存在しなくなった現在という「荒野」のなかで、それでも眼に見えない敵と闘いながら未来へと歩いてゆくほかはないという、一種の諦観を伴った決意。それがこの歌の主題であると私は解釈している。「どうしても一つだけ押せない」電話番号とは、主人公にとってもはや帰ることのできない過去へとつながるものであろう。この決意をよりストレートに力強く表現しているのはリメイク版の方であると、私には感じられたのである。

     ただしもちろんこの主題は、直接には中島みゆきの世代の経験に規定されたものであっても、現在の日本という社会を「荒野」と見る視点そのものは、世代を問わず普遍化可能なものであろう。だから、「ローリング」の主人公を若者とみる解釈を一概に誤りとして退けることはできない。その解釈には、その聴き手なりの「荒野」への視点が表出されているからである。

     しかしなぜ、「ローリング」の主人公を若者と見る人はオリジナル版の方に、私はリメイク版の方により強い説得力を感じたのだろうか。両バージョンでの中島みゆきの歌い方から普通に考えれば、やや抑えた歌い方で屈折した感情を表現しているオリジナル版よりも、ストレートに感情をこめぬいて歌ったリメイク版の方が、「若者」の心情の表現にはふさわしいように思える(逆もまた同様である)。その鍵はおそらく、オリジナル版に強く感じられる一種の「真摯な一途さ」のようなものが、リメイク版では薄れているという点にある。オリジナル版の主人公は、「淋しさを他人に言うな」「軽く軽く傷ついてゆけ」と必死に自らに言い聞かせていてるように聴こえ、そして今初めて自らが立つ「荒野」を、苦渋しつつ現実として認識しようとしているように見える。この真摯さが感情の屈折を生むのである。

     しかしリメイク版の主人公にとっては、「淋しさを他人に」言わず、「軽く軽く傷ついて」ゆくことはすでに身についてしまった癖であり、「荒野」の風景はすでに明確に認識された現実としてある。ただし、だからといって後者の主人公の決意が真摯でないということではない。その真摯さは、「荒野」のさらに向こう側、未来に自らが歩いてゆくべき場所へと向けられているのである。このヴェクトルが、リメイク版のいわば開き直ったようなストレートな感情表現を生む。

     それにしても、中島みゆきはなぜ「ローリング」をリメイクしたのだろうか。「時代 -Time goes around-」の収録曲のうち、中島みゆき自身がすでにレコーディングしていた曲をリメイクしたものとしては他に「時代」「流浪の詩」の二曲があるが、いずれも最初期(一九七〇年代)の作品である。それに対し「ローリング」は、一九八八年のアルバム「中島みゆき」で発表されてから、わずか五年後にリメイクされたわけである。この五年間に、中島みゆき自身の「ローリング」への視点を変化させ、新たな解釈を提示させるような出来事が起こったという想像は、あながち不当ではあるまい。

     一九八九年のコンサートツアー「野ウサギのように」の大阪公演(六月十二、十三日)で中島みゆきは、「誰のせいでもない雨が」を歌った後、「少し懐かしい曲だけど、最近の情勢を見ていると、世の中はちっとも変わっていないのかもしれないと思えてくる」と語り、六月四日に中国・北京で起きた天安門事件を示唆した。一方、周知のようにこの同じ年に始まる「東欧革命」(東欧社会主義諸政権の崩壊)は、一九九〇年の東西ドイツ統一を経て、ソヴィエト連邦の崩壊、冷戦と東西対立の終焉へと帰結した。それらの国々での闘いは、「眼に見える敵」が存在したという意味ではかつての日本の「燃えるスクラムの街」での闘いとたしかに同型であり、またその限りで「ちっとも変わって」はいなかった。しかし同時にそれらの闘いは、かつての日本での闘いを根底のところで方向づけていた座標軸の有効性を、最終的に否定した闘いでもあった。

     この座標軸――「左」と「右」という差異を、「白」と「黒」という差異と鮮明に重ね合わせていた座標軸――は、いうまでもなく現実にすでに具体化された国家・社会を評価するための座標軸としては、かつての日本での闘いの時代においてすでに有効性を喪失していた。しかしそれは、未だ実現されていない、来るべき世界のイメージを方向づける座標軸としては、少なくともかつて「燃えるスクラム」の中にいた人々の多くにとっては、一九八八年という時点ではまだ完全に意味を喪失してはいなかったのだろう。この座標軸が崩壊した瓦礫のひろがる「荒野」が、一九八八年の「ローリング」と一九九三年の「ローリング」との間には横たわっている。しかしまた、だからこそ一九九三年の「ローリング」の主人公は、荒野の向こうにまったく新しい座標軸を探し始めることができるのだとも、私には思われる。

     かつてやはり学園闘争の時代を歌った「世情」「誰のせいでもない雨が」は、「ローリング」とともに三部作を形成しているように見える。この三曲がリリースされた年が、一九七八年、一九八三年、一九八八年と正確に五年の間隔を置いていること、そして「ローリング」のリメイク版がリリースされたのが、さらにその五年後の一九九三年であったことは、単なる偶然を越えた何かを私に感じさせる。それらの年に、中島みゆきの視線は時代と最も鋭く交差したのではないだろうか。