• 2020-07-14 02:16
    自信は縋って得るものではないし、幾つまでもおしゃぶりをしゃぶってはいられない。
    酸いも甘いも嚙み分ける、そうでないと誰も生きていけない。
    唯一無二とはなんたるか?と問うとき、それを「自分自身だ」と言える存在は果たして何人いるだろう?
    私には価値がない、そう言うことによって、私に価値を見出してくださった人たちを不用意に傷つけてしまう、なんという悲しいことだ。
    幸運は外部からやってくるが、幸福は内部からしか生み出せない、そう本で読んだことがある。
    例えば宝くじで1等の幸運を手にしても幸福になれるかどうかは自分次第というところかと解釈する。
    私は恐らく幸運を手にしても自らの性分から、幸福にリンクさせることは出来ないのではないかと感じる。
    梅雨時期の陰鬱な具合がそういった思考回路を生み出しているのだとしたら、雨は罪なのかとなるけれど、そうではない。
    こんなサバイブ望んでなかった、なんて言ってもキリがないのだし。
    与えても貰っても底のないバケツのような、自己肯定感の足らないナルシシズムの滑稽さたるや、もう脳みそなんて窓から投げ捨てて、何者かの器になりたい。
    生きるのと恥をかくのはイコールだと感じるが、私の恥は真っ赤っかなまんま延々と息を吸うように平行線でうごめいている。
    どうか、胸を張って生きていけるように、そう望むばかり。
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    2020-07-10 05:18
    *朝になって眠るのは割と好きかもしれないと思った、
    ツイッターで知り合った女の子とグデーンと語らいながらお薬をボリボリする
    徐々に酩酊状態になって歪む視界の外側から優しい声を聞く。
    私にも理解者が居て、私もたくさんの人を理解したいと願ったりもする。
    それは大変偽善的かもしれない感情かもしれないけれど、
    探り探りでも語り相手と共鳴するのは居心地の良いものだった。
    知らないことばかりだということを知るのは楽しい。
    何よりスリルがある。
    対人関係は賭け事ではないが、確かに当たり、ハズレの境界線はあると感じている。
    頭は冴えて、けれども、まるでコミュニケーション能力のない曖昧な言葉を発して
    抽象的なニュアンスに頷いてくれる人がいるのは、本当に恵まれている。
    もしも私が木だとしたら、根っこを構築しているのは環境と周囲の友人、知人ではなかろうか。
    知的好奇心は絶えない。
    たくさんのことや人を知りたいし、咀嚼して飲み込んで引っ張り出したくなるような素敵なフレーズをくれるのはいつも本や映画だったり、それこそ他者の存在であったり、
    巡り合わせ、ご縁とは、素晴らしいと感動してしまう。
    心を揺り動かされなくなってしまうのは、死んだ昆虫のようだ。あまりに機械的。
    そんなつまらないことなんて考えて居ないで、無限大に広がる空想と、不明晰なリアリズムと、バランスを保ちながら、自我と自我とのタイマン(&セッション)がしたいし、
    もっと言えば世界中の人と友達になりたい。
    世界はなんとなくいつだって不穏だけれど、目に見えない平坦な幸福に乗っかって、
    何時もピースを掻き集めたい。不安定な精神でも、必ず何処かに解ってくれる人がいるんだ。


  • 2020-07-10 00:13
    寂しがり屋なのは元々だけれど、こうも夜が更けていくのが怖いと感じるのは久しぶり。
    いつも側に居た人がただ今夜居ないとい事象を受け入れるのが酷く辛い。
    何を取っても何を捨てても、いつだって言葉にできない感情を抱きしめているみたいだ。
    おちゃらけて笑ってやり過ごすには悲痛すぎて地蔵のように固まってしまう。
    先行きの不安さや、ちょっとこれいいんじゃない?って一筋の光とか
    モヤっとした空気の不快さだとか、1分が60秒と体感する長ったらしさだとか、そういうの。
    明日が来るなんて昨日は思いもしなかったって、衝動性と刹那的な感情の右往左往に振り回されて生きてる自分に軽ーく絶望しちゃったりね。
    そしてそんなこんなで生きれちゃってる自分の生命力の強さにほとほと呆れてしまったり
    ただ、不確かな明日が良い日であればいいなってそれだけは思わせてくれと思うよ。
    いつか晴れるといいな。