新界明一は自分が20歳の時に名乗った名前 チラシ18号
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新界明一は自分が20歳の時に名乗った名前 チラシ18号

2018-07-30 12:38

    だからと言って偽名だと騙そうとしているように取られても困るので、6月で43歳になるこの機会に説明しよう。以下個人的な話も投票行動の参考になると考えているからだ。

    私の祖父、つまり父親の父親は長野から尋常小学校を出て明治時代に同郷の人を頼って木場に出てきた。当時はフォークリフトなどの重機がないために日雇い労働と同じだったらしい。私の親父が生まれる前、結婚して初めての子どもが流産していたが、ようやく独立をして店を持ち始めた30歳頃にあるお客さんの店で托鉢坊主がやってきた。

    祖父の「小林平一郎」という名前を占ったところ42歳のときに死ぬから敏郎に変えろと言われた。またもうひとりのお客さんのほうは女難の相があると言われ一笑に付し相手にしなかったという。後日談ではそこのお手伝いさんがたまたまその自宅で事故死して警察などに疑われて大変だったという。祖父の場合は死ぬと予言された42歳がちょうど東京大空襲のときであった。隣組には家族全滅のところもあったのに名前を変えた効果だったのか家は全部焼け出され無一文になってしまったが家族は全員助かっている。

    ちなみに祖母の名前「小林さき」についても占ってもらったが非常にいい名前だとして変えなくてもいいと言われたと私自身は祖母から何度も聞かされている。非常に不思議な話なのであるがこれらはすべて実話である。では何故祖父は名前を変えたのか、それはお金を払って変えるというのではなくて、これから神棚でも何でもいいから名前を変えますとそれだけで通称使用でいいと言われたいう。金などを払ってやらなくてもいいということから善意で言ってくれたのだろうから変えたというのが祖父の考えらしい。

    しかし私自身はそれだけではなく、現状に問題があり変えたいのであれば、まず名前からでも変えてみるという気持ちになっていたということが重要ではないかと考える。成功しているときに名前を変えろといわれても自分を否定されたようで気持ちがよくないであろう。おそらく祖父には失敗していた気持ちも多少あったのだと私は祖母に指摘した。そして私自身も名前を「小林靖郎」から変えてやっていく決意をした。このままでは芽が出ない、運が悪いと感じていたからである。もちろん両親にも自分の名前をかえるということについてはしっかり説明している。とにかくうちの家系は自分の力でやれるものなら(名前でも何でも変えてみろ)やってみろ!ということらしい。

    これ以降日本の会社に勤める機会はほとんどなく、新界明一を堂々と名乗れるところというと香港からきていた外国人相手の商売に向かっていくことになった。新界を名乗ったのは20歳のときだが初めて香港(10年以上も私の貿易拠点であった)に行ったのは25歳のときである。また当時から新界という地名が香港にあることは知っていたが小汚い看板が道にせり出したあつかましいイメージもあって好きにはなれなかったが、今現在は小奇麗になった香港や名物の看板も少なくなって寂しく思っているほど香港に染まってしまった(笑)隣の中国随一の大都市深圳市(30歳前後の私の精力を傾けた地でもある)も木場の深川に漢字がほとんど一緒であり不思議な縁を感じている…

    勘違いはしてほしくないのですが私の血筋は一人も外国系は入っておりません。自分の意志で名前を変えたということの説明を申し上げたまでです。


    地縁血縁に結びついた世襲は政治関係では圧倒的に優位

    同じ苗字が同じ地域に密度が高いということはよくあることで、地縁血縁は選挙において非常に強い。江戸川区議会議員においても44人中7人は世襲である。(ちなみに総理大臣を筆頭に21の大臣中14人は世襲である。)ただ江戸川区の場合、地元で生まれ、地元の小中学校を卒業した人の割合は2割もいないであろう。また自分の一軒家に住んでいる人の割合も3割以下であろう。すなわち後から江戸川区に来て借家住まいという人の割合は半分以上いるであろうが、その人たちが投票に行くかというと半分以上は行かないであろう。江戸川区に問題があればまた別の地域に移ればいいと考えているからだ。逆に親の代から住んでいる人はやはり地元の議員においても非常に関心が高く、欠かさず投票に行っている様子がうかがえる。結局世襲議員が選挙に強いというのは、世襲で住んでいる人たちが欠かさず選挙に行くからであろう。民主主義は封建制度の歴史を内包している。拠るべき地縁血縁のない自分にはうらやましいとしか言えないのであるが…





    テレビドラマの金字塔「おしん」の少女時代を演じた小林綾子とは3年違いである。邦画最高峰「七人の侍」で三船敏郎が有名になる前から祖父は小林敏郎を名乗っていた。

    新界明一 (弁士)ツイッターID;shinkaiakikazu メール:shinkaiakikazu@yahoo.co.jp

    昭和50年江東区出身。祖父は木場で父は新木場で材木屋。小・中学校は皆勤賞。大学は日本大学経済学部を中退。主に香港と東京間の貿易業(ブランド品)に10年以上携わる。ポスティング募集した人の中にダンボールでチラシ4千枚を受け取った翌日にはもう捨ててしまったという事例がありました。先払いだったので全くの大損です…ところで7月21日土曜日10時から16時タワーホール船堀において江戸川総合人生大学の大学祭があります。私が実行委員長になりましたのでお越し頂けると幸いです。℡03-3682-6253


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