実は第五話が嫌いなんじゃないのか。――アニデレ第五話再考
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実は第五話が嫌いなんじゃないのか。――アニデレ第五話再考

2015-02-13 07:20
  • 4

 お早うございます。頭が硬いことで知られていたりいなかったりする日谷さんです。

本日はタイトルの通りの記事です。
そういう性質の記事であるため、閲覧非推奨です。
いや、それならブロマガ書くなよって話なんですけれども。

あ、「それは違うよ!(論破)」は大歓迎でございます。













さて。

端的に申しますと、

「みくにゃんの暴走理由と暴走を抑えた理由がよく分からん」

「みくにゃんのキャラが気になる」

――の、二点が理由です。









前者から参りましょう。



みくにゃんの暴走は、一点からなるものではなく、複数の要素が混在しているものだと捉えたほうが適当でしょう。



・後からやってきたニュージェネレーションズが自分よりも先に舞台に立つ。

・上記の理由が、城ヶ崎美嘉によって選ばれたからだというもの。

・ニュージェネレーションズが先にCDデビューを決める。

・ラブライカが先にCDデビューを決める。

・前述二つの理由が明かされない。

・「どうなるの?」の問いに「企画検討中」の返答。

・デビュープランの提出に対しても「検討します」の返答。さらに「おそらく通らない」の追加。

(・ならば、「どうなるの?」も「おそらく通らない」ってこと? という思い込み?)

・「しばらくデビューはなさそうだねぇ」という、だりーなの言葉による焦り。

・「諸々ちゃんとしてればいつかデビューできるよ」の、かな子の言葉(未デビュー組の、全体的な諦めムード)
 (この言葉を受けて、「みくは諦めないにゃ。ストライキにゃ」の宣言をしているため)

・「何が違うの!?」という想い。
 (私だってちゃんとしている・頑張っているという考え)

・「プロデューサーに放っておかれているんじゃないか」という不安。

・「いつまで頑張れば良いの!?」という不安・焦り。





取り敢えず記憶している限りでこんなところでしょうか。
多分他にもあるでしょうし、暴走した理由に関してはそこまで首を傾げる要素はありません。

ニュージェネレーションズは明らかに優遇されていますし、そうでなかったラブライカだけが先にデビューするのは、「みくと何が違うの?」と思うのも当然でしょう。

引っかかっているのは、みくにゃんが暴走を収めた理由です。

みくにゃんの暴走を止めたのは、プロデューサーの言葉です。



・皆さん全員分のデビューを考えています。
 「シンデレラプロジェクト」という企画なのだから、当然では?

・順次ユニットデビューしようと思っています。
  但し本決まりではなく、いつ決定されるのかも明示されず。



 ……涙を止めて、笑みを浮かべるに値する言葉でしょうか?



結局具体的なプランは皆無です。絶無です。

「じゃあ、一年後にデビューさせるね」となった場合、みくにゃんは一年間頑張れるんでしょうか?
五年だったら? 十年だったら?

「現実的な数字ではないから、そのようなことは初めから考えていない」というのがこの場合の正解でしょう。
ですが、結局「先の見えない不安」というのは、何も解決されていないはずなのです。





暴走を止めた言葉と、それまでの「企画検討中」の間にある大きな違いは、



「前川みく(シンデレラプロジェクト全員)のデビューを考えています」



ということが明示されたことです。
裏を返せば、それ以外は「企画検討中」と何ら変わりはありません







と、するとです。

みくにゃんの暴走に関して、最も大きかった要素は、



「プロデューサーに放っておかれているんじゃないか」

「プロデューサーが自分を見ていないんじゃないか」




という不安にあったような気がしてなりません。





そしてその考えに至ったことで、「みくにゃんのキャラ」に対して疑問が生まれるのです。














ここで余談を。

「キャラ」と「キャラクター」は異なる概念です。

もちろん同一の概念として考察していらっしゃる方々もいますか、先行研究にそのような区分を提唱したものがある以上、意識したこともないという方はあまりいないのではないかと愚考しております。

