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笑い神 M-1、その純情と狂気 第5回「筋書きのない漫才コンテスト」――衰退した漫才再興のため“生死”を賭けた格闘技的番組が動き出した。(ノンフィクションライター・中村 計)
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笑い神 M-1、その純情と狂気 第5回「筋書きのない漫才コンテスト」――衰退した漫才再興のため“生死”を賭けた格闘技的番組が動き出した。(ノンフィクションライター・中村 計)

2021-12-02 05:00
    「賞金をな、一千万にするんや」
     芸人であり、かつ天才プロデューサーでもあった島田紳助の口から、その案が漏れたとき、日本最大の漫才コンテスト、「M-1」プロジェクトのエンジンに火が入った。
     二〇〇一年春、吉本興業の社員だった谷良一は、極めて困難なミッションを背負わされていた。
     漫才をなんとかせよ――。
     たった二人の新部署「MANZAIプロジェクト」に異動となった谷は、そこのリーダーだった。
     昭和八年、吉本興業は平安時代にルーツを持つ音曲芸能「万歳」に「漫才」という字を当て、伝統文化の換骨奪胎をはかった。衣装を和服から洋服に変え、鼓などの楽器に頼らず、「しゃべくり」だけで客を楽しませる。必要なのは、マイク一本のみ。その手軽さも相まって、以来、寄席(三百六十五日営業の大衆演芸の劇場)を柱とする吉本にとって、漫才は「主力商品」となった。
     漫才は、ほんの一瞬だけ、エンターテインメント業界のトップにたったことがある。一九八〇年にフジテレビで始まった『THE MANZAI』が火付け役となり、「漫才ブーム」が巻き起こったのだ。そこから生まれたのが、島田紳助・松本竜介の紳助であり、ツービートのビートたけしらだ。しかし、八二年に同番組が終了すると、漫才は一気に下火となる。九〇年代に入ると、漫才番組は本場・関西ですら数えるほどになり、関東ではほぼ絶滅状態だった。必然、劇場への客足も鈍り始める。
     
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    最終更新日:2022-01-21 18:00
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