• 組織の闇…

    2019-05-22 23:35
    先にご報告…本家でも記述した通り、この更新をもって、また放牧っす。いやね、右眼を庇うあまりに、左眼まで厄介な状態になってしまい、正直、失明寸前なんっす。ま、それをなんとか食い止めるべく、ちょっと手術受けてきます。ただでさえ、バランス悪い見え方してるんで、この際、きちんと治そうって訳で…(ry




    先週、緑茶…もとい、グリーンチャンネルの某番組で、馬主協会の会長を騙る輩が、今シーズンからのか番組改正は、自分の手柄といわんがばかりの発言を受け、SNSで競馬ファンから反感を買ってる訳だが、どうも競馬以外の部分でも、岩手県だけじゃなく、東北6県の行政は、ごく一部で勘違いしてるバカが、県政を牛耳ってるフシがある。今回はとりあえず、競馬関連を中心にやるが、行政に限らず、自分の“立ち位置”を弁えずに暴言吐くバカは、正直、認知症の高齢者以上に厄介&腹立たしい。こういう人がいる“だけ”で、組織がボロカスにいわれるのは、正直辛いし、悔しい。



    これは何も、岩手県に限った話ではなく、いかなる組織でもあり得る話であり、故に、その悪習が連綿と、しかも表裏関係なく存在するから厄介なのである…理由として、公表することによって受けた悪評を払拭しても、その手柄は、当座の者…即ち、その事柄の当事者ではなく、現時点での責任者のモノになるからであり、仮に一般大衆に公表されることなく事が進んだとしても、罰せられるのも現役に言及され、“真犯人”そのものは安穏なまま逃げ果せる訳である。だからこそ、ドラマや舞台劇では、その“闇”を払う内容の物語ほど人気が高く、類似の物語が次々と描かれやすいのが、日本の芸事では“お約束”な話って訳である。

    閑話休題、この“闇”の部分は、“恥”として葬り去るか、“悪”として潰すかで結論は大きく変わる。前者は教訓として史実に残ることもあるが、後者は完全に致命傷であり、組織が崩壊する直接の原因となる。言い方を変えれば、自分達でどうにかしようとして水面下でやってた事が結果的に民衆に迷惑をかけたと“自覚”があるから恥となり、自分ではどうにもならないことを、手柄欲しさに欲張った挙句失敗し、その“責任”を他人のせいにする上に、懲りないどころか更に繰り返すのが“悪”である。ただ…あくまでそれは公表された部分での善悪の話であり、“知らぬが仏”な一面もある。つまり、結果的に成功を収めてる人の多くは、煌びやかな経歴の裏で、人知れぬ秘密を抱えていて、その中には、とてもじゃないが褒められたモンじゃない様な案件も含まれている。

    要は、自分自身の思い通りにならないのを“他人のせい”にして、様々な協力を仰いでおきながら、成功事案を“自分一人の手柄”にしたがる人程、実は世間知らずであり、単純に精神年齢が乳幼児以下である。共産系左派に多い傾向で、“ボクノカンガエタキュウサイアンコソタダシイ”で凝り固まるあまり、“自分”と“他人”の関係性を無視して正義を唱えようとする。だが、いかなる組織にも、そういう“おバカ”は最低一人いるモンで、それがどの“立ち位置”と“肩書き”を持っているかで、組織全体の命運が決まる事が多い。つまり…一番タチが悪いのが、組織の頂点にいる場合であり、ブラックな体質の組織は大方この傾向にある。但し、創立者や創業者といった人はそれでも、なんだかんだで人付き合いを学び、分相応に責任を負う自覚を持って組織運営に当たるのだが、そこから代を経ると、自分の立場が“単なる神輿”である事を嫌って“革命”を唱えて、幕下に無理難題を吹っ掛ける訳である。





    まぁ…手柄はいくらでもくれてやればいい。そこに伴う責任まで背負えるのであれば、いくらでも暴君になっても構わないが、真の“暴君”ってのは、自分自身の“大切なモノ”を奪われると、途端に弱腰になって逃げ回るぐらいみっともない存在である。元から弱腰な人間はいない…様々な経験と、他人からの賞賛を勘違いして自惚れるからこそ、その地位や肩書きを奪われるのが怖くて、臆病になるからこそ、他人を卑下してしがみ付くんです…その“肩書き”に、何の価値もないのに。


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  • 軽種と重種の“違い”ってわかります?

