民主主義における見えざる手のはたらき チラシ17号
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民主主義における見えざる手のはたらき チラシ17号

2018-05-23 12:18

    来年4月の地方統一選挙までちょうど一年になったので民主主義について資本主義との比較から論じたい。資本主義における見えざる手(英: an invisible hand)のはたらきとは市場の調整機構についてで名高く、経済学の創始者アダム・スミス『国富論』1776年出版にて言及されたものである。民主主義における見えざる手とは一部マスコミ票とも卑下される浮動票にあると私は考える。どんな状況においても同じ人や党に投票する人や全く投票に行かない人は民主主義の調整機能のはたらきにあまり関与していない。わかりやすく言うと、野菜がどんなに高くても買う人と、どんなに安くても野菜を買わない人は野菜の需給バランス調整機能に関与していない。「旬の野菜だし安かったら買おうか」という相対的な判断をする人が一番バランス感覚に優れている。投票行動についても同じであり、組織票や固定票は絶対的な判断となる一方、個人的な投票行動が相対的なバランスに優れた判断であるというのが私の見立てだ。よく商売人が政治の話はしないというのは絶対的な判断になりやすい政治を避けるということなのだ。

    近年、投票率は地方選挙の場合40%台であって国政選挙における投票率約50%と比べると約5%は低い。しかも江戸川区選挙の場合、先の衆議院選挙では東京16区・17区共に候補者はそれぞれ3人しかいなかったのに対して、区議会議員選挙では定数44人に対して立候補者は58人にものぼるのである。3人しか選択肢がないのであれば投票したい候補者がいないので棄権するということもありうるかもしれないが、58人もいる選択豊富な中から選ぶことができず、投票に行かないというのは問題である。まして一番身近であるべき地方議員が一番投票率が低いのだ。これは江戸川区だけに限らずほぼすべて全国の市町村議会の選挙についても同様である。そして地方議会の場合その地域の有権者の1%の得票を取れれば充分に上位当選である。私のターゲットは国政選挙には行くが地方選挙はよく知らないから行かないという人たちである。約数パーセントかもしれないがそれだけでも支持されれば充分に大きい。そしてそのターゲットは絶対的な判断をせず相対的な判断をする浮動層にある。「野菜を買うか買わないか」を判断するのと同じように、無所属・新人で泡沫候補者のようだが、既存政党や何期もやっている人よりは何か新しい変化があるかもしれないという期待を背にその風を受け羽ばたければと思っている。

    見えざる手、言い換えれば見えざる票とは候補者からは見えない票である。自分の持っている支持者の名簿や党員名簿、組織票名簿は見える票であってもちろんありがたいのではあるが、ひとつの固まりであってひとりひとりがそれぞれの思いを持って名前を書いているということを忘れがちになる。どうしても党執行部や支持団体幹部におもねるようになってしまう面は否定できない。そしてこういう支持層は浮動層と比べて民主主義における調整機能としてはバランスを欠いたものであるというのが私の認識である。

    私が朝の駅頭に一番力を入れているのは、顔を見たことがあるというようなきっかけの浮動層の見えざる手のはたらきによって、すなわち民主主義の調整機能のはたらきによって選ばれる候補者となるべく、やる気だけでもみせておこうという気持ちです。

    反対意見にも目くじらを立てず、怒られてもムキにならず、投票してくれない人に対しても認めてもらえるような、自然に自由に懐深き議員になれるようつとめます。

    自分は正しいという前提こそがもう既に間違っている

    投票において候補者が自分の名前を書くのは当たり前のようだが、自分自身100%の自信で書けるかというと疑問である。自分の欠点や議員への適正ということを客観的に見れば他の多くの候補者よりも劣る部分があるかもしれない。正直自信は60%程度であって及第点程度であろう。ただ去年11月の葛飾区議会議員選挙のように当落が1票差というのはよくあることであるから、半信半疑ながらも自分の名前を書くだろうが…




    自分は正しいという前提こそがもう既に間違っているというのは私の信条である。政治は自分達が絶対に正しいという主張をしがちであり、自分と違う意見に対して激しく批判したりすのはその裏返しの証明でもある。ただ政治の場合は敵対勢力も議会の中では共存しているのであり、それこそ民主主義であろうと思う。逆に首長は多選が多く一人しかいないことから独裁者になりがちであり、注意しなければいけない。また政治家のイメージとして北朝鮮の金一族のように世襲で独裁というような面もあり、日本の有権者の中にも日本の政治家も五十歩百歩だというのは、あながち間違いではない。政治の絶対的な権力は危険なものである。だから投票しないという層がいるのも理解できる。ただ全く投票に行かない人よりもよく投票に行く人でその投票した候補者のことを聞くとなるほどと思うような的確な人物評が得られることがある。やはり投票した前後はしっかりその判断が正しいかどうか継続的に関心を持っているのだろう。ほとんど投票に行かない人はその辺の知識に乏しくあまり有効な情報は得られない。また政治に対して非常に優しい人は自分の親族で議員になった人がいるというのが私の知見だ。

    新界明一 (弁士)ツイッターID;shinkaiakikazu メール:shinkaiakikazu@yahoo.co.jp


    昭和50年江東区出身。祖父は木場で父は新木場で材木屋。小・中学校は皆勤賞。大学は日本大学経済学部を中退。主に香港と東京間の貿易業(ブランド品)に10年以上携わる。カラーチラシ1枚2円でポスティングボランティア募集しております。03-3682-6253


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