• 想え、出来るだけテキトーに

    2018-09-08 21:45
    9月7日、フリクリ オルタナがいよいよ封切りになりました。


    偶然、偶然休みだったので観て来まして、ツイッター辺りで感想を拾ったりして、
    自分でも感想言いたいなと思って、でもなんか的外れでハズカシイってなってアレなので、
    あくまでも「僕はこう思う、知らんけど」って体で、感想を言おうかと思います。
    基本的には褒めます、僕はとても面白かったと思います、観てからBD買うことを決めました。
    まだ観返してはいないけれど、そのくらい良い映画だったと思ってます、知らんけど。
    内容を隠すとかしないので、これから観る人でネタバレ嫌いな人はお気を付けて。


    まず、フリクリオルタナというコンテンツが『フリクリ』をかなりリスペクトして作られたんだな、ということは強く感じました。
    6話構成であること、主人公のモヤモヤしてることとか、場面毎の前作へのオマージュなど、
    「知っている人」に向けて、少なくとも笑って欲しい、製作側が「フリクリを好きである・あった」ということを余さず伝えてるところは、18年前に心を掴まれた人間としては嬉しく思います。
    オルタナは9月28日に封切りになる「プログレ」の企画が進むに当たり、そのサイドストーリー的なものとして企画が上がったとパンフレットにはありましたが、そう言ったバックヤードから打ち出されたこともあってか「寄り添った」作品であったように思えますね。
    また、フリクリを語る時に、「何が良いのか」が語る人によって違う、と述べられています。
    アクションが良いのか、心理描写が良いのか、ギャグが良いのか……構成・設定が良いのか?
    そんな多面的な魅力から、個人的に「これ!」と思った部分を少しだけ書いてみようと思います。


    フリクリオルタナがどうしようもなく「フリクリ」の「オルタナティヴ」であったというのは、間違いのないことじゃないかと思うのです。
    何が似ていて、似ていないのか……何がフリクリで、何がフリクリじゃないのか……
    似て非なるものをどう考えるのかって難しいんですよね。
    (劇中歌が男の歌で駄目だった、という感想には爆笑しました)
    自分の中ではキャラクターの対比とか、ポジション的なあれそれとかそういうことを「ああ、なるほど!」と思ったので、その辺から切り出してみます。


    フリクリという物語が「ナンダバ・ナオ太の成長ストーリー」であった、と、するならば。
    フリクリオルタナが一体誰の成長ストーリーであったのか?
    主人公である河本カナは成長したか?
    と問われれば、答えはNOである……と思う。
    河本カナは作中の最後で「始まりとなんら変わらない世界」を繰り返すことを選択している。
    その中で変わったものはあるにしても、それは変わってしまったものに対する反応であるように思う。
    変わらない自分と、変わり続ける世界の折り合い。
    焦ったり、悩んだりしても結局そのままだった河本カナのストーリーであると言えば、そうかもしれないけれど。

    僕は河本カナは「もう一人のハルハラハル子」だったんじゃないかと思っている。

    矢島聖、ヒジリーの「大人っぽさ」
    本山満、モッさんの「目標」
    辺田友美、ペッツの「友愛」

    これらは前作フリクリでナンダバ・ナオ太が持っていた……つもりだった「大人らしさ」の一つであり、
    河本カナが「大人っぽい」と感じていた部分。
    それぞれが河本カナに最終的にはぶち壊された部分だし、ナンダバ・ナオ太がハルハラハル子にぶち壊された部分なのだと感じる。
    その視点のズレと、ズレた結果の終着点がオルタナティヴなんじゃないかって。

    2話『トナブリ』という初期の段階でヒジリーが抱えていた「大人っぽさ」は
    とても分かりやすいレベルで脆くて、無理をしているのが丸分かりで、明確にヒジリーは無理をしていた大人の振りから脱却した。
    3話『フリコレ』では自分の夢に手を出したカナをモッさんは否定する。
    「自分の夢は自分で叶えないとダメなんだよ!」というセリフは一見格好良いけれど、
    人の善意を拒絶する理由にしたらそれは「ダサい」と感じるし、
    みんなで作り上げたものへの想いは暖かかった。
    5話『フリステ』以前のペッツは、和を乱すことを恐れて、言いたいことを言えなかった。
    それが爆発した結果がカナへの叱責なのか、言いたいことを言っていたカナへの嫉妬だったのか、
    もしくはカナが暴走していたことを最後に伝えることが友達として大切なことだと思ったのか。
    それを伝えた結果として放り出されたカナに手を伸ばしたペッツは、
    本当にカナのことを想ってその後の行動を決めたのだと思いたい。

