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プロに入ってからの人生は、決して思いどおりにはいかなかった。それでもただ、がむしゃらに戦い続けてきた。そしておとずれたサイドバックへの転向とガンバ大阪での日々。「自分で選んだことで違ったなと思ったことはない」青黒の右サイドを司る“頑張る、米倉恒貴”の人生を描く。
[Jリーグサッカーキング9月号掲載]
■試合に出るためにはがむしゃらにやるしかなかった
さて、今シーズンでプロ9年目。ここまでプロ生活を続けられると思っていました?
米倉 どうですかね? でも、最初はこのままじゃヤバいという危機感は持っていました。一緒に入ったくらいの若手のほぼ全員がチームを去らなくちゃいけなかったし、本当に頑張らないとプロ生活が終わると思って危機感を持って取り組んでいたのが良かったのかもしれないです。めちゃくちゃがむしゃらにやっていましたから。特に1年目なんて右も左も分からないので練習からとりあえず球際にいってたから、先輩は嫌だったかもしれないけど、こっちも本当に必死。自分は試合に出るためにはがむしゃらにやるしかなかったので。がむしゃらにやって、メンバーに入って、使ってもらって、失敗して(苦笑)。でも、またがむしゃらにやって、ということの繰り返しだった。失点に絡んで他の選手から厳しいことを言われたこともありますけど、その厳しさもプロだなって思いましたし。
プロとしてのこの9年間、一番の転機は?
米倉 サイドバックへの転向じゃないですか。サイドバックになってなかったら、ガンバに来れていなかったと思う。……それは分からないですけど(笑)。でも、サイドバックで活躍してから、ガンバだけじゃなくて自分の想像もしていなかったようなチームからもオファーがきていましたし。本当にその年(2013年)にすごいオファーがきたんですよ。1年間継続して試合に出たことで、攻撃面でも結果を出していたので、そういうところが目に留まったんじゃないかなと思います。
実際、サイドバックへの転向を告げられた時の心境はどういう感じでした?
米倉 それみんなによく聞かれます(笑)。「えっ?」って思いましたけど、でもプロだし、そうもいっていられないですからね。試合に出られない人もいる中で自分自身も試合に出ることに飢えていたので、やるっていう感じでした。もともといろいろなポジションをやっていたんですよ。FWもありましたし、左も右もトップ下もあるし、最初はむしろボランチをやっていたし。だから「サイドバックもやるよ」っていう感覚。それにサイドバックも2年目にちょっとやっていたんですよ。確か浦和レッズ戦とかで、やられたイメージがあります。いきなりだったので、わけが分からなかったですけどね(苦笑)。
とはいえ、気持ちの面ですぐに切り替えるのは難しいのでは?
米倉 そもそも、いろいろなポジションをやったことで器用貧乏になっているのが個人的にはちょっと気に掛かっていて。ポリバレントって悪いことじゃないと思うんですけど、俺の場合、いろいろなところで使われ過ぎていたから。いろいろなポジションをやると感覚とかも全部変わってくるので難しくて。その中でサイドバックをやり始めてからオファーをもらって、ガンバにこれることになって。実際、ガンバに入る時に(長谷川)健太さんから電話で「前でも考えているけど、どうなの?」って聞かれて、「サイドバックでチャレンジしたいです」っていうのは言いました。それはサイドバックを極めたいじゃないですけど、やりたいなって思ったので。
極めたいと思った理由は?
米倉 千葉でサイドバックをやったのは半年間くらい。それで結果が出て、オファーをもらっているので、サイドバックを追求したほうがいいんじゃないかなって。またFWやあちこちやったりってなったら成長するのは難しい。やっぱり定位置でずっと出ている人には敵わないじゃないですか。だから、ポジションを極めるじゃないですけど、そういう選手になりたいなって。いろいろなところで出ましたけど、極めたポジションはないですからね。「絶対にここだ!」っていうポジションを作りたかったし、ずっと試合に出る選手になりたかったので、そういう意味でもサイドバックへの転向はいい転機になりました。