そのように、今でも「これだ!」という定義がなされず、進行形で考察がなされている「キャラ」及び「キャラクター」という概念ですが、取り敢えずの定義をしなければ話ができません。



このブロマガでは、

「キャラとはテクスト(作品)における役割及びそれを担う人物像」

として捉えます。


また、

「キャラクターとはメタ物語性(テクストからの遊離可能性)を備えた虚構の登場人物」

というのがキャラクターの捉え方です。

前者は『ゼロ年代の想像力』をベースに、『ライトノベル「超」入門』等の考えをミックスしたもの。
後者は『動物化するポストモダン2』『セカイからもっと近くに』辺りをベースとしております。






閑話休題。

その前提で話をいたしますと、『モバマス』におけるみくにゃんのキャラと、『シンデレラガールズ』におけるみくにゃんのキャラが衝突したのが、引っかかっていたのではないかと気づくのです。



前回の記事におけるコメントで指摘されましたが(コメント感謝いたします)、シンデレラプロジェクトはニュージェネレーションズが来てからの始動で間違いはない模様。
しかし、ニュージェネレーションズが合流する前から顔合わせは済んでおり、恐らくレッスン等もこなしていた。そのために人間関係も構築されていたと考えられるみたいです。

そう考えると卯月が何故シンデレラプロジェクトに先に合流しなかったも妄想できますね。

「既に人間関係ができあがっているところに単身突入させたくなかった」
「人間関係を元にユニット及びデビュー順を考えていたため、島村卯月を含むユニットが完成するのを待っていた」

この辺りでしょうか。



その妄想が適当かどうかはともかく、シンデレラプロジェクト始動直前は、プロデューサーは(主にしぶりんと卯月の)スカウトで忙しく、みくにゃんとの交流は希薄であったと考えることができます。
もしもそのタイミングで充分な交流をはかり、互いを理解できていたのなら、「企画検討中」の本意も読み取れていたでしょうし。



では、「自分を見て欲しい」ってどういう意味だったんだろうか



「アイドルとしてデビューするために、プロデューサーとして見て欲しい」「プロデュースして欲しい」
こういうものが、『シンデレラガールズ』では適当なんでしょう。
しかし、そうであるなら具体性の欠片もない言葉で説得されてしまうのはどうにも腑に落ちません。
それは「プロデュースするつもりです(予定です)」であって、「プロデュースします」ではないのですから。
そんな言葉を告げられたことが、「プロデューサーとして見ている」ことになるんでしょうか?



一人の女の子を、一人の人間として見て欲しい。
『モバマス』ではそのようなキャラも垣間見せていますね。
それはもちろん、男女の恋愛という視点だけではありません。
気の合う相手。一緒にいて楽しい相手。友人。構ってくれる大人。その辺りの関係として、自分のことを見て欲しいというのも、充分納得できます。




――が、それは『モバマス』の話であって、(現段階での)『シンデレラガールズ』には明らかに噛み合っておりません。

にも関わらず、あのタイミングでの「私を見て欲しい」という承認欲求は、後者の、『モバマス』のキャラの影響が強いように見えます。

例えば、『シンデレラガールズ』第五話の同タイミングにおいて、ちひろさんが今後のデビュープランを提出したとして、みくにゃんは同じように涙を止めて笑顔を浮かべることができたでしょうか?