    4話『ピタパト』での佐々木とカナのストーリーが誰かの成長ストーリーであったかどうかは分からないけれど、
    あの話にはその後の布石として「カナの感情の昂りが額から何かを出す、ということを周りが理解している」ということを伝えるシーンが組み込まれていたり、
    ハル子と神田束太(コイツアマラオじゃねーんだ!?名前的にはナオ太と関係ありそう)との過去話などの繋ぎとして重要な部分があるので、中盤として必要なパーツとして成立している。
    ここでN.Oへのある程度の理解を押し出したことを考えると、
    5話でペッツが取った行動は、もしかしたらカナのN.Oへの期待もあったのかな、とか思わなくもないのです。

    「誰の成長ストーリーか」という話だったのにこう言っては申し訳ないけど、
    フリクリオルタナは河本カナが「成長させた」ストーリーだったんじゃないかって、
    無理矢理まとめようとすれば、そう言えるかなって……ああ、トップ2のノノですかね。
    厳密には本人も成長してない訳じゃないけれど、成長を促す存在って感じな。

    ペッツが写真嫌いだと語るペッツ母と、スマホで写真を撮り続けていたペッツと、
    写真には残せない場面と歌われたエンディング。
    イヤホンのコードみたいに残酷に絡まっていた非常事態と無償の愛。
    「大人と子供」という変わらないテーマとそれへのアプローチの反転。
    それが『フリクリオルタナ』なのかもしれない……知らんけど。


    褒めるのが大人なのか、苦言を呈するのが大人なのか、何も言わないのが大人なのか、
    分かったフリするのが、知らないフリするのが、良いのか悪いのか、何がフリクリなのか?


    まだ上映が始まったばかりのこの物語の波紋は、善し悪しに関わらず、出来る限りニュートラルなスタンスで見つめて、自分の中の想いを練り上げて行きたいと思っている。
    だけど今だけは、自分の中の想いを、出来るだけテキトーに書いてみました。


    プログレが始まるまで続く、オルタナという物語を皆さんが想えますように。
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  • 吉岡沙紀、路上にて(天の光は全て道)

    2018-06-05 21:07
    昨年の第6回シンデレラガールズ総選挙に際して少しだけ書いてみた乱文からのご無沙汰です。 読んでくれた方々の感想というか、想いがとても暖かくて救われた思いでした。
     今年の総選挙も終わってからもう少しで一月というところ、残念ながら吉岡沙紀さんは50位ランクインもならず、結果としては悔しいものになりましたね。(スシローでデレステイベ初登場に喜びながらも「総選挙中だったらなあ!」なんて思ったりもしました)

     そんな中で去年から続いて、アイドル紹介も更新されました。
     そして飽きもせず感動してしまったので、心の中の整理を一カ月近くかけて行い、また少しだけ吉岡沙紀の『未来』についての妄想を書いてみようかなと思います。
     去年の記事を読まなくても特別訳が分からないようなことは書かない予定ですし、去年の記事を反故にするようなことも書かない予定なので、お気軽に読んでもらえると嬉しですね。

     まあ、吉岡沙紀のPの方々にとって反響が大きかったのは、多田李衣菜さんと神谷奈緒さんのアイドル紹介だったのではないでしょうか。
    『奈緒がおすすめのアニメを見せたいアイドル』
    『李衣菜がロックを教えてあげたいアイドル』
     というお題目で、それぞれが吉岡沙紀を選んでくれています。
     吉岡さんを詳しく知らないPは「どうして?」と首を捻ったことでしょう……
     そして、吉岡さんをよく知っているPはというと、やっぱりよく分かりませんでした。
     これまでの長いシンデレラガールズの歴史で、吉岡さんにとってロックやアニメは、正直に、いや少し大げさに言ってしまえば全く繋がりがありませんでした。
     ラウドビーツというユニットはいかにもハードなロックユニットっぽいですし、アートはある意味ではアニメと近いものかもしれませんが、吉岡沙紀というアイドルのイメージの中にはロックやアニメは無かったと言って差し支えが無いでしょう。