    2019-05-15 23:35
    帯広市内中心部で、現在、“馬車BAR”なるモノが期間・日時限定で運行してるそうで、観光客とかには好評とのこと…そもそもは、ばんえい競馬のPRも兼ねてやっているとのことで、馬車を牽引してるのも、ばんえい競馬で実際に活躍してた重種馬(馬体からして、恐らくは半血種)である。しかし、SNS上では“馬車馬可哀想”という意見が散見される。あの…普通の競走馬や乗用馬(サラブレッドやアラブ等)だったらわかるが、大型の馬車を牽引する馬は、クライスデールやシャイヤー、ペルシュロンといった、馬体重が1t以上にもなるような大型種…畜産用語で“重種馬”に分類される品種は、ニュース映像程度のモノだと、1頭牽引でも余裕なんですけど…w


    以前にも解説したかとは思うんだが、いわゆる“馬車馬”になる品種は、貨物輸送がメインだと大型種が一般的で、軽種馬…サラブレッドやアラブ、アハルテケ等の馬体重が500kg前後の品種は、そもそも馬車の牽引には向かない。本来の活用形態としては、バイクと同じだ。また、食用に向いてるのが重種馬であり、もともと、十勝地方の馬産は食肉用重種馬がメインだったのを、北海道開拓の象徴として“輓馬文化”を残そう…ってことで、岩見沢や北見、旭川と一緒になってやってたんが、世界で、おそらく唯一の“牽引競馬”である“ばんえい競馬”であり、経営難で他場が撤退する中、唯一残ったのが帯広競馬場だっただけの話である。言い方を変えると、ばんえい競馬のある種の“馬産地競馬”なのである。


    もちろん、サラブレッドやアラブといった軽種馬でも馬車を牽引すること自体、調教次第ではできなくはないが、牽引は重種馬に比べると非力である。故に、軽種馬が牽引する馬車は4頭以上の“多頭立て”になりやすく、宮内庁で使用されているお召し馬車(大使伝達式等で使用されるアレ)も、那須の御用牧場で飼育されてるアングロアラブを馬車牽引用として調教してあるモノである。貨物輸送ではなく、旅客輸送で高速移動の手立てとして使うための多頭立てであり、馬術競技にも4頭立て馬車によるハンドリング競技がある。実は、多頭立て馬車の方が操作技術的に難易度が高く、熟練された腕でないと、速度調整もできない代物になる。だから、馬車の運用は基本、1頭牽引の方が扱いやすく、観光農園やテーマパーク(ハウステンボスや明治村、ノーザンホースパークなど)、一部の競馬場で運用される馬車の多くが1頭での牽引なのは、車両重量が軽いのはともかく、操作が安易であることが大きいのである。また、使用する馬の品種も、先述どおり、重種馬であることが多いのは、速度を必要としない運用であるからだ。


    あ、ちなみに…ポニーでも馬車を牽引する場合があるのだが、運用としては農家のトラクターヘッド(耕作機牽引のアレ)同様に、鍬や牧草フォーク等の機材の運搬が基本であり、旅客輸送には向いてない。馬体重もサラブレッドと比較したら更に小さい(ミニチュアポニーだと、100kgが関の山…)から、同じ“1馬力”といっても、ペルシュロンと比較したら非力なモンである。



  • つまらないの“正体”

    2019-05-08 23:35
    SNSで散見される、外国人騎手…てか、デムルメがGⅠ荒らしをやってる事に対する批判、それプラスでよくある“社台系の運動会”という揶揄…ここの部分に関して言えば、正直な話、オイラ的には“ファンが望んだ夢”の“答え”であり、僻みにしか聞こえない。確かに、今から30年ぐらい前の競馬は、今よりも個性派が多かったこともあって、アーカイブで見る分には面白そうかもしれないが、当時を実体験してる身からすれば、今の方が圧倒的に洗練されて、かつ、環境的に競馬に集中しやすいと…と思う。それだけ日本でも競馬文化が成熟したことを意味するし、オイラは良い事だと考える。でも、“面白くない”とか“つまらない”という意見があるのはなぜか?


    その背景にあるモノ…つまり、“つまらない”という感覚の“正体”は、今の“快適な環境”に慣れすぎたといいう部分と、苦労することの“楽しさ”を覚えたからこその苦言である。前者はブラッック上司の体質と一緒で、後者はなんで戦争系のゲームや物語が後を絶えないかという部分の答えになる。要は嫉妬からくる僻みが、純粋に“競馬を楽しむ”という感覚から遠ざける要因になってるという訳だ。

    以前にも散々書いたが、今日の日本の競馬事情が世界でも通用するようになったのは、それまで“血統の墓場”と揶揄される程劣悪だった状況を打破するために、社台グループが躍起になって馬産地改革を進めた事に対し、当の馬産地である北海道日高地方をはじめ、主に本土(特に東北地方)の牧場経営者は、ハナで嘲笑いバカにして、単純に競走成績…しかも中央競馬での中・長距離内国産血統にしか興味を示さなかった。また、内国産種牡馬の保護と推進を是とする政策として、所謂“マル父ボーナス”制度というルールが存在してて、それを理由に中小零細の家族経営牧場は、高価な外来種牡馬よりそっちを好んで選んだ訳である。その結果、社台グループ以外の名門牧場の多くが倒産や廃業となった訳であり、その下請けだった牧場も、次々と潰れた訳である。生き残ったトコでも、その多くは繁殖から育成までの一貫経営をやめ、繁殖のみの経営に切り替えた訳である。

