父が死んだ。

さすがにきつかった。

5月の頭、
Senri Trioのブルーノートツアーの初日(博多)の前に4日間ほど実家に戻る。朝夕に関わらず、父と調子のいい時に会話をし、それを心ゆくまで楽しんだ。この時はまだ拡声器の声が聞き取れた。 

「皇室は雅子様によって塗り替わる気がする。とくにヨーロッパへの影響力はぐんと増すのではないか」

「『Boys & Girls』のヒットおめでとう。でもやりすぎは禁物だぞ。この企画は5年に1回で充分だ」

「素晴らしい人生だったと思うよ」

時事ネタや音楽の話を含め、互いに話すことがいっぱいありすぎて、父が喉に充てる拡声装置の電池が追いつかないほどだった。

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時を若干遡る。

9月に関西学院でライブをした時に「体がきついので行けない」という最初の返事を覆して「是非やっぱり観たいんだ」と来てくれた。楽屋でSONYや電通や日テレにカドカワなど、華々しい関係者の方達との会話が父はこのとき楽しかったらしく、上機嫌だった。そんな父を見ると素直に嬉しい反面、心の中で嫌なざわざわする気持ちが芽生えた。 

転移をしてる。

その報告を実家の近所に住んで父の面倒を見てくれる妹から聞いていた。父の年齢(昭和7年生まれ)だと、そのまま付き合って人生を全うするのが一番自然だろうと言う病院の診断に心は狼狽えていた。時と止まれ、本心はそんなところだった。

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時間は矢のように流れ、年があっという間に開け、1月のソロのホールツアーで日本に帰った時の楽屋に父の姿はなかった。それでも仕事以外の時は実家に帰り、父との時間を満喫した。父の年齢を考えると、もしかしたらこのままこういう時間が割と長く続いてくれたりするのかもしれないな、などと楽観的だとはわかってはいてもそう心を落ち着かせる。