     散々否定するようなことを言っておいてアレですが、アニメやロックについての関連性は分からないものの、吉岡沙紀というアイドルにアニメやロックを勧めたい気持ちについては、担当Pは物凄くよく分かっていました。
     少なくとも、アイドル紹介について盛り上がっていた時にツイッターで語られた、吉岡沙紀P達の話はそう思えるものが多かったように思います。
     去年のブロマガでも書いたことですが、ざっくり言うと「吉岡沙紀というアイドルは、自分が知らないものを知る喜びを誰よりも知っているアイドル」なんですよね。
     だから「自分は知らない、誰かが好きなものを勧めて貰ったり、教えて貰う」というシチュエーションには、とても納得が行ったのでした。

     実を言えば、自分で信念を持って書いた去年のブロマガを多くのPが読んでくれたのはとても嬉しかったのもありますが、少し怖かったです。
     「色々な吉岡沙紀の一面を否定しなくてもいい」という主張がいつか「色々な吉岡沙紀の一面を否定してはいけない」とか「否定するPは分かってない」になっていくのではないかと。
     全ての輝きを大事にしたいあまり、誰かの……もしくは自分の気持ちを否定することになってしまうのではないかと。

     でも、そんな不安は全く杞憂だったんだなと、今は思えます。
     アイドル紹介について語るP達の姿や、運営が作り出した新しい繋がりの輝きは、僕の言葉なんかよりもずっと強く、不安に思った自分を恥ずかしく思うほどに素晴らしいものだと思っています。
     「どの吉岡沙紀も素晴らしい」という気持ちと「自分の一番好きな吉岡沙紀」の存在は、決して相容れないものではないんだと、今なら胸を張って言えそうです。

     天然ジゴロな吉岡沙紀がいても良い。
     刺青の彫師の吉岡沙紀がいても良い。
     筋トレを応援する吉岡沙紀がいても良い。
     でも、うちの吉岡さんが一番可愛い!

     プロデュースってきっとそういうことで、ずっと知っていたつもりだったけど、思ってはいなかったこと。
     勝手に不安に思っていた何かを、勝手に笑い飛ばした、ということになりますね。

     アイドルを星によく例えますが、星が星座になるように、星と星は繋げられるものです。
     多田李衣菜さんや、神谷奈緒さんと吉岡さんが繋がったように、もっと自由に沢山のアイドルとの、そして沢山の吉岡沙紀との道を繋いでいきたい……道、路上は吉岡沙紀のフィールドなのですから、という話でした。


     アイドル紹介についての感想はこれで終わりなのですが、これだけでは少し寂しいので、僕が自信を持つことが出来た「自分の好きな吉岡沙紀」についての話を少しだけ、ツイッターでは書いては消し、消しては書いたことをメモとしてここに残すことにします。
     そういうことをしよう、と言っておきながら何もしないのも良くないですし……たまには誰かに読んでもらいたいですし。
     一応言っておくとこれから書く吉岡さんについての話は、セリフを元に考えてはいますが妄想ですので、良いなと思ったら良いなって言うくらいにしてくださいね。
     あ、あとpixivに吉岡さんのSS……のようなものを書きましたので、見つけたら読んで貰えるとそれも嬉しいです。


    ・吉岡沙紀と髪型
     吉岡さんがデレステでSSRにならないのはモデルの髪型をどうするのかが決められないから、といった話はよく見かけます。
     特訓前の柔らかそうな丸い髪型と、特訓後のツンツンした髪型、どちらが好きかは賛否分かれるところですね。
     去年は言いませんでしたが、僕はどちらかと言えば特訓前の髪型が好きです。
     でも、好き嫌いとは別にして「どうして髪型が違うのか?」というのは、興味深いところではないでしょうか。

     吉岡さんの初期のセリフに「今は私の身体が武器、かな?」というものがあります。
     身体が武器……なるほど、スタイルの良い吉岡さんなら武器にも出来るでしょうし、結果としてくのいちの演技では正に身体が武器になった訳ですが……「今までの武器は?」と考えると、そういう意味の話ではないことが分かります。
     吉岡沙紀の今までの武器、それは勿論スプレーであり、刷毛?であり、要するに「絵を描くツール」です。
     吉岡沙紀は、自分自身の魅力という意識が希薄で、「自分の表現したもの」に自信を持つタイプであり、それはアイドル吉岡沙紀ではなく、歌やダンスで表現された舞台そのもののことなんですね。
     だから自分の身体は筆……筆だからツンツンさせたかどうかは分かりませんが、とにかく、あの髪形は「表現したもの」に主軸を置いた姿で、極論すれば自分自身をアートとして「アイドル」として認められない姿だと言えるかもしれません。
     逆に言えば、あの髪形の吉岡沙紀は「最高にアーティスト」であるとも言えますね。

