プロに入ってからの人生は、決して思いどおりにはいかなかった。それでもただ、がむしゃらに戦い続けてきた。そしておとずれたサイドバックへの転向とガンバ大阪での日々。「自分で選んだことで違ったなと思ったことはない」青黒の右サイドを司る“頑張る、米倉恒貴”の人生を描く。
[Jリーグサッカーキング9月号掲載]
■ガンバへの移籍は……良かったなと本当に思う
本誌のロングインタビューに初登場となります米倉選手のこれまでのサッカー人生を改めて振り返って感想を教えてください。
米倉 もともと4歳上のお兄ちゃんがやっていて小1から始めたサッカーですけど、ざっくりと言いまして……いいサッカー人生です! やっぱりサッカーを通じての人との出会いとかが良かったなと思います。自分の場合、小学校から指導者が良かったなと。サッカーだけじゃなくて、社会人になるための教育みたいなものも兼ねて結構厳しくやってくれました。キャリアとしてはこんな感じかなっていう感想です(笑)。
こんな感じというのはある程度、計画どおりに来たということでしょうか?
米倉 いや、プロに入ってからは計画どおりにいったためしはないです。高校まではプロになることだけを考えてやっていて目標どおりにプロサッカー選手になれましたけど、なってからはそうはいかなくて。昨年が初めての成功じゃないですか。チームとして結果を出したいと思って移籍してきて、三冠っていう目標を立てた上で自分自身が初めてのタイトルを取ったので。それまではJ1からJ2に落ちるわ、スタメンで出られるかなという時期にケガをしたり、復帰できそうだと思ったら再発したり(苦笑)。だから、プロになってからはその時、その時に応じた目標を設定するという感じでした。でも、自分で選んだことで違ったなって思ったことはないです。むしろすべて良い方向にいっているなって思っています。だから、初めての移籍で、もし昨年三冠できていなかったとしても個人的には失敗だとは絶対に思ってないと思う。仮に第三者から「移籍したの失敗じゃん」って言われたとしても、ガンバ大阪のサッカーができて、トップレベルの選手とやれているし、その中でも試合に出ていたから失敗だとは思わないですね。本当にタイトルが取れていなくても、個人的にこの移籍は良かったなって思っています。まぁ、ポジティブですね! まるで丹羽大輝だ(笑)。
そのポジティブさは子供の頃から?
米倉 母親が心配症なので、逆にポジティブになったのかも。プロになる時も「プロにいっても周りはすごいし……」という感じで大学進学を勧められたし。まぁ、そこは(母の言うことを)聞かないですよね(笑)。一番遅くまで練習していたし、自主練習の朝練にも毎日行って無遅刻、無欠席だったくらい、プロになるために本当にありえないくらいストイックにやってきたので。高卒でプロになれていなかったら燃え尽きていたかもしれないです。ただ高3の(全国高校サッカー)選手権前に腰をケガしてプロになれないかも、って思った時はちょっとだけグレかけましたけど(笑)。それもオファーがあるって分かってからは、またストイックになりましたけどね。俺って単純だわ(笑)!
切り替えが早くていいじゃないですか(笑)。プロを本格的に目指したのは中学からでしたよね?
米倉 そうです。中学の時に全国(高円宮杯全日本ユース選手権/FC千葉なのはなに所属)で3位になって、自分がある程度できるって自信を持ちだしてからですね。