ゲストさん のコメント
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キングコング・西野さんの絵を見たときの 最初の印象を今も覚えている。モノクロなのに光の渦に巻き込まれたような。ずいぶん昔ぼくはこの絵の中にいた。その中を心の赴くままに飛び回っていた。空想の世界で遊んでいた幼い頃の記憶が一気に蘇る。
もともとお互いに面識のないぼく と西野さん だが、 彼 が NY にいる日本のアーテイストたちにツイッターでトライベッカでの個展へと誘ってくれたの がコトの始まりだった 。ぼくは 彼が絵を描いているらしいというのは知っていたので 「もちろん! 行かせていただきます 」と返事をして、すぐ友人の編曲家ダニエル・バーニッジを誘ってギャラリーを訪れた。
その日、入り口辺りは在米日系人 のマスコミ関係者 たちで溢れ、アートに造詣の深そうなアメリカ人 たちが 彼の絵に 食い入るように 見入っていた。取材のカメラクルーたちは西野さんの会話を書き留めようとライターの人たちとともに、 民族大移動で ギャラリーの中をゆっくり移動中だった。
ぼくは 軽く 西野さんに 「はじめまして」の 会釈をし、彼も同じように軽く 会釈を返した。ごったがえした現場では、 それ以上お互いに 踏み込んだ 会話は一切なかった。ぼくとダニエルは絵に見入り、 感嘆符を吐き、気がつくと いつし かそれぞれ 想像の世界をさまよっていた。
「 おーい、 ダニエル、 このあと どうする よ ? なんだかすっかり入り込んじゃったから、どこか静かな場所に移動したい と思うのだけれど」
「それはいい案だ。そして どこかで 彼の絵について語り合おう」
時折吹く風がトライベッカのでこぼこの車道から舞い上がり、空まで飛ばされそうな勢いの夜だった。
「西野さんて、ものすごいギーク(おたく)だよね」
「うん、たしかに生粋の、あそこまで描くのは尋常じゃない 想像力だ 」
月がそんなぼくたちを静かに何も言わずに見下ろしていた。
ダニエルとぼくは腕を組んでカフェでワインを前に西野さんの絵を語り合った。
「あの細やかな描き込み、ペンのタッチ、 彼は別の仕事をしながらいったいいつ描いているのだろう 」
「 相当の情熱だ。 きみはおそらく彼と近い将来仕事をする よう な予感がする」
47歳でポップミューシャンのキャリアを捨て、ニューヨークのニュースクールへジャズ留学する。20歳のクラスメイトに「ジャズができていない」と言われ、猛練習をすれば肩を壊し。自信喪失の日々の中、ジャズの種を蒔き、水をやり、仲間を得て、ようやく芽が出てきた。マンハッタンからブルックリンに越してきて5年。相棒・ぴ(ダックスフント)と住む部屋には広いウッドデッキがある。まだまだ、ジャズを耕す日々は続く。「プルックリン物語」「大江屋レシビ」「アミーゴ千里のお悩み相談」など、ブルックリンから海を越えてデリバリー!
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