     それと比べるのであれば、特訓前の髪型でステージに上がることがどういう意味を持つのかと言うと、言うまでもなくプロデューサーが出会った時の吉岡沙紀そのままの姿が魅力的である、ということを彼女が自覚した、もしくは「吉岡沙紀というアートを表現するプロデューサー」のことを信じ切ってくれたということになるんじゃないかと思うのです。
     こちらも逆に言うと、自分の中の信念を曲げた姿とも言えるかもしれませんね。

     仮にこうだと考えるとこの二つの髪型に優劣は無くて、言うなればカルマ値の違いみたいなものになるんじゃないかと、ロウとカオスみたいな?
     いつか来る、SSR吉岡沙紀の髪型を想像したり、もしも来た時にはその髪型のストーリーに思いを馳せると良いんじゃないかな、と思います。

     さらに個人的には、この二つの髪型の丁度中間、立てているのにどこか柔らかい雰囲気のアーティスティックチアー吉岡さんの髪型って至高だと思うんですけど、どうでしょう?


    ・吉岡沙紀と口癖
     モバゲー版でスカウト直後の吉岡沙紀のセリフには、意外と「~っす」という語尾が少なくて、印象的には敬語を使うのが苦手な女の子が、思い出したように丁寧に話そうとして言葉尻に付けてる、という感じでした。(ライブバトルの時に「本番に強いんだぜっ!」というところなんかは特に記憶に残っています。)
     それがカードを重ねる度に、「~っす」を使うのに慣れていくように増えていき、今ではすっかり吉岡沙紀と言えばこれ、という口癖として定着しました。

     アナスタシアさんの今の片言についても言われますが、キャラ付けでライターが寄せていったと考えるのも良いとは思うのです。 でも、ここでも「どうして?」を考えてみました。

     髪型の時の話とも少し重なりますが、スカウトされてアイドルになることが決まった時、吉岡さんは自分がアイドルらしいとは全く思っていませんでした。
     そうしてアイドルとして事務所に行ったり、レッスンをしたり、お仕事をする過程で、きっと様々なアイドル達と出会い、話したりしたことと思います。
     その時、彼女はこんなことを思ったのではないでしょうか?
    「私の口調はアイドルとしてどうなのか?」と
     他の女の子たちの女の子らしい話し方を目の当たりにして、少し不安になったかもしれない、なんて思うのです。
     相談もするかもしれません、それは親とかお兄さんかもしれないし、友達かもしれないし、アイドルの誰かかもしれないし、プロデューサーかもしれないしその全員かもしれませんが。
     その誰かがきっとこう答えたんです、「沙紀らしくて良いと思う」と……そのままの吉岡沙紀がアイドルなんだと。

     そんな悩みを経て、彼女が「~っす」という口癖をよく使うようになり、ともすればそれを誇らしく思ってくれていたら、素敵だな、なんて。


     単なる妄想、単なる乱文でお目汚しかとは思いますが、少しでも誰かの吉岡沙紀への道になることを祈りつつ、ここらでお終いにさせていただきます。
     その道が来年か、いつかは一番星に届くことを信じつつ。
  • 吉岡沙紀のズヴェズダ

    2017-05-07 20:13

     アイドルマスターシンデレラガールズ内の『第6回シンデレラガールズ総選挙』も、いよいよ佳境となってきました。
     皆さんが担当している、推している、または好きなアイドルはどのような順位に輝き、またその順位に応じた新たな活躍の場を得るでしょう……もしかしたら悔しさのあまり涙することもあるかもしれませんね。
     さて、そんな総選挙の折りにゲーム内で面白い取り組みがされていたことは皆さんご存知だと思います。
     そうです、『アイドル紹介』です。
     「アイドルたちがそれぞれのテーマに沿ってみんなを紹介!」と題したこの企画、とても凄い。
     スターライトステージの「コミュ」を簡略化して大きく広げたようなものだと思いますが、アイドルたちの繋がりを視覚化することで想像と創造の余地が爆発的に広がります。

     皆さんも様々な紹介を見て
    「眼鏡似合うな、絶対」とか
    「春色の汽車……?」とか
    「パン!?」などの
     『アイドルの新たな一面』を見つけられたんじゃないかと思います。