このことから私には、『シンデレラガールズ』のみくにゃんが、『モバマス』のみくにゃんに引っぱられてしまったようにしか思えないのです。

『シンデレラガールズ』のみくにゃんが、プロデューサーに一目惚れしていた。辺りなら解決できるかもしれませんが、それは二次創作の想像力が過ぎるというものでしょう。




「キャラクターが物語をつくるのか」

「物語にキャラが配置されていくのか」



私は創作者ではないので、どちらが多数派(あるいは「正解」)なのか分かりません。
当然、『シンデレラガールズ』がどちらに属しているのかも判断がつきません。



しかし、何故みくにゃんだったのか。他に適当なキャラクターはいなかったのか。
適当ではないからこそ、「キャラの衝突」が発生したのではないか

シンデレラプロジェクトでは、他に適当なキャラクターがいなかった。
なるほど。
なら何故、シンデレラプロジェクトをそのメンバーで構成したのか。

結局ストライキ後もニュージェネレーションズとの会議が描かれ、みくにゃんとの会議が描かれなかったことから、プロデューサーが問題の本質を掴めているのか? という疑問も残る。

――等々。






そういうものが渦巻いてしまったのが、個人的に第五話を低く評価してしまっている理由ですね。

言ってしまえば

「しっくりこねぇ!」っていうワガママなんですが。
「俺が気に入らねぇから気に入らねぇんだよ!」でも通用しちゃいます。

そんなひどい暴論で低く見られてしまう作品が可哀想になるほどの、手前勝手な感想記事でごぜぇました。――以上。













なお。

今夜放送される第六話において、プロデューサーが何か一つでも具体的なプランを提示した瞬間、途端にこの感想記事は破綻します。
その場合は大口を開けて、大笑いしてやってください。冷笑でも構いません。

滑稽なピエロになれることを、心より願っております。










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ふむ。私の理解力不足で後半に関してよく分からなかったので、間違ってたらすいません。
 「暴走が収束した理由」としてはみくにゃんの意識として「まずPが相談できる相手でない」という前提を知ってないいけないと思います。というのも着ぐるみのシーンにて「相談しても無駄にゃ」と言ってるので、この時点において「相談」以外のアプローチを妥当であるとみくにゃんは考えている、と私は解釈しています。そして、この後どうしたかといういうと、「デビュー案の提示」という協力姿勢です。この協力の意味としてみくにゃんは「そもそもPが自分の個性を把握してない。若しくはアイデアを持ち合わせてないのでは?」という不信感を感じたんじゃないか、とも私は思いました。
 「検討企画中です」。この言葉は1~4話まで視聴者視点では信頼できる言葉です。しかし、1話時点で私が「この言葉」を聴いた時「こんなロボットみたいなPで大丈夫かよ」と私は心配しましたが、その後の「笑顔です」という言葉で「本質が見えてるじゃないか」と安堵しました。もし、この「笑顔です」という言葉より前のイメージをみくにゃんが持ったままであったなら、今回「デビューの具体性に関しては触れてませんが、今まで不信を抱いてたPが今回誠意を示した」というのはみくにゃんの中では大きな進歩だったと思います。
 今の現状シンデレラプロジェクトが如何なるものなのか判断する材料は乏しい。しかし、CDデビュー組にしろ未デビュー組にしろ認識としては「そもそもこれって全員デビューできるプロジェクトなのか?」という点に関して相当猜疑心が渦巻いてたように描写より感じます。確かにプロジェクトですから「予定の上では全員デビューのつもり」でしょう。しかし、1話の卯月との問答を見る限りこのプロジェクトは相当曖昧であるように感じました。ライブに関しては「企画中」であり、CDを出すのも「企画中」なわけですから、Pの企画力次第ではそもそもCDデビュー自体ポシャる可能性もあるのだ、とみくにゃんに見えてもおかしくないと私は思いました。もし、みくにゃんを筆頭に他のメンバーが1話の卯月のような説明を受けたと仮定するなら、集団の共通認識としてCDデビュー自体「企画中」であるという認識は可笑しくないと私は解釈しています。
 では、結局そんな曖昧な世界で何を信じればいいか、最終的に誰を頼ればいいのか。彼女たちはトレーニングメニューを組むことはできないでしょうし、マネージメントも出来ない。結局それを組み立てたり判断を下すPに頼るしかない。Pのスタンスとしては3話・4話の描写より自分でなく、他のアイドルを差し向けることを常套手段としています。確かにそれで事態は好転してることは多々にありますし、他に仕事のあるPとしてはその方が負担がなく効率的でしょう。
 しかし、それで信頼は得られないし、この1話で「企画中です」と極力明言を避けてきたことも合わせて、1~4話にしてきたことが悪い方に転がって暴発したと思います。
 確かに具体的なデビュー時期に関しては明言していません。しかし、それ以前に、みくを筆頭としてアイドルたちの認識が「CDデビュー=企画中」であったという認識に立つと、あの場で大事なことはプロジェクトへの信頼を高めること、もっと正確に言うならPへの信頼向上であり、みくにゃんが言ったように「CDデビューを約束してほしい」ということに繋がると思いました。
 相当端折って書きましたが、結局、認識の問題になってると思います。長文失礼しました。
51ヶ月前
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>>春畝様

