回帰する歌たち ――中島みゆきにおける「リメイク」が語るもの――④
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回帰する歌たち ――中島みゆきにおける「リメイク」が語るもの――④

2014-04-26 12:00

    4 もうひとつの「夜会」――「10WINGS」

     一九九五年十月にリリースされたアルバム「10WINGS」は、「夜会」のために書かれたオリジナル曲をアルバムに収録したという点で、「時代 -Time goes around-」以上の驚きをわれわれにもたらした。なぜなら(繰り返しになるが)「夜会」には、アルバムでの位置づけなどからくる固定された意味から、歌を解放してやりたいという明確な動機が存在し、われわれもその「実験劇場」に六年間のあいだ立ち会ってきたからである。しかし「10WINGS」では逆に、「夜会」のオリジナル曲を「夜会」のストーリー上の意味だけには限定されない、多様な意味をはらむ作品へと再び解放しようというヴェクトルが働いているのである。(「夜会」のミュージシャンが意図的に外されているのも、その傍証であろう。)

     ただし注意しなければならないのは、「ストーリー上の意味だけには限定されない」ということは、必ずしも「ストーリー上の意味とは無関係」ということではないということである。むしろ「ストーリー上の意味をいったん踏まえた上で、しかもその歌を別の文脈に置き直してみればどうなるか」という(もう一段高度な)思考実験を、かつて「夜会」での実験を目撃した聴き手は要求されているように思われるのである。実際、夜会のステージを観た者にとっては、これらの曲を歌われた場面をまったく思い浮かべずに聴くことは難しい。だから、その場面だけが前後の文脈から切り離されて、突然記憶によみがえるという違和感が生じてくる。それも、歌い方やアレンジや、時には歌詞までもが変わっているために、その違和感はさらに強められる。その失われた「前後の文脈」を、聴き手自身の想像力によって、聴き手自身の生の文脈の中に位置づけ直しながら、「夜会」の「そうでありえたかもしれないもうひとつのストーリー」として補いながら聴いてゆくことが、われわれ聴き手には求められているのかもしれない。だとすれば、十の舞台袖(Wings)のあいだの舞台では、われわれ一人ひとりにとっての、もうひとつの「夜会」が上演されることになるだろう。

     個々の曲についても、思い付くままにコメントしておこう。

     「DIAMOND CAGE」は、「夜会VOL.4 ―金環触―」では「さあ旅立てWOMAN」という外向的なメッセージになっていたのに、アルバムでは、(まさにその部分の歌詞が歌われていないことに象徴されるように)依然として「檻」の中に閉じ込められたままの女性を歌った内向的な歌になっている。

     「Maybe」では、「何でもないわ、私は大丈夫……」以下の、いわゆるサビの部分でもテンポが変わらずに、リズムに乗りながら、またメロディーを自由にデフォルメしながら歌われているのが心地よい。他の曲でも感じたことだが、「夜会」よりもむしろコンサートツアーで歌うとこんな感じになるのではないか、というライヴ的な乗りを感じさせる。

     このバージョンの場合は、「なんでもないわ、私は大丈夫」という女性の、強がりと裏腹の弱さよりもむしろ、「夢見れば人生は辛い思いが多くなる、けれど夢見ずにいられない」と、まさに「夢見る勇気」を最後に力強く肯定することの方にアクセントが置かれている。あるいは、「夢」がついにかなった歓びを、それまでずっと「もしかしたら……」と願い続けることしかできなかった過去を振り返りながら、歌っているようにも聴こえる。「夢が本当にかなうことだってあるんだよ」と……

     「ふたりは」の子供のコーラス、および世良公則とのデュエットという試みは賛否が分かれそうなところであるが、オーケストラの伴奏も含めて、この曲がもっているオペラ的な空間の拡がりをより豊かに感じさせるバージョンとなっているといえよう。行儀よく楽譜通りに歌う子供のコーラスは、(このバージョンで新たに付加された歌詞の言葉を借りれば)「意味も知らずに」、「バイタ」と呼びかける子供の、無邪気さと裏腹の残酷さを正確に表現している。さらに言えば、小市民的な日常性や「良識」が、「ふたりは」の主人公たちのような存在を排除せざるをえないという残酷さまでもが、そこには表出されているように思われるのである。

     「人待ち歌」はいうまでもなく「夜会VOL.5 ―花のいろは……」の唯一のオリジナル曲であったが、この「VOL.5」が夜会全十回の前半のラストに位置づけられる(はずである)ことと、「人待ち歌」が「10WINGS」のラストに置かれていることとのあいだには、やはり単なる偶然を超えた中島みゆきの意志が感じられる。「荒野を越えて、銀河を越えて、戦を越えて必ず逢おう」――このフレーズは、十曲の歌という翼にこめた、中島みゆきからわれわれへのメッセージでもあるかのように聴こえる。

    MIYUKOLOGIE


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