     そんな中、自分が応援している吉岡沙紀(敬称略)も4人のアイドルたちに紹介されていて嬉しい限りです。


     成宮由愛さんは「一緒に絵を描いたことがあるアイドル」として吉岡沙紀を紹介……
     2人で描いたのか、他にも紹介したみんなで描いたのか、どちらにしても微笑ましいですね。


     有浦柑奈さんは「ラブ&ピースなアイドル」として吉岡沙紀を紹介……
     お互いにお互いをリスペクトしている2人の世界はどんな景色なのでしょうか。


     一ノ瀬志希にゃんさんは「ハスハス中のハスハスなアイドル」として吉岡沙紀を紹介……
     シンナー的なことなのか、それともジェンダーの枠に囚われないスタンスに同類的な匂いを感じるのか……不思議な彼女の言葉と考えに興味は尽きません。


     そしてアナスタシアさんの紹介
     「ズヴェズダみたいに耀いているアイドル」
    「みんなが違う色で、輝いて……私がいるこの場所は、ズヴェズダでいっぱいの夜空みたい、ですね」
     と彼女は語ります。
     選ばれた5人の傾向や本人の言葉を見るに、多分本来であれば182人全員紹介したいんだろうなと思わなくもないのですが、吉岡沙紀のPとして見ると『アナスタシアさんが吉岡沙紀をズヴェズダであると紹介する』というのはとても意味のある大切なことであるように感じるのです。
     吉岡沙紀がズヴェズダのように輝く理由を、アイドル紹介が追加され、消える前に……総選挙が開催されている間に、何より吉岡沙紀の誕生日に、ちょっと語りたいなと思います。


    ・アナスタシアさんのテーマ


     担当じゃないアイドルのことを語るのは憚られることもありますが、表面的な分かりやすい部分について少しだけ。
     シンデレラプロジェクトにも抜擢され、クローネのメンバーにもなった彼女のテーマは『挑戦』であると言えるでしょう。
     前に進むことを恐れないこと、留まらないこと、新しい景色を見ること。
     そんなスタンスを彼女が大切にしていることが、ストーリーにも重要な役割を果たしています。
     個人曲として3曲目の「たくさん!」の歌詞や、スターライトステージの現行イベント「Nothing but You」のストーリーでは他のアイドルに対して挑戦の先駆者といった立ち位置をしていますね。
     なので挑戦することを大事にしているアナスタシアさんのいう「ズヴェズダのような輝き」は、つまり「挑戦を恐れないこと」なのではないかと思うのです。


    ・吉岡沙紀の挑戦(ダイジェスト)


     吉岡沙紀の歩みは挑戦に次ぐ挑戦でした。
     集中して追っていない人にとっての吉岡沙紀が『アートなアイドル』であり、どんな場面でもアートを大切にしている女の子という印象なのは確かで、多分それが間違っていないこと……大きなパブリックイメージがそれであることには頷かざるを得ませんが、自分らしさを出しつつも吉岡沙紀が苦手としていることに意欲的に挑戦していることはあまり知られていないように思います。


     スターライトステージでもデビューを果たした[ボーイッシュエレガント]までのカードで中性的な魅力をビジュアルで表現していた吉岡沙紀は……

     その後の[アーティスティックチアー]が登場したイベント、トークバトルショー内で笑いながら「喋るのは苦手っす」と語り

     初期Rから時を経てガチャに登場した[グラッドチョイス]では差し入れとして不適切な激辛スナックを選び

     月末ガチャのRとして他のアイドル達とも共演した[オータムコレクション]では独壇場……と思いきや、アイドルとしてのビジュアルについてみんなで悩み

     アラビアンナイトを舞台にした御伽公演での[弦月のアラジン]役はまっすぐであると言われる自分とは合わないダークなアウトローのキャラクターであり

     くのいちアイドルチャレンジの[嬌笑のくのいち]が担当P以外の人にとっても衝撃的であったことは記憶に新しいことと思います。


     掻い摘んで挙げましたが、吉岡沙紀は様々なイベントやガチャに登場する度に「自分らしくなさ」と対峙してきたアイドルなのです。
     加えて言えば、「自分らしくなさ」と「笑顔で」向き合うアイドルです。
     アイドルになる前、ストリートアートに没頭している時に「出来なかったこと」を「出来ること」にする楽しさを知った彼女は、ぷちでれらのエピソードやスターライトステージのコミュなどで今の自分に出来ないことをとても楽しそうに、それが当然のことのように語ります。
     それがどれだけ特別で凄いことか、魅力的であるのか、きっとそれこそが、吉岡沙紀の担当は知っているけれど担当じゃない人は知らない、知って欲しいことではないかと思いました。
     アートでボーイッシュで可愛いアイドル、吉岡沙紀のさらに一歩先の魅力、の、一つではないかと。


