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記事 5件
  • 優しいやまんば 市原悦子のことば 第13回 沢部ひとみ 「人には、美しい瞬間と醜い瞬間があるだけ」

    2019-07-18 05:00  
     市原さんは俳優座養成所二年生のとき、幼いころから慕っていた兄を喪っ(うしな)た。「千葉の顔」事件もこの年のことだ。
     そのころ俳優座には、往年の二枚目スター、森雅之が客演していた。彼は悦ちゃんも思わずうっとりしてしまう憧れの俳優だった。稽古は毎朝九時に始まり、一カ月間続いた。
    「養成所の授業が五時に終わると、すぐ森さんのいる稽古場に走って行きました。窓ガラスにベターッと顔をつけて、一センチくらい開けた窓の隙間からセリフを漏れ聞いて、毎日じーっと、お稽古を見てました。それで森さんも自分に興味を持ってるってわかったんでしょう。ある日、森さんが近づいてきて、『明日から舞台稽古でもう稽古場には来ないから、楽屋にいらっしゃい』っておっしゃったの。もう『はい』も『うん』もない。田舎者だし、ドキドキするだけで……。次の日、私、行っちゃったんです、よせばいいのに(笑)」
     楽屋の入口に立つと、役者がずらっと一列に並んで化粧をしており、その一番端に森雅之が座っていた。 
  • 優しいやまんば 市原悦子のことば 第12回 沢部ひとみ 「私が兄を殺してしまった、と思った」

    2019-07-11 05:00  
     千葉市の自宅から電車を乗り継いで、俳優座養成所のあった六本木まで一時間半。赤いビニールのショルダーバッグを肩にかけ、アイロンのピシッとかかった白いブラウス姿の、悦ちゃんこと市原さんは、三年間、日曜以外は一日も休まず通った。
    「俳優座養成所の授業はちゃんと出ましたよ。特に大好きなエチュードの授業は集中して演(や)りました。エチュードっていうのは即興劇です。例えば『さあ、今日はお芝居を観に行く日だわ、嬉しい!』って思ったら切符がない。『あら、どこ置いたのかしら。あ、ないない、時間が来ちゃう、どうしよう。困った……。あっ、あそこにあった! よかった』と出かけていくのを何分かで演るんです。課題が出ると、どう演ろうかといろんなことを考える、それが楽しいの。そんな状況に置かれた時の自分の体の反応と、喜び、失望、焦り……そういうものが溢れ出てくるような稽古を三年間続けました」 
  • 優しいやまんば 市原悦子のことば 第11回 沢部ひとみ 「とたんに審査員がカボチャに見えたの」

    2019-07-04 05:00  
     終戦五年後に、市原家は疎開先の千葉県四街道から千葉市へ戻った。前の家は戦災で焼失し、祖父も亡くなっていたが、幸い両親と子ども四人は新しい家で再出発ができた。
     悦ちゃんこと市原悦子さんは、中学二年になり、千葉市立末広中学校へ転校した。そこで、彼女の人生を決めた、岩上廣志先生と出会うのである。市原さんはこう語っている。
    「岩上先生のことが、私はただただ大好きでした。先生は学校を出たてで、音楽を教えていて、バレーボール部と演劇部の顧問でした。なぜあんなに先生のそばにいたかったのかしら。大人になってから先生に『悦ちゃんは独占欲の強い子だったね。僕の左手はいつもあんたが握っていたよ』と言われて赤面したわ」 
  • 優しいやまんば 市原悦子のことば 第10回 沢部ひとみ 「ちょうど『都合のいい女』が出来上がりました」

    2019-06-27 05:00  
     市原さんは終戦の前の年(一九四四年)、小学校三年生で、戦争の恐ろしさを身近に体験している。その日、千葉市栄町(現在の千葉市中央区栄町)にあった生家のそばに、米軍の戦闘機が爆弾を落とした。その日のことを市原さんはこう語っている。
    「母と兄とお昼ご飯を食べていたとき、『ダダダダーン』と爆音がして、ご飯のうえにわっとほこりが積もったの。『何ごとだ?!』と居間を出たら、廊下がガラスの川でした。爆風でガラスが全部吹き飛んで粉々になって、廊下に割れ散っていたんです」
     夕方、兄が友だちと、爆弾が落ちた場所をたしかめに行った。爆弾は家のそばの小学校に落ちていた。近所の男の人が吹き飛ばされてバラバラの肉片となり、校舎の壁面に飛び散ったのを兄たちは見た。近所の人たちが「東京に落とす爆弾を試しに千葉に落としたんだ」と騒いでいた。 
  • 優しいやまんば 市原悦子のことば 第9回 沢部ひとみ 「親の教えは『あやしい男の子どもを孕(はら)むな、警察のお世話になるな』だけ」

    2019-06-20 05:00  
     市原さんは「親がなんと言おうと、やることはやる。欲しいものは欲しい。いやなものはいやと。人に依存しないかわりに、言うことも聞かないというような」子どもだった。
    「あの時代、悦ちゃんのように自由な子どもが育つなんて、ご両親はどんな教育をしたんだろう」と言うのは、今年九十一歳になった千葉市立末広中学校の演劇クラブの恩師、岩上廣志先生である。市原さんが生まれたのは一九三六年一月二十四日。ひと月後には皇道派の青年将校たちがクーデターを企てた二・二六事件が起き、日本は戦争前夜に突入した。