まずは乱文を読んでいただいたことに対する感謝を。

あくまで自分の考えとして、ですが。
不信感を抱いていたはずのプロデューサーは、「約束します」とは言っていないのに、安心できるのか? というのが疑問でございました。

プロデューサーはあくまでも「順次デビューを考えています」としか言っておらず、「約束します」とは口にしていないんですよね。それは誠意ある言葉なんでしょうか?
もちろん、プロデューサーを信用できているのなら、その言葉でも納得できるでしょうが、前回のストライキはプロデューサー(及び、ご指摘の通りプロジェクト)に対する不信感か関わっていることは間違いありません。だからこその、「相談しても無駄」の言葉でしょうし。

ならば何故、みくにゃんは笑みを浮かべたのか。それは当然プロデューサーの言葉に誠意を感じたからに他ならず、そしてデビュー云々に関しての誠意が希薄である以上、他の要素、すなわち承認欲求が満たされたことによるのではないか?
そして承認欲求を満たすことを求めるみくにゃんは『シンデレラガールズ』よりも『モバマス』的ではないか。しかし、暴走の理由は承認欲求を求めているようには見えず、その点から「キャラの衝突」が発生しているのではないか。――というのが、私の考えでした。

プロデューサーに対する不信感は、デビューできない・相談しても無駄・アイデアが無いのではないかなど、プロジェクトに対する不信感とほぼ同義だったはずです。にも関わらず、信用できない相手から「順次デビューを考えています(確約はしませんが)」と言われて引き下がるのは不自然ではないか。その不自然さを解釈しようと足掻いた結果が「キャラの衝突」云々の言葉です。

貴重なご意見、誠にありがとうございました。
51ヶ月前
×
追記します。
 やはり承認欲求というのが分かりませんが、「見て欲しい」「放っておかれるのは嫌だ」というのは当たり前の感情であるように感じます。自分のデビューの決定権を持つ人間が自分を把握してくれないということは「実力」や「個性」を把握してくれないわけですから、適切な時期にデビューさせたり自分にあったデビューの仕方を決めるのにもいい判断をしてくれないでしょう。

 それからちょっと語弊があったのでそちらも書きます。(またみくの正確面での書き残しも)
 「不信感」という強い言葉を使ってしまいましたが、ここは「信用していいのか分からない」と言うか、あるいは「企画中ですという言葉の意図が分からない」という前提を立てるのが適切だったかもしれません。というのも、今までのシーンにてPはみくにゃんに対して嘘はついていません。そして、みくにゃん視点でも、相談しても「企画中です」と返されて無駄だと判断してるだけです。そして、これに対するみくの行動は「ユニット加入という代替案の提示やデビュー案の提示」といった「企画」で返しています(その企画が有効かはともかく)。Pの言葉に関してはある程度信用しています。
 おそらく、この「企画中」という言葉のあまりの意味の広さが「もっとレッスンすればいいの? もっとってどれくらい?」という5話の台詞につながっていると思います。ある意味1話の卯月とは対になってると言っていいかもしれません。