    社台ファームをバカにする割に、これが繁殖に関しては、多くの馬主が賞金収入に拘るあまり、血統よりも成績を重んじた結果、今以上に特定の血統のみに偏る状況に陥った…しかも多くが、ノーザンテースト産駒の繁殖牝系ばっかになったため、アウトブリート血統を探すのが、国内では困難を極めた。現在でもサンデーサイレンス産駒牝系が殆どの為、サンデー系牡馬の重賞ウィナーでも種牡馬になれないケースが頻発してる訳で、アウトブリート系の繁殖馬を求めても、その殆どが社台グループの系列牧場に集約されている為、結局馬産地で、社台グループを相手に喧嘩する行為は、ある意味で“自殺行為”に近い状態になっている訳である。

    昔の競馬は、良くも悪くも“畜産振興と保護”が前提にあって、そこに基づいた保護政策の一環として内国産種牡馬ボーナスや市場取引馬ボーナスが設定されていたが、それでも庭先取引が一般的だったのは、馬産地自身が政府の方針や農水省の指導を無視した方が、経営的に“安定”するからという部分が大きかった。これは家族経営な農家全般に言えた話だが、いくら防疫対策しろと言っても、そこにかかる経費負担が重荷になることもあって、国や自治体から助成金がないと、なかなかやらないのが実情である…6次産業化を行うにしろ、初期投資が邪魔臭いのと、家族以外の“余所者”を農地に入れること自体嫌う傾向があるため、元から大手なトコ以外では、なかなか浸透しないでいる訳である。当然だが、農協に対して金銭的な不満がある農家もあって、ワザと農協から供給される肥料や農薬を使わず、ホムセンや種苗店から格安のモノを購入することがある。(但し、自家栽培用の野菜名目なんで、一般の市場出荷用ではないが…w)

    つまりは、かつての“ジャイアントキリング”を目の当たりにしたいと思う人にとっちゃ、社台グループの隆盛は腹立たしいし、“日本在籍騎手”といえど、C.ルメール騎手やM.デムーロ騎手がGⅠ戦線でバカスコ勝つのも鬱陶しく感じる訳である。しかし…少し視点を変えて様子を見れば、海外で“確実に勝てる”手段を考えると、欧州での騎乗経験がモノをいう時点でルメデムに依頼が殺到するのは仕方ないし、血統的な閉塞感をどうにかするには、ノースヒルズや岡田総帥率いるビッグレッドだけでは力不足なのは否めない。まして、かつての大物馬主も高齢化で世代交代や税制対策で法人化してる昨今、“現場の人間を育成する”という観点で出資する酔狂な個人馬主は、新規では皆無に等しい。さらに、地方競馬も売上の多くがネット投票によるモノだったり、中央との交流でJRA在籍馬が出走するといった話題性に頼ってるトコがあって、それこそ、コスモバルクやライデンリーダーといった中央の馬場(しかも芝コース)で大暴れした地方馬がいない時点でお察しである。(ダートだと、メイセイオペラがフェブラリーS制してるし、現役だと、カツゲキキトキトとかベンテンコゾウ、キタサンミカヅキ等、地方ダートでそこそこ強いのはいるが…)

    高知競馬でハルウララが一時、注目を集めてたが、その“愛され方”を考えると、競走成績“だけ”見たら“ダメ馬”でも、地元のファンに愛されたことで却って“有名馬”になったのは、地元メディアが積極的になって地域だけじゃなく、全国の競馬ファンまで巻き込んで盛り上げたからこその話であり、こないだの福永洋一記念で草野仁アナが来場し、ただでさえ祝賀ムード(去年のダービーで息子である祐一騎手が、福永毛の宿願を果たした為)がさらに盛り上がったという状況は、まさにバタフライエフェクト…廃止寸前まで追い込まれた一しがない地方の競馬場が
    、ここまで息を吹き返したのは奇跡の域である。これを“体験したい”と思うから、逆にそれが“普通”になってしまうと、感情的に興味が薄れる訳である。




    つまり、“つまらない”の真の“正体”は、そこに行き当たるまでの苦労や困難を“経験したい”と思う反面、失敗や衰亡の危機を恐れるあまりに“挑み続ける”事を拒んだ者の僻みである…ダラダラな人生も大いに結構だが、そこに至るまでにどれだけの犠牲と、どれだけの重責を担って達成したかを踏まえて考えれば、批判の多くは、“他人事故の批判”でしかない。そこんトコを理解しろとは、オイラ自身は言わない。ただ…自分自身もそうやって批判され、他人に夢を踏み躙られ潰されながらも今日までのうのうとやってこれてる訳だし、やっかみいっても“自分じゃできん”事やってのけた人をバカにする事自体、惨めなだけだ。“つまらん”と思った時点で、黙ってその場から立ち去ればいいだけであり、本音はどこかで構って欲しいからこそ、成功者をバカにして自分と“同類”にしたいだけです。不平等?大いに結構…自分と他人じゃ“違って”当然。その“違い”をもって支え合うのが社会なんだから、できるヤツにできることは任せ、こっちは自分の“できること”に集中しましょw