     そんな吉岡沙紀の挑戦は挑戦だけでは終わらずに、
     トークバトルで鍛えたトーク力を活かしてシンデレラガールズ劇場では大喜利的な会話を繰り広げ
     差し入れ失敗しそうな場面を超え、五十嵐響子さんから料理のなんたるかを教えられバーベキューでは食べさせる側に回り
     ボーイッシュなだけじゃない、少しチャラくてワルそうなメンズライクファッションはその後の役作りに利用して
     演じる楽しさを知ると、フェミニンな衣装を好まないのにお色気くのいち役に挑戦する。
     「自分らしくなさ」を「自分らしさ」として積み上げてきた年月は、プロデュースの喜びに満ちていると言えます。


    ・吉岡沙紀のジレンマと輝き


     吉岡沙紀の魅力の一つが「自分らしくなさへの挑戦」であることは、一方で大きな問題を引き起こします。

     中性的な魅力で担当やファンになった人にとってはお色気を前面に出されるのが不自然に感じるでしょう
     クールなアーティストとしてプロデュースしたい人にはトークなどで無邪気な部分が邪魔かもしれません
     特徴的なステージ上のヘアスタイルとふわっとした普段の髪型も、もしかしたらどっちつかずと思うこともありそうで

     要するにアートという芯はあるものの、対立軸を幾つも抱えている吉岡沙紀はアンバランスで、悪く言えば中途半端なのです。
     「どっちも魅力だ!」と思っている人も、こんな話をしてしまったことはあるのではないでしょうか?

    「沙紀『くん』って言ってる人は分かってない」「なんか違う」

     みたいな。
     自分の信じる吉岡沙紀を心の中に持っていることは素晴らしいとは思います。
     ですが、どうしても吉岡沙紀を語る時に自分の好きな吉岡沙紀とは真逆の吉岡沙紀を否定するようなことになったり……そのつもりがなくても、例えば誰かの話す吉岡沙紀に自分の吉岡沙紀を否定されているような気持ちになったことは、誰しもあったのではないかと思うのです。
     そういう軋轢が吉岡沙紀担当になろうとするPを躊躇わせることになっていたとしたら、少し残念に思います。


     だからこそ、アイドル紹介でアナスタシアさんが吉岡沙紀を紹介してくれたことは大きな意味を持つ、と私は思います。
     吉岡沙紀の歩みを「ズヴェズダのような輝き」だと言ってくれたと、
     『沙紀くん』も『沙紀ちゃん』も『吉岡さん』も『吉岡くん』も『吉岡ちゃん』も『吉岡沙紀』も「輝き」なんだと。
     そう誰かに認めてもらえたとしたら、救われるんじゃないかと思うのです。


     そして弦月のアラジンのセリフ、
    「アタシがどんなアイドルになっても、プロデューサーさんの前ではずっとタダの吉岡沙紀っすよ」
     という言葉を信じられれば、また一つ、大きな一歩を踏み出せると信じています。


    ・吉岡沙紀の未来


     ここまでの吉岡沙紀の歩みをアイドル紹介に絡めてちょっとだけ話してきましたが、これからの吉岡沙紀の挑戦はどんなものになるか……ということも、ここまで読んでいただいた方それぞれに浮かんでいたら良いなと、本当に身勝手で申し訳ないのですが思ってしまいます。
     「ラウドビーツ」「ハードメテオライツ」として、もしくは有浦柑奈さんとの歌をメインにしたライブ?
     「アーティスター」「ホットアートジャンピン」のアイドル達とガチダンスバトル?
     「ハートハーモナイズ」でお料理番組?
     もしくはお姫様役か、はたまた本領発揮のバリバリアートな番組か?

     夢は尽きません……尽きてはいけないとも思います。
     その「これから」が来るように、総選挙での健闘を祈りつつ……それぞれの吉岡沙紀の誕生日をみんなが祝えますように。