 卯月は1話にて、レッスンして「待って」いました。みくは5話にてレッスンする描写ではなく、ひたすらPに「こうしたらデビューできるんじゃないか?」と提案し続けています。どちらも真面目に目標に向かっていますが、方法としてはかなり違います。この違いは「夢に近づいてる確信」を持ってるかどうかということでしょう。卯月はその確信を持っています。養成所時代と比べれば「待つ」ことくらいどうってことはないでしょう。それに対して、みくにゃんはどうかというと、3~5話よりそこまで受動的に「はいはい」言うことを聞いてレッスンを受けることに「夢に近づいている確信」を持っていません。主体的に動いて、動いて今ある不安をどうにかしようと、もがいています。

 Pの「順次デビューさせる」という台詞には裏付けや確約がありません。しかし、今まで一応嘘をついてはきませんでした。この言葉に確固とした「確約」はありませんが、「言い足らず」では済まされない言質ですので、「嘘」である疑惑が改めて生じた時は問題が再燃するでしょうし、改めて説明するように迫られるでしょう。それこそ「第一弾デビューと第二弾デビューに大きな空白期間」が出来たり、第三弾までしか明言してない性質上「第二弾のデビュー人数が4,5人でなく2、3人」だった場合がそれです。流石に6話に再燃することはないと思いますし、みくにゃんの当分の不安は“当分”は解決したと思います。
長文失礼しました
51ヶ月前
×
>>春畝様。

失礼いたしました。「承認欲求」と一括りにするべきではありませんでした。
「自分を見て欲しい」というのが、「(アイドルとしてデビューするための)アイドル像・実力を把握して欲しい」ということなのか、「私にも構って欲しい(=性格等を知ってほしい、コミュニケーションして欲しい)」なのか、はたまたそれらが複合した「アイドル像・実力・性格等を知るために、直接コミュニケーションして欲しい」なのかがよく分からなかった、ということです。

『シンデレラガールズ』においてみくにゃんは「デビューを約束しろ」とストライキを起こしました。すなわち、「個性・実力を把握して欲しい」という欲求です。
しかし、それに対してのプロデューサーの返答は「順次デビュー予定です(だからしばらく待ってください)」という、現状維持の答えです。それで納得できるというのは、「アイドル像・実力を把握して欲しいという欲求」が満たされたというよりも、「プロデューサーとコミュニケーションを取れたことによる満足」が大きかったのではないかと思ってしまったのです。
(その後、プロデューサーとみくにゃんが会議・打ち合わせをしている描写もありませんでしたし)

ユニット加入の代替案や、デビュープランの提出等、みくにゃんのスタンスは「個性・実力を把握できていないのではないか」という不安からのものであり、ストライキもそういう性質の言動を取っておりました。
にも関わらず、「コミュニケーションが取れた」“だけ”で涙を止めて、笑みを浮かべるのか……? という疑問が承認欲求云々やらキャラの衝突云々です。
それこそ、みくにゃんの「把握して欲しい」は当分しか解決できていないのですから、渋々ストライキを止めるや、取り敢えずの納得をして止めるならともかく、安堵の笑みを浮かべるのは、どうしても引っかかっておりました。

しかし、ご指摘にあった「プロデューサーの言葉は信用している」の辺りから、そもそもみくにゃんは最初から「アイドル像の把握云々よりも、コミュニケーションを求めていた可能性が高い」ことに気づかされました。
「プロデューサーに構ってもらえるなら、ストライキの要求は何でも良かった」とまで進むとさすがに誤読の域ですが、プロデューサーに構ってもらうことを要求するストライキであれば、「あの場にプロデューサーが来た」時点でみくにゃんは安堵できたのかもしれません。

ストライキに至るまでの行間を完全に無視しておりました。見当違いの発言、誠に申しわけございませんでした。
そして、ご意見誠に感謝しております。

そういう視点から、今一度第五話を消費していきたいと考えております。


51ヶ月前
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