浅草の東洋劇場に入って2年が経った頃のことだ。

 当時のぼくはちょうど20歳になったくらいで、コメディアンの修業のドサ回りから帰ってくると、劇場の支配人からこう言われたんだ。

「欽坊、次はフランス座に行きな。これは栄転みたいなものだぞ」

 作家の永井荷風が名付けた「フランス座」は、若い頃の井上ひさしさんが作家を務めていたことでも知られているよね。東洋劇場の上階にあって、ストリップとコントを出し物にしていた。ぼくにとっては軽演劇をお客さんに見せていた東洋劇場からの「栄転」で、「コメディアン」としての力がいよいよ試されることになる舞台だと言えた。

 そして、ぼくはそこで後にコント55号を結成する(坂上)二郎さんと、初めてコンビを組むことになったの。 
週刊文春デジタル